十八味:結婚指輪
「毒殺? さっきもその、ソファに座っている子が指摘していたけど。言ったじゃないか、今日僕たちに、彼に毒を含ませるようなタイミングはなかったって。仮に毒を飲ませられるとしたら、斎藤の最期を直に看取った、君だけだ」
「もちろん、俺はやってませんよ」
「じゃあ・・・」
斎藤三子の左手を掴む未来に対し、悠上は努めて冷静に異議を唱える。しかし、小さく震える声の隙間隙間より溢れる「味」から察されるは、彼の怒りの感情。
「あの女の子に花を持たせてあげようとでもしているのかな? 君は案外、子供っぽいんだね」
嘲るように、高校生の少年に対して話しかける悠上。されど未来の表情に、馬鹿にされたことへの情動は見受けられない。
彼の脳は、見破られたことへの驚きと恐怖の「味」を、目の前の女性からすでに知覚していたから。
「澄ました顔しやがって・・・」と憤る悠上と対照的に、なんとなく分かっていたような表情で、悔しそうに、自分を責め立てるように、福西は唇噛んで斜め下を見つめていた。
福西の様子が気になる未来だったが、尋ねる前に話しかけられる。
「証拠は」
停止していた思考を取り戻したか、絞り出すように声を発する斎藤三子。
「証拠は、あるんですか」
「それについて言及する前に、どうやって、あなたが夫を毒殺したのか。俺の考察を、話させていただきましょう」
慇懃に場を進めようとする未来に対し、「そうだ、納得出来るものでないと、高校生といえども許さないよ」と悠上は眉を歪める。
「さっさとプレゼンしてよ。いったいどうやって、男風呂と女風呂が隔離されている状況で、三子さんが斎藤を毒殺出来るのか。君に分かっているならさ」
「大丈夫、そんなに難しいものではありませんよ。仮定として、斎藤さんが失神を日常的に恐れていたことと、後もう一つ」
右手に一本立てた指に、二本目を追加して。
「斎藤さんが、常日頃からずっと結婚指輪を着けているということが、あるならばね」
悠上の様子を窺う未来。特に、何か異論を持っているようには見えない。
被害者は、昨今では珍しい類の既婚男性だったようだ。そんな感想を抱きながら、この二つは無理のある仮定ではないと確信する未来。
「さて。皆さんは、『アイソメトリック運動』というものをご存知でしょうか」
確信するや否や、未来は唐突に、これまで触れてこなかった新単語についてその周知度を調べ始めた。
「あいそ、めとりっく?」
「急になんだよ。知らないよ、そんな横文字」
福西と悠上の反応は鈍い。ソファに座りながら、黙って少年の言葉に耳を傾けていた
比べて、斎藤三子は。
ギリリと歯噛んで、目を瞠る。
「横文字部分をきちんとした日本語に直せば、『等尺性収縮運動』。長さ一定のまま、筋肉が力を出している状態のことを指します。例えばそうですね」
少し考えた後、炭酸飲料等が高めの値段設定で売られている自販機の側に赴く未来。両腕を前に突き出したかと思えば、ぐーっと前に推し始めた。
全力は出していないようで、自販機はピクリとも動かず、軋むような音すら出さない。
「な、何してるんですか」
変人を見る目で行動の真意を問う
「このように、動かないものを押している腕。筋肉は収縮運動していませんが、前に押し出す力は出ていますね」
「それが今、なんの関係があるんだ?」
困惑が苛立ちを上回ったのか、悠上はただただ戸惑っているだけの疑問をあげる。
「まあまあ。アイソメトリック運動の例として、他にも拳をギュッと握ったり、胸の前で両手の指を組んで左右に引っ張りあったりね」
自動販売機を押して見せたように、再度実演を交えながら説明を続けていく。
「効果としては、これを日常的に行えば、発揮出来る筋力がどんどん増強されていきます。それはともかくとして、実は」
自販機より、ソファの横を通り抜けて、斎藤のツレたちの元に戻り。
「・・・実は?」
「失神の兆候が出た時にこのアイソメトリック運動をすれば、予防になるらしいんです」
自分が筋トレについて多少興味を持つようになったキッカケの人物を、その「味」を、脳裏に染み込ませながら。
点と点とを、結んでいく。
「大方、血流が良くなりでもするんでしょうかね。新聞で得たにわか知識です、その道の専門家でもなんでもないので、どうしてかも、その真偽も分かりませんが。しかしこれが、鍵となる」
強く言い切る未来は、鷹のような鋭い目を斎藤三子に向けた。ビクリと彼女は、半歩下がる。
「俺の描く仮説は、こうです。日頃より失神に悩まされてきた斎藤和彦さんは、医師に相談して、アイソメトリック運動が失神しそうになった時に良い効果をもたらすかもしれないことを聞く。しかし、拳を握りこんだりだとか胸の前で両手の指を組んで左右に引っ張ったりだとか。ルーティンとしておかなければ、発作時に咄嗟にやるのは難しいでしょう」
ですよね? と未来は悠上、福西に尋ねる。「ま、まあそうだろうな」とゴニョゴニョ言いながら、二人は肯定する。
「そこで斎藤さんは、普段からこのトレーニングをすることに決めた。その場所として、一人でリラックス出来る、自分だけの時間を持てる風呂場を選んだとしてもなんら不思議ではない。いや、斎藤さんは精力的な商社マンという話でしたから、逆に風呂場以外なかった。ところで三子さん」
「・・・」
黙りこくって、ただ弱々しい視線だけを、未来に送る中年の女性。
「偶然なのかそうでないのか、俺は知りません。でも、最初に会った時から気になっていましたが、あなたたちの結婚指輪。妙に太いですね」
「! ・・・」
さっと、自らの指輪を隠す三子。なんの意味もないが。
「一般的には、結婚指輪の幅は2~4mmほどかと思われますが。それは明らかに、5mm以上はありそうです。厚みも相当。当然、風呂場でやれるような、手を使ったアイソメトリック運動のトレーニングには邪魔になるでしょう」
チラッと、
心の中で、感謝する。
「だから斎藤さんは、風呂場で結婚指輪を外すタイミングが必ず、必然的にあり。そのことを三子さんは知っていたんじゃないですか?」
「そ、そうか!」
何かに気づいたように、福西は声をあげる。
「ええ福西さん、その通り。指輪が抜けるときに毒を注入する仕掛けを施しておけば。この旅館の構造上、男風呂と女風呂とで空間的に隔離されている状況でも、即死性の毒を体内に入れて殺すことが可能になるんです!」
目をカッと見開きながら震える三子に近づき、畳み掛ける未来。
「遺体の左手薬指には結婚指輪ははまっておらず、代わりに注意しなければ絶対に気づかないような、小さな刺し傷がありました。恐らくその傷口から入った毒が肺を攻撃し、斎藤さんを呼吸困難からの死に至らしめたのでしょう。さて、彼が死ぬ時、指輪が落ちる音は聞こえませんでした。抜けきるまでに
福西と悠上が、青ざめた表情で顔を見合わせる。
多分、男風呂に三子さんが突入してきたとき、着替えに戻って彼女を一人にしてしまったことでも思い出しているのだろう。そう未来は当たりをつけて。
犯人と、向き合う。
「ああ、指輪は、どこに行ってしまったのでしょうか」
「・・・このっ!!」
ポケットの中を弄ったのち、その中身を乱暴に床へと叩きつける、斎藤三子。
鈍く、コンという音を打ち鳴らしたのは。
チャック付きポリ袋に入った、二つしかない結婚指輪の、片割れだった。
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