二十味:クレジットカード
2014年5月7日。
真昼間のとある喫茶店には、ランチメニューを取り扱っていないのか主軸とはしていないのか、人は三人しかいない。皆同じ席に固まっている。いつも通りの平均的な客数、光景。店員は、彼らに注意を払うこともない。
「ここは僕のお気に入りでね。久々に来たけれど、ブレンドが本当に絶妙なんだ。そうは思わないかい?」
芳醇なコーヒーの香りを楽しみながら、一人が他二名に対し話しかける。髪が長ければ女性とも捉えかれられない柔和な顔立ちは、ゆったりしたカーブを描くコーヒーカップとよく似合っている。
「アメリカはどうだった?
四十代中盤の男性は、怪しげに曲がる机の木目をなぞりながらコーヒーに口付けする男、白桃に話しかけた。
「僕の質問を無視しないでくれ。それにアメリカという言い方もひどく大雑把で好かない。ニューヨークとサンフランシスコは全然違う」
白い皿の上にカップを慎重に置き、白桃は地方銀行員に抗議した。「まったくだ」と笑うおじさんの顔に、反省の色は見受けられない。
「ちなみに僕が行ってきたのはシカゴ。ハイドパーク地区の犯罪の少ないエリアだよ。みんないい人たちだった。僕の拙い英語にも優しく対応してくれるのだから」
はにかみながら、「むしろ二か国語目を学ぶことについて褒めてもらえたよ」と付け足す。この場にいるもう一人、二十代前半の若い男は面白くなさそうな顔をした。
「それは、お前が
「可能性はあるかもね。身長も彼らに比べたら大分小さいし、実際よりも低い年齢として見られたのかも」
言い返すことなく、自分の外見について客観的な評価を下し始める白桃の様子が、皮肉のつもりで「童顔」と評した男にとってやはり気に食わない。
「ったく・・・」
「おい古舘。美男を僻むのもいいが、この前取り逃がしたという少年のこと、ちゃんと怪しまれずに調べたんだろうな? 俺としては、お前がターゲットを逃したという時点でにわかに信じがたいんだが」
眉を曲げて尋ねてくる地方銀行員をひと睨みしたのち、脱力しながら机にもたれかかる古舘。
「半年前に一人逃したよ俺は」
「あれは例外だろ。二人して追い詰めようとしたが、とんでもない身体能力で行方を晦まされた。女どころか、人間としてあんな動きありえるのか? ありえんだろ普通」
当時のことを思い出すように、二人して渋面を作る。
「や! そんなことはありませんよ。とても美味しいです」
白桃が少し取りなせば、オーナーは速やかに離れていく。
「そんなに苦い思い出なのかな?」
「・・・まあな」
ふいと、古舘は顔を背ける。不機嫌で、かつ靄のかかったような自分の表情を白桃に見られたくなかった。
あの時から、自分の存在にさらに大きな疑問を持つようになった。
「・・・ああ。この人、関係ない人を手にかけたと三日くらい塞ぎこんでましたから。
それから白桃は、古舘の能力から逃げ切ったあの少年について、名前や住所、年齢に通っていた高校。そしてある特殊な能力を持っていたことについて話していく。どうやってかは説明してくれなかったが、彼のクレジットカードによる購買記録も小さなタイムラグで手に入るようになったと嘯いていた。
白桃は、毒だけが能の男ではない。
ただ古舘は、終始上の空、心ここに在らずといった様子で、その半分も聞いていなかった。
今回逃した少年、半年前に逃した少女。彼らのことをずっと考えていた。どういうわけか、自分のズルい「力」が一歩及ばなかったあの二人のことが、まるで頭から離れなかった。
「ねぇ古舘君。聞いているかい?」
白桃からの確認が、暗闇へと不意に差し込む日の光のように感ぜられる。生返事しか出来ない。
「あ、ああ・・・」
「少年:北海未来は超人的な味覚感知能力を持っているらしい。眉唾にも思えるけど、君の記憶消去を掻い潜れたのはその能力のお陰なんじゃないかな。どういうメカニズムかは不明だけどさ」
味覚。
そう言われ、古舘は自分の舌に意識を向けてみるものの・・・「記憶消去の
「・・・ったく、ったく」
ふてくされた古舘は、冷めかかってぬるいコーヒーの残りを一気飲みした。鼻腔を
眠気が吹き飛ぶような、そんな心地になるが。
戦いの予感がする。
ブルリと身を震わせた。
これは、恐怖だろうか。どうしようもなく理不尽な能力を持っているにも関わらず。
そのせいで戦ったことのない男は、深く自問した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
三日後、5月10日。
夜八時半頃、未来のクレジットカードが使われた。遅れて二時間半過ぎた頃、白桃の元にジャックされた購買記録が届く。使用場所を知って、彼はほくそ笑んだ。
仲間たちに「大きく出る」とSNSで送りながら、白桃は呟く。
「ちょうど良かった。僕の毒で死んだ奴がいる」
端正な顔を歪めて、「始末して、エースの尻拭いをしてやろうじゃないか」と宣って。
ベッドの上に寝転がり、どこかに意識を集中し始めれば、やがて呼吸以外しなくなった。自分の精神のほぼすべてを、目的の
彼もまた、正真正銘の化け物だった。
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