十二味:指の跡

「おい待てよ!??」


 後ろから聞こえてくる声を、置き去りにして。

 未来を引き連れ、男湯へと大股歩きで入り込んでいく少女。


「なんだどうした!? 行っても斎藤さんの遺体がある・・・」

「はい、確かめに行きます」


 男湯の脱衣所も女湯とそう変わらないですね、と場違いなことを呟きながら。

 明るい照明の下。足裏に柔らかい刺激を与えてくれる、緻密に編み込まれた竹の床を裸足でペタペタ歩いてゆく。

 少女の真面目な顔と自分の間抜けな顔が、大きな鏡を通して未来の目に入り込む。ほんの一瞬のことだが。


 カラッ!


 浴室のスライド式扉を、勢いよく開けた。

 するとやはり、右前方5メートルほどのところに、成人男性が裸で倒れている。


「っ・・・」


 生きている人間なら必ずいつも感じられるはずの、皆に共通する「味」。彼からそれを一切感じ取れないことへの恐怖に、意識が強力かつ強引に吸い取られた。

 息を呑む。

 出来ればこんなところに、いたくはない。

 弱音を吐きかけた高校生の少年は、しかし無い「味」を言葉にすることも困難で、出来なくて。

 横で自分の手を握り続ける少女の姿を、弱々しく眺めるだけである。


「・・・! 痛い、痛い!??」


 今更ながら、彼女の握力が大きく強まっていることに、気づく。抗議の視線を送れば、ふるふる、ふるふると、何かを我慢するように震える彼女の右腕、いや体全体。


「っ、?」


 痛みを堪えながらも、自分の少し前方で佇む少女の顔を、覗き込めば。


 顔を歪ませ、歯を食いしばり。

 張り裂けた光を放つ、目から零れ落ちそうな、涙。


 手を強く握られるよりもよっぽど激しい痛みをどうにかこうにかして耐えている、可憐な存在の矮小な虚勢が、そこには有った。


「だ、大丈夫か?」


 気遣いの言葉を投げてやると、ハッとしながら少女は現実を取り戻す。

 そのまま自分の嫋やかな指が、隣の少年の拳を強く握り過ぎていることを悟ったか。慌てて離し、「ごめんなさい・・・」と小さく謝る。

 未来の手の甲には、赤い指の跡が鮮明に残っていた。


「ノープロブレムだ」


 肩を竦め、おどけながら返す。少女のこの反応、過去に何かトラウマでも抱えているのか、という考えに到ったが故。

 分からないが、文句をぶつけるのは間違いな気がする。

 痛みがあれば必ず伴う不快な金属っぽい「味」を、未来は黙って飲み込んだ。


「・・・あなたの気持ち、感謝します。心地いいです」


 微笑み、真摯な目を向けて謝意を伝える少女。

 男風呂で、だ。

 ・・・例え目前に、人の骸が転がっていたとしても。

 罪深い男子高校生は、甘酸っぱい妙な背徳感を覚えてしまう。


「では早速、遺体の方を見てみましょうか・・・ってひゃっ!??」


 倒れ臥す斎藤の体へと視線を寄越したと思えば、今度は真っ赤になって顔を背けた。先ほどの深刻な様子とは、ひどく対照的に思える。


「・・・裸なのは織り込み済みじゃなかったのか?」


 あれだけ何かを確信したかの如く動いていたのだから、てっきり服無し丸出しの死体を見る覚悟もとっくにあるのだと未来は考えていたが。


「いえ、私、一度疑ったら疑問を解決するまでまっしぐらなタイプなので・・・気づいてませんでした」

「さいでっか。ちょっと待ってろ」


 言い残して着替え場に向かい、残していた自分のバスタオルを持って再び浴場に舞い戻る。


「少し嫌だが」


 半目になってボヤきながら、ファサッとタオルを斎藤の秘部の上に敷く。同時に、「・・・ん?」と唸る未来。

 彼が生きている時には確かに感じた、人が普遍に持つ何かの「味」とは違う、彼特有の「味」の群。

 そのうちの一つが、なくなっている。が、考えても思い出せない。


「これでどうだ?」


 未来に促され、少女は恐る恐る目を開けた。多少マシになったと判断したのか、ほっと安心するような溜息をつく。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 お礼のすぐ後には、少女は真剣な顔になって黙り込み、触ったりすることはないものの、鋭い目で遺体の様相を調べ始める。

 彼女はひょっとして警察か医者の関係者で、人体の観察能力に優れているのだろうか?

 ぼんやり考えている未来には、斎藤は死んでしまう際、苦しそうに自分の首を抑えていたことくらいしか分からない。それも、自分の指の跡が強く残るほど。


 先ほど少女によって付けられたはずの手の甲の赤い指の跡は、もうすでに消えかかっていた。


「なぁ、ええっと・・・」

蔀美しとみって呼んでください」

「え、それって、名前?」


 自分の常識に照らし合わせると、初対面の女性について名前呼びすることは躊躇われる未来。


「・・・いいから」


 陰を帯びる彼女の表情に、事情があるのだなと彼は察して。


「分かったよ。蔀美しとみさんって呼ぶ。俺のことは北海きたみでいい」


 しかし、こちらには自分を名前呼びさせる道理はない。

 約一ミリほど残念がりながら、未来は自らの苗字を教えた。


「じゃあ蔀美しとみさん。聞きたいことがある。君は、人の体を調べるような技能はあるのか?」


 もしないのなら、ここでこうして死体とにらめっこしたところで何か得られるはずもない。スペシャリストが来るまで待っておくのが道理となる。


「ええ、まあ、はい。医学部行った後にも対応出来るよう、医学について結構深く学んだので」

「ひゃー」


 「受験だけでなくその先まで見据えている医学部志望者」という希少種に対して、おったまげたとばかりに声を漏らす未来。


「なるほど。じゃあ、さっき恥ずかしがってたときに言ってた疑い、疑問ってなんだ? 何をあの大人たちから感じたんだ?」

「・・・勘です、大根芝居でも見せつけられた気分になったので」


 ゴニョゴニョと、蔀美しとみは言葉を濁した。

 嘘の「味」。

 隠し事でもあるのかと、彼はスッと目を細める。


 と、そこで「間違いなく毒ですね」という小さな声がポロリと、未来の「味覚」に突き刺さった。


「は?」


 ともすれば、聞き逃してもおかしくない。

 確信的な情報のはずなのに、何気無さ過ぎる。

 脳で処理しきれないものの、彼女がそういう結論を導き出した事実だけは、どうにか認識した。


「どうしてそんなこと、分かったんだ・・・?」

「いいから。お風呂の前の休憩所に戻りますよ」


 またもや未来の手を引っ掴み、浴室から抜け出していく少女、蔀美しとみ

 その背中に、頼もしさというものも覚えなくもない、が。

 彼女に対する疑惑もまた、苦々しい「味」として未来の中に燻り始めていた。


 検死も碌に触りもせずに、死因が毒によるものだとどうして確定出来る、と。

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