八味:真霊
カーテンは、閉め切られ。
電気もついていない。
昼間なのに真っ暗闇の部屋の、布団の中。ベソをかきながら蹲っている、一人の女の子がいた。
レースのあしらわれた可愛いピンクのパジャマはシワだらけで、先端部分のほつれも目立つ。
このままじゃいけない。呆れ顔をされてしまう。
辛気臭い「味」だな、と。
一念発起したかのように、少女は布団をバッと持ち上げた。
だというに、やはり思い起こされるのは、この事実。
お兄ちゃんとは、もう五日も会っていない。
「う・・・」
それだけならまだ大丈夫だ。夏休みなんかで一週間以上顔を合わせないこともザラにあるのだから。問題は、会えない理由が「行方不明」という意味の分からないものであることで。
「それって、死んじゃってることかもしれないんだよね・・・」
じわーっと瞳に、涙が溜まっていく。
「二度と会えないってことかもしれないんだよね・・・・・・」
母親一人の細腕で生活が支えられていた、幼き頃のひもじいあの日々。
今となっては朧げ、
未来に助けられなければずっとあのままだったか、もしくはもっと落ちぶれていたことだろう。
ヒーローかと思った。
複利複利を繰り返してありえない額の債務を提示してきた借金取りを、よく理解出来ないが奇抜な方法で追い返し。周囲の力を借りながらだが、物の見事に払えるレベルまで債務を減額せしめて見せたのだから。
幼い子供が中心となって、だ。
それが縁となって、九堂家は北海家に援助してもらえることになった。
「これは貸しだぞ未来。将来絶対に返せよ」
「分かってるよ父さん」
悪戯っぽく笑う父に対して、決意した顔で大見得を切る少年:未来の隣に、少女はずっといたいと願った。
それから、「○○な『味』だ」と口癖のように言う、度を越した変人である彼に時に翻弄され、時にドギマギさせられながらも、十年間離れることなくついていった。
元々未来を兄のように慕ってはいたものの、猫のような小動物を撫でる際に一番リラックスした顔になると小学三年生の時分に確信してからは、何かと張り詰めがちな彼の精神を緩める役に立とうと、仕草を真似る対象として猫を選んだ。
そしたらこんなダメな子になっちゃった。
呆れた顔をしながらも、なんだかんだでとてもよく面倒を見てくれる「お兄ちゃん」にますます甘えるようになり、ますます好きになった。
だからこれからもずっと、一緒にいたいの。
この「九堂智音」にとっては、そういうことになっていた。
「お兄ちゃん・・・」
九堂は再び、布団を被る。
被る布団で目元をゴシゴシ拭えば、ここ二日分ほどの涙でかなり湿気ており、逆に頬全体に水分を塗りたくる羽目となる。
いつもだったら気持ち悪くて、すぐにお母さんか「お兄ちゃん」に洗濯するよう命令する彼女だったが。
気にしない。
どうでもいい。
「寝る・・・・・・」
ゆったりと瞼を閉じ。
くったりと体から力を抜く。
あまりに考え事が多かったからだろうか。寝つきは本来良くもない少女だが、すぐさま寝息を立て始めた。
夢を見る。
ぼんやりと、靄のかかったような白い世界で。
「これが、ホントに私なの?」
「え・・・?」
少女九堂が対面したのは、「私」。
顔も声も、
なのになぜか、気品というかオーラというか、中身が決定的に違う。
「だ、だれ? わ、私?」
どういうこと、これ?
と、あたふたする彼女。
「生活態度ダメ、成績もダメ、バカ、アホ、ドジ、マヌケ。未来くんにおんぶに抱っこ。呆れた」
狼狽する中で、急にけちょんけちょんに貶される。
カッと、頭に血が上り。
「・・・きーっ!! なんでいきなりそんなこと自分に言われなきゃいけないのぉー!?」
腕を振り回しながら「私」に向かって突進していく九堂だが、あえなく「私」に頭をガッと掴まれた。
「みっともない。その姿ではしたない真似はやめて」
「うぐぐぐぐ、なんで同じ自分にこんな差が・・・」
歯咬んで悔しがる少女に対して、「私」はとてつもなく大きな溜息を
「はぁーっ。そんなの『味覚少年』に追いつくために努力したからに決まってるでしょ? まぁ、未来くんに助けてもらった思い出が『借金取りから助けてもらった』なんてイタ可愛い妄想にすり替わってるし? お父さんもいないことになってるし? こうなっちゃうのも仕方ないかもしれないけれど」
「『味覚少年』に、追いつく・・・?」
九堂には、想像もつかない。
あの「世界一」の男に、どうやって追いつけというのだと。
自分じゃ、隣でぶら下がるのが精一杯。これでも努力していると。
「努力の方向性が、だいぶ違うのね・・・。確かにあなたはある意味、私の理想なのかもね。これはこれであり。最終的に未来くんをオトシてくれれば、別に文句はないわ」
踵を返し、「私」は九堂の前から去っていく。
「頑張ってね」
徐々に消えていく「私」に対し、少女は猛烈な不安を感じた。
安穏たる夢の世界のはずなのに、なぜか現実を思い出してしまったから。
「ま、待って!!」
呼び止める。
消えかかる「私」は、くるりと自分の方を向いた。
「ん?」
「お兄ちゃん、今行方不明なの!! 二度と会えないかもしれないの!! イヤ! そんなの絶対にイヤ!!」
未来の所在が分からなくなったと聞いた時、心を「黒く塗りつぶした」暗闇を表すかのように。
白かった世界が、一気に真っ暗になる。
叫びながら、少女は目をギュッと瞑った。
瞼を閉じたところで、暗闇なのは変わらないのに。
「なんで急にいなくなっちゃうの!? あの変な男が悪いの!?? 早く捕まれこの野郎! ・・・このヤロー。私を置いてかないでよ。一緒にいれないじゃないの」
膝を突き、シクシクと泣きだす少女に対し、もう一人の「私」は。
「ふっ・・・きゃははははは!! 急に何を言い出すかと思えば」
あろうことか、大笑いを始めた。
呆然と、九堂は「私」を見上げる。
「・・・失礼。はしたない声を上げてしまったわ。そうね。こんな『ダメな私』じゃ、未来くんの凄さなんてなんとなくしか分からないものね」
「!? 私だって、お兄ちゃんのスゴさくらい・・・」
「『スゴい』ってことしか知らないでしょ?」
「う・・・・・・」
少女は俯き、うじうじと自分の考えを述べる。
「・・・お兄ちゃんはスゴいけどさ・・・・・・どんな時でも死なないって訳じゃないから・・・・・・」
「ね? 具体的にどう凄いか知らないから、そんな曖昧なことしか言えないのよ」
達観したような目で、「私」は言葉を続ける。
「私には、彼の凄さが手に取るように分かる。ずっと側で見てきたから。隣でなんとか食らいつこうとしたから。彼に足りない部分を、補おうとしたから」
ドンと薄い胸を張り、自信満々に言う「私」から、九堂はヒドく感銘を受けた。
とんでもない自分の可能性もあったものだ、と。
「だから推して測れるのよ。確信を持ってね」と小気味良く微笑む「私」が、夢の最後で宣言することには。
「世界を味わい、舐め尽くすあの『味蕾』くんが。こんなとこでくたばるはずないでしょう・・・?」
目が、覚めた。
時計を見ると、針は四時五十分を示している。少しだけ、黄色く色づくカーテン。
「布団、気持ち悪い」
ガサゴソとベッドから抜け出た九堂は、仰け反りながら掛け布団を抱きかかえて、下にある洗濯機の元へと持ってゆく。
「お母さん、これ洗って」
「・・・! どうしたのトモネちゃん!? お布団を自分で持ってくるだなんて!? じゃなくてっ!!???」
九堂家の
「お兄ちゃんのことは、もう大丈夫なの!??」
九堂知音の端正な顔立ちが、一瞬だけ引き攣った。
だけれども、夢の中での「私」の言葉を思い出し、無理矢理笑ってみせる。
「大丈夫、とはちょっと違うけど。あと私、明日から学校行く」
驚愕で表情を染める母に対し、彼女はちょっと強がって、だけど本心から。
再び動き始めるきっかけとなった原動力について、いつになく淀みなく、ちゃんと答えるのだ。
「私だけど『私』じゃない人から、とってもいいこと聞いたんだもん」、と。
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