第264話、異常に気が付いた錬金術師。
一瞬だった。
アスバちゃんが手を引いて魔力を収束させたのは、準備というには短過ぎる時間。
彼女が驚愕の言葉を口にするまでの時間はほんの一呼吸程度。
けれどあの竜は、その一瞬で彼女の魔力操作の真似をし、構築ごと奪い取った。
まるで事も無げに、見てからならば当然同じ事が出来ると言わんばかりに。
アスバちゃんは並みの魔法使いじゃない。その彼女がただ魔力を垂れ流すはずがない。
ばら撒いた魔力を収束させて魔法に変えるには、彼女の決めた構築手順が必要になる。
たとえ魔力を集めて真似しようとしても、本来なら無意味に終わるはずなんだ。
集めた時点でその魔力は霧散するように仕組まれているし、その行動が最大の隙になる。
躱せない距離で準備しつつ、かつ相手があがく事も前提にした二重の罠。
なのに見ただけで、たった一瞬見ただけで、あの竜はあっさりと彼女の真似をやってのけた。
やっぱりあの竜、尋常じゃない。いくら竜でも、ううん、竜だからこそあり得ない。
あんな緻密な制御が必要な人間用の魔法構築を、竜が使えるなんて普通じゃない。
「くっ、のおっ!」
お互いに収束が終り、アスバちゃんが悔し気な声を上げながら魔法を放つ。
私はその直前に結界石を使い、少し後ろに下がらせて貰った。
アスバちゃんは常に結界を展開させているので心配は無いだろう。
撃ち合わされた魔法は真面に正面からぶつかり合い、衝撃音が空間を支配する。
びりびりと空気が振動し、地響きが鳴り、砂が周囲に舞い上がる。
丁度打ち合ったのであろう場所の真下は、大きくえぐれて吹き飛んでいた。
「・・・嘘みたいな威力」
彼女が撃ち放った魔法は、完全に不可視の魔法。純粋な衝撃波のみを放つ魔法だ。
私の爆発の魔法と似ているけど、この魔法はちょっと毛色が違う。
本来この魔法は威力が余り出ない。私が魔法石で放った場合でも殴った程度の威力だ。
合成魔法石で放ったとしても、相当数を使って相手を吹っ飛ばす程度。
だから本来はこんな魔法、普通の魔法使いは放たない。
けど彼女はあえてその魔法を使った。その理由は単純。この魔法は『避けられない』からだ。
少なくとも撃ったのを見てから回避はほぼ不可能な、放った瞬間に着弾する様な高速攻撃。
そして威力の低さは彼女の魔力なら補える。だから一撃必殺になりえる。
高威力で高速の不可視の一撃。絶対に勝てるはずの一手。それをあの竜は、簡単に返した。
「・・・っ」
舞い飛ぶ砂の更に上空を飛ぶ竜は、竜だというのに愉快気に口元を歪めているのが解る。
あれは確実に楽しんでいる。今の一撃ですら恐怖を感じていない。
いや、当然か。あんなにあっさりと返したんだ。むしろ怖がる理由が無いか。
「・・・わよ」
「っ、アスバ、ちゃん?」
か細い声が耳に入り、目を向けるとアスバちゃんが俯いて肩を震わせていた。
声も心なし震えていた様に感じるけど、まさかあの彼女が恐れている?
「っけんじゃないわよ、このクソトカゲ! 誰に断って誰の魔力を誰の魔法で放ってんのよ! その魔法を使って良いのは私だけよ!! 炭焼きにして呪術の材料にでもしてやる!!」
全然怖がってなかった。怒りで肩震わしてただけだった。
また凄い量の魔力放ち始めてる。今度は持っていかれないように自分の周囲に留めてるけど。
あれだけの魔力で魔法放って、即座にまたそれだけ使えるって、本当に底が見えない。
あと呪術でトカゲの炭焼きって本当に使うのかな。
私実際には見た事ないんだけど。というか普通のトカゲ程度が媒体になると思えない。
あ、でも竜の炭焼きなら媒体として使えそうかも。でも炭焼きはもったいないと思うな。
「グルゥウウゥウウウ」
怒れるアスバちゃんに何を思ったのか、竜は前足をアスバちゃんに向けて突き出す。
流石の彼女も即座に構えるも、竜は特に何かを放つ事はしなかった。
けれどその代わり器用に前足の先を上に向け、チョイチョイと挑発する様に指を動かす。
次の瞬間、プツンと、何かが切れた様な、そんな気配を感じた。
「――――――ぶっ殺す」
低く唸るような怖い声音で呟くと、彼女はふわりと浮き上がった。
そして膨大な魔力を放ちながら竜に突っ込んで行き、上空で天変地異が起きる。
火が、水が、氷が、雷が、岩が、土が、風が、あらゆる現象が竜に迫る。
そのどれもが、本来なら一撃必殺なはずの大火力の魔法。
けれど竜は怒涛の攻撃を楽し気に対応し、殆どの攻撃は届いていない。
時には躱し、時には障壁を張り、時には似た魔法をぶつけ、時には足や尾で弾く。
どの攻撃にどう対応すれば被害を抑えられるか、常に思考しながら戦っているように見えた。
自身の強大な体と力でごり押す様な動きが一切見られない。
「グルゥルァ♪」
「調子に乗ってんじゃないわよ、このクソトカゲ!」
楽し気に鳴きながら戦うその様子に、アスバちゃんの怒りが上がっている。
流石にちょっと心配になって来た。
たぶん彼女は、今日は本気で戦っているんだと思う。
けれどその攻撃が真面に通用せず、そして彼女の魔力だって多いとはいえ無限は有りえない。
対する竜は魔力消費を最低限に抑えている様に見えるし、魔法が放てなくても攻撃は強大だ。
何せその巨体で足を払うだけで、牙を突き立てるだけで、尾を打つだけで、人は簡単に死ぬ。
アスバちゃんだってその事には気が付いているはずだ。
たとえ怒りで頭がいっぱいだとしても、理解していないとは思えない。
そして今放っている魔法では、あの竜は打倒できないとも。
事実、彼女は何度か、あの竜相手でも打倒出来る魔法を放とうとしていたと思う。
けれどそういう魔法を放つ時に限って、竜は上手く魔法の構築を邪魔してくる。
彼女の魔法の威力は高い。けれどおそらく一瞬で放てる魔法の威力にも限界が有る。
だから一瞬でも溜めを行う魔法は、即座に竜が魔法構築を邪魔しにかかる。
その魔法を許せば無事に済まないと解っているから、絶対にそこだけは見逃さない。
複数の魔法の中に隠して準備しても、的確に準備中の物を狙って壊している。
なんて化け物だ。何て目が良いんだ。視界の広さと判断力が尋常じゃない。
このままじゃじり貧だ。けどこの戦闘には下手に手を出せない。出したら邪魔になる。
変に手を出すよりは、私の魔法が通る一瞬を見極める方が余程――――。
「貰ったぁ!」
「ギャォ!?」
―――――転移魔法!
距離を離してから目の前に現れ、しかも無茶苦茶な強度の身体強化で竜を殴り飛ばした。
竜はその衝撃を堪え切れず、殴り飛ばされた方に飛んで行く。
ここまでの戦闘は全部布石。転移からの一撃を決める為に、ずっと狙ってたんだ。
そしてこれで一瞬でも時間が出来た。溜める時間が出来た。隙が出来た。
「黒焦げになれええええええ!!」
アスバちゃんはその一瞬を見逃さない。ほんの少しの溜めの後、無詠唱で魔法を放つ。
今度は彼女の宣言通り竜を炭焼きに出来そうな、膨大な魔力を内包した雷を。
衝撃波にはほんの少し速度が劣るけど、威力は比べ物ならないほど高い。当たれば落ちる。
「っ!」
そして竜の背後には、私が魔法石を撃ち放つ。
この一瞬の隙を、最大の好機を、ただ茫然と見ているんじゃここにいる意味が無い。
確実に落とす。これは絶対に躱せない。そう確信した一撃を放り、轟音と光が周囲を支配する。
「躱された・・・!」
着弾の瞬間、竜の姿が消えた。転移魔法だ。魔法の着弾点の上空に逃げられた。
奥の手を残していたのは向こうも同じだったらしい。これで振出しに戻っ――――――。
「・・・奥の手?」
嫌な予想が頭を過った。
もしその予想が当たっていたなら、戦えば戦うほど勝ち目が薄くなる。
あの竜はアスバちゃんの魔法を真似した。たった一瞬見ただけでだ。
なら、もしかして、今の転移魔法もただ『見たから真似をした』だけでは。
その想像に至り、背筋に嫌な物が走る。止まっていたら不味い、動か―――――。
「っ・・・!」
―――――遅かった! 結界に閉じ込められた!
これは私の封印石の構築。破る手段どころか完全に同じ構築を真似て来た。
不味い。これは本気で不味い。この中に魔法を打たれたら致命的だ。
手持ちの結界石全部使って、体を覆って耐えるしか手段が無い。
気が付くのがもう少し早ければ、標準を合わせられない様に逃げたのに。
「グルァ♪」
けれど竜は機嫌の良さげな鳴き声を上げるだけで、視線をアスバちゃんへと向けた。
私は後でというつもりだろうか。アレで遊んでるんだからお前は邪魔をするなと。
「・・・あれ?」
ただその際、竜は歯を見せて笑った。その姿に、少し、疑問が沸く。
・・・絶体絶命だと思ったけど、もしかしたら何とかなるのかもしれない。
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天変地異が起きてる。何だあれ意味解らん。
空に飛んで行く雷とか、竜巻みたいな水とか、生き物みたいに飛び回る炎とか。
アレを一瞬で無詠唱で何発も撃てんのかよ。普段あいつがどれだけ加減してたか良く解った。
「精霊使い、小娘はアレに勝てそうなのか?」
「勝って貰わないと困るだろ」
「それは当然だ。だが実際の所はどうなのか、と聞いている」
いや、そんな事言われてもな。もう目の前の光景が現実感なさ過ぎて呆けてるレベルなんだが。
そもそも竜とか初めて見たし。実在するんだな、あんなお伽話に出て来そうなコテコテの竜。
「この際だ、ハッキリ言っておくが、俺はあいつらみたいな化け物じゃないからな」
「つまりあの戦いの中には入っていけず、予想も立てられない、という事か?」
「そうだ。あいつらと違って、噂が先行し過ぎてるんだよ。俺はあの中には混ざれない」
あんな人外の戦闘に俺が混ざれる訳が無い。
おそらく突っ込んでいった所で、二人の邪魔にしかならないだろう。
むしろ足を引っ張って危機に陥らせるかもしれない。俺はその程度のレベルだ。
「ふん、不可解だな」
「何が」
「その程度の男を、あの化け物が重用する事がだ」
「同感だよ」
自分だって不可解だよ。ほんとに何であいつは俺なんだろうな。
俺以外にも何人も使えそうなのは居ただろう。間違いなく俺じゃなくても良かったはずだ。
なのにあいつは俺を選んだ。俺を使った。俺をこの場に立たせた。
その理由はいまだに解らない。あいつもその理由は一度も語った事が無い。
「だから俺には期待しない方が良い。実際に有能なのはあいつ等だよ」
「それは――――」
何を言おうとしたのか解らないが、国王はその言葉に詰まった。
竜が吹っ飛んだからだ。その光景に俺も思わず釘付けになる。
そうして次の瞬間、光と轟音が周囲を埋め尽くした。
『キャー♪』
「あ、ああ、助かった。ありがとな」
ただ今回は精霊が結界石を使ってくれたから、目や耳を傷める事が無くてすんだ。
国王も結界で守られているから問題無いだろう。
「流石に今ので無傷って事は無―――――マジかよ」
竜は平然と空を飛んでいた。アレ食らって落とせないとかシャレになってねぇ。
精霊殺しの時も思ったけど、世の中には化け物が多過ぎるだろう。
『キャー!』
「え、アレ自分で張ったんじゃないのか?」
精霊の声に反応してセレスを見ると、結界の中に立っていた。
ただそれは本人が張ったものじゃなく、竜に閉じ込められてしまったらしい。
俺には区別がつかないが、精霊達が言う以上そうなんだろう。
『『『『『『キャー!』』』』』
「マジかー・・・」
主を助けに行け、との事らしい。お前らだけじゃダメなの?
駄目なんだろうなぁ。何故か全員俺の顔じっと見てるし。
「・・・奴さんはアスバに気を取られてるし、行けるか?」
竜の様子を見ながら、飛び降りる覚悟を自分に問う。
っていうか高い。もうちょっと荷車の位置を下げてくれねえかな。
つうか、マジで行かなきゃいけないのか、これ。
でも精霊達が行けって事は、本当にセレスが危ないんだろうなぁ。
ああクソ、解ったよ。行くよ。行けばいいんだろ。そんな目で見るなよ。
本当に勘弁して欲しい。俺に向かってきたら一瞬で死ぬ自信が有るってのに。
「精霊は二体残って、荷車を守ってくれ」
『『キャー!』』
元気良く返事をする精霊を見届けたら、荷車の端に立つ。
やっぱりちょっと高すぎないか。流石にこれ飛び降りるのは怖すぎるんだが。
「化け物共の中には混ざれないんじゃなかったのか?」
「混ざらなくて済むなら混ざりたくない。けど行かない訳にはいかないんだよ。あいつを死なせる訳にはいかない。俺がどうにか出来るならいくしかないだろ」
「はっ、やはり貴様も化け物と同類ではないか」
その納得の仕方は俺が納得いかない。俺は本当に混ざりたくないんだよ。
クソッタレ。待ってろよ、助けられるかどうかわかんねーけど、今行くからな!
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