第520話、弟子の疲労を案じる錬金術師

部屋で二人きり、暫くリュナドさんと抱き合っていたけど、彼はゆっくりと私を放した。

なので抵抗せずに私も彼の背中から手を放し、少し離れた彼の顔を見つめる。

すると彼は少し困った様な笑みを見せ、小さくため息を吐いてから立ち上がった。


「そろそろ戻るよ。報告もしないといけないしな」

「あ、そっか、うん」


残念だけれど仕方ない。リュナドさんは仕事でここに来たんだろうし。

流石の私だって遊びに来た訳じゃない事は解っている。

治安維持の兵士としてあの場に来て、私へ事情聴取しに来た事ぐらいは。


なら聞くべき事が終わったら、当然だけど普段の仕事に戻らないといけないだろう。

彼が帰ってしまうのは残念だけど、ここで居て欲しいなんて我が儘は言えない。


「ん?」


部屋を出ると下の階から人の気配を感じ、弟子達が残っている事に気が付く。

寝室にいる間は何も感じなかったのは、多分家精霊が遮断していたんだろう。

私達も弟子達も、お互いに話声が聞こえない様に。


リュナドさんの「二人きり」って言葉に気を遣ってくれたのかな。


『『『『『キャー♪』』』』』

「あ、セレスさん・・・えっと、もう、良いんですか?」

「ん? うん、話は終わったよ」


下に降りると精霊達と二人が私達に気が付き、メイラが恐る恐るな様子で訊ねて来る。

なぜそんなに恐る恐るなのか首を傾げつつも頷き返し、視線を彼に向けた。


「気を遣わせて悪かったな。俺はもう戻るよ」

「あ、い、いえ、その・・・すみません」


メイラは彼に対しても何故か謝り、そんなメイラに彼は苦笑しながら頭を撫でた。

男の人が怖いメイラだけど、もうリュナドさんの手は平気になっている。

こういう所がリュナドさんは凄いと思う。私もメイラも彼なら怖くないんだもん。


「殿下は後日にでもまた話を」

「ええ、解りました」


メイラの頭をポンポンとしながらパックにも声をかけ、パックは笑顔で応えた。

多分今日の話をするのかな。パックは私の知らない所で働いてるから心配になる。

私に「休め」って言って来たけど、パックこそ休んでるのか怪しいと思う。


そうだ、暫くは無理にでも泊らせよう。弟子の体を気にするのも師の役目だし。

特に今日は魔力切れ状態の訓練もしている訳だし、家に止まれば家精霊の力で回復も早まる。

うん、それが良い。そうすれば暫くは毎日二人を抱きしめて寝れるしね。


私がそんな決意をしていると、リュナドさんは玄関前へとあしをむける。


「じゃあ、またなセレス」

「うん、また来てね」


去る前に私に振り返ってくれた彼に、最後にぎゅっと抱き着いて別れを告げる。

このまま放したくない衝動にかられつつも、我慢して彼から離れて笑顔を向けた。

そうして彼は精霊達と共に家から去っていき、精霊達の楽し気な鳴き声が遠ざかる。


街道へと消えて行く彼の背中を見送るのは、何度してもやっぱりちょっと寂しい。

一緒に居る時間が幸せなせいか、その幸せが遠ざかる様な気持ちになる。


「・・・もっといっぱい、伝える様に、しないとね」


だからこそ、彼にはもっと、もっともっと、私の気持ちを伝えないといけない。

彼がそう望んだ通り、私の彼に対する気持ちを伝えていきたい。

それで彼が喜んでくれるのであれば、私にとってはただただ嬉しいだけだ。


私が貴方と一緒に居るのが好きだと、そう伝える事で彼が喜んでくれる。

貴方が居ない時間が寂しい。貴方を見送るのが寂しい。貴方と離れるのが寂しい。

勿論仕事の邪魔をする気は無いから、離れないで欲しいなんて我が儘は言わない。


けど彼が遊びに来たその日には、いっぱい私の想いを伝えないと。


「・・・ふふっ、楽しみ」


その日が楽しみだ。その日はまたハニトラさんを呼んで三人でくっつこう。

ハニトラさんもリュナドさんに抱き着くの好きだからね。独り占めは良くない。


「さて・・・それじゃもう少ししたら、ライナの店に行こっか」

「はい、セレスさん」

「はい、先生」

『『『『『キャー♪』』』』』


笑顔でお茶を用意してくれる家精霊を撫でながら、良い時間になるまでのんびりと過ごした。




・・・それにしても結局あの人、何しにこの街に来たんだろう。偶々通っただけなのかな?


ー------------------------------------------


リュナド殿が去って行くと、先生は彼の背中を寂しそうに見送った。

けれど同時に嬉しそうな笑みも見せ、女性の心は複雑だと感じる。

先生の場合は複雑すぎるので、察せない事が多すぎるとも言えるのだけども。


「さて・・・それじゃもう少ししたら、ライナの店に行こっか」

「はい、セレスさん」

「はい、先生」

『『『『『キャー♪』』』』』


ただ二人の関係に変に口を出す事も失礼だと、メイラ様と共に思っている。

大恩ある先生が幸せであってくれればそれで構わない。それが僕達の気持ちだ。

なので余り余計な事は言わず、意識を切り替えたらしい先生の言葉に従った。


そうして暫く家精霊のお茶を楽しみ、夜が深くなった所で先生の絨毯に。


「今日のメイラは魔力を沢山使ったし、絨毯は危ないかもしれないから。ね? ね?」


そう言われて三人で絨毯に乗り、先生に後ろから抱きしめられながら空を飛ぶ。

何となく、僕達を抱きしめたかっただけでは、なんて思うのは失礼だろうか。

食堂の上に辿り着くといつも通り裏口へ向かい、食堂の主が迎え入れてくれた。


「いらっしゃい、好きな所に座って」

『『『『『キャー♪』』』』』


何時も通り精霊に溢れた食堂に入り、すぐに空腹を刺激する匂いが充満する。

その頃には先生はテーブルに突っ伏してしまい、盛大な腹の音を立てながら耐えていた。

最初こそ驚いたものだけど、もう最近は見慣れた何時もの光景だ。


「うう・・・良い匂い・・・」

『『『『『キャー・・・』』』』』


精霊と一緒に苦しそうに呻く先生を見て、思わずメイラ様と目を合わせて苦笑してしまう。

弟子として長く過ごして解った事は、先生は身内には余り格好をつけない人だと言う事だ。

駄目な姿は普通に見せるし、なんなら今まさしくダメな姿を晒している。


それでも先生に対し呆れた気持ちにならないのは、先生の偉大さを理解しているからだろう。

むしろ完全無欠じゃない人なのだと、ほんの少しだけホッとする自分も感じていた。

師匠が余りに偉大過ぎ、その背中の遠さを感じ、追いつける気がしない劣等感なのだろうな。


そう考えるとむしろ、先生はわざと無様な様子を見せているのでは、と思う時もある。

実際は解らない。何せ先生だ。何もかもを見通す先生の心の深みは僕では解らない。


それでも尊敬する師である事だけは変わらず、僕にとってはそれだけが大事な事だ。

先生が居なければ僕はここに居ない。生きているかも解らない。それを忘れてはいけない。

ただ薄着で出て来るのだけは止めて頂きたいと切に願う。僕はリュナド殿に殺されたくない。


「はーい、おまたせー」

『『『『『キャー♪』』』』』


精霊とライナさんが食事を運んで来ると、先生はガバっと起きて食器を手にする。

そして心底幸せそうに食事を口にして、暫くの間は会話もままならなくなる。

勿論緊急時はそうでもないけど、基本的に先生はひたすらに食べる事に集中してしまう。


当然そんな幸せそうな先生を邪魔出来る訳もなく、むしろ笑顔で見ながら僕達も食事を頂く。

精霊達と分けながら、ライナさんに近況報告をしつつ、先生が会話に参加するまでのんびりと。


「はぁ・・・美味しかった・・・」

「ふふっ、お粗末様です」


そしていつもながらどこに入るのかという量を食べきった先生は、満足そうにお腹を撫でる。

あれで太らないのだから不思議だと思うが、リュナド殿との模擬戦を見ると納得してしまう。

先生は余り僕達に見せはしないが、常に体を維持する様に鍛えている。


これは家精霊に確認済みだ。メイラ様が訊ねた事で分かった事だけれども。

先生はそういう所が有るので、やっぱりどうしても侮れない。

むしろ駄目な所を見せつける様になった事で、余計にその裏の行動を気にしなければと思う。


「そういえば今日、テオ君が出て行く様な大きな事件があったらしいわね。その事でフルヴァドさんが態々謝りに来たのよ。彼の事は解って雇ってるし、本人からも事情を聞いたから別に良いって事前に言ってたんだけど・・・それでも謝って来るんだから、律義と言うかなんというか」


そんな風に考えていると、ライナさんがそんな話題を口にした。

恐らくあの精霊殺しの光の件だろう。そう思いながら耳を傾ける。

何だかんだと聞きそびれ、まだ僕達は事の顛末を聞けていない。


「フルヴァドさんは真面目だから、ちゃんと謝りに行くから偉いよね」

「どこぞのセレスさんは怒られるのが怖くて逃げるものね?」

「うっ・・・」

「ふふっ」


けど先生はその事を話す様子が無く、となれば話す気は無いと言う事かもしれない。

ならば下手な事は言わない方が良いだろうと、僕もメイラ様も口を閉じた。

そうして先生はぽややんとした表情で雑談を続け、帰る段になって僕へ指示を出した。


「あ、そうだ、パックは今日は・・・ううん、暫くは泊って行く様に」

「え、暫く、ですか?」

「うん。魔力が少ない状態だと、魔法石があっても、今のパックじゃ危ないから」

「わ、わかりました」

「ん」


・・・何か事態が動き始めたのだと思った。

少なくとも僕の身の安全を確保しなければいけない何かが。

先生は僕の返事に安心したのか、満面の笑みで頷いていた。

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