二十一味:ドクロの傍


「君たちが、僕らの安寧を脅かす人なんだね? 新しい要注意人物さんと・・・艶川前首相の娘さん!」


 トリップしたような声で高らかに未来たちに呼びかけるのは、死んだはずの、妻によって殺されてしまったはずの斎藤。


 違う、あれはもう斎藤ではない。斎藤の「味」じゃない! 斎藤とは別のものが入っている!!


 慄きながら、「味覚」による信号を脳で解釈する未来は断じる。あれは操られている。あれはマリオネットだ。

 死体が人形劇の中のパペットのように使役されている。自らの超感覚が弾き出した演算結果に、「ファンタジーのネクロマンサーでもいるというのか」と一蹴してしまいたい未来だが、厳としてそうとしか考えられない状況。

 そして彼の口上。間違いなく先日の「理不尽」の関係者。逃げた自分のことを警戒している、この国の首相として艶川という男が立っていたのを知っている。

 追いかけっこを思い出し、未来は背筋を凍らせた。動けなくなってはまずい、とりあえず斎藤「だったもの」に集中しろと言い聞かせる。


「・・・前首相の、娘だと?」


 ハッとなった未来は、手前にいる少女を見た。彼女の身を取り巻くのは、純然たる憤怒の激情。


「ぁぁあああああぁぁああああぁぁああああっっっ!!!!」


 耳を劈くような高い咆哮を上げ。

 泣いているよう。心の底から泣いているように。

 未来がそう認識したのと同時に。


 蔀美しとみは、とんだ。


 助走もなしに、十メートルは跳んでいた。彼女の細い足、それは多くはない筋肉を表す。にもかかわらず、オリンピックの金メダリストにも補助具なしでは不可能な大跳躍。

 立て続けに起こる怪奇現象に、未来の常識は理解を拒否して、このまま眠りたい衝動に駆られる。つまり、現実感が湧かないのだ。


「なっ!?」


 斎藤「だったもの」は驚愕しながら横に逃げる。ギリギリで、蔀美しとみの重力に任せた強烈な踏みつけを回避した。床は凹み、砕かれる。未来の足元までも、ひび割れた。


「き・・・きゃあああああああああああっっっっ!????」


 女将の叫びに合わせて、大人たちはパニックに陥る。我先にとばかりに階段へと駆けるが。


「逃がさないよ、僕を見たのだから」


 斎藤「だったもの」もまた、生前には絶対になかっただろう身体能力を見せつけて、階段へと先回りし。悠上が殴られ、骨と肉のひしゃげた音がした。背骨ではカバー出来ない角度で体を後ろに曲げながら、床に叩きつけられる彼の頭。陥没、飛び散る血。

 そのまま、動かなくなった。

 命の「味」が、また消えた。死んだのだ。未来は寒気を抑えられない。

 思いっきり殴って大きく傷ついた右腕を、斎藤「だったもの」は興味なさそうに見つめる。が、何かに勘付いたように身を引いた。

 蔀美しとみの拳は、空を切る。


「ちっ!」


 慣性の法則により斎藤「だったもの」の横を通り抜けそうになる体を足でグッと抑えて、身を翻す。強烈な回し蹴りとともに。それを華麗な身のこなしで躱した彼女の標的は、晒される背中という敵の隙を逃しはしない。素早く的確な突きで、蔀美しとみの背骨の真ん中を捉えようとする。

 折られれば半身不随は確定する場所。

 まさに攻撃の直前、未来は彼女にタックルした。自然と体が動いていた。少しだけズラした腹で、突きを受ける。直撃こそ免れたものの、意識を揺らされた。


「がはっ・・・」

「っありがとうございます!」


 肩代わりしてもらったと理解した少女は短く礼を言い、再び斎藤「だったもの」に飛び込んでいく。床の上で腹を抑えて寝転がり、呻く未来。彼の霞む視界は、茫然自失で動けない女将、福西と斎藤三子を捉えて。


「・・・逃げろ・・・・・・」


 なるべく声を絞り、忠告する。

 反応はない。心の中で畜生と毒づき、無理矢理立ち上がった未来は、福西の肩を重力に任せてぶっ叩いた。


「っ・・・」

「逃げてくれ・・・」

「でも、君は・・・」

「だから、逃がさないよ」


 人間にはありえない領域で蔀美しとみと手足を高速に打ち合う斎藤「だったもの」は、それでもまだ余裕があるのか。


 彼の足元に転がる悠上の死体より流れる血に裸の足を突っ込み、未来たちに向かって払った。

 飛び散る、真っ赤な血。


 逃がさないという言葉と、なんの関連性もなさそうなその行動。しかし未来の「味覚」は、すべての「味」が悪意を持って混ぜられたような、激しく煩わしい危険信号を発した。

 殴られた腹の熱さが止まないままに、反射的に掛かる血液を回避する。体は軋む、歯を食いしばって痛みを堪える。

 しかし福西たちは、血を避けることなど出来ない。ピチャピチャと彼らの体に、なすがままに降りかかる。皮膚に付着した赤い液体は、瞬く間に彼らの体内にニュルニュルと吸収された。その光景は、生理的嫌悪感以外のなにももたらさない。


「な、なんだ・・・あ、がああぁああぁあああああああっ!?」


 喉元を抑え、目を白黒させながら、地獄の亡者のような叫び声を上げる福西。他の女性二人は、一切声を出さぬままに膝を崩して倒れ、首をかきむしりながら苦しそうにのたうち回る。

 彼らは全員、窒息状態にあった。

 思考する。斎藤の死因は、なんだったか。

 毒死。もう少し詳しく、首を抑えて死んでいたのだから、毒による窒息死・・・?


「まさか・・・」


 蔀美しとみと壮絶な戦闘を繰り広げている斎藤「だったもの」を睨みつける。彼は血を、毒に変えられるのだ。血だけじゃないかもしれない。

 長らく無意識に信じ奉じてきた自分の「常識」が、音を立てて崩れ去ろうとしているのを未来はひしひし感じていた。

 理解の外にある化け物たち。斎藤の死体を元の持ち主より明らかに上手く扱い、物質を毒に変えられるヤツに、僅かな動作だけで人をこの世からほぼ完全に消し去ってしまう理不尽なヤツ。

 自分が安穏と暮らしていた場所は、この世のホント表層に過ぎなかったのだ。少し潜れば、忽ちこれだ。


 足が竦む。心臓が締まる。


 地面では、もう動かない女将に斎藤三子。微かに腕を動かしている福西は、周囲にいくらでもある空気を掴まんとばかりに手を伸ばすものの、そこで力尽きた。

 未来には、どうすることも出来なかった。


「かはぁっ!」


 殴打の音とともに、女の呻きが未来の耳に届く。

 吹っ飛ばされる、蔀美しとみの姿。斎藤「だったもの」の方は、腕が折れ片目が潰れているものの、まったく気にした様子もない。

 ゴロゴロ転がり、自動販売機に受け止められる少女を見届けて、首をゆったり未来の方へ向け。

 鷹揚に、はっきりと話しかける。


「さて。残るは君だね」


 恐怖と辛苦で思考がぐちゃぐちゃ、まともに「味」わえすらしない味覚少年は。

 痛む脇腹に手を当て、静かに後退った。

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