第319話、ただ幸せな時間を噛み締める錬金術師

あの後私の懸念は大当たりして、泣き止むのに大分時間がかかった。

泣き止んだと思って立ち上がると、気分が落ち着く前に嬉しい感情がぶり返してしまう。

そうなれば止まったはずの涙はまた流れ、立ち上がったのにまた座るしかない。


けれど苦しくはないし、意識や思考が鈍くなってる訳でもない。

むしろ人間ってこんなに泣けるんだなー、なんて暢気に考えてしまう程だ。

思考は冷静なのに感情の変化に追い付いていない。凄く変な感じだった。


「・・・ふぅ、今度こそ、落ち着いた、かな?」


だから泣き止んだ後、冷静に自分の様子を確かめながら、ゆっくりと立ち上がれる。

そろそろ突然涙が溢れ出す様な様子もなく、普段通り活動出来そうだ。


先程の事を頭に思い浮かべても、胸の奥から溢れて来る様な感覚は無くなっている。

勿論嬉しい気持ちは在る。けど今はただ単純に、嬉しくて優しい気持ちだけだ。

それを確認してから、作業用の水を使って顔を洗った。


『キャー?』

「ん、もう大丈夫。ありがとう」


精霊が『大丈夫ー?』と聞いて来たので、穏やかな気持ちで返事をする。

そもそも別に辛い訳じゃなかったし、心配されるような事では無いんだけどね。

ただまあ、あの状態だと会話は間違いなく出来なかったし、その確認とも言えるのかな?


『キャー』

「へ? あ、そっか・・・」


けど私の考えとは全く違う答えが飛んできた。

どうやら目が腫れている様に見えるらしい。それはそうか。あれだけ泣いたのだから。

目が真っ赤なのはもちろんだけど、そのままだと目元はもっと腫れるかもしれない。


「目薬目薬・・・」


目薬の瓶の蓋を開け、目に直接当てるのではなく、鼻筋から落ちて来る様に流す。

そうして両目に流し込んだら、近くに在った手拭いを魔法で冷やして目に当てた。

暫くこうしていれば目の赤みは引くし、目元の腫れも目立たなくなる

軟膏タイプの目薬も有るんだけど、私あれ苦手なんだよね。


これは依頼の品なので、後で作って追加しておかないとなぁ。傍に有ったから使っちゃった。

今回は緊急事態という事で、自分で使った事には目を瞑って貰いたい。

期日はまだ有るし、良いよね。流石に作り置きの薬から追加する気は無いし。


「あー・・・気持ち良い・・・」


目薬が目に沁み込んで行く感覚と、泣きはらした目が冷やされるのが気持ち良い。

暫くそうしていると『キャー!?』という声が聞こえ、手拭いを外してチラッと目を向ける。

すると精霊が目薬を被ったらしく、目を抑えて天を仰いでいた。何してるのこの子。


「どうしたの、痛かったの?」

『キャー・・・!』


痛くは無かったけど、何だか気持ち悪かったらしい。目がすーっとするそうだ。

精霊に人間の薬が効くのかは疑問だけど、目に浸透する感じは有るみたい。

目をギューッと閉じて、あうあうと口を動かしながらフラフラしている。

君は本当に精霊なのかな。時々自信が無くなって来るよ?


「こっちにおいで。ほら、頭の上に乗って、一緒に目元を抑えてよう。そのうち収まるから」

「キャー・・・」


精霊を捕まえて頭に乗せ、手拭いの端っこを掴ませる。

そして一緒になって目元を抑え、腫れの感覚が無くなるまでそのまま待った。

精霊も私に倣ってじっとしており、暫く静かな時間が続く。


「そろそろ、良いかな?」

『キャー?』


そろそろ腫れも引いただろうと手拭いを外そうとするも、顔から離す事が出来なかった。

頭の上の精霊がしっかりと握っており、未だ目元を抑えて動かない。

ただ『僕も外して良いのー?』と聞いてくるあたり、どうしたら良いのか解ってないんだろう。


「ん、外して良いと思うよ」

『・・・キャー♪』


応えると素直に手を放し、恐る恐る目をぱちぱちさせてから、嬉しそうに手を上げる精霊。

そもそも君はただ薬を被っただけだし、何にも悪い所なんて無かったんだけどなぁ。

まあ良いか。何故か楽しそうだし。


「さて、それじゃ二人を呼びに行こうか」

『キャー♪』


精霊に声をかけてから扉に手を伸ばし、でも一応最後に深呼吸をしてから居間へと向かった。

すると居間では皆でお茶にしていたらしく、のんびりとした空気が流れている。


「あ、セ、セレスさん、ご、ご機嫌は、その、もう大丈夫、ですか?」

「ん? うん、もう大丈夫だよ」


ただメイラだけが少々恐る恐るという様子で、私にもう大丈夫なのかを聞いて来た。

・・・あれ、これってまさか、泣いてたのがばれているのでは。

心配させない様に部屋に籠っていたのに、逆に心配されているんじゃないだろうか。

メイラの問いに応えてから、そんな疑問と焦りが頭に浮かぶ。


「そうですね。そうみたい、ですね。ふふ、パック君の言った通りですね」

「そのようですね」


ただメイラはホッとした様子を見せたあと、笑顔でパックにそう言った。

もしかしてパックは全部解ってたのかな。察しの良い賢い子だもんなぁ。

喋れないと心配させると思ったけど、嬉し涙だって気が付いていたのかも。


泣いて心配させない様に、なんて気遣いは二人には不要だったのかもしれない。

いや、それはパックだけで、やっぱりメイラは心配だったのかな。

そう考えると、泣いているところを見せない、っていう判断だけは正解だったのかも。


「セレスさん、お茶は要りませんか?」

「あ、うん、貰おうかな」


未熟過ぎる自分と違い、やっぱりこの二人は優秀だなぁ。

なんて思っているとメイラに笑顔で問われ、思わず笑顔になって頷き返す。


かなり長い時間泣いていたからか、喉が凄く乾いた様な気がする。

別に泣いた程度じゃそこまでの水分は出てないけど、単純に気分の問題だ。

席に着くとメイラがいそいそとお茶を用意し、私のカップへと注ぐ。


「じゃあ、お茶を飲んでから、二人にちょっと教えたい事が有るんだけど・・・あ、その前にお昼にしようか。もう良い時間だし」

「はい、解りました。あ、家精霊さん、私も手伝うよ。二人はゆっくりしていて下さい」

「解りました。お任せします、メイラ様」

「ん、ありがとう」


メイラの言葉にありがたく頷き、お茶をゆっくりと口に含む。

あー、何時も美味しいけど、今日はいつも以上に美味しい。


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「不機嫌様子を見せない様にしている事を考えると、出て来る時には普段通りの先生かもしれませんね。むしろあの様子を見せない為に、部屋に籠っているのかもしれません」


パック君はお茶を用意して少しすると、そんな風に言っていた。

そして部屋から出て来たセレスさんは、その言葉通り普段の優しいセレスさんだった。

ただお腹が空いたのか、詳しい話はあとにして食事にしようと言い出したけど。

勿論それに家精霊さんは頷き、私も一緒に台所に向かって用意を手伝う。


「んー、美味しい・・・本当に美味しい・・・幸せ・・・」

『おいしー・・・おいしいぃー・・・』


食事が始まると、セレスさんは本当に幸せそうにそう呟いていた。

普段から美味しい美味しいとは言っているけど、今日は殊更に嬉しそうだ。

それは何時も一緒の精霊さんも同じ様で、物凄く幸せそうな顔で食べている。


「家精霊、ありがとう。本当に何時もありがとう・・・」

『ありがとー・・・』

『え、あ、は、はい。どういたしまして』


そして二人でお礼を口にして、困惑気味に応える家精霊さん。

当然私とパック君も不思議そうに首を傾げ、他の山精霊さん達まで首を傾げている。


「・・・普段からこの料理が食べられるのは、本当に贅沢だね」


そして私達の疑問を意に解する事無く、料理にだけ視線を向けて食べ続けるセレスさん。

ただその呟きから察するに、そう思う様な何かがあったって事なのかな。


「確かに、この食事は、下手な貴族の家の料理より美味しいですね」


ただパック君はその呟きに疑問じゃなくて、同意の形で話しかける。

するとセレスさんは顔を上げ、私達に視線を向けた。


「それもそうだけど、家精霊の料理には加護が有るから。私も最初はアスバちゃんに言われるまで気が付かなかったけど、この料理を毎日食べてれば、体は常に健康に保たれると思う」

「確かに。それを考えれば、これ以上贅沢な料理は無いかもしれませんね」

「うん。美味しくて、体を健康に保ってくれて、多分普段の抵抗力も上げてくれている。勿論効果がある人間は限定されるけど、それでも破格の効果だと思う」


セレスさんに普段以上に褒められている家精霊さんは、照れくさそうに頬を抑えている。

青い精霊さんなのに、赤い色になりそうな程だ。勿論そんな事にはなってないけど。

でも照れながらにへへーと笑う様子が可愛い。普段のお澄まし顔とはまるで違う笑顔だ。


「・・・メイラは大丈夫だけど、パックは出来るだけ、ここで食事した方が良いかもね」

「僕は、ですか?」

「うん、この中で一番内臓が弱いのは、多分パックだから」


あれ、そうなんだ。私って内臓頑丈なんだ。知らなかった。


「でも僕も、一応毒物対策の為の食事はしていますよ。先生からの教えもあり、以前より改善された材料で作っていますし」

「それでも、家精霊の料理の方が上だよ。普段から一緒に料理するメイラなら、気が付いてるんじゃないかな。家精霊の使っている材料とか見てるでしょ?」

「え、私ですか?」


いきなり話を振られ、ちょっと緊張した気分で背筋を伸ばす。

多分これは授業だ。唐突に授業が始まったんだ。

パック君に視線を向けると、彼も真面目な顔で私を見ている。


「えっと、家精霊さんの作る料理は、薬草類が良く含まれていますね。虫やキノコ類等の毒や薬になる様な、そういった物も混ぜて作っています」

「そう。家精霊の料理は、加護の前に先ずちゃんとした効果の有る料理なんだ。その上でとても美味しくて、家精霊の力が籠っている。ならこちらの方が効果は上だよ。元々はライナのレシピとほぼ同じだったはずだけど、段々家精霊が手を加えて違う料理になってたんだよね」


セレスさんはそう言うと、優しい目を家精霊さんに向ける。

すると家精霊さんは少々驚いた様子で、だけど嬉しそうに目を細めた。


『気が付かれていたのですね・・・』

「最初は偶々かなって思ったけど、そういう料理が増えて来たから、全部解っててやってるんだなって思ったんだ。だから家精霊の判断に任せてた。この子が住人にとって悪い事をするはずがないし。多分家の中の出来事から、家精霊も薬草の知識を学んでたんじゃないかな」


小さく呟いた家精霊さんの言葉は聞こえてないと思うけど、セレスさんは補足する様に続ける。

そしてその言葉を聞いた家精霊さんは、心底嬉しそうに笑いながら口を開いた。

ただ視線は私に向いているから、通訳して欲しいという事だと思う。


『半分はその通りです。主様の行動から学び、そして半分は精霊としての力です。貴女の体に害する物、という場合は何故か解りますので、その感覚を頼りにさせて頂きました』


そう言った家精霊さんの言葉を通訳すると、セレスさんは笑顔で再度礼を口にした。

優しく頭を撫でながら褒められた家精霊さんは、もう顔が思いっきり崩れている。

というか体の形が崩れそうだ。悲しい時か嬉し過ぎる時は形を保ってられないらしいんだよね。

私はその様子をにこやかに見つめていたけど、パック君は正反対な真剣な顔で口を開いた。


「・・・先生、質問を一つしても、宜しいですか?」

「ん、良いよ。何?」

「何故今日、いえ、今になってその事を、僕に告げたのでしょうか」

「んー、私の身近な人だと、パックが一番毒物に弱い方だなって、そう思っただけだから」

「僕が一番、ですか」

「うん。メイラは最悪黒塊が毒物を除去すると思う。アスバちゃんは規格外の魔法で多分どうにかしちゃう気がする。リュナドさんは強化薬と強化装備使用訓練の効果で下手な毒物は効かなくなってるし、フルヴァドさんは精霊殺しと一緒の時は半分人間じゃなくなってるから」

「ですが、先生の友人のライナさんは、対策をしていないのでは」

「ライナは基本的に自分の作った料理しか食べないみたいだから、心配無いんじゃないかな。街の外に出かける事が無いなら、知らない所で作られた物を食べる機会は無いだろうし」

「・・・そういう事ですか。解りました。先生、ありがとうございます」


今の発言内容の意味は、流石に私でも解った。そのせいで思わず表情が強張る。

パック君も同じ様な表情で頷いていて、多分私達は同じ気持ちで居るのだろう。


『毒物でも平気で使って来る相手の所に乗り込むよ』


ライナさんが心配ないというのは、きっとそういう事だと思う。

あの人の事が大好きなセレスさんが、対策を後回しにするなんて普通は考えられない。

ならどんな手でも平気で使って来る相手の所に『私達』は『出向く』事になるんだ。


私達を連れて行ってくれるんだ。今のはそういう言葉だと思う。

だって今あげた人達は皆、私以外の他の人は前に出て戦う人達だけだもん。

マスターさんや領主様が含まれていない。それはそういう事だと思う。

なら私達はそのつもりで居ないといけない。その覚悟で居ないといけない。


保護するべき相手じゃなくて、一緒に戦う場に連れていってくれる。

それはとても怖い。きっと怖い男の人が多いのだろうと思うと体が震える。

けれどそれと同じぐらい、セレスさんに『戦力』として数えられた事が嬉しい。

パック君も何処か嬉しそうな様子に見え、その気持ちはとてもよく解る。


もしかして作業部屋に長時間籠っていたのは、この判断を悩んでいたからなのかな。


『・・・また誤解を深めている気がします。主様はただ思ってる事を言ってるだけですのに』


ただそんな中、さっきの嬉しそうな顔が消え、死んだ目で家精霊さんがそう呟いていたけど。

誤解、してるかなぁ。そんな事無いと思うんだけどなぁ。

むしろ思っている事を言っているなら、それこそ私達は嬉しいけどな。

私達をあの凄い人達と同列に扱ってくれてる、って事だし。


・・・セレスさんの言う通り、黒塊の力を使う事を覚悟しておこう。

何時までも怖いから嫌だ、って言ってられないよね。私は錬金術師の弟子なんだから。

とはいえ普段はやっぱり使いたくないけど。黒塊は色々話が通じないし。

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