第315話、獣を見逃す事に不安を覚える錬金術師

「・・・竜人公様の御心のままに」


丸男は止血処置をした後にそう言うと、法主さんの指示でどこかに連れていかれた。

怪我人なので安静にしておくようにと、看護の為か数人の僧侶さんに運ばれて。


その様子を見ている時、奴は私に怯えた目を向けていた。

色々察しの悪い私だけれど、あの顔と目は良く解った。何度か見たから知っている。

自分達は殺して略奪をしておきながら、自らに降りかかると命乞いをする野盗達と同じ目だ。


「・・・やっぱり、獣だ」


奴は獣だ。それも思考力の低い部類の。

相手の力量も理解せずに欲望のまま手を出し、反撃をされたら恐怖を覚えて逃げる。

人間ならそんな事はしない。相手の事を考えて動くのが人間なんだから。

少なくとも私は、お母さんとライナからそう学んだ。


それに戦うなら、勝てない覚悟も持って、その上で戦うのが人間のはず。

人間は野の獣とは違う。思考する能力が高い生物だ。戦う事が死に繋がる事は解るはずだ。

なら死の覚悟を持った上で戦うのが、人間が戦う事だって、そう学んでいる。


命を奪う以上は反撃を受けるのが当然で、死は常に隣に潜んでいるものだ。

他者の命を害する以上、自分にも同じく死は降りかかる。

その認識と覚悟が在れば強者に怯え竦みはしない。怖くてもあんな目や顔は絶対にしない。


けれど奴は真逆だ。蹂躙する事しか考えていない獣だから、強者に対し恐怖しか持てない。

人を想って、相手の事を考えて、覚悟を持って戦うつもりなんか欠片も無い。

自ら挑んでおきながら、強者と解れば恐怖で逃げ出す。思考も本能も弱い獣だ。


逃げる事は悪くない。逃げるのも戦法だ。けど奴は逃げる事を最初の算段に入れていない。

だって蹂躙する気しかないから。自分の欲を満たす気しかないから。

自分が戦う相手の事を想いも見もしていないから、反撃に対し怒りか恐怖しかないんだ。

それは人間じゃない。ただの獣だ。


「・・・殺した方が、安全な気がするけど」


思わずボソッと小さな呟きが漏れた。

獣はその場を乗り切ってしまえば、どうせまた誰かに牙を剥く。

むしろ強者を知った事で、露骨に弱者を狩るだろう。それが獣だから。


他人の事を考えられるのが人間だ。他人を想えるのが人間だ。

それが出来ない獣は人の群れに居ない方が良いと思う。

人の中に獣が混ざっていれば、誰かが狩られて殺される可能性は高い。


「物騒な事を言ってるなぁ」


するとリュナドさんに呆れた様にそう言われてしまった。

殺す殺さない、という言葉を人前で余り使うなと、以前ライナにも叱られた事がある。

小声だから隣の彼以外聞こえていないけど、だからって口にしない方が良かったのは確かだ。

今は周りに人が多いから尚の事だろう。呆れられても仕方ない。


「・・・ごめん、なさい」

「あ、いや、謝る必要は・・・むしろ俺が謝るべき・・・いや違うか、合わせてくれた事に礼を言うべき、だと思う・・・その、ありがとうな」


落ち込んで俯きながら謝ると、小声で彼がそう言ってくれた。

一瞬言われている事を理解出来ず、少し遅れてお礼を言われた事に気が付く。


合わせたつもりは無かった。ただ彼の言う通りにしただけだから。

それでも結果が彼にとって良かったのなら、むしろ私こそお礼を言いたい。

貴方にとって良い事が一番良いのだから。それを教えてくれてありがとうと。

だってそう言ってくれなかったら、私はただ落ち込んでいたと思うし。


「申し訳ございません、こんな事になってしまって。本当に、本当にこの場でご迷惑をおかけするつもりは無かったのです。ただ食事と、私の誠意を理解して頂けたらと、それだけで」


彼の役に立てた事に喜びと安堵を感じていると、法主さんが近づき謝って来た。

顔が見えなくても解るぐらい、すっごく申し訳なさそうな声音だ、

けど別に法主さんが謝る必要は無い様な。だって彼女は丸男を咎めていたもん。


「貴女が謝る必要は無い。この事態はあの男の暴挙だ。私はそう捉えている」

「感謝します。精霊公様。錬金術師様も御不快な気持ちにさせてしまい申し訳ありません」

「・・・法主さんが、謝る必要は、無いよ」

「ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいです」


リュナドさんも私と同じ気持ちらしく、なら私は当然責める気は無い。

むしろ謝られている事に申し訳なくなってしまう。だって。


「・・・私の方こそ、ごめんなさい」


チラッとお付きの女性に目を向けて、だけど申し訳なさに俯いて謝る。

私は彼女を殺す所だった。それは謝っただけで済む様な事じゃない。

リュナドさんが居なければ、私は確実に彼女を殺していたのだから。

もし彼が居なかったと思うと背筋が寒くなる。


「それこそお気になさらず。貴女は貴女の最善を下そうとした。ただそれだけなのです。それは私共とて同じ事。貴女を責めるのであれば、私共とて責められるべきでしょう」


けれど法主さんは優しい声で、心が軽くなる様な声音でそう言ってくれた。

不思議なぐらい心に響く声なせいか、重かった気持ちが軽くなった様に感じる。

やっぱり法主さんは優しいなぁ。とても良い人だなぁ。


「しかし、これでは食事どころではありませんね。場所を変えましょうか」

「そうだな。それが良いだろう」

「・・・ん」


食堂は今やガヤガヤと騒がしく、来た時の静けさはまるで無い。

丸男が去った今も多くの人が残っていて、こんな所で落ち着いて食事は出来ない。

なので法主さんの提案に素直に頷き、食堂を後にする事に。


「ほら、お前らも何時までも睨んでないで、行くぞ」

『『『『『キャー』』』』』


精霊達は丸男が去って行った方向を睨んでいたけど、リュナドさんが呼ぶと渋々付いて来た。

ただ暫く歩くともう機嫌が直ったのか、キャーキャーと歌いながら進んでいる。

私も素直に彼の後ろを付いて行き、人が減った事にホッとしていた。


本音を言えば、食事抜きで良いから帰っちゃ駄目かなー、とか思っちゃったけど。


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「ふふっ、奴のあんな顔を見られる日が来るとは思っていませんでした」


食事の場を変えた先は、先日の会談の場だった。

そして席に着いて、一番最初に彼女が発した言葉がこれだ。

昨日事情を聞いていたから気持ちは解るが、そこまで素直に言って良い事なのかね。


というか、何かちょっと昨日と感じが違う様な。

昨日はもうちょっと、食えない感じと言うか、油断できない感じと言うか・・・。

今はまるで完全に気を抜いている様で、容姿相応の振舞いに見える。


「恐れ入りました精霊公様。私ではあそこまで逃げ場なく追い詰める事は出来ません。どこかで奴に言い訳を与えてしまう。本当に、素晴らしく、恐ろしい」

「私は大した事はしていないよ」


心から嬉しそうに賛美する法主だが、俺としては素直に頷き難い。

正直な所、結構な行き当たりばったりだったしな。

全く考え無しでやった訳じゃないが、完全に勝算があると思ってやった事でもない。


ただあそこで引く意味も必要もないと、そう思っただけの事だ。

何よりセレスが奴を敵視している。その時点で穏便に事を運ぶのは無理だろう。


それに殺した方が良いと。セレスは珍しく自分の方針をきっちり口にした。

彼女がそう言う以上、本当はその方がうまく行ったのかもしれない。

けれど俺が奴に折れる様に持って行こうとした結果、彼女が合わせてくれただけだ。


おそらく最初から、殺した場合とそうでない場合、両方を考えていたんじゃないだろうか。

自分なら始末するけれど、リュナドならそうしないだろうと。

あの時俺が止めるか止めないか。あそこで判断したんじゃないかという気がする。


「昨日の、そして今日の彼女を見ていたなら、貴女も解っただろう。彼女の事を」


俺の考えの範囲内では、かなり上手く行った方だと思う。

けどその全てはセレスが居たからだ。あの男はまだ折れる気が無かった。

奴の考えの悉くを彼女が叩き潰し、俺はそれに乗っかっただけだ。


あの場を掌握していたのは他の誰でもない、セレスだ。


誰も彼も彼女の良い様に操られていた。

ただ俺だけが、少し彼女に融通して貰っただけ。

だから大半の人間にはまるで俺が事を全て運んだ様に、俺の策の様に見えただろう。

とはいえ昨日のセレスを知る法主なら、真実は違うと解るはずだ。


「ええ、勿論です。そして精霊公様の力も理解致しました。お二人とはこれからも末永く、友好を結んで行けると良いと、心から思っております」

「それは何よりだ。こちらとて余計な面倒を望んでいる訳ではないからな」

『『『『『キャー?』』』』』

「ふふっ、勿論精霊様とも、仲良くさせて頂けると嬉しいです」

『『『『『キャー♪』』』』』


俺の力ね。そこは勘違いされてる気がするけどな。俺は大半がハッタリだ。

まあ良いか。態々訂正する必要も意味も無いし。都合よく勘違いしておいてもらおう。

彼女が協力的である方が、俺にとっても都合が良いんだしな。


「ただあの男は今の所は折れただけで。今後また何らかの動きを見せる可能性は在る」

「やはり、そう思われますか?」

「ああ。とはいえ、今暫くは大人しいだろうが」


セレスが『殺した方が良い』と言う人間だ。

今回で完全に折れたと考えるのは甘いだろうし、従順に従う可能性は低いと思う。

その時が何時になるかは解らないが、何かしらの行動を見せるに違いない。


「セレス様は、あの男がどう動くと思われているのですか?」

「・・・獣は、生きている限り、狩りを続けると思う」

「そうですか・・・解りました。ありがとうございます」


獣ねぇ。人間扱いする気は無いって意味か、単純に状況に照らし合わせた比喩か。

まあここは後者だろうな。奴が諦める気は無いだろうと。俺と同じ考えだ。

いや、今の言い方だと俺と違って「絶対に動く」と断言しているな。

ただそれ以上言わないのは、解らないのか言わないだけか・・・。


「ではお話はこの辺りにして、食事を再開しましょうか」


法主もそれ以上の事は訊ねず、大人しく食事を始めた。

俺とセレスも特に意を唱える事なく、美味しいとはお世辞にも言えない食事を口にする。

精霊達も静かにモゴモゴと悲しそうな顔で食べている。頑張れ。俺も頑張るから。


「ところでミリザ殿・・・それは食べ難くないのか?」


彼女は顔に垂れる布を、この部屋に来ても外さずに食事をしている。

それが少々気になり、遠回りな訊ね方をした。


「食べ難くはありますが、もう慣れました。いえ、申し訳ありません。実を言うと、今はちょっと見せられる顔ではないのです。食堂では誠意などと言っておきながらお恥ずかしい」


だが彼女はその意図を理解した上で外す気は無い様だ。

むしろこれは、俺が女性に対して考え無しだったかもしれない。

彼女の言葉が真実であれば、という前提だが。影武者という可能性は否めない。


「すまない、不躾な事を言った」

「いえいえ、お気になさらないで下さい。私の都合に過ぎません。むしろ顔を見せられない事を申し訳なく思います。どうかお許しを」

「解った。受け入れよう」


そもそも隣のセレスも仮面をずらして食べているしな。

昨日は外していたのに、今日は外す気が無いらしい。

女同士何か通じる所でもあるんだろうか。俺には全く解らん。


その後は食事を終えたら予定を変え、領地に帰る事になった。

本来はあの男の件があった訳だが、奴に色々と責任を押し付ける形にするそうだ。

ここぞとばかりに奴の株を下げるつもりらしい。


「精霊公に会えない事を、今なら全て奴のせいに出来ますからね。ささ、早くお帰りを」

「ん・・・ありがとう、法主さん」

「――――ど、どういたし、まして」


その際、セレスがここまでと違う、穏やかな声音で礼を言っていた。

当然法主殿は面を食らった様子で応え、俺も少し予想外で固まってしまった。

ただセレスはそんな俺達の反応などお構いなしで、とっとと帰ろうとする訳だが。


『『『『『キャー!』』』』』

「あ、はい、ま、また今度」


しかもそれを追っかける精霊が手を振りながら鳴くから、余計に何も言えなくなっていた。

ついでに言うと、俺は手を引かれていたので強制的に歩かされていた。

さて、何時ものごとく何体か精霊を残しているんだろうな。暴れねーと良いけど。

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