一味:ミステリーは突然に
2014年、5月。
スマートフォンや、それを通じたSNS等の普及が急速に進んだ時代の、一月。
主人公による「理不尽との戦い」は、それがどんなに過密で稠密な出来事であったとはいえ、時間に直せばその程度の話。
だが、語るべき価値はあると信じよう。
まずは、あと二ヶ月で17になる高校生の少年:
彼は昔から、どんなものでも「味」を
ゆえに彼にとっての「味」は、「美味しい」だの「不味い」だの範疇を、歳の早いうちから超えていた。常に頭の中を「味」が走り回る人間にとって、物事をこの二つに大別するというのは、あまりに不便だから。
「美味しい」という概念があるのはまだいい、少年の幸福は増幅し、人生は楽しく彩られるだろう。しかし、その対極として「不味い」しかなければ? 生きていれば自然インプットする悪意、仲違い、汚物・・・それどころでない、世の中の大半の物は「不味い」に分類されないあろうか、人の脳では。
すなわち、生きているだけで不幸に振り切れる。
だとすれば、ある「味」については、無理にカテゴライズすることなくありのままに受け取った方がいいのだ。
難しいが。
そう、ただ、理屈の上ではそうであったとしても。マクロ視点では、未来も広大な社会の構成員の一人であり。一般の感覚しか持たない普通の人間の中で、周囲にある程度合わせて生きていかなければならなかったから。
「美味しい」、「不味い」。
自分の得意分野だ、でも。
分かりたいのに。
そう捉えて、多少悲観的になって、出来ないことに一定の劣等感は覚えていた。
だがそれでも、「味」はすべてに共通して等しく存在するものであり、「美」か「醜」かならともかくとして、「美」か「不」かに分けるものではないと主張もしていた。本気で、だ。
無論このような少年、周囲からは異端児として扱われ、複数の同級生から揶揄われたこともある。
しかし。
「あなたって、『未来』じゃなくて『味蕾』よね。存在自体が」
一人いる仲の良い友達は、未来という人物を、自分特有のフィルターにかけることなく、受け入れてくれ。
ありのままに、クールに気高くこう評す。
自分は「味蕾」、感覚器官のようなものである。ただそれだけである。
ここから言いたい、繋げたいことは。
要は彼にとって、朝夕の通勤通学帯の駅に群れ群れする人混みは、普通の人よりも疲労を伴うということだ。
確率変数的に動く遮蔽物の中を通り過ぎる精神的疲労に加えて、様々な人、様々な電車、様々な広告、様々な景色の「味」が。
どっと津波のように、脳に押し寄せる。
例えフォン=ノイマン並みの情報処理能力が彼に備わっていたとしても、この情報量へとスムーズに対応することなんて、出来やしないに違いない。
そのくせ未来には、「美味しい」か「不味い」かは置いといて、「好き嫌い」の概念くらいは備わっているものだから、無意識のうちにカテゴライズしてしまう。
感じてしまった「味」について、脳が勝手に「好き嫌い」を判断してしまう。
勝手にやってることなのに、さらに糖分というコストまで要求してくるのだから、脳とは本当に勝手である。
普通どおりに通学すれば、学校に着く頃には疲労困憊。
高校生になって電車通学を強いられた未来は、やってられるかと憤り。
高校一年生の一年間で、死ぬ気になってブラインドウォークを習得した。
目を瞑ってさえいれば、暗闇と、耳から入ってくる雑音の「味」しか感じない。
ああ、本当に楽だとリラックスして、瞑目しながら今日も人混みの合間をスルスルと通り抜ける未来。
彼に目前を通り抜けられた、これから仕事場に行く会社員は、思わずして二度見する。
何も見えていないはずなのに、慣れた足取りでプラットフォームのベンチ指定席に一直線に向かい、座る。
今日こそ誰も座っていなかったが、誰かが座っていたとしても、彼が来ればスッと席を譲った。
ぶつかられちゃかなわんとか盲目かもしれない少年に席を譲ってあげようとか、そういう理由でだ。
ドカリと座して電車を待っていると、頭に一つどうしても、とある考えが生じた。
いつもはする「味」を、今日は感じない。
だが、その理由は分からない。
ここで「味」を感じる日常ルーティーンなんて、あっただろうか?
自分に問うてみても、「記憶にございません」と言ったところか。
これでは政治家の言い分も、馬鹿には出来ない。
「おかしいな。仕方ない」
封印の瞼を開く。
一気に、止め処なく入り込んでくる情報。
クラッと酔うが、なんとか周囲を見回して、横の空席に気づいた。
どこからともなく溢れる、違和感。
ここが空いているのは、おかしい。
未来の「味覚」が、忠告する。
否、ここはいつも空席だったはずだ。
未来の「記憶」が、それに反論する。
脳内で突如として勃発した戦争に、頭がズキズキと痛み。
まるでそうしなければならないとでも怒鳴り立てるように、幼少の時分まで「記憶」と「味覚」が激しく逆流して。
「記憶」の中の人物。
自分の父が本来持っている「味」と。
「味覚」の憶えるその「味」が。
厳然として異なる場面があるという、決定的な齟齬に気づく。
「あ、れ・・・?」
横の空席に、いつも座っていた。
「記憶」にはないのに、「味覚」では
「九堂の、親父・・・?」
俺を「味蕾」と称した友人、九堂の父親が。
駅で電車を待っていれば、いつも隣に座っていて。
学校のある毎朝、世間話をしなかったか?
がたんごとん。
がたん、ごとん。
プシュー。
電車がやってきて、ティントン、ティントンという機械的な音と同時に開く乗降口。
久方ぶりに感じる、電車の「味」。
しかし今は、それどころではなく。
「なぜあの人を、忘却していた・・・?」
顎に手を当て。
冷や汗を流し。
「なんで『九堂智文』という存在が、記憶から抹消されていたんだ・・・??」
乗降口は閉まり。
乗るはずだった電車は、駅から発してしまう。
電車が人をたくさん持ち去ったせいで、少々空いたプラットフォーム、その真ん中あたりにある青と白のベンチ。
その一席で。
主張の強い疑問符に脳を締め付けられる未来は、固まったまま動けなかった。
こうして。
「味覚少年」北海未来の、忘れられない高校二年生の五月が。
幕を上げたのだった。
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