第443話、必死に縋る錬金術師

『キャー!』

「っ、酒場、かぁ・・・」


案内を頼んだ頭の上の精霊が、絨毯に降りて指をさす。

その先には酒場が有り、深夜なのに人気の多さを感じさせた。

この時間なら領主館か自宅だと思ってたんだけど、どうやら今日は違うらしい。


「さ、酒場に居るなら日を改めて・・・い、いや、駄目だ、行かなきゃ・・・!」


危機感を持て。お母さんが忠告する事は、何時だって重要な事だ。

私はそのおかげで生きている様なものなんだから。

錬金術師モドキをやっていられるのは、お母さんの教えが有るからなんだ。


「よ、良し、いこう・・・!」

『キャー♪』


気合を入れて仮面を付け、絨毯を地上へと近づける。

周囲が少し驚く様子で私を見るけど、仮面があるおかげで何とかなりそうだ。

でも目が多過ぎるので手早く絨毯を丸め、そそくさと酒場の中へ入る。


建て直したのに相変わらず音の出る扉を開き、中に入ると急に酒場の中の音が消えた。

そして何故か視線が私に向いている。え、何、私何かした? な、何もしてないよね!?


混乱しながら周囲を見回すと、カウンターにリュナドさんをが居るのを見つけた。

不思議そうな顔で私を見ていて、少しだけ顔が赤い様に見える。

もしかして酔う程飲んだのだろうか。今の彼が酔うには相当量を飲んでると思うんだけど。


なんて思いつつも、周囲の視線が逸れないのが少し不安で、トテトテと彼に近付く。

彼はその間ずっと不思議そうなままで、けれど私は傍に寄れて少しほっとする。


「・・・リュナドさん」


ただやっぱり緊張は誤魔化せなくて、彼の名を呼ぶ声がかすれてしまった。

すると彼は眉間に皴を寄せ、少し機嫌の悪そうな様子を見せる。

え、あれ、リュ、リュナド、さん? ど、どう、したの?


「どうした、俺に何か用か?」


彼の様子に慌てていると、その不機嫌そのままな声音で、そう言われた。

思わずビクッと力が入り、喉がつまり、涙が勝手に出そうになる。

リュナドさんが、怒ってる。良く解らないけど、何故か、怒ってる。


やっぱり、私は何かしていたんだ。彼を不快にさせていたんだ。

その事実に気が付くと、胸が張り裂けそうな程に辛い。

このまま彼に嫌われたらと思うと、この場で叫んで泣き出したくなる程に。



ああ、覚悟が足りなかった。考えが甘かった。こんなに、こんなに辛いなんて。



まだ手遅れじゃないだろうか。まだ嫌われていないだろうか。まだ間に合うだろうか。

いや、まだ彼は話を聞いてくれている。不機嫌だけど、何か用かと聞いてくれている。

直ぐに来て良かった。お母さんの忠告を思い出して良かった。まだ、話を、聞いて貰える。


けど、どうしたら良い。怒ってる彼に、何を言えば良い。

言いたい事があったはず。伝えなきゃいけない事があったはず。

でもさっきので頭が真っ白になって、悲しくて苦しくて頭が回らない。


『・・・そんな事言われても、人の機嫌を損ねたら、私には対処なんて、出来ない』

『なあに、それこそ簡単だよ。アンタの子を産んでやる。そう言って迫れば男なんて大抵何とかなるもんさ。実際私は何とかなったしね。アンタの父さんは可愛いもんだったよ?』

『・・・そんなの、出来ないよ、私には。絶対、やらない』

『さっきも言ったろ。一人の男を想うなんて事、昔は想像しなかった。アンタを産むなんて欠片も想像しなかった。先の事なんて誰にも解んないのさ。一応覚えときな』


ああ、そうか、そうだった。子を産んでも良いと思うのだから、それを伝えれば良いのか。

でも今のままじゃ声が出ない、震える喉から息を吐き、それから強く息を吸う。

そして拳にぐっと力を込めて気合を入れ、泣かない様に気を付けながら口を開いた。




「・・・私は、貴方の子供なら、産んでも良い」




そう告げて彼を見ると、彼は何故か真顔で固まっていた。表情が消えている。

ただ不機嫌な様子ではなくなったので、間違いではなかったんだろう。

ありがとうお母さん。お母さんの忠告のおかげで、失わずに済むかもしれない。


「・・・だから、私を、捨てないで、欲しい」


だからもう一歩。お母さんの忠告と、リュナドさんのお願い。

それを合わせてもう一歩先の言葉を彼に告げた。

いや、これこそが一番の願いだ。彼に捨てられたくない。嫌われたくない。


彼の不機嫌な表情を真っ直ぐに向けられて、初めて私は自分の考えの甘さを痛感したから。

大好きな彼に嫌われる実感を持って、その辛さが想像以上だった事を。

だから、何でもやる。彼に嫌われない為なら、私は、何でも、やる。


そう思い精いっぱいを告げた。ただ彼の顔が認識できない。周囲が歪んで見える。

ああ、駄目だ、涙で視界がにじむ。彼の表情を確認したいのに解らない。


お母さんはやっぱり凄いな。こんなの、捨てられない。捨てられる訳が無い。

嫌われても彼の事が大好きだなんて、もうきっと思えない。耐えられる気がしない。

失う事がこんなに怖かったんだ。そしてそれだけ彼の事が大好きなんだ。


ホントに私は駄目だな。人の心どころか、自分の心の機微すら理解出来ないなんて。


「セ、セレス、何言ってんだ。俺がお前を捨てるとか、絶対無いだろ。ぎゃ、逆は有るかもしれないけど、セレスが俺を見捨てない限り、そんな事にはならない、だろ?」

「――――――っ」


歯を食いしばり、泣きそうな感情を堪え、彼の言葉を待っていた。

すると彼はそんな風に返してきて、余りの嬉しさに喉が詰まる。優し過ぎる彼の言葉に。

不機嫌だったのに、きっと怒らせてたのに、それでも彼は私を捨てないと言ってくれた。


絶対に捨てないと。私の事は絶対に見放さないと、そう言ってくれる。凄く嬉しい。

嬉しさでこのまま泣いてしまいそうで、けれどそんな事をする訳にはいかない。

だって彼は、私が彼を捨てる可能性があると、そういう意味の事を今言った。


あり得ない。それこそ絶対にありえない。そんな事をする訳が無い。


「――――――」


そう言いたいのに、声が出ない。喉が詰まって音にならない。出そうとすると泣きそうだ。

言いたいのに、伝えたいのに、この大好きな気持ちを彼にちゃんと告げたいのに。

何で私はこうなんだろう。何で何時もちゃんと出来ないんだろう。情けなくて嫌になる。


悔しくて、悲しくて、苦しくて、情けなくて、握る拳に更に力が籠ってしまう。


「ったく、痴話喧嘩なら人の居ない所でやってくれませんかね、精霊公様」

「全くだ。そんな事でまた酒場を壊されたら堪らない」

「ち、痴話喧嘩って――――」

「はいはい、良いからこんなちんけな酒場で飲んだくれてないで、愛しの錬金術師様と帰って下さいよ。喧嘩を見ながら飲む酒なんて不味くて勘弁なんですよ」

「あいたっ!?」


すると先輩さんがリュナドさんの背を叩いたらしく、かなり凄い音が酒場内に響いた。

その勢いで彼は立ち上がり、それだけじゃ勢いを殺せず私にぶつかりそうだ。

慌てて勢いを殺しつつ彼を受け止め、そのままギュッと抱きしめる。


「セ、セレ、ス・・・?」


暖かい。心地良い。安心する。彼に抱き付いているだけでそう思う。そう感じる。

嫌われても大丈夫なんて馬鹿じゃないのか。何で離れられると思ったんだ。

無理だ。私にはもう無理だ。彼に嫌われるなんて耐えられない。


「精霊さん達よ、お二人のお送りを頼んだぜー」

『『『『『キャー♪』』』』』


先輩さんの言葉に応えた精霊達が、いそいそと絨毯を広げて少し浮かしている。

何時の間にか絨毯を落としていたみたいだ。そして『キャー♪』と座る様に促された。

言われた通りすとんと腰を落とす。リュナドさんを抱き抱えたまま。


「んじゃ、仲良く帰って下せえ」

『『『『『キャー!』』』』』


手をひらひらさせる先輩さんの合図で、絨毯はゆっくりと店を出て、そのまま空へ飛んだ。

次に会った時は先輩さんに謝らなければ。美味しくお酒を飲む邪魔をしてしまった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ああもう、何なんだこの状況! 何で俺がセレスを捨てるって話になってんだ!?

つーか先輩とマスターは絶対わざとだろ今の発言! 俺がどういう人間か解ってるはずだろ!

あ、違うこいつら裏切りやがったんだ! 俺を慰めるよりセレスに付きやがった!!


「セ、セレス、何言ってんだ。俺がお前を捨てるとか、絶対無いだろ。ぎゃ、逆は有るかもしれないけど、セレスが俺を見捨てない限り、そんな事にはならない、だろ?」


一縷の望みをかけて挽回を試みる。立場が逆だろうと彼女に告げてみる。

すると彼女は歯でも食いしばっているのか、ぐっと息を呑む様子を見せた。

更に力の籠っていた拳になお力が籠り、明らかに『返答が違う』と物語っている。


何で? 俺が悪いの? マジで何でこうなってんのか解んねぇ!


焦りと混乱で固まっていると、先輩とマスターがからかうような事を言って来た。

反論しようとするも背中を思い切りたたかれ、吹き飛ぶ様にセレスに向かって行く。

いや実際に吹き飛んでる。加減しろよこの野郎。なんて悪態をつく暇もない。


セレスの動きが視界に入り、殴られるのを覚悟でぐっと力を入れて堪える。

けれど彼女は俺を優しく抱き留め、むしろ見せつける様に俺を抱きしめて来た。


「セ、セレ、ス・・・?」


本当に心の底から訳が分からない。一体どうなって何がしたいんだお前。

ただ混乱する俺が冷静になるよりも早く、精霊達とセレスが俺を酒場の外へ運ぶ。

そして夜の空へと飛ばすと、その軌道はセレスの家へと向かっているのが解った。


ただセレスは、相変らず俺を抱きしめている。これは何かしらの演技だったんじゃないのか。

酔いは醒めたと思ったが、まだ酒が残っているせいか、未だ混乱で頭が上手く回らない。


「・・・ごめん、なさい。貴方を、不快に、して・・・迂闊な事を、言って・・・」

「っ―――――」


するとセレスは俺に落ち着けとでもいう様に、低く響く声音で声をかけて来た。

それは、あの『友達』発言の事だろうか。いや、それ以外に無いよな。

もしかして俺が愚痴ってるのを、精霊共から聞いたんだろうか。


あり得るな。こいつらは俺よりも、主人のセレスを優先する。当然だろう。

そんな主人の事を愚痴っているなら、不快に思って告げ口しても不思議じゃない。

ただ告げ口で済んでるって事は、攻撃されてないって事は、セレスが許してるって事だ。


セレスの声音は相変わらず厳しいが、おそらく言っている事は本当なんだろう。

じゃあ何で怒ってんだよとは思うんだが、彼女の発言を思い出すと少しだけ想像がつく。




『・・・私は、貴方の子供なら、産んでも良い』




俺を手放さない為の手段が、一番の手段がそれだったんだろう。

確かに繋ぎ止める大きな理由になる。けど何時もの彼女とは毛色が違う。

何時もなら彼女はもっと上手く転がすはずだ。俺を嵌めてくるはずだ。


俺は見方によっては彼女の信頼を不快だと、そう愚痴っていたとも捉えられる。

それは正直仕方ないと思って欲しいし、きっと彼女も思ったに違いない。

けれど放置出来ないと判断した訳だ。あのセレスが、錬金術師様が、俺を。

ただし仕方ないと判断する部分があったからこそ、俺に利点をわかり易く提示したんだ。


怒りだろうか。悔しさだろうか。けれど多分、何時もと同じじゃ駄目だと。

溢れるそれらの感情を抑え込んで、俺に一番効果的であろう提案をして来た訳だ。

ああくそ、少し嬉しいと思う自分が悔しい。どう考えてもあれ後で酷い事になるってのに。


「・・・なあセレス。さっき言ってたの、本気か。子供、産んでも良いって」

「・・・本気、だよ。貴方が、望むなら、良いよ」


貴方が望むなら、か。そうか。そうだよな。俺が望むならって事なんだよな。

セレスはそれだけの価値を俺に見出している。好意も少なからず向けられていると思う。

けれど『望むなら』なんだ。それは彼女が自ら望んでいる事じゃない。


「いや、要らない。必要無い」

「っ・・・!」


俺の返答に、彼女の体が強張るのが解った。また怒らせただろうか。

けれど彼女は更に俺を抱きしめ、けれど歯を食いしばる様な音が聞こえる。

恥をかかせたな。酷い男だと思う。ここまで言わせた相手に、拒否で返すんだからな。


けど、違うと思うんだよ。じゃあそれで良いって応えるのは、違うと思うんだ。


「セレスは、俺が必要って事で、良いんだよな」

「っ、ん・・・!」


やけに静かな気持ちだ。その感情のまま問うと、彼女はコクリと頷いた。

何時もの様なごまかしは一切無い、そう告げる様にまた強く抱きしめられて。

きっと俺をその気にさせる為なんだろうな。ああくそ、ほんと、自分が嫌になる。


「なら、それで良いよ。解ったから。大好きな友人。それで良いよ」

「――――――っ」


セレスがガバッと俺から離れ、仮面越しに見開かれた眼が見える。

その眼には見る見るうちに涙が溜まっていくように見えた。


「ひぐっ、よかっ、ひっく、わた、ぐすっ、貴方が、いな、うああっ」


申し訳ないが、何を言っているのか解らない。

解らないが、セレスは泣きながら抱き付いて来た。

それは初めて泣きつく彼女を思い出し、そして泣かせたのは自分だとも思い出す。


正直意外だ。俺なんかにそこまで、彼女が感情を出す相手と思えない。

けれどそんな卑屈な言葉を口にするのは、彼女に失礼な気がした。


「・・・仮面、邪魔だろ」

「うぎゅ、ひっぐ、うぐぅううぅぅ」


仮面を外してやると、ボロボロと泣く彼女の顔が露になる。

迫力のある睨み顔でも、俺を転がす笑顔でもない、余裕の一切無い泣き顔。

そんな彼女の目元を少し拭いてから、胸に抱きしめて頭を撫でる。


きっと彼女が泣いているのは、単に俺が離れなかった安心だけじゃないだろう。

俺は彼女の自尊心をかなり傷つけたはずだ。あそこまで言わせたのに拒否したんだからな。

けど、だから、俺が悪者で構わない。


「悪い。俺が悪かった。だから、気にするな。もう良いから」

「うっぎゅ・・ふぐっ・・・!」


自分の尊厳も捨てて、情けなく縋る女を演じて、どれだけの我慢をしたのだろうか。

そりゃ怒りも持つだろうさ。その日の内に、理解を示さない態度を見せたんだからな。


伝えてくれと頼んだのは俺のはずだ。そして彼女はその言葉に従っただけだ。

好意は有る。望むなら体を許しても良い。それぐらいの評価は有る。

頼りにもしてるし、弱みも見せられる。けど、そこまでだ。それ以上は無い。


あの笑顔は、告げて大丈夫だと、安心した笑顔だったんじゃないだろうか。

なら多分悪いのは、きっと俺の方なんだろう。こんなにも泣かせている俺の。


「お前が良いなら、それで良いよ。もう、本当に、気にすんな。友達、なんだろ」

「んっ・・・うんっ・・・!」


惚れた方が負けか。本当にそうなんだな。畜生。

解ったよ。俺からは手を出さねえ。絶対にだ。約束する。

万が一にでもお前から望まない限り、俺とお前は『友人』だよ。

お前が望まない報酬を、俺に与えようとする必要は無い。




泣かせる方が嫌だなんて、本当に笑えて来るな、全く。

ホントお前悪女だわ。嫌いにさせてくんねーんだもん。

よっぽど焦って来てくれたんだよな・・・ホント、勘弁してくれ。

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