七味:畏怖
2014年、5月9日。
「・・・今日もいないですね、そりゃそうか」
八時半、朝礼の時間になって、教師が教室に入ってくる。
この時間、「礼の『味』は嫌なんだ」と不思議な言い訳をしながら、机に突っ伏して寝ていることの多い名物生徒:
心配そうな表情で俯いたのち、スライド式の扉をそっと閉じた。
「味覚少年」の行方不明届が出されてから、はや五日。
ゴールデンウィークが終わり、授業が再開されてからの三日間、学内で彼を見た者は誰一人としていない。
「九堂さんも、いないですね・・・」
ゴールデンウィークも終わった5月6日、彼女は学校で未来が行方不明になったことを知り、盛大に泣きじゃくった。教科書を入れるには相応しくない、おしゃれな通学カバンに泣き顔を押し付けるものだから、中の教科書の一部をぐしょぐしょにしてしまっていた。
少し落ち着いた頃に、嗚咽を漏らして語ることには。
5月4日、九堂智音に勉強を教えに来た未来はその夕方、行政の役人が訪ねて来た際に、突如として姿を消してしまったらしい。
彼のことだから何か事情があったのだろう。
5月6日にはまた会える。
そう思って学校に来たら、いきなり「味覚少年」が失踪したと伝えられ。
彼女の心情を慮り、話を聞いていたその場の教師は皆、涙を拭うのを抑えられなかった。
この子が、
「・・・あの子も、仕方ないか・・・」
カコッ。
教卓の上に名簿を乗せ、挟んであった連絡事項の用紙を取り出す。
「へっ。みんなあいつのこと心配し過ぎなんだよ」
いつもじゃあり得ないほどの静かな朝礼の最中、一人の男子の声が教室に響く。
「! 横田くん! 不謹慎ですよ!」
「そーだぞ横田! お前がゲームセンターで居眠りして遅刻したのとは訳が違うんだ!」
「だいたいお前が一番あいつと喋ってただろうが!」
閑けさから一転、やいのやいのと横田への野次が飛び出す。
「そう、一番喋ってた。だから分かんだよ!!」
ごんっ!!!
机をぶっ叩き、轟っと怒鳴り返す横田。
怯んだ周囲は、再び口を噤み塞ぐ。
室内を、ギロリジロリと睥睨し。
「『味覚少年』は、必ず帰ってくる。飄々とした顔で、『心配してたような『味』だな、まっ、ありがとう・・・』って言ってな」
精一杯未来のモノマネをした後、恥ずかしそうに姿勢を元に戻す横田。「ほら朝礼だぞ、先生の迷惑だ」と立ち上がっていた周りに注意を促しながら。
ふふふ、あははとポツリポツリ、教室に笑いが立ち始め。
数秒も経たないうちに、部屋は呵々々の渦に巻き込まれていた。
「な、なんだよっ! 先生まで」
「いや、いや、だっておかしくってぇ」
「何がだよ!!」
顔を真っ赤にして大声を上げる横田に対し、先生を含めたクラス全員、口を揃えてこう返した。
だって、
×××××××××
真昼間。
そこそこ人の蔓延る往来を、目を瞑りながらヒュンヒュン進んでいく、マスクで口元隠した少年がいた。
その服はしなび、よれている。
「腹減ったな・・・」
ほんの一瞬だけくっきりした目を見開き、首を回しながら四方八方の情報を仕入れる。
入ってくる膨大な「味」。
無意識にかかずらいそうになるそれを意図的に無視して、目的のものを見つけた少年:未来は自らの財布の中身を確認。「資金はまだあるよな・・・」と親に感謝しながらかったるそうに呟いた後、再び目を閉じてブラインドウォークに移行する。
カラン。
品の良いファミリーレストランに足を踏み入れ。
「おひとりさまですか」という店員の言葉を適当に受け流し、案内された席へと向かう。
目を開けて。
優しい黄土色の机、柔らかそうなソファ。
「・・・悪くない『味』だ」
料理を口にするどころか、まだ注文さえしていないのにこの感想。奇妙珍妙な男だと客観的に自分を考察したのち、メニュー表へと手を伸ばす。
「写真だけで一気に味わえる。一緒くたに。これは損なのか得なのか」
店員さんを呼びつけデミグラスハンバーグを注文してからの待ち時間は、思索の時間。目を閉じながら、一週間前・・・「九堂智文」の存在が世界より消えてしまったのに気づいた日からのことを考えた。
ここが別世界というのは考えづらいことに気づいて。
総理大臣がいつの間にかすり替わっていたことに気づいて。
変わってしまった「九堂智音」の圧倒的なダメさ加減に気づいて。
「そして、あの『何か』に、気づかれた」
思い出すだけで、ゾッとする。
きっと、間違いなく、あいつが「九堂智文」消失の根本的要因。
世界を書き換えられる存在、「存在そのもの」を抹消出来る存在。
謎の超常存在。
あるいは神。
男が老人を消したその時は、まさにそれに匹敵するかの如く感じられた。
ああ、自分も見つかったら消される。
・・・首をブンブン振った。
「こうやって・・・」
開目して。
感じられるすべての「味」をひとまず没却して。
未来、右手を前に出し。
「こうしてたよな」
右目をバッチリウインクする。
感じる空虚な「味」を、慮外とすることは出来ない。
「やってみると阿呆らしい」
グイーと全身を伸ばしながら、後ろの背もたれに寄りかかる。
「あいつにとって、人を消すのに意味のある仕草なんだろうが・・・」
謎は深まるばかり。
何がどうしてあの男にそんなことをさせているのか、考えたところで皆目見当もつかない。
いやしかし、あれをトリガー行動に見せかけていて、ひょっとすると予備動作なしで人を消すことも出来るのかもしれないな。
という考えが過ぎったところで、「味覚」は明確に否定してくる。
まさしく、彼にとって人を消すために必要なことだと。
その仕草で以て、この国の前総理大臣を消し、「九堂智文」をも消去したんだと。
そういう「味」がしたのだと。
「我ながら、非論理的もいいところだ」
皮肉げに言うと同時に、肉肉しい芳香とソースの酸っぱ辛い香りのハーモニーを纏ってやってくる、ホカホカのハンバーグ。
母親の作る焦げ目の多い半失敗作とは二段も三段も格が違う、質的魅力重視な料理。だけれども、すでに五日も外食で凌いでいる身としては、重くて軽い。
「研究され過ぎてて、つまらない。こういうのは偶にがちょうどいい」
大衆の「平均的な味覚野」との調和がコンセプトなのだから、「味覚」野が宇宙空間な未来にとって、飽きが早いのは無理のないことかもしれない。
「母さんの料理は、飽きなかったな・・・」
あの男に自宅を突き止められたら、自分どころか家族諸共抹消されてしまうかもしれない。
それは消えるだけでなく、他者からの記憶、他者に刻みつけたアイデンティティ、そして今までの自分の積み重ねといったありとあらゆる痕跡の消滅を意味する。
ああ、「九堂智文」はどうであったか!?
・・・恐ろしい。
絶対に家族を巻き込みたくない。
だから家に帰らず、そのまま放浪した。
「俺は、名乗ってない。あいつも本物の役人じゃないだろう。大丈夫、きっとこれが正解だ」
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
一時間に一度はやってくる、圧倒的な不安の襲撃を乗り越えようと。
一つ一つの「大丈夫」の合間に、
カツンとフォークが、皿を打つ。
食べ終えていたことに、全く気づいていなかった。
「味覚少年」には、食べ物を味わう余裕すらなかったから。
結局市販のハンバーグでは太刀打ち出来ず、不安と恐怖とストレスの「味」で、「味覚」野が終始占拠されていたから。
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