十味:闇は迎えず、牙を剥く
割り当てられた部屋のある3階を目掛けて、しっかりした造りの階段を上がってゆく未来。
「風呂は最上階にあるって、受付のおばさん言ってたな」
朝日に映える景色が綺麗、とも。
ここは温泉地というわけではないが、最上階からの景色を拝みに朝風呂には入ろうと決める。
このような状況ながらも景色に期待してウキウキ出来る、自分の心持ちは意外と余裕なのだと。
そう信じ切って。
シュッと手を上げて、308号室の鍵穴にキーを差し込む。建て付けが悪いのか経年劣化なのか、「鍵が刺さらない、ドアが開かない」などといったトラブルも田舎の旅館だとしばしば発生するが、ここでは起こらず。
それどころか、少しひねったシリンダーは、自宅の扉よりもスムーズに回るのだ。感じる爽快な「味」に「おおお・・・」と唸る。
「結構ちゃんとしてるんだな」
扉を開ける。一人部屋にしてはかなり広い。
住みたくなる、と冗談でも考えるほど。
靴を脱いで上がり込み、押入れ、冷蔵庫、クローゼットとあるものを確認していき。パッとクローゼットを開けば、なんと浴衣があるではないか。
「今着ている服、四日連続なんだよな」
風呂に入ったあとは浴衣で過ごし、その間に服を洗濯してしまうのがいいか。
側に置かれていたタオルと一緒に浴衣をひっ掴み、数日間シャワーしか浴びれていない未来は、意気揚々と最上階の風呂に向かう。
最後の一段を登り、まず彼の目に飛び込んできたのは自販機にソファー、そこでたむろする四人の大人。髪などに濡らした痕跡はなく、また男性の顔は少々脂ぎっていることから、これから風呂に入るのだろう。
肝心の風呂は・・・とキョロキョロすれば、右に女湯、左に男湯、互いに向き合っている。こういうのは隣同士にあるというのがセオリーだと思っていたのだが、違ったのか。
「それにしても、男湯と女湯がこんな綺麗に分かれてるってやっぱり珍しいよな」
「なんでだろうね? 近い場所にあったほうが管理コスト低いはずだよね普通」
目の前の集団のうち男二人の台詞を聞いて、俺と同じこと考えてるなと少しだけ仲間意識を感じながらも、話しかけるということもなく男湯方面に足を運ぶ、が。
「ありゃ? 俺たち以外にも泊まってる人いたのか? 若いな」
声をかけられた。足を止め、振り返る。
「一人か?」
「ええ、まぁ」
「珍しいな、こんな何もないところに。『ここ』っていう穴場しかねえ場所だぞ」
「確かに、いい場所ですよね」
愛想笑いを浮かべる未来。視覚より攻め込んでくるおっさんたちの「味」は、はっきり言って遠慮願いたい類のもの。社会に出たらこの「味」が日常茶飯事になるのかと考えると、軽く絶望する。
「え、その反応。この旅館のことを知らずに来たのか? どんな用向きでこんな場所に足を運んだのか、マジで気になるな・・・」
「あなた、迷惑でしょう!」
詮索を始めようとした男に対し、シャッキリした「味」の声で、側の女性が窘める。
ありがたい。この男の奥さんだろうか。
どうでもいいか。
「俺、風呂に入りますので」
「俺たちもだよ。
「ええ、了解」
手を振る男の薬指には、太めの指輪。
女性の方も同じものを付けているのを見るに、結婚指輪だろうかと未来は推測する。彼の父母は細めの指輪を身につけているためか、珍「味」という感想を得た。
「じゃ、
「そうだね斎藤」
「ああ」
斎藤、悠上、福西という三人のおじさんたちに押し出される形で、未来は暖簾をくぐる。
浴場の着替え場特有の篭った匂い、彼の場合はプラスして「味」。例えろと言われたら玉ねぎだろうか?
バスケットの中に服と着替えを放り込み、ミニタオルを携える。準備の出来た味覚少年は、おじさんグループに先んじて風呂場に突入した。
大きめの湯船、サウナと目に入るが、まずは洗い場に直行する。ここ五日間、シャワーこそ使える場所を見つけ出してきたものの。満足に体を洗えた
自らの体から黄ばんだような「味」がするのに、未来はそろそろ耐えられなくなっていた。
全身をゴシゴシ、ゆっくり丁寧に洗ったところで、風呂に浸かる。
「ああ、ホットジンジャぁぁ・・・」
という周囲からすれば謎でしかない呻き声を発していると、社会人たちが好きな酒について歓談しながら、ザブザブ浴槽に侵入してきた。一歩分ほど、未来は隅へと体を移動する。
これは、彼なりの「関わらないでください」という合図だったのだが。
「おっなんだ君、先に入ってたのか。それでさ、なんでこんな辺鄙な場所に一人で来たのか、教えてくれない?」
「斎藤の奥さんに止められてたけど、確かに気になる。俺たちは、ここに泊まりに来たというわけだけど。田んぼすらないクソ田舎に若者が一人で来る理由は?」
「君、高校生くらいだもんね。ここくるような用事は普通ないでしょ」
散々な言われようだな、この地域。
呆れ果てる未来は、真実を言ったところで何の益にもならないと予測し、テキトーな嘘を話すことにした。
「・・・自分探しの旅みたいなもんですよ」
「なんだ? 彼女にでもフラれたか?」
どストレートを放ってくる、斎藤とか呼ばれていた男。本当に俺がハートブレイクを慰めるための一人旅やってたらどうするんだ、としかめ面をする。
悪意の「味」は全くしないが、悪意がないからこそ逆に悪い。
突如として変貌した幼馴染の姿をぼんやりと思い出しつつ、「ま、そんなようなものですよ」と曖昧に濁しておいた。
「でも今、授業期間中でしょ? 明日の授業には間に合うの?」
悠上という苗字の男に尋ねられ、未来はしばらく悩んだ後。
「高校の授業くらい、参加しなくてもどうということはないですよ」
「ぶほっ! 言うねえこいつ!」
盛大に噴き出すのは、三人の中で一番お調子者っぽい福西。
「出席日数とかは大丈夫なの?」
「・・・あ」
そういえばそんな制度もあったなと、脳に広がる嫌な苦「味」。
このまま逃亡生活を続ければ、確実に引っかかる。
・・・消滅の憂き目に遭うより明らかにいいが。
「・・・おっ、サウナもあったなそういえば。お前らはどうする?」
なんとなしに後ろを見た福西が、「90℃」と書かれた背後の看板を指差した。
「俺は行くけど、斎藤は・・・」
「あっ・・・すまん斎藤」
「いいよ、行ってこい」
ジャバ、チャプン。
二人がサウナに入っていくのを横目で見ながら、「ああ、なんか気分悪りぃなぁ」とお湯に囲われる体の力を抜く斎藤。
ほぼ見知らぬおっさんと二人で喋るという状況を避けるため、未来は窓の外の景色に夢中になっているフリをしようとした。
しかし、夜の闇が広がるだけで、何も見えない。
でも未来にとっては、「黒く塗りつぶされる」それ自体の現象が、永遠に隠れさせてくれるような、永遠に自分を生かしてくれるような優しく豊かな「味」を醸し出してくれていて。
絶望的な追いかけっこを繰り広げたあの時、あんな漆黒の場所に逃げ込めたなら。
永遠に溶け合いたくなる、深淵の真っ暗闇。
潜っていければ、転がり落ちていければきっと、あの神のような力を振るう化け物も、追ってこない。
ずっと安全。ずっと平和。深淵の、中ならば。
闇に受け入れられたのなら、きっと・・・。
愚かな。まだまだ浅瀬というに、何をほざく?
深淵への道のりは、始まったばかりだぞ?
「・・・え?」
背筋が、ゾワッと喚き、凍った。
縮み上がる、全身の筋肉。
浴室の中というに、無限に乾く口の中。
なんだ、今のは。
自分の「味覚」が発したメッセージに、生まれて初めて感じる恐怖、畏怖。
小さい頃、今よりずっと小さい頃から疑問に感じていたことを。
改めて、自らの内側という、
「『味覚』よ、お前はいったい・・・」
「あ、がああああああああああああ!!?????」
次の瞬間。
ただの田舎の旅館の風呂場に、一人の男の絶叫が反響する。
まさしく、断末魔。
肉が、石の床を打つ音と同時に振り向いた未来は。
飛び出すほど目を見開き、口を大きく開けながら。
そんな凄絶な表情をしながら、地面にぶっ倒れて痛ましくバウンドする男の姿を、捉えた。
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