第8話 黒いアイツはヘルメットマン④
「俺はスターマンだ。他の誰でもない、俺がスターマンなんだ。だからこの力は、変身は、俺の手が届くすべての人のために! スターライズ!」
結局オールをしてしまった。途中から眠くなってはいたが、盛り上がる部分の話に突入してしまったし、なによりショーがみいっていたため、やめ時が見つからなかった。
「地球の人間の手が届く範囲はそれほど広くはない。それでいいのか」
「現実的だなあ。ちょっと黙って観てなって」
ショーの言った疑問は敵の怪人も指摘してきた。お前の手をいくら伸ばそうか守れない人が居る、それを見殺しにするのかと。対してスターマンは、届かないのなら届くまで伸ばせばいいと答えた。怪人は馬鹿にするように高笑いし、ならば伸ばしてみろと叫び、四方八方に三十はくだらない数のミサイルを発射した。このミサイルは音速の速度で飛び、海を日本全土が射程距離という設定だ。スターマンもこれに苦しめられ、一度は敗れていた。
実はこの回は二週間を使ったスターマンのパワーアップ回なのだ。強い怪人にぶちのめされ、悩み、乗り越えることで新たな力を得る定番アレだ。
強化されたスターマンは限定的だが超高速で動けるようになる。発射され日本全土に別れ始めたミサイルをすべて破壊し、元の場所に帰還したスターマン。
「これなら思ってるよりは手の届く範囲は広いっしょ」
「なるほど」
「それにスターマンも言っていたけど、届かないのなら、届くまで手を伸ばせばいいんだよ。助けれる人がいれば、その人が差し出された手を掴める距離まで。届かないで終わるんじゃなくて、届かせる! みたいな。助けることを諦めない。その諦めない心が、ヒーローを変身させるんだ」
中々良いことを言ったのではと自分に感心する。
「助けることを諦めなければ変身するのか?」
「うーん……ちょっと違う……あれこれ説明ミスったかな。ま、いっか。そんな感じでいいよ。いつかショーも分かるよ。たぶん」
「そうなのか」
「そーそー。あと、流石に時間だからおしまい。ごめんね、また今度見せたげるから」
いい場面だがしょうがない。未練が残らないように良いシーンだったが、容赦なくウィンドウの×マークをクリックした。
ノートパソコンを手早く片付ける。
今さら気がついたが昨日から制服を着たままだった。お風呂にも入っていない。学校に行くまでまだ時間があるのでシャワーだけでも浴びることにした。
リュックの中にショーを放り込んで一階に向かおうとした。ドアノブに手をかけたが、回すのを躊躇った。
母さんに会うのが気まずい。昨日あんなことをしてしまったのだから当然だ。母さんは何があったか覚えていないだろうが、私の態度でなんとなくは察しているだろう。
魔がさして、昨日みたいに窓から飛び降りて外に出ようかと思ったが、止めた。ショーの力を簡単に使い過ぎるのは危険だ。何があるかは分からないし、なによりあって当たり前と言わんばかりにショーの力を使う自分が嫌だ。いつか感覚が麻痺して母さんにしたことを、また誰かにするかもしれない。そんなの自分の理想に反する。自分でやれることは自分の力で行わなければいけない。ドアを開けて母さんと顔を合わせるくらい、自分でできる。
よし! という掛け声と共にドアを開け、一歩二歩と踏み出した。足は重かったが、それでも確かに前に進んでくれる。
居間では父さんが朝食を食べていた。母さんの姿はない。
「……母さんは?」
「用事があるらしく、出掛けた」
こんな朝早くから? なにか急用でもできたのか。珍しいが助かったと内心胸を撫で下ろす。
さっとシャワーを浴びて、身支度を整えてから私も用意されていた朝食を食べた。父さんは朝食が終わり、自分で淹れたコーヒーを飲んでいた。二人に会話はない。基本的に父さんは無口だから、いつも通りなのだが、なんだか居心地が悪かった。
たぶんだが、父さんは母さんから昨日のことを聞いている。情報のやり取りに支障がない夫婦間だし、娘が情緒不安定な行動をしたら話すだろう。だから父さんから昨日の話題が出てもおかしくない。覚悟はしていたが、あまりつっこまれたくはないので身構えていた。
そんな心労は取り越し苦労だった。朝食を食べ終わり、食器を片付けて、行ってきますと言って玄関をでるまで、父さんは言葉を発することはなかった。私の勘違いで母さんは父さんに話さなかったのか、それとも父さんは分かってて何も喋らなかったのか。
母さんが出掛けたことや父さんのことが気になりながら学校に向かった。
何も変わらないいつもの通学路だったが、テストの日より気分が重く、手汗をかくほどの緊張があった。いつヘルメットマンに遭遇するか、出会うかもしれないし、出会わないかもしれない。
学校がばれているのならいかない方がいいのだが、もし私を探して暴れられたら危険だ。いざとなれば私には対処する方法がある。周りを守るという意味ではいかなければいけない。
もしも出くわした時のために、また人気のあまりない道を選らんだ。学校に行く途中で出会わない可能性がゼロではないので、念の為にだ。私を見つけられないようになっているとはいえ、偶然に出会うこともあるはずだ。
物音がしたり、人の気配を感じたらいちいち反応しているのでいつもより進むスピードが遅い。余裕をもって家を出たはずなのに学校に遅れそうだ。
「ふふっ」
どうなるか分からない状況なのに、遅刻の心配する自分がおかしくて笑いがこぼれた。
授業中居眠りばかりで長期休暇の宿題は最終日に泣きながらやるタイプだが、案外私は本当に真面目なのかもしれない。最近の私は、自分の悪いところばかりを責めていたので、自分を褒めれるところを見つけれたおかげで少しだけポジティブになれた。
少しだけとはいえ気持ちが晴れると足も軽くなった。進む速度が徐々に速まっていった。
このまま何も起こらず学校について、居眠りしながら授業を受けて、学校が終われば遊びに出掛けて、ご飯を食べて、こそこそ特撮みて寝る。そんな愛すべき不変の日常を堪能できるのではないか。
これは期待ではなく、私の悪いところ、物事を都合よく考える部分だ。勉強してないのにテストで八十点越えないかなとか、そんな現実逃避と一緒だ。
勿論、起こるべきことは起こる。
歩いているうちに、だいたい三百メートル先に黒い影が見えた。遠目でもその影がなにか分かった。
頭が遠くにいる影が何か分かった瞬間に、体が回れ右をして逃げようとした。なんとかグッと堪える。ヘルメットマンが善玉か悪玉か判断しなければいけない。問題を先伸ばしにするな。良かったじゃないか、学校で出会わなくてと自分に言い聞かせ距離を積めていった。
だんだんとヘルメットマンの全体図がはっきりしてくる。それに比例して緊張で口の中がからからに乾いていく。唾を飲み込みたくても分泌されず、下が引っ付きながら動くだけだった。
ある程度近づくと、ヘルメットマンが座り込んでいるのが分かった。というよりも、街路樹に寄りかかって四肢を投げ出していて、捨てられた人形みたいだった。人通りが少ない場所とはいえ全く人が通らない場所ではないが、こんな状態で見つかっても「ああ、変なものが捨てられてるな」としか思わないのではないか。
私とヘルメットマンの距離が数十メートルまで近づくと、ゆっくりとこちらを向いた。油が切れた機械みたな動きで、ぎぎぎと聞こえてきそうな動きだった。
恐らく目が合ってる状況に怯みそうだったが、足を肩幅の広さに開いて身構えた。せめて気圧されていないアピールだけでもしておこうという強がりだ。
ヘルメットマンが立ち上がる。動作が全体的にぎこちなく、何度か動きを止めながらようやく直立した。うろ覚えだが、昨日はじめて会った時も、なんだか動きが変だった気がする。
ヘルメットマンが手を差し出してきた。恐らくショーを渡せという意味だろう。体の調子が悪いから手を出せないのか。とりあえず警戒は解いてはいけない。
「あなたは、えと、なにが狙いなの?」
ショーに決まっているだろう。テンパってうまく質問をできなかった。
「 」
テレビの砂嵐を壊れたラジオで流したような、声と思わしき音が発せられた。
酷い不協和音に眉をしかめたが、発した本人が一番驚いたのか喉の辺りを擦っていた。
予想があたった、やはり体調が悪いんだ。この情報がなにかにいかせないか考えようとしたが、ヘルメットマンの行動に目を奪われた。
ヘルメットマンが自分の喉を、殴ると表現した方がいい勢いで、バンバンと叩き始めた。
「や、テレビじゃないんだし……」
まるで昔の人がブラウン管テレビを叩いて直す風な行動を繰り返す。
何十回か叩くと動きを止めた。
「 」
またなにか喋った。さっきよりは言葉としては聞き取れたが、意味がまるで分からない、まったく不明の言語だった。
このヘルメットマンが宇宙から来たのなら、これが宇宙言語というものなのか。翻訳機ぐらいつけてれればいいのに。
「何をいってるかわからないけど、私の言葉は分かる?。あなたは何? 何をしたくてショー、じゃないえーと、アレを欲しがっているの?」
「 」
ヘルメットマンは答えようとしている、らしい。だけど相変わらず表現の難しい言葉ばかり発している。
反応を見ると私の言葉は理解できている風に見える。しかし何を言っているのか分からないので判断に困る。彼はショーを求めているが、渡していいのか。
私はどうしていいかわからずおろおろするしかなかった。ヘルメットマンも会話を諦めたのか再び右手を差し出してきた。あの手が善のために差し出されているのか、悪のためなのか。
焦れったくなったのか、ヘルメットマンは手を差し出したままこちらに歩いてきた。一歩踏み出すたびにガクンと揺れる様は、古くさいゾンビ映画を思い出した。相手が進むのに合わせて、私は後ろに下がった。一歩、二歩、三歩、このまま距離が縮まらず、ずっとどこまでも移動していくのではないか。
すると二人の足音以外にも音が聞こえるのに気がついた。ぶちぶちと何かが千切れる音だ。それはヘルメットマンから聞こえているような。
ヘルメットマンが大きく揺れるのと同時に、一際大きく気味の悪い、引きちぎれる音がした。
「ひっ」
彼の右手が、肘の辺りから下が落ちた。地面に重々しい音と共に落ちた腕に目を奪われた。スプラッター系はあまり得意じゃないのであまり見たくはないのだが、怖いもの見たさなのだろうか。
地面に転がる腕に、なんだか違和感を感じた。詳しくはないが、腐ったりなどしてなければ血がでるはずなのだが、何かがバチバチと音を立てている。位置的によく見えないが、断面からのぞいているのは血管や骨ではなく配線や金属部品ではないか。
「え、メカ?」
確かめるために顔を上げた。千切れた腕がくっついていた部分、そこからも機械的なものが出ているのを確認するために。
体に残っている腕からは同じように配線等が出ていた。が、それよりも目立つものがあった。あれは、銃口ではないか。本物なんて見たことがないが、形状的にそうとしか思えない。腕を外したら隠し銃口がある。創作では好きな隠し武装だが現実だったら話は違う。ノーサンキューだ。しかも、銃口は私に向いている。
「 」
ヘルメットマンが何かをいった。相変わらず何を言っているかわからない。
とりあえずこの状況では何をしたらいいか考えて、両手を上げた。ドラマなんかでよくある、撃たないいでくださいの合図だ。これが通じるかわからないが。
ヘルメットマンの体がガクンと揺れる。同時に閃光と渇いた音がした。発砲したのだ。案外音が小さいのはそんなもなのか、宇宙の技術か。撃つ瞬間、銃口は私から外された。そのおかげで私に当たることはなかったが、近くに電柱に当たったらしい。弾痕ができている。コンクリートの塊に銃弾が当たるとこうなるのかなんて考える暇はなく、弾痕の辺りが爆発して飛び上がった。
爆発によって電柱の一部が消滅し、二つに別れた。支えを失った電柱は地面に倒れ、ヘルメットマンと私を分断する。意外と電線は簡単に千切れないんだな。何本か千切れず延びているが、倒れる電柱を支えることはできなかったようだ。
目の前で起こったことにびびりながらも、笑って動かない膝を殴りつけて、私はヘルメットマンに背を向け逃げた。
「撃った、撃った! ヤバイよ、話通じないし、ヤバイよ!」
ショーの力を使おうにも、奴から距離をとらなければいけない。願いを言っているうちに体に風穴を開けられたらたまったもんじゃない。とにかく全力で走って逃げた。体の動きがおかしいヘルメットマンならば、全速力で走れば追い付かれないと思いたい。
危険な目にあったが、おかげでなんとなく分かった気がする。ヘルメットマンは宇宙人じゃない、宇宙メカ、ロボットかなにかだったんだ。だから私の願いは効果がなかった。私は宇宙人と言った。そのせいで『人』にしか効果がなかった。願いの対象外だったヘルメットマンは元々私を追跡していて、学校を見つけたのではないか。願うタイミングが悪かったから見つかったわけじゃない、効果が無かったから普通に見つかったのだ。
くねくねと道を曲がる。効果があるかは分からないが、できるだけ追い付かれない時間を増やしたい。この時走りながら願いを叫べば良かったのだが、とにかくヘルメットマンから離れたかった私はその発想が無かった。それでも確実に安全だと判断できたら即、物騒な願いを叶えるつもりでいた。代償とか考えている場合じゃない。私の理性のブレーキは、命の危機を優先し機能を失っていた。
気を付けて逃げていたはずだが、徐々に人気が増えていた。時間帯的にも人が増えてきてもしょうがないが、どこかを経由してまた人気のない場所にいかなければ。人がいる場所でヘルメットマンが追い付いてきて発砲してきたと思うと恐ろしい。
誰かが私に挨拶をしてきた。それが誰かは確認できなかったし、返事もしなかった。ただ走る。
全力疾走する女子高生は物珍しいのか視線をいくつか感じたが気にしない。そんな余裕はない。
走りながら後方をちらりと見る。遠くに黒い影が見えた気がした。確認のためにもう一度見ると影はなかった。
もう息が切れていたし、呼吸する度に肺がひどく痛んだが足を止めることはなかった。なのだが。
「あ」
追跡者からの恐怖で止まることはなかった足が、ある人物を見つけたことでぴたっと止まった。
母さんだ。急用ができて朝早くから出掛けていた母さんが、私の数十メートル前を歩いていた。後ろ姿だけで分かった母さんの背中は、私の進む意思を止めることは容易だった。ただでさえ会うのが気まずかったのだ。不意打ちで会ってしまえば体も強張る。
そんなこと気にしなければいいのに私はどうしようとあわてふためき、別の道を探した。ヘルメットマンから母さんを遠ざけようとしたのではない、ただ私が母さんに会いたくなかったのだ。朝の決心はもう既にどこかにいっていたし、テンパって正常な判断ができないでいた。
問題の先伸ばしばかりしていた私はここぞという判断が苦手だ。体が勝手に動いた、などならなるようになるが、唐突に自分で考えて答えを出さなければいけない状況にはてんで弱い。
そんな自分の悪いところが、またもや状況を悪くした。
私の耳が後方から聞こえてくるざわめきを拾った。まさか追い付かれたのか。さっきの影は見間違いではなかったのか。
確認すると確かにいた。距離は遠く、遠近法で小さく見えたが存在を自己主張していた。ヘルメットマンは周りからの注目もものともせず、がっくんがっくんと動いていた。
周囲の人は不審者を遠巻きに眺めていた。ヘルメットマンを眺めながらスマホで通話している人は通報しているのだろうか。それとも面白がって知人に電話しているだけなのか。
まずい、逃げなきゃ。一刻も早くこの場所から離れなくては。路地裏でもなんでもいい、人が居ない場所へ。
私の足が再び動き出そうとするのと同時に、ヘルメットマンの体が大きく揺れた。
「ひゃっ」
また発砲した。銃口が発光すると、体が勝手に動いてその場にしゃがんだ。
着弾音がする。良かった、私には当たっていない。まだ遠い位置にいたためよく見えなかったが、体勢が整っていないタイミングで発砲したせいか大きく狙いがそれたらしい。ヘルメットマンも歩いているうちに撃ったため、踏ん張れずに仰け反っていた。
自分がまだ生きていることに安堵したが、すぐにあの弾丸は爆発することを思い出した。
いったいどこに当たったんだ。みんなに知らせなくては。まさか本当に発砲できるとは思っていなかった住民達は、それこそ鳩が豆鉄砲を食らった顔をして立ち竦んでいた。
極限状態で勘が冴えているのか、着弾地点はすんなり見つかった。そこは四階建てのビルだった。一階が商店で二階以降は何かの事務所になっていることが看板にかかれている。弾痕は三階辺りにあり、大きな亀裂を作っていた。
「か、母さん!」
なんと運の悪いことか。そのビルのちょうど正面に母さんがいた。先ほどの発砲音に驚いたのか立ち止まっている。母さんは自分とヘルメットマンの中間地点にいる私に気づいたようだ。
「早くにげ」
私の警告の叫びは爆発音にかきけ消された。特撮で聞きなれた音だが、現実で聞くとなんて恐ろしいんだろう。
コンクリートの塊の中で爆発が起きれば何が起こるか。予想は誰でもつく、コンクリートの破片の雨だ。ごろごろとした凶器が雨が、肉の塊を中途半端にミンチへ変えてくれる。
爆発で巻き起こった大小のつぶて。本来ならどうにもできない速度で降り注ぐはずだが、私にはゆっくりとしたスロー映像に見えた。まるでお前の苦手な母親を殺してやるぞ、堪能しろよと無理矢理見せつけられているみたいだった。
自分に影を落とす凶器を見上げる母さんにもスローに見えているのかな。所謂走馬灯といやつか。これから自分が死ぬかもしれない状況をじっくり見ながら過去を振り替えるなんて、拷問以外なにものでもない。
「いや、いやいや、やだよ!」
体を突き抜ける悪寒から逃げ出すように、私は母さんに向かって走り出していた。走りだしは私の人生史上もっとも無様だったろうな。
走っている最中も全てがスローだった。落下する瓦礫も、走る私もスローでもどかしい。それなのに思考はよく巡り考えたくないことも考えてしまう。
母さんが押し潰されてしまったら私の生活はどうなるんだろう。無口な父さんはショックで二度と喋らなくなるかもしれない。近所の人達から露骨に気を使われ、息苦しい毎日を生きるのか。居るのが当たり前の家族が急に居なくなるのはどんな感覚なんだ。
そもそもなんで私は走っているんだろう? 距離的に間に合う分けない。間に合ったところでどうなる。私の腕力じゃ安全な位置まで引っ張りだすのは不可能だ。ならば体当たりして弾きだすか。自分を犠牲にして?
あんなに苦手意識を持って、時には遠ざかろうとしていた人に駆け寄ろうとしている私は、かなり滑稽だ。都合よく遠ざけて、都合よく近寄ろうとしている。
こんなにうだうだ考えているくせに、足は加速を続けた。既に筋肉痛の痛みを感じる足は、強く大地に食らいついて蹴っ飛ばす。
もうすぐ母さんの体を瓦礫が押し潰す。私の伸ばした手は届かない。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。絶対に嫌だ。
まだ母さんに話せていないことがある。言ってやりたいことも、言われなきゃいけない言葉がある。
まだ私達はちゃんと喧嘩できていない。情けない私、勇気がない私、問題を先伸ばしにする私。私が逃げてきたこと、いつか解決しなきゃいけない問題がまだ残っている。そのいつかを迎える前に母さんがいなくなるなんて嫌だ。
確かに母さんは苦手だ。だけど嫌いじゃないんだ。まだまだ生きていてほしいんだ。
母さんとまだまだ話したい。
母さんの料理をまだ食べたい。
また褒められたい。
いつか私の好きなものを全部、全部認めてもらうんだ。
いつか母さんの悪いところを全部指摘してやるんだ。
いつか母さんを謝らせてやるんだ。
いつか絶対、私の夢を、母さんに見て欲しいんだ。
この手は届かないんじゃない。届かせるんだ。スターマンから学んだ。諦めなければ手は届く。相手が掴むまで手を伸ばす。母さんの手を掴んで、私が助けるんだ。
瓦礫に押し潰される瞬間、私は確かに母さんの手を掴んだ。間に合う可能性は限りなく低いはずだったのにだ。そして、私たちは巨大な瓦礫に押し潰されることになる。
自分の背中を自力で見ることは大抵の人には不可能だ。だから私も気づかなかった。そもそも必死過ぎて見えても気にしなかったかもしれない。私のリュックから、淡い光が漏れていたことを。
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