第6話 黒いアイツはヘルメットマン②
「願い叶ってないじゃん!?」
逃げて逃げて、逃げまくってもう夕方。ヘルメットマンも途中で撒けたのか姿はなかった。私たちは今あまの川にある大橋の下に隠れている。不法投棄された大きなごみや背の高い草があるため隠れやすい。子供のころ、よくここにはかくれんぼをしにきて、親にばれては怒られていた。あそこはいろいろあって危ないから近づいてはいけない、とお決まりの台詞で。
小休止はしていたが、数時間走りっぱなしだったのでまだ息が荒い。汗も沢山流したせいでワイシャツが張り付いて気持ち悪い。ブレザーはリュックに突っ込んだ。後でシワになるかも。
ヘルメットマンを撒いたので、不法投棄されたコンテナの影で座って休憩をしていた。右手にはリュックに入れていたお茶を、左手にはショーを持っている。
「確かに叶えた」
「なに? 間に合ってなかったの!?」
あのヘルメットマンは、宇宙人に見つからないようにと願った直後に来た。タッチの差で遅かったのか。なんてタイミングの悪い。苛立ち、乱暴にお茶を飲んだ。口に含みすぎて端から零れてしまった。
「てかショーを追いかけてる宇宙人を消してとか願えばよかったんかな」
「実行するか?」
ショーの提案の、少しだけ悩むがやめた。
「…………いや、いい。なんか大きい願いほど代償強そうで怖い」
「代償とはなんだ」
「ほら、言ったじゃん。こういうのって願いは叶えるけど、必ず代償を払わなくちゃいけない展開がベタだし。寿命が減ったり」
「そうなのか」
「もしかして、願いに代償ないの?」
それならば即実行するが。自分の力で叶えなくてはいけないものは頑張るが、これはその範疇ではない。すぐさま危険とはおさらばしたい。
「分からない。私にその情報はない」
「分からない、かー。怖いとこだなー……でもガッコから逃げる前の願いは叶ってるんだよね?」
「ああ」
「ショーを追ってる宇宙人からは私ら見つからないんだよね?」
「ああ」
「じゃあひとまず安心……じゃねっつーの。ガッコばれてるよー……明日から学校生活どうすんのー……」
ショーとお茶を手放し、両手で顔を覆った。
「あのヘルメットマンをどーしようー……」
やはりまたショーの力を使うしかないのか。
代償があるかないのか分からないが、少なくともすぐに影響はないらしい。私の体に変化はない。将来なにかが起こるかもしれないが、明日の命すら怪しい。
いっそのこと警察に頼ってみるか。あしらわれて終わりだろう。大人はその目で見ても信じないことが多い。一部の大人以外、ヒーローの存在を認知しないのは特撮あるあるだ。
悩んでいるとショーが私の耳元に近寄ってきた。
「私を手放せばいい」
囁きの意味を理解してから、ショーが居る場所へ視線を向けた。
「追われているのは私だ。舞ではない、近くにいれば害をなすかもしれないが、所有権を破棄し遠くに離れれば関係はなくなる」
張り付いた意味のない表情が淡々と提案してくる。
「心配してくれるの?」
「舞が問題の解決を願ったので、私の力を使わずに危機を脱する方法を提案した」
「あ、そ」
この提案は確かに魅力的だった。でもなんだか気にくわない。この手の提案は特撮、いや創作ではよくあるものだ。もしかしたら現実でも実際にこんなやり取りをしているのかもしれない。そして、こういった提案は断るのが定石だ。
私の心配ではなく機械的な提案で腹もたったし、そもそも受け入れたら私の理想が許さない。
「いいよ、そんなことしなくても。ショーの力は凄いし、ショーを必要とする宇宙人とかって大抵は特撮じゃあ悪人だから渡すのは悪手だと思う。そうじゃないかもだけど、かもじゃ信頼できない。もし渡して私の危機が去っても、地球がやばくなったら意味ない」
「ならばどうする?」
「うーん、怖いけど、あのヘルメットマンと会話するとかどうだろう。もしかしたら良い奴かもしれない可能性に賭けるぜ作戦とか」
「舞自身の発言に矛盾を発見」
「だよね」
宇宙人との開拓は憧れていたことだ。だが今は願いを叶える謎物体を追いかける宇宙人という、正義と悪どっちともとれる状況だ。ヒーローが危険な力をもつ宝を回収保護する目的でショーを追っている、悪人が危険な力を危険な目的で求めている。第三者の私が先に見つけて回収し、理由もわからず話も聞かずの逃げる。特撮じゃよくある話だ。
憧れていたシチュエーションだが、自分の立場になってみるとしんどいな。判断が難しいから安易な行動ができない。
この不安だけを取り除くのなら簡単なんだ。何度も考えているがショーに願ってあのマスクマンを消してもらうこと。これだけでいい。だがそんな短絡的思考でいいのだろうか。この選択で取り返しのつかないことになってしまったらどうしよう。
胡座をかいて腕を組み、うーんと唸る。その姿勢で一分、二分と時間が経過した。
「よし、とりあえず現状維持で」
結局、また決めきれなかった。逃げの一手だ。
「とりあえず相手からの接触を待つ。んで会えたらお話して大丈夫そうか判断する。だめなら、ショーにお願いする」
「了解した」
「確定じゃないけど、特撮怪人みたいに高速移動はできないっぽいし。猶予はあるはず。ダメそうだったら即願うから。次の宇宙人関係の願いは即叶えて」
「了解した」
「すぐに叶えてもらうために登録してようかな。できる?」
「可能だ」
「じゃあそうだな……地球にいるショーを狙っている宇宙人をこの世から消して、で」
物騒だが、かなり配慮したつもりだ。もし宇宙人を消してなら関係ない宇宙の宇宙人まで消してしまう可能性があるし、地球の宇宙人とだけ言ってしまったらこれまた地球在住の関係ない宇宙人が巻き込まれる。地球在住の宇宙人がいるかは分からないが。
「了解した」
「よーしおっけい」
この選択が正しいかも、間違っているかもどちらにも判断できなかった。結局は問題の先伸ばしなのだが、この時の私はかりそめの安心感に身を委ねていた。
プルルルル。
味気ないスマホの着信音がなった。ブレザーを取りだし、内ポケットに入れていたスマホを手に取った。
「うわ」
画面に表示された名前は『母さん』。
プルルルル。
着信音が鳴り続けるが、電話に出る勇気がわかない。内容は何となく察することができた。午後の授業を丸々サボったのだ。たぶん学校から母さんに連絡がいったのだろう。電話にでたら烈火の如く怒鳴り散らしながら経緯を聞いてくるはずだ。
数分待つとコール音が途絶えた。やっとかとげんなりしながらスマホのロックを解除すると、通知が沢山来ていた。トークアプリに新着メッセージが溜まっていて、クラスの友人や後輩、特に亜樹のメッセージが群を抜いて多かった。お昼の頃から私の挙動がおかしかったから余計に心配だったのかもしれない。
メッセージを確認していると、後輩が痛いところついてきた。
『三階の溜まり場の窓ガラス割られたらしいけど、もしかして犯人まっちゃん先輩?』
「やば、ばれてる……」
明日学校に行くのがとても憂鬱だ。こんなのテストの日くらいだ。
プルルルル。
また母さんだ。また無視しようとしたが、出るまで何度もかかってくるだろうし、結局は家に帰るしかないのだから諦めて電話に出た。
結論から言うと、鼓膜が破れるかと思った。母さんは江戸の火事とか、アメリカのハリケーンの生まれ変わりなんではないだろうか。電話に出た瞬間、もしもしも言う暇もなく言葉の波が私の耳のなかに流れ込んできた。今どこいるの、何をしているの、なんで学校を抜け出したの。辛うじてこれだけは聞き取れた。私はただはい、とかすいませんしか言えなかった。見えるはずもないのにぺこぺこと頭も下げて。今すぐ帰ってきなさい! という怒号を最後に電話を切られた。
耳がキーンとする。
「帰りたくねぇ……」
家に帰り、玄関を開けると鬼のような顔の母さんが待っている。そう考えただけで体から力が抜けた。このまま誰か友達の家に逃げようか。いやこの問題は後回しにはできない。したら私の青春が終わる気がする。
「宇宙人はもう私達を見つけることはできないんだよね?」
念のために、また同じ質問をする。
「舞も私も、舞がいう地球外生命体に直接視認しても追跡することはできない。例え特殊な方法を使ったとしても、現在地や居住地を見つけることは不可能」
「よし、とりあえず家は大丈夫。もう普通に帰ってもいいかな。…………あー帰りたくねぇーーー!」
なんとか体を動かすために叫んで気合いを入れた。膝に手を当てゆっくりと立ち上がる。
あまり着たくないがブレザーを羽織った。汗のせいで寒いし、少し恥ずかしいのでしょうがない。
「よし帰ろう。ショー、リュック入って」
「了解した」
聞き分けがいいのが、今のところ見つけられたショーの良いところだ。
リュックを背負い、一歩を踏み出そうとすると、背後からガサッと音がした。
ビックリして心臓が口から飛び出るかと思った。今日だけで何度心臓に負担をかけなければいけないのだ。代償関係なしに寿命が減る。
慌てて捨てられていた冷蔵庫の裏に隠れた。横に倒れていたので、姿勢を低くして身構える。
ガサガサと音を立てながら、何かが草むらから近づいてくる。隠れるのではなくすぐに逃げればよかったと後悔するがもう遅い。
高い草から何かが出てくる。頼むからヘルメットマンではありませんように。やっと引いてきたのにまた汗をかいてきた。
草むらからできたのは、鴨の親子だった。一気に体の緊張が解ける。
「……うわ、べただなあ……焦らせないでよ」
あははと乾いた笑いが漏れた。列を成しながらよちよちと歩く姿に癒しを貰えたから、まあいいか。
立ち上がり制服の汚れを払う。鴨の親子の行進を見送ってから帰ることにした。
私にもあの鴨の子みたいに、母に不満等を持たずについて回る頃があった。純粋無垢だった子供が、何時からか母親の押し付けに不満や違和感を持つ。私からしてみれば大きな問題だが、案外世間ではありきたりな出来事で、たいした問題ではないんだろうな。
夕日の赤い光からも逃げるようにこそこそと家に向かう。なんだか悪いことをしているみたいで気分が良くないが、実際問題窓ガラスを割り授業を無断欠席したのだから悪いことはしている。
神経質になっており、人の気配がする道はすべて避けてきた。それでも限界があって曲がり角で人と出くわした時は死ぬほど驚いた。
もうショーの力は疑っていない。窓から飛び降りる時に自分自身で体験したのだから。なのだが、どうしても警戒してしまう。思っていた以上に自分がびびりで嫌になる。
いつもより時間がかかってしまったが、無事に家についた。ほっと緊張が緩んだが、母さんの顔が頭によぎり胃が痛み出す。こっそり裏口から侵入しようか、などと魔がさしたが家に入ってしまえばいつかは見つかる。問題の先伸ばしは意味がないと、あまの川でも考えたことではないか。意を決して、玄関を開けた。
そこには母さんがいた。待ち構えていたらしい。想像と違って鬼の表情ではなかったが、完全な無だった。怒りを通り越した表情だ。
「た、ただいま」
「おかえり」
母さんからは続く言葉はない。私は恐怖で言葉がでない。押し潰されそうな空気の中沈黙が辛い。何か喋らなくてはと挑戦してみたが、口がぱくぱく上下に開くだけで言葉にならなかった。
永遠にこのままなんじゃないかと不安になっていたら、母さんが口を開いた。
「いつまで玄関にいるつもり?」
「え、あ、あの」
「上がったら?」
「は、はい」
母さんに言われスニーカーを脱ぐ。脱いでいる間に母さんは居間の方へ向かった。背中でついてこいと言われているみたいで、私もまっすぐ居間へ向かって歩く。正直なところ直で部屋に向かい閉じ籠りたいのだが。
母さんはグラスにお茶を入れ、テーブルの私の定位置に置いた。
「座って」
「はい」
リュックを足元を置いてから、向かい合うように座る。
「学校から連絡は入ってます」
「はい」
「午後の授業を全部、無断でサボったらしいじゃない」
帰ってくる途中で言い訳をいくつか考えていた。腹痛が酷くて授業に出れなかった、とか小学生みたいな言い訳しか思い付かなかった。
ごまかすのが苦手なわけじゃない、と自分では思っている。だが自然な言い訳が浮かばなかった。何を言ってもぼろが出るだろうし、上手い筋書きにならない。
「一体どうしたの? 何かあったの?」
いっそのことフィクションを交えて、あの体験を言ってしまおうか。一からの嘘よりかはマシになるのではないか。
だが私に勇気があるのかだ。何事にも勇気は必要だ。選択する勇気、実行する勇気、失敗する勇気。亜樹との会話で勇気を貰いながら、それをいかせなかった私は自分で勇気を沸き出させれるのか。昔、なんとなく読んだ小説に書いてあった文で気に入っているものがある。
勇気はあるか。
言葉だけで見てみればそのままの意味にしか受け取れないが、前後の文などのおかげで主人公を奮い立たせる言葉になる。
舞、勇気はあるか。
真似をしてみる、効果は自分で確かめなければいけない。自分を更に焚き付けるように、拳を強く握った。
「学校に不審者がいて……それが私を追いかけてきて、逃げてたら授業にでれなくて……」
私の勇気はすぐにガス欠になる。後半、言葉に力はなく弱々しく小さくなっていった。
母さんをちらりと見る。表情は変わっていない。みえみえの言い訳をする娘を責めているのか、情けないと思っているのか、本当かどうか疑っているのか、どれにも受け取れる表情だ。言い訳ではなく脚色した真実なのだが、信じるのは難しいだろう。私が母さんの立場なら、信じられているのか怪しい。
また沈黙だ。信じてもらおうと何か言おうとしたが、止めた。不用意な発言は自分を不利にする。経験上、余計なことは言わないのが吉だ。
「何か」
空気の重さに項垂れていたが、母さんの言葉に頭を上げた。
「何かされたわけじゃない? 大丈夫だった?」
信じて貰えた。親からの信頼を感じ、難所を乗り越えた安堵で気分が高揚する。
「う、うん。ぜんぜん大丈夫! ピンピン、して……ます……」
再び私の声からは力が失われていた。様々な感情として受け取れる表情はそのままに、目からはどことなく攻撃的な意思を感じた。蛇に睨まれた変えるの如く、私は竦み上がった。
「不審者が居たのなら、なんで学校を抜け出したの? 外に逃げるよりも、大人が集まっている職員室なんかに逃げ込めばよかったじゃないの?」
「それは、その時、浮かばなくて」
ヘルメットマンの存在は謎だが、果たしてただの大人がどうにかできる存在だったろうか。もし私が先生達に頼って、助けを求めていたらどうなっていたか。あまりよくない結果ばかり想像してしまう。あの場面で私が冷静でも、先生達に頼る選択肢は浮かんでも実行しなかったと思う。
母さんの言っていることは、きっと正しい。が、私たちの理屈が当てはまらない出来事が起きている今では、常識の正しさの力は弱い。本当はこうなんだよって言ってしまえば、宝くじの一等が当たる確率で信じてくれて、私がどんな状況だったかを理解してくれるかもしれない。
大抵の人は知っている。宝くじは買わなければ当たらない。私には真実を言う勇気は湧いてこなかった。言ったところで信じてもらえないという諦めと、もしお前は頭がおかしくなったのかと指摘されてしまったらどうしようとネガティブな感情が私の精神を拘束していた。
情けない、と思う反面、私は真実を話せないのは母さんにも責任があると考えてしまった。信頼関係がちゃんと築けている親子のなら、こんな突拍子の無い話もできるのではないか。家族の身を案じてではなく、この人には話せないな、という不信感を与えるようなことをしてきた母さんにも非がある。どうしようもなく無理矢理な責任転嫁をしていた。
真実も知らずに長々と正論を吐き続ける母さんの姿に、私は密かにイラつきを感じ始めていた。冷静な部分の私が、思春期特有の精神の不安定さを察知して、また自分自身の評価を下げた。
「学校に連絡しておくわ。また現れるかもしれないから、貴方は特に、気をつけなさい」
長かった正論の雨が止み、やっと解放された。テンションが下がりまくった私は、散々だった一日から逃避しようと部屋に向かいかけたが、母さんに引き留められた。
「舞、先生から聞いたけど、貴方進路希望に苦戦しているそうね」
今日の出来事より聞かれたくない内容を投げ掛けられ、私は石のように固まった
「提出期限はまだ余裕があるらしいけど、悩んでいるらしいじゃない」
親としての立場なら当然気になるのはわかる。それでも母さんには知られたくなかった。話が拗れる気がしてならない。
二階へある部屋に向かおうとした体を母さんの方へ向ける。さっきみたいに椅子に座って向かい合う気にはならなかった。
私の顔はどうなっているか。たぶん鏡で見たら苦虫を噛み潰したような表情をしているの出はないか。
「悩むってことは、何かしたいことがあるの?」
先程と違って母さんの表情は少し柔らかくなった気がする。
「……うん、悩んでる」
説教だったり、今日の出来事だったり。精神がすり減っていた私は正直に答えた。
「自分が何をしたいか、悩んでる」
「それって」
「母さんは分かる? 私の好きなもの」
母さんが何か言おうとしたが、先に言葉で遮った。
意地悪な質問だ。私の本当に好きなものは母さんには隠している。もしも分かっていたとしても、母さんは認めることはできない。否定したのは母さんだから。
「舞の好きなもの……体を動かすこと」
「半分あってる」
これをヒントと受け取ったのか、母さんは腕を組んで考え始めた。
私は口をキツく結んで待った。母さんに信頼がないと内心で憤ったが、やはりどこか信じたい部分もあった。親として子供の夢を応援する母の姿を。
「好きなものを仕事にするのは素敵なことだと思う」
肯定の言葉と裏腹に、母さんの表情が曇った。
「でもね、好きなことをして生きていくと、いつか大きな犠牲が伴うの。好きなことばかりしていたツケが返ってくる。好きなことが嫌いになるくらいのね」
私は好きなことを仕事に生きていくのは素晴らしいことだという持論を持っている。私とは正反対の意見なんだな。
「……それじゃ嫌なことをして生きていかなきゃいけないの?」
「そういうわけでもない。舞の歳、将来を明るく考えたい年齢の娘に言うことじゃないけどね。どうせ嫌だなって思うくらいなら、ほどほどのものを仕事に生きていくのが良いと、私は思ってる」
現実的なことばかり吐いてくる母さんに落胆し、気づかれないようにため息をついた。
人生経験の長い母さんが言うのだから、そういう現実もあるのだろう。人生に疲れた人間が主役のドラマや、生きることの辛さを語った歌が蔓延る現代ならば特に。
私の中で勇気ではないなにかが渦巻き始めていた。
「悩んでいるっていったよね。自分の将来を。私だって考えてるんだよ、母さんの言うような人生か、夢か。どっちを選ぶか」
「舞の夢」
久しぶりに母さんと向き合って話し合った結果、私に勇気が沸くことはなく、もうどうにでもなれといういい加減な気持ちになっていた。
私の夢は特撮でヒーローになることです。女優ではなく中の人です。
自分ではそう言ったつもりだった。実際は口を上下に開いて、閉じただけだった。
この感覚は覚えがある。小学校低学年の頃、男の子に混じって度胸試しに滑り台の頂上から飛び降りる遊びをしていた。体の大きな子は楽々とやってのけ、臆病な子は無理だと泣き出して笑われていた。ほどなくして私の番になった。滑り台を登る私には自信しかなく、頭では憧れのスターマンのようにかっこよく着地する映像が流れていた。登りきり落下地点を上から見下ろした時、血の気が引いた。いつも遊んでいるはずなのに何時もより高く感じ、足がすくんだ。
下からは友達が早く飛び降りろと囃し立ててくる。私は恐怖に立ち向かい、自分ならできる、スターマンみたいになれると勇気を奮い立たせた。そして飛んだのだが、結局恐怖心が残っており変な跳び方をしてしまう。跳ぶ意思と跳びたくない意志が磁石みたいに反発した結果、私の足は滑り台の手すりに引っ掛かり腕から落ちた。幸い大きな怪我ではなく痕も残らなかったが、母さんにはしこたま怒られたっけな。
あの時みたいだ。いや、あの時よりも酷い。やってやる、どうにでもなれと思いながら、なにもできない。親と正面とぶつかり合う勇気もない。昔から私にはこれっぽっちの勇気もなければ、恐怖を前にして己を奮い立たせる力もないのだ。
「…………ごめん。やっぱなんでもない」
誤魔化そうとしたが無理だった。
「今なにか言おうとしたでしょ。言ってみなさい」
「なんでもないってば」
母さんが椅子から立ち上がり近寄ってきた。
ふと、私と母さんの身長が同じくらいなのに気づいた。もしかしたら私の方が少し高いかも。
身長では近いのに、私の中での母さんは悪い意味で大きくて、威圧されてしまう。特に今はずんずんと迫りくる母さんが巨大な魔王に感じた。
なんで自分の母親がこんなに怖いんだろう。なんでこんなにビビってるんだろう。趣味が強く否定されたあの日から、私は母さんに夢を語ったことはなかった。今日もできなかった。
大好きなスケボーを始めた時だって言わなかった。どうせまた否定されると思ったから。父さんが味方してくれなかったら、私はスケボーを諦めていた。
「舞」
母が名前を呼んだ。
声はあの時と違って穏やかだが、荒れた私の心を嵐にするには十分だった。
「なんでもないってば! 今のことは忘れてよ!」
部屋に私の金切り声が響いた。
母さんの顔をみないように目をぎゅっと瞑る。これは防衛目的だ。私の態度に怒る母さんから精神を守るために。
すぐになにかしら起こると予想していたが外れた。なにも起こらない。
恐る恐る目を開けた。母さんは困惑した表情をして顔に手を当てていた。
「あれ……? 舞、私たち何を話していたっけ?」
「……え。いや、ううん、なにも」
「そう? いやねもう、まだそんな歳じゃないのに」
母さんは困ったように笑っていた。
すぐに何が起きたか理解し、リュックをぎゅっと強く握った。
「あ、お弁当箱水につけておいてね」
「……うん。母さん、ごめん、今日晩御飯いらない」
「どうしたの? 体調悪いの?」
「……うん、体調悪くて。ごめん」
そう言って、私は言われた通りお弁当箱を流しに置いてからすぐに部屋に向かった。
大体いつもならすぐに着替えなさいと言われるが、今回は何も言われなかった。
階段を登りきるまで背中に視線を感じた。私は勿論振り替えることなどできず、静かに部屋に入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます