第45話、精霊の居る暮らしをする錬金術師。

ぺちぺちと頬を叩かれている様な、そんな感覚に襲われる。

いや、多分実際に叩かれているんだろう。きっと朝だから起きろと。

薄目を空けると青い何かが目の前に居て、ぺちぺちと優しく頬を叩いていた。


「うーん・・・もうちょっと・・・ねう・・・」


起こされているのは確認したけど、だからといって起きる気は無い。

まだ眠いので布団を頭まで被って丸まる。


「ふぎゃ!?」


すると無理矢理布団を剥がされ、その勢いで体が回転して顔面がベッドに叩きつけられた。

床じゃなくて良かったとはいえ、それでも鼻が痛い。


「いひゃい・・・」


鼻を擦りながら体を起こすと、家の精霊がムーッとした顔で私を見下ろしていた。

そして布団を綺麗に畳むと窓を開け、ビッと空を指さす精霊。

促されるままに視線を向けると、どうやらもう日がかなり上まで登っていた。

もう昼が近いし起きろ、という事なのだろう。


「・・・良い陽気だし、お昼寝も良くない?」


首を傾げながら訊ねると、シーツまで剥ぎ取られて床に落とされた。

ただ今度は見ていたのでちゃんと着地し、無情にも回収されるシーツを見送る。

仕方ないので起きるとして、取り敢えず服を着替えようかな・・・。


「ん・・・良い匂い?」


服を着替えていると一階から良い匂いが漂って来たのを感じ、匂いの元を辿りに降りる。

どうやらこの匂いは台所からの様で、美味しそうな匂いにお腹がキューっと鳴く。

まさかライナが来ているのかと台所に向かうと、そこには家の精霊の姿が。


「・・・朝食、作ってくれてるの?」


私が見に来た事に気が付いた精霊は、問いかけに対し嬉しそうにコクコクと頷いて返す。

ただ香って来る匂いに何となくライナの気配を感じるのは何故だろう。

ふよふよ浮かびながら調理を進める精霊の後姿を眺め、不思議だなと首を傾げる。

すると精霊は唐突にその場を離れ、手ぬぐいを持って来て手渡して来た。


「え、なに、えっと・・・あ、顔を洗って来いって事?」


手で顔を洗う仕草をした事で確認をすると、嬉しそうにコクコクと頷く精霊。

言葉が解らなくても案外何とかなるもんだな、と思いながら家の外に。


外に出て顔を横に向けると、そこにはしっかりとした作りの井戸が有る。

案内された時はまず家を見たけど、家のすぐそばに井戸も存在していた。

長年誰も管理してなかったとは思えない綺麗な井戸で、これにも精霊の影響が有るんだろう。


「・・・この滑車、使いにくいな。今度作り直そう」


水を汲む為の作りが単純で使いにくい。

使えない訳じゃなけど、出来れば使いやすい方が良いだろう。

材料と時間の有る時にでも作り直そう。今は材料無いから出来ないけど。


「まあ、木材なら取り放題かな・・・」


周囲は樹木だらけだから、木材で何かを作る気なら何時でも作れるだろう。

多分精霊達にも協力を求めれば、数日で小屋の一つぐらいは建てられそうな気がする。

あ、でも、あの子達に家の設計図とか読めないか。


「まあ、今度試してみよう。倉庫も欲しいし・・・」


今後の予定を考えながら顔を洗い家に戻ると、既に料理がテーブルに並んでいた。

椅子を引いてくれる精霊に礼を言い、出された料理を口にする。


「あ、美味しい。美味しいけど、やっぱりどこかライナの料理に似ている気がする」


私の呟きを聞いたからか、精霊はふよふよと移動して棚から一冊の本を持って来た。

結構しっかりした作りの本だけど、こんな物は来た時に無かったはず。

取り敢えず開いて中を確認してみると、内容は料理のレシピが書かれた物だった。


「・・・あれ、これって、もしかして、ライナの?」


精霊に問いかけると、にこにこと笑いながら頷いて返される。

つまりは精霊に料理が出来る様に、ライナがレシピを渡してあげたんだ。

道理でライナの料理に似てると思った。


「そっか・・・ありがとう、ライナ・・・君もありがとう。美味しいよ」


ここには居ないライナと目の前に精霊に感謝を口にすると、わーいと跳ねて喜ぶ精霊。

何故か山の精霊達も一緒になって跳ねて喜んでいる。ノリが良いなぁ。

・・・気のせいかな、山の精霊が増えている様な。

宿に居た頃の倍ぐらい居る気がするんだけど。


「はふぅ・・・美味しかったぁ・・・でも・・・」


料理は美味しいのだけど、少し気になる事が出来てしまった。

これは今日から家でいつでも美味しい食事が毎日食べられるという事だ。

勿論材料が必要だけど、その辺りは私が何とかするしかないだろう。


ただ私は夜になったらライナの店に行きたい。

基本出かけたくないけど、ライナに会いに行くのだけは別口だ。

そうなると、この子は家で留守番になってしまう。


それは必要に迫られた事ではなく、自分が行きたい事で置いて行く事柄だ。

家に帰ればこうやって美味しい料理を作ってくれるのに、態々外に食べに行くと。

それは何だか少し、申し訳なく感じる。


「そうだ、君って家から出れるの?」


ふと気になって訊ねると、精霊は手招きをしながら家を出て行く。

どうやら外には出れる様で、そのまままっすぐに街道から家までの道の方に近づく。

ただとある地点に到達するとピタリと止まり、まるで壁が有る様に虚空を叩いていた。


「・・・そうか、この整備された庭の様な空間が、君の可動範囲って事なんだ」


これは門番さんがやってくれたんじゃなくて、この子が管理出来る範囲だから綺麗なのか。

成程。という事はこの子を連れて出かける事は出来ないのか。


・・・この子はずっと一人で家を守っていた。来るかどうか解らない住人を待って。

それを考えると、何だかとても、出かけ辛い。


「う゛に゛っ!?」


少し俯いて悩んでいると、何故か家の精霊に頬をびよーんと伸ばされてしまった。


「ひゃにひゅるの~!?」


驚いて問いかけると、精霊は手を放したもののつーんと顔を背けてしまう。

そしてふわーっと玄関前まで戻るとこちらに向き直り、ぺこりと頭を下げた。


一連の行動が良く解らず首を傾げながら眺めていると、精霊は顔を上げてニコリと笑う。

それと同時にいつの間にか屋根に上っていた精霊達が『キャー』っと元気に鳴いた。

まるでそれは全員で『いってらっしゃい』と見送る様に。

帰るべき場所は守る。だからいつでも行ってきて、ちゃんと帰って来てくれれば良いと。


「そっか・・・うん、ありがとう」


その事に笑顔で頷きつつ、精霊に近づいて頭を優しく撫でる。

ただひたすらに家を守る。きっとこれがこの子の存在意義なんだろう。

勿論私が住む事に喜んだ以上、寂しいという感覚が無い訳では無いと思う。

それでも持ち主がちゃんと居て、帰って来るなら、後は自分が帰って来る家を守るだけだと。


「でも今日はお昼寝するから夜まで出かけないー」


家の精霊の横をするっと抜け、二階までだだだっと上がる。

シーツも布団も剥ぎ取られたけど、マットレスさえあれば私は寝れ――――。


「ええぇ・・・」


二階に上がるとベッドが枠組みだけになっていた。

開かれた窓から外を見ると、精霊がニマッと笑って寝具一式を抱えている。

飛べるあの子の方が部屋に到達するのが早かったらしい。


「あう・・・お昼寝ぇ・・・仕方ない、薬の予備でも作ろう・・・」


そのままシーツを洗う準備を始めた精霊にお昼寝を諦め、一階に降りて調合道具を出す。

最近怪我の類はしていないから在庫は有るけど、古い薬は段々効かなくなる。

ある程度時期が来たら入れ替えないといけない。


「夜まで入れ替えた方が良い物は作っておこう・・・」


幸い先日の討伐で良い素材も集まっている。時間も潰れるし丁度良いだろう。


「・・・あ、そういえば、依頼の品まだ作ってなかった。作らなきゃ」


完全に酒場の依頼の品を作り忘れていた。

受けてすぐだから期間には余裕が有るけど、先に作ってしまおう。

・・・持って行くのは、また、そのうち、うん、もうちょっと後で。


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「っかれたぁ・・・」

「ふっ、相手はもっと疲れてるだろうがな」


カウンターに体を投げ出してる元兵士の兄ちゃんに、苦笑をしながら言葉を返す。

その顔は本気で疲れ切っているが、それよりも疲れている奴の顔を想像するとなぁ。


「いやー・・・昔の俺に言っても信じないだろうな。領主に喧嘩売る様な事言うとか」

「以前のお前さんは余り酒場に来なかったから、そう言われても俺には解らんが・・・まあ一兵士が領主に舐めた口を利くなど、簡単に出来る事ではないだろうな」


話は単純明快で、この兄ちゃんは領主に仕返しをしただけだ。

錬金術師の面倒役としての職務を邪魔された仕返しをな。


あの馬鹿は錬金術師に先手を取られた事を根に持っていて、仕返しに住居から追い出した。

それは当然相手も意図に気が付くのだろうが、不快にさせる事は間違いない。

あの女が不快になれば、一番被害が向かうのはこの兄ちゃんだ。腹も立つだろう。


その結果この兄ちゃんは錬金術師の友人、食堂の娘と手を組んだらしい。

そうして二人から領主に突き付けた要求は、錬金術師の土地の譲渡だそうだ。

ただそれは家の周囲の土地、などという生易しい範囲ではない。

女の家から周囲山一つ分は全てあの女の土地にする、という話だった。


あの女が住む事になったらしい場所は、元々街の拡大計画の予定地だったのだろう。

兵士が先行調査に行っていた訳で、ならその内周囲にも住居を作る可能性が有った。

とは言っても、ならず者を押し付けるつもりだったんだろうが。


わざとスラム街を作り、その中央にあの女を置けば、二つの意味で好都合だからな。

馬鹿どもを抑える事も出来るし、女に接触しに行く人間も減る。


その事を理解しているのか居ないのかは解らないが、二人は的確に予定を潰しにかかった。

管理の面倒な相手を押し付けようとして、結局土地を持って行かれただけで終わった訳だ。

・・・食堂の娘が大分頭に来ていた様だし、まだ何かしそうな気もするがな。


「悔しそうな顔を見せただろうな、あいつは」

「そりゃーもう、ぐぬぬ、って唸ってたよ」


力関係を正確に考えずに仕返しをするからそういう事になるんだ、あの阿呆め。

そういう事にならない様に、錬金術師との対面時に付いてやったというのに。

まあ売上げが上がって色々言われたから、それを躱す為だったのも否めないが。


「ま、あの馬鹿者には良い薬だろう。これでもう少し前より利口になると思えばな」

「・・・マスターって領主相手に口悪いよな。貴族様相手に怖くねえの?」

「あー・・・昔馴染みなんだよ。あの馬鹿が領主になる前からの。だから未だにその感覚が抜けないんだろうな」


古くからの友人、というには友情を語れる様な関係ではない。

お互いに余り馬が合わず、顔を合わせると喧嘩をする様な仲だった。

今はもうそんな元気もないし、お互い嫌味を言いあう程度だが。


「とはいえ、今は貴族で領主だし・・・不味くないのか?」

「言っただろう、馬鹿だと。あいつは色々と見放されてたんだよ。それが何の因果か跡を継ぎ、頭が足りないのに領主をやらされてやがる。今でこそマシになったが、ガキっぽいのは相変わらずだ。流石に仕返しのやり方間違えたら更に痛い目に合う、ってのは学んだだろうがな」

「成程ねぇ・・・マスターを敵に回す方が面倒、って関係な訳だ」

「そういう事だ。世間の世渡りは俺の方が上手いからな」


とはいえあいつももう良い年だ。昔程の馬鹿じゃない。

だからこそ回りくどい嫌がらせの仕返しで済ませたし、女からの仕返しもあの程度で済んだ。

昔の大馬鹿なままなら、もっと大事になってた可能性が有るだろうな。

とはいえやはり俺からすれば「馬鹿が」というのが素直な感想だが。


「ああそうだ、お前さんに頼みたい事が有るんだが」

「・・・ええー」

「中身を言う前に嫌そうな顔をするな」

「いやだって、マスターが俺に頼みとか、どう考えても面倒なの予想が付くし」

「察しが良いじゃないか。担当の錬金術師様にもう少し依頼を受ける頻度を上げて貰えないか、と頼んでおいてくれ」

「ほらー、やっぱり面倒な奴じゃねえか。嫌だぞ。自分で言えよ」

「ちっ、狭量な奴だ。受けてくれれば今日は奢りにしてやったのに」

「報酬が安過ぎる。解ってて格安報酬で受けさせるのは悪質だろうが」


まあ、確かにその通りだ。あの女の機嫌を損ねかねない頼みをするには安いだろう。

仕方ないか。今度来た時にでも軽く頼んでみよう。


「・・・なあ、マスター。マスターから見て、あの女ってどう見える?」

「錬金術師か? そうだな、愛想は悪いが仕事は優秀。ただし誰相手にでも戦闘態勢を崩さず、扱い難い性格をしている・・・簡単に言えば危ない奴だとは思うな」

「・・・まあ、そう、だよな・・・俺もそうだったし・・・」


何やら歯切れが悪いな。何かあったか?


「どうした、惚れでもして、見る目が変わったか?」

「ないない。恋愛感情的な物は一切ないよ。あえて言うなら、そうだな・・・気難しい猫が懐いた感じだよ。近づくといつも唸ってた野良猫が、最近はゴロゴロ鳴きながら近づいて来た様な、そんな感じだな」

「・・・つまり、そう思う様な事があった、という事か?」


俺の問いかけに兄ちゃんはしまったという顔をして、酒の残りを一気に煽った。


「飲み過ぎた。今日はもう帰るわ。一応さっきの事は考えとく。だからさっきの話・・・」

「解った。忘れる事にしよう」

「助かる。じゃあな」


酒代を置いて店を出てく背中を見つめながら、ふむと頷き少し首を傾げる。

どうやら錬金術師は思ったよりも彼を重用している様だ。

なれば今回の事は、ただの仕返しというだけでもないのかもしれんな。

良かったな領主殿。お前の判断で一番肝心の部分だけは大正解だった様だぞ。

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