第281話、竜に報酬を貰う錬金術師

「暫くリュナドさんに会ってないなぁ・・・」


居間のテーブルに突っ伏し、体を投げ出しながらぼそりと呟く。

貴族位を受けるという一件から結構な日数がたち、あれから一度も彼が遊びに来ない。


とはいえ以前はこれぐらい合わないのは普通だったから、元に戻っただけかもしれないけど。

ただ最近、特に竜が来てからはほぼ毎日家に着てお茶を飲んでたから、何だか寂しい。

ぽややんと窓の外を見る彼の様子は、私の気持ちも心地良くしてくれてたのに。


「あれからどうしてるのかなぁ・・・怒ってはいないと思うんだけど・・・」


彼の貴族位の授与は街で一番の噂になっている。

リュナドさんが貴族になる。どこかの家に入るのではなく、新しい貴族として。

しかも下位の一代貴族ではなく、貴族家としての名と、上位貴族としての立場を得る。

それはとても珍しい事で、誰もが驚くぐらい凄い事、らしい。


なぜ『らしい』かと言えば、あくまで人から聞いた話だからだ。

だって私街に基本出ないし。出ても山奥にしか行かないもん。

市場に行く用事も今は特に無いしなぁ。食料はこの間大量に買っちゃったから。


「下位貴族なら聞いた事ない事もないんですけどね。上位貴族にいきなり、なんてのは初耳です。それも隊長は平民なだけじゃなく孤児院育ち。本当、どんな創作かって感じですよ」

「一領地をほぼ独立領と認める為の位ですから。それこそ御伽噺か昔話の英雄譚ぐらいでしか聞いた事はないですね。いやー、この目で英雄譚を見れるとか思いませんでしたよ。そんな凄い人の部下になれるなんて事も、夢にも思っていませんでしたし」


お茶菓子の差し入れに行った時、精霊兵隊さん達はそう言っていた。

私としては貴族世界とか興味ないし、その辺りの事は良く解らない。

ただリュナドさんが皆に褒められている、という事実は友達として凄く嬉しいと思う。


「確かに傍から見れば英雄譚よねぇ。孤児として育ち、一兵士として下積みをし、街を変える錬金術師と出会い、多くの精霊を従え、国を滅ぼしかねなかった化け物を打倒し、気に食わないと国に攻め込まれても無血で撃退し、王になれなかったはずの王子を王にする手助けをし、竜を従え街を一つ国から譲り受ける。改めて言葉にすると凄いわね、彼」


その話をライナにしたら、彼の今までを確認する様にそう言っていた。

街を変える錬金術師って点がちょっと気になったけど。だって私何もしてないし。

なんか街が大きくなっていったのは解ってたけど、勝手に大きくなってただけだもん。


「とはいえ彼がそれを望んでいるかと言えば、望んでいないのよね。ただ平凡にのんびり暮らせたらいいって人だから。そういう意味では、彼にとって今の状況は不幸でしょうね」


これに関しては解ってたつもりだったのに、言われると息が詰まって泣きそうになった。

けど歯をぐっと食いしばり、泣くのだけは耐えた。だって泣いちゃいけないと思うもん。


私は知ってたんだから。彼が貴族になりたくないって。

けれど私が頼んだから彼は受けてくれた。私のせいで嫌な事をやってくれた。

なのに頼んだ私が辛くて泣くとか、しちゃいけないと、そう思うから。


「大丈夫よ。この事に関しては、リュナドさんも解ってくれてるから。セレスはリュナドさんが嫌だって解ってたけど、事前に確認取っての事だったから、セレスを責める事は出来ないって。ほんと、何処までもお人好しな優しい人よね」


ただそんな私を見たライナがそう言ってくれて、ほんの少しだけ心が軽くなった気がする。

それとは別に胸がきゅっと締め付けられるような、何とも言えない気持ちも感じたけど。

辛い様な、申し訳ない様な、でも嬉しい様な、上手く言語化できない気持ちだ。


「それに大出世なのは間違いないんだし、そこは祝って喜んでもおかしくないわよ。普通はね」


追加でこうも言って貰えたので、気分良く家に帰っちゃった訳だけど。

でも実際出世は事実なのだろうし、そのお祝いは素直にして良いのかも。

うん、そこは素直に祝おう。きっと彼なら喜んでくれるよね。


因みに彼が貴族になる起因の竜は、起きた後は街の人と話している様だった。

初日は夜には寝てしまったから解らなかったけど、どうやらかなりお喋りな竜らしい。


「ここに住む小さき者達は私と良く話してくれる。話しかけて気絶される事も逃げられる事もない。契約によりこの街に来た訳だが、これは居心地が良いな。暫く楽しく過ごせそうだ」


と言っていたそうな。私はその場にいなかったから、これも伝聞でしかないけど。

その後数日は寝ずに過ごしていたそうだけど、また眠りに入って数日過ぎている。

どうやらあの竜は1日に起きて寝てというサイクルではなく、数日起きて数日寝る様だ。


世の中に生きる基本の生物とは少々生体構造が違うのかもしれない。

実際あんな巨大な竜を見たのは私も初めてだし、そもそも竜自体本物は数が少ない。

下手をすると精霊以上に竜は見かけない存在だ。勿論『竜』と呼ばれる普通の生物もいるけど。


色々と調べてみたい事も聞きたい事も出来たのだけど、周りに人が多くて出来ていない。

竜の死後の解体なども、どう考えても竜の方が長生きだから出来そうにないしなぁ。

だからと言って今更あの竜を狩るには、少々対話をし過ぎた。もう出来る気がしない。


そもそも真正面からやりあえば街に被害が出るし、勝てるかどうかも怪しいしなぁ。

あ、でも鱗や血ぐらいは貰えないだろうか。出来ればちょっと欲しい。今度頼んでみよう。

いっそ竜の鱗で彼の防具を作っても良いかも。竜の頑丈さの足甲や手甲なら便利だろうし。


因みに山精霊がいたずらした一件は、厳重に叱ったのでもうやらないと信じたい。

そういえば家精霊や私より、メイラに叱られた事が山精霊にはショックだった様に見えた。

アレってもしかすると『精霊に好かれ易い体質』の影響なのかな。


「・・・ねえ家精霊。メイラの事は初めて会った時から可愛がってたけど、あれはメイラの体質に惹かれたせいだと思う?」


ふと気になって質問を投げかけると、家精霊は考えるそぶりを見せる。

声が聞こえればうーんと唸っていそうな様子で首を傾げ、答えが出たのか私に視線を戻す。

そしてゆるゆると首を横に振り、傍に置いていた伝達用の板に手を伸ばした。


『多分多少はあったと思います。ですがメイラ様はメイラ様だから可愛らしいと思いましたし、今も可愛いと思っています。アレはあくまで、初対面の印象が良くなる程度だと思います』


にっこりと笑って板を掲げる家精霊に、成程と思いながら頷く。

と言う事は家精霊も山精霊も、メイラの体質に関係なく懐いていると考えて良いのか。

でもそう考えると黒塊の執着が異常なんだよなぁ。アレは本人の性格なのかな。


なんて考えていると、庭がキャーキャーと騒がしくなって来た。

一瞬リュナドさんかと思ったけど、タイミング的に採取に出ていたメイラ達かな。

そう思い扉を開くと案の定メイラ達で、彼女は私を見てパタパタと走り出した。


「セレスさん、ただいま帰りました!」

「ただいま帰りました、先生」

『『『『『キャー!』』』』』

「うん、お帰り」


帰って来た二人をキュッと抱きしめる。それだけで心がほんわかする気がする。

メイラはえへへーと笑って抱き返してくれるけど、パックは何時もちょっと目を逸らす。

これは照れているだけらしい。聞いたから間違いない。なので何の心配もなく抱きしめてる。


「・・・帰って来てから、先生ちょっと変わりましたよね」

「そう? そんな事ない、けど」

「ですが、前は僕に対してこんな事はしませんでしたし。その、城の時は、まだ解りますけど」


確かにしていなかったと思う。まだまだパックに慣れていなかったし。

けど二人が家から居なくなって、あの日常がどれだけ好きだったかを理解した。

だからどうしても二人が可愛くて、抑えがきかずに抱きしめてしまう。


「二人が居なかった時、寂しかったんだ。二人が居てくれるのが楽しかったって、良く解った。だから今は二人が可愛くて仕方ないの。嫌?」

「そ、そう、ですか・・・い、嫌では、ないんです、けど・・・」


自分の気持ちを素直に伝えると、パックはまたふいっと目を逸らした。

一瞬不安になるけど、事前に照れてるだけって聞かされてるから大丈夫と自分に言い聞かせる。

それに嫌じゃないって今言ってくれたし。ならもっと抱きしめよう。メイラも嬉しそうだし。


と言っても何時までもそうしている訳にもいかない。ちゃんと教える事は教えないと。

パックはその為に来ているんだし、最近色々忙しいとも言っていた。

時間を無駄にするのは彼に悪い。そう思い普段通り二人と精霊に授業を始める。


何時も通りの授業を終えたらパックは帰って行き、メイラと少しのんびりとお茶を。

という所で「ぐおおおおおぉぉぉぁあああぁぁぁ」という声が聞こえた。

竜が起きたらしい。あの竜は起きた際毎回ああやって鳴いてるんだろうか。


「もう少ししたらライナの店に向かおうと思ってたけど・・・」


外を見るともう日が落ちている。今なら竜の傍に人も少ないかな。

竜も起きたばかりだから、話しかける人も多分居ないだろうし。

お願いをしに行くなら今が一番良いかもしれない。


「メイラ、ちょっとお留守番お願いして良いかな」

「え、あ、はい。解りました。この時間からどこかにお出かけですか?」

「ちょっと竜と話したい事が有るんだ。今なら人も少ないだろうから」


笑顔で頷くメイラの頭を撫でてから外套と仮面を付ける。

指示せずとも絨毯を持って来てくれた家精霊の頭も撫でて受け取り、竜の傍まで飛んで行った。

すると人が少ないと踏んでいたのに、街の外に案外人が沢山居る事に気が付く。


「えぇ・・・夜なのに、何で街に入ってないの・・・?」


門はまだ開いているのに、中に入っていく様子は無い。

視線は竜の方に向いていて。何か叫んでいる人もいる。何あれ怖い。


「わ、私見てる訳じゃないみたいだし、パパッと済ませて逃げ・・・ひぅ、見られてる」


不味い、私にも視線が集まり始めて来た。こうなったら竜に早くお願いして帰ろう。

うう、大量の視線が気になる。怖くて体に力が入っちゃう。


「・・・竜、おはよう」

「ふむ。おはよう。その様に力を入れて、まさかここで争う気か? ここで私とお前が戦えば、小さき者に多くの犠牲が出るぞ。それは我が主が望まぬと思うが。事情が変わったか?」

「・・・そんな事しないよ。これは、そんなつもりは、ないから」


体に力が入ってるせいで勘違いさせてしまったみたい。

けどだからって力を抜く事はちょっと出来ないから、気にしないで欲しいな。


「では、何用か?」

「・・・少し、お願いが、あって」

「願い?」

「・・・鱗と血、少し分けて、くれないかな」

「成程。だからその佇まいという訳か」


うん? だから? どういう事だろう。


「・・・言ってる意味が解らない。私は、ただお願いをしに来ただけ、だよ」

「ふむ・・・」


あれ、なんか竜がいやに威圧感を放ってる様な。

もしかして厚かましいお願いとか思われたのかな。

別に無理に欲しいって訳じゃないんだけど・・・。


「・・・嫌なら、良いよ。貴方の主はリュナドさんで、私じゃない。聞く必要は無い」

「だが我が主はお前が願えば私に同じ事を命ずるだろう。ならばそれは今叶えようと後で叶えようと同じ事。それに断れば力づくでも持っていくのではないか? 母親と同じく戦ってな」


竜はニヤリと笑ってそんな事を言うけど、私はそんな事しないよ。

確かにお母さんならやりそうだけど、私は嫌って言うなら諦めるもん。

少なくともこうやって話す様になった相手から、無理やり奪うような事はしない。


「正直に言えばそれも一興、とは思うのだがな。その威圧感はとても心地良い。お前の母親もそうだった。策を巡らせ罠を張り、けれど自身の力と圧力も本物だった。本当によく似ている」

「・・・そう」


何故かあんまり嬉しくない。何でだろう。

多分竜倒す際の話聞いちゃってるからだろうなぁ。

でも私もどうしても勝たないといけなかったらやる気はする。


「とはいえ今は大人しくしていろと命を受けている。故に大人しく進呈するとしよう。そもそも前回の楽しい戦いの礼もしていなかったしな。持って行くと良い」


竜はそう言うと、前足の指を一本立てた。そこから持って行けと言う事だろうか。


「っ!?」


そう思った次の瞬間、竜はその指をスパッと切り落としてしまった。

切り落とすために振るった前足の動きで暴風が舞い、絨毯が翻弄されてちょっと焦った。

そしてたとえ一本でも巨大な指は、大きな音を立てて地面に落ちる。

ただ人の居る近くに落ちてヒヤッとした。幸いけが人は居なさそう。


「・・・もしや足りんか? 足りなければ、腕の一本でも持って行くか?」


えぇ・・・指でも驚いたのに、腕一本とか止めて欲しい。

というか腕とか巨大過ぎて、置くところが無いし。指でも庭に入りきらないのに。


「・・・ううん、十分。でも、良いの? 指切っちゃって、不便じゃない?」

「この程度なら、ここの美味い木を食って暫く寝れば治る」


脱皮ですらないんだ。普通に再生するんだ。凄いなこの竜。


「・・・じゃあ、ありがたく貰っていくね」

「ああ、好きにすると良い」


そこで竜は威圧感を消し、私も視線を切って竜の指の下へ降り・・・。

どうしよう、人がいっぱい居る。あそこに降りないといけないんだろうか。

何で夜中何あんなに人が居るのかなぁ。嫌だなぁ。


なんて思いながら少しだけ近づくと、指を持って行こうと話しているのが聞こえた。

え、駄目だよ。それは私のだよ。何で私の物を持って行こうとしてるの!?


不味い。持って行かれるのは困る。え、ええと、仕方ない、行こう!

仮面も有るし、何とか説明ぐらいは行けるはず!

そう覚悟を決めて絨毯を急降下させ、彼らの前に降り立つ。


「っ!?」

「れ、錬金術師・・・!」

「こ、こいつが、あの・・・」


一斉に集まった視線に、さっきよりも体に力が入る。うう、怖い。

で、でも言わなきゃ。言わないと持って行かれちゃう。


「・・・これは・・・私の」

「ひっ、す、すみません、すみません!」

「ど、どうか許してください!」

「お、俺が悪いんじゃねえ。こ、こいつらが、こいつらが悪いんだ!」

「命だけは、命だけはぁ・・・!」


・・・え、何で私命乞いされてるの。

いや、返してくれればいいし、別に命を取ろうとか思ってないんだけど。

困惑していると周囲が騒がしくなり始め、バタバタと誰かが向かって来るのが見えた。

見ると精霊兵隊さんが兵士を連れて来ていて、精霊達もわらわらと集まって来ている。


「れ、錬金術師殿、これはいったい・・・?」

「・・・竜に、ちょっと、お願いをしに来たんだけど・・・騒がせたみたい」

「な、なる、ほど?」


ああそうだ、ちょうど良い。この指ちょっと大きいし、精霊に運んでもらおう。


「・・・精霊達、その指、家まで運んで。大きいから、庭の横にね」

『『『『『キャー!』』』』』

「・・・ありがとう」


了承してくれた精霊に礼を言って、即座にその場を離れる為に飛び上がった。


「ふぅ・・・あー、怖かった。仮面持ってきてよかったぁ・・・」


最近はもう慣れで外出時に仮面付けてきたけど、つけててよかった。

もうこの仮面は一生手放せないなぁ。


「明日からは、ちょっと忙しくなりそう」


あの指を加工するのは相当な労力が要る。何せアスバちゃんの魔法に耐えた鱗だ。

勿論竜が耐えようと防御したのも一因ではあるけど、それ抜きでも相当な物だ。


何はともあれ取りあえずリュナドさん用の武装が最優先だね。

あの竜の素材で作った物なら、彼の身体強化の全力行動にも耐えうると思う。

こうなると槍もその内、せめて穂先は作り変えないと壊れちゃうかも?


「にへへ、喜んでくれるかなぁ」


彼に送る物を考えていると、とても楽しい。

よーし、明日から頑張るぞ!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


俺は最近有名になった街に、殆ど観光気分で訪ねて来た。

一応遊びにではなく、親族の商売に勉強として付き合ってではある。

だから事前に色々聞かされてはいたが、正直な所半信半疑だった。


いや、むしろ疑っていた気持ちの方が大きかったと思う。

だってそうだろう。この街には余りにも荒唐無稽な噂が多過ぎるんだ。

少なくとも常識を持った人間なら、この街の噂なんて信じないのが普通だろう。


そもそも街に近づいていく内に、竜なんて言うものまでいるなんて話もあったんだから。

最早想像上の生物ではないか、なんて言われている竜がだぞ。

信じる訳がない。信じないの普通の人間だ。だから当然、俺も信じてなかった。


けど、違った。


この国に入った時点で『精霊』と呼ばれる小さな生き物が、荒くれ共を殴り飛ばしたのを見た。

街に着く前に、遠目には山だと思っていた物が起き上がるのを見た。

毛皮に乗った何かが空を飛ぶ様子を、屋根に飛び乗る兵士を、街にあふれる精霊を見た。


余りにも荒唐無稽な、物語がそのまま表れた様な国を、街を見てしまった。

こうなっては信じざるを得ない。そしてその英雄譚も本当なのだろう。


『精霊兵隊』という部隊を率いる『リュナド』という名の『精霊使い』の存在は。


街の近くに佇む竜自身が『彼に敗北し、彼を主としている』と言っている以上疑いようはない。

ただこちらに来てから、件の『錬金術師』の事が良く解らなくなってしまった。

噂が噂を呼ぶ、とでも言えば良いのだろうか、その人物像が余りにぶれている。


あの空飛ぶ物を見た時は噂は本当かと思ったのだが、どうもそこだけは色々と合点がいかない。

本当に錬金術師は存在するのだろうか。街では彼女の顔を見た事がある者は居ないと聞く。

いや、数人は見た事が有ると言ってたが、数が少な過ぎて真偽が図れない。


ただ竜に殺されそうになった所を助けられたと、本人が言っていたという話がある。

その点を考えれば、街の英雄の方が錬金術師より強い、と言う事になるのだろうか。


となれば今までの錬金術師の戦果は、全て彼の物なのではと疑われても仕方ない。

何せ彼らが遠出をする際には、常に二人でいるそうなのだから。

なんて噂すら、とある夜にひっくり返されてしまったのだが。


「お、おい、あれって、空飛ぶ毛皮だよな!?」


それは竜が起きるのを待っていた集団の空に、突然現れた。

気が付いた者が叫ぶと皆が目を向け、それが竜に近づいていくのが解る。


「・・・まさか・・・争う気か? ここで・・・戦えば・・・犠牲が出るぞ」


竜の頭は空高く、けれどその巨大な体躯故の声の大きさからか、断片は下まで聞こえて来た。

ただその内容の物騒さに、皆驚いて固まってしまった訳だが。

そして逃げ出すべきかどうかの判断を悩んでいる内に、そこに居た全員が動けなくなる。


「あ・・・あ・・・」


喉から音が漏れる。ただそれぐらいしか、圧倒的な恐怖で出来なくなっていた。

目の前に居る大きな物から、竜からとてつもない威圧感を感じてしまって。


「・・・主はお前が・・・ならばそれは・・・それに断れば力づく・・・ではないか? 正直に言えばそれも一興・・・」


恐怖で気が遠のきそうになる中、かすかに頭に入ってくる物騒な単語に更に恐怖が増す。

そんな中、凄まじい風と衝撃音と地響き、そして土煙が近くで舞ったのが視界に入る。

指だ。竜の指が落ちて来たんだ。それを確認して少しした後、ふっと体が軽くなった。


「ああ、好きにすると良い」


竜のそんな言葉を、おそらく近くに居た皆はっきりと聞いたと思う。

つまり竜は、あの空飛ぶ毛皮に乗る何かに負けた。きっとそういう事なんだろう。

指を切り落とされた一合で、抵抗は無駄だと判断したんだ。

俺はその事実に辿り着いて呆けていたが、竜の指を持って帰ろうと言い出す集団が居た。


むしろそいつらが普通なんだろう。きっと俺が考え過ぎだったんだと思う。

きっとそう。普段なら、考え過ぎだったんだ。

あれに手を出せばまだ空に居るあの人物に殺されるんじゃないか、なんて。

けれどこの一件に関してだけは、その考え過ぎに自分で感謝した。


「これは・・・私の・・・」


空から降りて来た人物は、噂の錬金術師そのままの格好の人物。

黒いローブを身に纏い、不気味な仮面を付け、威圧を込めた声音で話す。

やっぱり竜の指を取ろうとした連中は殺される。そう思う程に、彼女の威圧感は凄まじかった。


いや、ここまでに起きた事が理由で、恐怖を抱かざるを得なかったのだろう。

実際には竜から感じた何かの方が余程恐ろしく、だからこそ目の前の存在が殊更恐ろしい。


「・・・精霊達、その指、家まで運んで」


だが彼女は命乞いをする連中も、騒動に駆け付けて来た兵士も眼中にない。

邪魔をしなければそれで良い、と言う事なのだろうか。

精霊に命令を下してその場を去って行った。


何が竜に殺されかけただ。何が英雄の方が強いだ。何が存在しない可能性だ。

あれは化け物だ。疑いようのない存在する本物の化け物だ。

でなければ、英雄の配下である精霊が素直に従う訳が無い。竜が負ける訳が無い。


この件が街で一気に広まったのは、言うまでも無い事だろう。

たった一日で、錬金術師の脅威は、新しく街にやってきた人間にまで広まり切った。

その事実こそが俺は恐ろしいと思う。


人が増えるタイミングを狙ったかの様に現れ、圧倒的な存在感を見せつけた。

ただ言葉で伝えるのではなく、誰もが目で見て解る様に。

それは明らかに狙ってやったとしか思えず、余りにも効果があった。


なぜ態々そんな事をしたのかは解らない。だがあの場に居た人間に確実な恐怖を植え付けた。

それは今まであやふやになりかけていた彼女の人物像を、確かな形に作り替えたと思う。

いや、新しく作り上げた、と言った方が正しいのかもしれない。


そう考えるとある意味では、錬金術師は噂通りの人物と言えるのだろう。

得体のしれない、確たる正体など掴めない、凡人には理解の出来ない存在。

ともすれば『存在しないのでは』と思ってしまうような存在なのだと。


そして彼女自身がそう思われるようにと、自分で上手く噂を操作しているのではないか。

あの一夜は、そんな事を思わせる一件だった。

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