十三味:どこか違う


 デカデカ「男」と描かれた暖簾をくぐり抜ければ、死んだ斎藤のツレたちが、意気消沈した様子でソファに張り付いていた。ヴー・・・と唸る自販機の安っぽい光が、彼らの陰影をほのかに濃くしている。

 悲しんでいる?

 嘆いている?

 だけではない、と「味」は言っている。

 全員、そう。人間関係って複雑だな、と他人事のように考える未来。


 戻ってきた少年たちに気づいたか、三人は顔を上げた。そのうち、斎藤の妻で三子みこさんと呼ばれていた女性はこちらをキッと睨む。


「あなたたち、まさか和彦さんに何かしてないでしょうね・・・」

「まさか。触れるどころか、半径1メートル内にも近づいていません」


 「ねぇ?」と蔀美しとみに同意を求められたので、未来はコクリと頷いた。実際、股間にタオルをかけたこと以外は、彼女も彼も死体を少し離れた場所から観察したのみだ。


「・・・嘘だったら承知しないわよ」


 疑うような視線を和らげはしないものの、三子は一先ず引き下がる様子。

 それからしばし、場は沈黙で均衡する。誰も喋ろうとしない、ただ広がっているのは、気まずさというよりもどんなことを喋ったらいいのかよく分からないという空気である。


 誰も言葉を発しない故に、小さな音でもよく響いた。階段の方から鳴る人の足音に、皆が一斉に注目する。

 やってきたのは、未来がこの旅館に泊まろうとした時に対応した受付のおばちゃんである。この人が女将さん、らしい。


「警察や病院には連絡しました。ただ、来るのは明日になりそう。ごめんなさい、ここ、田舎だから」


 背筋を綺麗に伸ばして、深々と頭を下げた。悠上、福西や三子といった斎藤の関係者たちは慌てたようにソファより立ち上がり、一斉に「お気になさらず」や「呼んでいただいただけでもありがたいですから」と気遣いの総攻撃を始めた。


「念のため、宿泊者の方々はここに留まっていただきたいのですが・・・」

「ええ、もちろん」

「構いませんよ」

「最後まで付き添いますわ」


 そう台詞が続いた後で、四人は二人の少年少女を見る。


「ああ。俺は大丈夫」

「私もです」

「でも、学校とかは・・・」


 心配そうに、高校生の男女に言葉を送る女将さん。


「あ〜・・・」


 黒光りするソファ、男湯の反対側にある女湯の赤い暖簾、優しい薄紫の床・・・と視線を彷徨わせる未来。蔀美しとみも同様。

 戻ったら消される、真の意味で・・・・・抹消されるかもしれないなんて言えるわけないだろう、だから「大丈夫です、出席日数も勉強も・・・」と曖昧に答えておいた。


「今のところは、ですが。蔀美しとみさんは?」


 これ以上何か聞かれる前に、と未来は隣の少女に話題の矛先を変える。クスリ、彼の小狡い思惑を大らかな微笑みで向かえて、「高校なんてお遊びなので」と余裕そうに返した。


 またもや、しょっぱい嘘の「味」。

 ・・・努めて、無視する。


「それで、あの・・・」


 心苦しそうに、女将さんは再び何かを切り出し始めた。


「待ってる間に尋ねておいてくれれば嬉しいと・・・簡単な事情聴取なんですが・・・」


 だから、死んだ斎藤の本名、年齢、職業を教えて欲しいと頼む。込み入った個人情報には踏み込まない、それこそ日本人でも初対面時にお互い知り合ってもおかしくない事柄だ。

 斎藤の二人の同僚に促され、被害者の妻が訥々と答えていく。本名はここにチェックインした時に書いた通り「斎藤和彦」、年齢は45歳。どこそこの会社、それこそ未来も耳にしたことのある有名商社に勤めていて、化学品に関するトレーディング事業の部署において、部長クラスの地位にあったらしい。説明を聞いて、悠上と福西は間違いないとばかりに頷き、次いで数字に強くかつ中間マージンに対する嗅覚が利く男だったと付け加える。


 メモを取りながら聞いていた女将さんは、さらに言いにくそうに「あの、その・・・」と要領を得ない話し方。


「斎藤和彦さんが亡くなられた原因について、心当たりは・・・」


 いきなり踏み込むなぁ、と驚く未来。チラッと蔀美しとみへと目配せした。毒で死んだかもしれないことを暴露するのか、と。

 こともなさそうに口を開きかける蔀美しとみに先んじて、福西が自らの憶測を語り始める。


「多分、心臓系の発作だと思う。和彦のやつ、低血圧かなんかで、失神に悩まされていたから。意識を失うのが怖くって、急に周囲の環境が変わるのを嫌がっていた」


 思い当たる記憶の「味」。それを頼りに、死ぬ前の斎藤についてのメモリーを掘り起こす。なるほど確かに、斎藤は友人とともにサウナに入りはしなかった。

 環境変化がNGだったのか、と今になって未来は納得する。


「ああ、心原性の失神は危険だと聞いたことありますね」

「よく知ってるね、君。そう、彼はいつも自分の不安定な心臓の鼓動を気にしていた。突然ものすごく早くなるとホントに危険らしいから」


 相槌を打った未来の言葉に、福西は我が意を得たりと乗っかる。

 人死にに詳しくない未来にとって、こちらの方が死因として納得のいくもののような気がした。いや、どちらかというとそうであってくれという願望・・と言うべきか。福西の意見に対してどう出る? と未来は蔀美しとみを注視する。


「それは、おかしいですね」


 淡々と、彼女は切り返す。


「私は、これでも医学の知識は結構ありまして。先ほど遺体の様子を見てきましたが。首を苦しそうに抑えてましたけど、急な不整脈系の発作でそんなことをするというのは聞いたことありませんし、そうする理由もないです。あれは、呼吸器系に何らかの不具合が起きて亡くなったのだと思います」

「呼吸器系・・・?」


 斎藤のツレの一人である悠上は、首を傾げた。気にすることなく話を続ける蔀美しとみ


「そして、最期に彼が発した、それこそ女湯まで届いてきたあの、予期せぬ何かに蝕まれたような断末魔。推測の元となった観測事象は他にもありますが、導かれる結論だけ言います」


 違和感、齟齬。

 どこかに必ずある、不調和。

 歓迎されない「味」が、未来を一時支配する。ただ何が違うのか何が異なるのか、蔀美しとみと会ったばかりの彼には分からない。


「毒です。斎藤氏は、毒殺されました」


 賽は、投げられた。

 それは周囲に波紋としての驚愕を呼び、斎藤三子、悠上に福西、宿の女将さんは皆が皆、目を見開く。


 が、蔀美しとみはどこかで嘘をついている、と一人訝しむ未来には。

 驚きの波も「味」も、届いていなかった。

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