第20話 甘くしっとり柔らかく

あたりはすっかり暗くなっていた。

二人が歩く石畳を、ガス灯が仄かに照らし、地面に柔らかい二人の影を落としていた。

その二人の陰は、しっかりと手が繫がれていた。

街は薄暗く、街灯以外の明かりはほとんどなく、軒並み並ぶ建物も、ほとんど明かりが灯っていなかった。

 そんな中、一件の建物の窓は、比較的明るい光を放っていた。

「さぁ、着いた。君の言っていた、三途の川にある茶屋の三河苑。と、言うのは冗談だけど。ほら、向こう側には川が流れているんだ」

青年リブルが案内してくれたのは、パンケーキのお店だ。

 石造りの建物で、中世の西洋建築の建物は、お店の雰囲気によくあっていた。

 お店の向こう側は、リブルの言う通り、大きな川が流れていそうだったが、暗くてよく見えなかった。

 扉を開けると、乾いた鐘がからんからんと鳴る。

「いらっしゃいませ。あいている席にどうぞ」

 中にいた若い女性の店員さんは、白のワイシャツに黒のエプロンをして、出迎えてくれた。

普通にアルバイトの方だと思われるが、見た目は日本の女子高生か女子大生だ。

「ここって日本なんだ。てっきりヨーロッパの古い街かと思ったわ」

「落ち着きがあって、いい感じのお店だろう。紗百合が好きそうな景観だろうなと思ってね」

 リブルが奥の窓側のテーブル席に座った。紗百合もその向かい側に座る。

 窓から見える景色は、本来なら大きな川が見えて、景色を楽しむことができるのだろうが、今は暗くて何も見えなかった。

青年リブルは、店長おすすめパンケーキの紅茶セットを二つ頼んだ。

「あれ、何だかこの状況、前にもあったような……」

 紗百合は、最近行ったカフェのことを思い出す。

 橘京花さんに、京花ちゃんに、あとは誰かと来たかな、と。

「ねえ、リブルって本当の名前は何なの? 前にもどこかで、こんなふうに会ったことなかったかな?」

「さあ、僕は知らないよ。君の記憶はいい加減だからね。誰かと勘違いをしているのだろうさ。僕の本当の名前は、今は教えられないよ。さて、おすすめのものでいいかな、飲み物は紅茶でいいね」

「ぁ、ぅん。任せるわ。リブルは、このお店へ来るのは初めてなの?」

「このお店のことは、よく知っているけれど、入るのは初めてなんだ。僕は君と違って、それほど甘党ではないからね。こんな機会でもないと入らないよ」

「そもそもリブルが、こんな男子だったなんて思わなかった。うちの学校に来たら、きっとモテるだろうね」

「それは、学校の生徒さん達の異性の好みは、君と同じってことなのかな?」

「は? 何を言っているのか、わからないわ」

「つまり、君は僕のことを高く評価しているってことさ」

「まぁ、否定も肯定もしないわ。そうね、この際だからいろいろ聞いてあげるわよ」

「うん。そりゃ、尋ねたいことはあるけれど、逆じゃないかな。この場合」

「本当は知りたいことだらけ。でも、知らない方がいいってこともあるでしょう? いまここに、目の前にちょっとイケメンのリブルがいて、おいしいしパンケーキをご馳走してくれて、一緒に紅茶を楽しんで…… いまは、それだけでいいかなって思うんだ。いまは、これ以上は望んでいけないの。聞けば、真実を知れば、きっとリブルの存在は、遠くなってしまう。そんな気がしたの」

「君がそう言うなら、君のことを聞いてあげよう。一応、知ってはいるのだけれど、あえて聞いてみようかな。そうだな。まずは、君は朝食は食べる派、食べない派? 食べる派だったら米? パン?」

青年リブルに見つめられて、出てきた質問は、なんともたわいのない内容だった。

もっと、女心に触れる質問が来るのかと思っていたのだが……

「……は? こ、米派だよ。朝はやっぱりお米だよ。あの、あつーいご飯の一口目といったら、格別だよね。正直あとお味噌汁さえあれば、本当に何もいらないのに、世の人たちは、振りかけだの、のりだの、キムチだの、明太子だの、上に乗っけて食べる連中の気が知れないわ。きっとあいつらは、本当のお米の味を知らないんだわ。炊き方が悪いか、コメが悪いのよ。だから、おいしくないし、それを補うためにああやって邪道な食べ方をするのよ」

 リブルは思った以上の回答をもらい、たじろいだ。

「ね、ねえ、紗百合はカレーとかは食べないの? と、いうか、カレーは好き?」

「もちろん。大好き」

 紗百合は、えっへんと踏ん反り返り、待ってましたと言わんばかりに答えた。

「さっきの話と、矛盾していないかい?」

「わかっていないわね、リブルは。ミーハーなーんだから、どーせい、朝食はパン派、もしくはシリカ派で、たまに食べるお米には物足りないとかいって、なんでもかんでも載っけるのでしょ? カレーというのは、お米と一つになってやっと完成するの。お米単体でも完成しているけれど、カレーと言うのは、さらに上級な料理なの。つまり一対一で向かい合って、お互い足らないところを補って補完しているからおいしいのよ。完成されているの。他にもあるわよ、お寿司とかチャーハンとかね。あ。そうだ。卵かけごはんとかもね」

「ぁ。そう、なの? かな…… でも、寿司だって米の上にネタが載っているだけじゃないのか?」

「ぁー、これだから、日本のお米文化は、すさんでいくのよ。じゃ聞くよ。お寿司は、お米に刺身をトッピングしているわけ? 違うでしょ? ふりかけは、上から振りまいただけ。これはトッピングでしょ?」

「ぁぁ。なんとなくわかった気がする。……したと思う…… 僕はおいしいければ、どちらでもいいと思うけれどな」

「でもね。そういう前に、本当の味を知ってもらいたいのよ。でも、出てきた料理はしっかり食べてね」

「ああ、感謝して食べているよ」

 紗百合のにっこりした笑顔に魅入ってしまった。やはりこの人なのだな、と。

「紗百合のことは、何でも知っているつもりだったけれど、やはり聞いてみるもんだね。答えは知っていても、答え方は知らないからな。会話って大事なのだな」

「何言ってんの。当たり前じゃない。学校のテストじゃあるまいし、答えはいくらでも存在しているのよ」

「へえ、数学が得意な君から、出る発言ではないと、思うのだけれどな。数字の世界はちゃんと答えがでる。ちゃんと決まった法則によってね」

「それは、一定の環境下の話で、実際そんな常に一定の環境なんて存在しない。だから答えも一つじゃないと思うわ。そうでないと、夢がないもの。つまらないわ。それに、数学はそんなに得意じゃないわよ」

「あれ、おかしいな。テストではいつも、いい点数を取っていると思ったのにな」

「点数がいいからといって、得意科目って訳じゃないのよ。数学なんて法則に従って数字を当て込むでしょ。あの感覚が嫌いなの」

「そ、そうかな。僕はパズルみたいな感覚でやっているから楽しいと思うのだけれどな」

「それは男だからよ。支配欲が強い男たちは、ゲームが好きなんだわ。難しいほど燃えてくるんでしょ? 私、そーいうの苦手なの。めんどくさいのが。ちなみに得意な科目は歴史ね」

「え? 意外だな。点数もそんなに良くないのに」

「テストの点数にこだわるのね」

「だって、点数が取れない、つまりできない、理解していないってことに、ならないかな?」

「わかっていないわね、リブルは。テスト受けたことあるの? そもそも、学校に行ったことあるの?」

 紗百合は、少し期待感を胸に、聞いてみた。もしかしたら、どこかで会っているのではないかと。

「もちろんないよ。だだ情報としての概念はあって、どんなところなのかは知っているよ」

「それはね、知っているつもりであって、知っているとは違うんだよ。ねえ、今度一緒に学校に来てみない?」

「何を言っているかな。僕はいつも紗百合と一緒に学校に行っているじゃないか」

「違うよ。学校を体験するのよ。クラスメイトの一員になって、学生生活を送るのよ。きっと楽しいわよ」

「……そうかもしれないね。きっと楽しいだろうな。毎日こうやって、くだらないこと言って過ごせるのだろうね。確かに憧れてしまうよ。紗百合と一緒に生活できたら楽しいだろうな」

「ちがうよ、学校生活。生徒になって学生生活を桜花するのよ」

「なあ、紗百合。僕と一緒に暮らさないか、って言ったらどうする?」

「え? シャアハウスで暮らすってこと?」

「少し違うのだけれど……」

「学校には寮はあるけど、私は入れないんだ」

「それも違うのだけれど」

「ぁ、そう言うことか。別にいいよ。うちはペットは飼えないけど、姿が見えないのなら大丈夫。ねこまんまにはちゃんとネギ抜くから」

「ぁ、ぃゃ、猫の姿でではなくて、この姿でなんだけれどな。こちらの世界でなんだけれど。どう?」

「え? 言っている意味がわからないわ」

「じゃ。こう言おうか。……同棲しないか」

「ダメに決まっているじゃない」

「即答だな。少し傷つくぞ……」

「わかっていないのは、あなた、リブルよ。女心をわかっていないわ。物事には順序があるのよ」

「聞いてみただけだよ。現実問題、無理な話だしね」

「じゃあ。私が、いいって言っていたら、どうしていたつもりなのよ」

「現実問題、無理な話って説明する」

「それこそ、私が傷つくわ」

「でも、そうだったら、すごく嬉しいけれどな。無理かも知れないけれど、無茶はできると思うよ」

「そう、ぁあ。まあ、いいや。そうなの。あなたちょっと無神経よ。ストレートしか投げられないの? たまには牽制球とかカーブとか投げられないの?」

 青年リブルは、いつもと違う雰囲気で、しかも真顔で言ったから、紗百合は照れてしまい、視線を窓の外に移した。

 外は日が暮れて闇のベールが空を覆っていたが、川沿いのガス灯が、柔らかく幻想的に街を照らしていた。

 そこへエプロン姿の店員さんがやってきた。トレイには二つの大皿と、ティーカップが載っている。

「お待たせしました。店長おすすめパンケーキ2つと、紅茶セットのダージリン2つですね。どうぞごゆっくり」

「やった。きたきた。パンケーキっ!」

 途端にはしゃぎだした紗百合に、リブルは苦笑した。

「君はみていて飽きないな」

「ほらぁ。食べるわよ。うわぁ。アツアツだね」

 テーブルに置かれたパケーキは、一言でいえばプーレンタイプだった。

 シンプルなパンケーキが、二段になっており、真ん中にバターがとろけて載っている。

 皿の隅にトッピングの生クリーム、つぶあんが添えてあった。それと、小瓶に入ったメイプルシロップだ。

 今時のパケーキにしてはシンプルだ。

 最近の受けているパンケーキは、上にどさどさと何だかんだと、盛っている感じがあり、中身より外観に力が入っているものが多いが、ここのパンケーキは主役は、あくまでもパン生地なのを主張していた。

 紗百合の目が輝いていた。

「いただいますっ」

 フォークとナイフを取り、左隅を切る。

 まずは何もつけずに一切れ食べた。

 口の中でサクッと表面の香ばしさが伝わる。その後にふわっとした感触と甘みが広がる。

「これは、いいね!」

 次は、メイプルシロップをかけて食べた。

 紗百合の目が見開く。

 口の中で、さっきの食感と、メイプルシロップの香りが鼻腔まで突き抜け、程よい甘さが生地と絡み、生地の甘みと柔らかさと、メイプルシロップの香りと甘さがうまく融合して、一つのものとして完成されたおいしさを、口の中に誕生させていた。

 リブルもまずは、何もつけずに食べ、その後にメイプルシロップをかけて食べた。

思わず口を開いた。

「これは本当においしいね。見た目は普通だけれど、中身は本物だ。それにこのメイプルシロップが決めてだな」

「そう、このメイプルは、このパンケーキのためにある。その逆も然り」

 さらに、一口食べる。

 最初の感動まではいかなくても、変わらないおいしさ、すっきりとした甘さで飽きがこない。

 さらに一口食べる。

 これは、いくらでも食べられるパターンか。

 生クリームもあるぞ。

 つぶあんもあるぞ。

 黄金比はメイプルに軍配は上がるだろうが、どれをつけても、これはハズレはなさそうだが、次はどれでいく……。

 いや、まて、ここはまず口直しに、紅茶を飲まなくては。

 せっかくの共演を、最大限で楽しまなくては……。

 むむ、この紅茶凄い。何て香りの広がり方……。

 渋みと甘みと旨みの融合、熱さと帰化した香りが、口と鼻の中に広がるんだ。

 これも、いいね!。

 黙々と食べ飲み続ける紗百合に、リブルが声をかけそびれた。

「紗百合、食べることになると燃え上がるな。その情熱はどこから来るのだい」

「何をおっしゃる、男性諸君。女子はこのために生きているのよ。これ以上の幸福が他にあって? 幸せを噛みしめるとは、正にこのことだわ。あぁ……」

「……本当に幸せそうだね。そんなに喜んでもらえるなんて、僕も嬉しいよ。ここのパンケーキだったら、君の好みかなって思ったんだ」

「リブルは分かっているわね。お米と同じだよ。本当においしいパンケーキは、当然何もつけなくてもおいしい。小麦、卵、砂糖、厳選された食材に、生地の作りと、焼き方の全てが良い方向に向かっているから、こんなおいしい物ができる。それにメイプルが融合すると、別の完成されたパンケーキになってしまう。でも、やっぱり決めては、焼き方じゃないのかな。メイプルに合うように香ばしく焼いているのがわかるわ」

「君は食べただけで、そんなことがわかるのかい?」

「普通はわかるわよ。それに、この味、この焼き方は、私の知っているパンケーキに、よく似ているもの。何だか懐かしい気がする」

「へえ。そうなんだ。以前にもこんなお店があったのかな」

「ぅーん。わからない。でも、最近ではないと思う。だって、そんなに行ったことないから。どこだったのかなぁ。こんなにおいしくて、懐かしい感じがするお店なんて、全然記憶がない」

「君の記憶は、あまりあてにならないけれどね」

「え? 何か言った?」

紗百合の冷たい視線が、顔に何本も突き刺さった。

「いえいえ、別に…… もう一つ追加しようか? その勢いだと簡単に食べられるのじゃないかな」

 紗百合は首を横に振った

「ううん。今日はこれで満足。また来たときの楽しみにしとかなきゃね。ぁ、でも、どんな人が作っているか見たいな。さっきのウエイトレスさんではないんでしょ? ちょっと覗いてきてもいいかな?」

「別にいいよ。邪魔さえしなければ、覗くくらいならね」

「じゃ食べたら、見てこよっと」

いつもに増して、食べているときの、紗百合のテンションは上がっていた。

 と、奥のカウンターから、若い女性が姿を現し、こちらへやって来た。

 髪はナフキンで縛り、白いエプロンで身を包んでいた。

「そんなにおいしかったの? うちのパンケーキ。嬉しいなー。最近どこでも流行っている、あれこれトッピングするものが世間にはあふれていて、本来のパンケーキの味が、世間には伝わらなくなって、残念だと思っていたけれど、ちゃんとわかる人にはわかるんだね。やっぱり食べてみないと、ここの味はわからないんだよね」

「ぁ、あの……」

「私はここの料理長ってやつさ。おいしかっただろう? うちのパンケーキ」

 若い女性は、紗百合より少し年上だろうか、二十歳前後にみえた。

 少し照れながら、女性は頭の布巾をとった。

 紗百合は、現れた料理長を見て、体が固まった。

 そして、自然と立ち上がってしまった。

 女性を見る紗百合の瞳から、大粒の涙があふれだした。

「……そんな、これは夢だよね……」

「そう? でも、夢でも構わないだろう? 紗百合、大きくなったな。私に似て美人だよ」

 紗百合は、目の前の女性に抱きついた。

「おかあさんっ! 会いたかったよっ!」

紗百合は、女性の胸に飛び込み、その中で声を出して泣いた。

今まで耐えてきた感情からできた、塊みたいなものが一気に噴き出たように、もしくは、今まで閉じていた涙腺管が、限界を超えて弾けたように、紗百合の目からは涙が流れ続けた。

胸の中で大声で泣く紗百合に、女性は優しく抱きしめた。

「こらこら、人前だぞ、そんなに泣くなよ。もう、大人なんだから…… って、言っても無理か……」

 女性は、紗百合の頭を優しくなでた。

 その間も、大きな声をあげて紗百合は泣いた。

「ごめんな、紗百合。突然いなくなって。ちょっとヘマやらかしてしまって、戻れなくなってしまったんだ。本当にごめん……」

 泣きじゃくっていた紗百合が、ようやく顔を上げた。

 涙と鼻水で、顔がくしゃくしゃになっていた。

「夢でもいいから、また会いたいって、ずっと思っていた…… 本当におかあさんなの?」

 女性は、ポケットからハンカチを出して、紗百合の涙と鼻水をぬぐった。

「せっかくの美人が台無しだぞ。そんな顔するなって。そうだよ、紗百合のおかあさんだよ。驚いたかい?」

「うん、パンケーキ食べたとき、思い出したの。この焼き方と味付けで。まさかだと思ったけど…… 本当にお母さんなんだね」

「ほら、もう泣くなって。せっかくのパンケーキが冷めてしまうぞ。リブル、ご苦労さん。これからも紗百合のことを頼んだわよ」

「お母さんとリブルは知り合いなの? ってことは、私と同じってことなの?」

リブルは二人の涙の対面を温かく見守っていた。

紗百合の涙がようやく止まりかけ、リブルは話しをした。

「君は罪人。君のお母さんは、フリーの覚醒者さ。ほかにもいただろう? 似たような人が」

「でもね、私は戻る体がないから、死者として扱われているんだけどね、今日は特別なんだ。その気になれば、ここの世界まではいつでも来られるの」

「つまりは、世界の許可が出ているってことだよ。過去に世界に貢献した者は、こうやって待遇されるんだ。君のおかあさんは、君達の世界を救ったんだよ」

「これこれ、リブル。その辺は言わなくてもいいよ」

「え? おかあさんって、いわゆる救世主ってやつなの?」

「そうさ、君達が現在平穏に暮らせているのは、そのおかげなんだよ。その代償で、体を失ってしまったけれどね」

「こら、リブル。よけいなことを言わないの。紗百合に変なプレッシャーをあたえるでしょ」

「いいんだよ。紗百合が欲しているのは、あなたの生き様で、生きた証だ。君の世界を、危機から救ったから、今の生活があるんだよ。紗百合、君は自分の親を誇りに思っていいんだ」

「……うん。私の自慢の、おかあさんだから」

止まりかけていた涙が、再び溢れ出した。

「……紗百合。もう、無理をしちゃだめだよ。私みたいになってしまうから……」

「大丈夫よ。紗良や、おばあちゃんや、お父さんを、心配させたくないから。ごめんなさい…… 今頃、紗良が心配しているよね……」

 前回、病院で妹の紗良が泣きじゃくっていたのを思い出した。

 今回もきっと、同じように心配しているだろう。

「そうね、紗良も大きくなったわね。二人とも私に似て、行動的なのが心配だわ」

「紗良は、私より積極的だから、いつか私達のことに気付くかもしれないね」

「そのときは、そのときだよ。四人でお茶ができて、いいじゃないか」 これはリブル。

「リブルは無責任ね。紗良を危険な目に合わせたくないって言っているのに……」

「まあ、いいじゃない。今はこうして紗百合に会えたんだから。これも何かの縁というやつよ。先のことは分からないんだから」

「おかあさんは、ずっとここのお店にいるの?」

「そうね、そうかもしれないし、いないかもしれない。でも、紗百合がこのお店を訪ねてきてくれるなら、いつでもいるわよ」

「……そっか。じゃあ、また会いにいくね。今は会えただけで嬉しいから。それに、パンケーキ、とてもおいしかったよ」

「いつでも来てね。それから、うちの人に、よろしく言っておいて」

「うん。わかった。……っても、誰も信じないだろうな。おかあさんは、こっちでは淋しくないの?」

「こっちはこっちでね、忙しかったリするのよ。それに、いつもあなたたちを見守っているから、全然淋しくないんかないわよ」

「よかった。私も安心して元の世界に戻れそう。きっと紗良が心配しているから、早く帰らないと」

「でも、その前に、ちゃんと私のパンケーキを残さず食べていってね」

「うん。もちろんよ。残すわけないじゃない」

「それじゃ、ゆっくりしていってね。リブル、紗百合のこと、よろしくね」

 若い女性の料理長は、もう一度紗百合を強く抱きしめ、解放した後、片目をつぶって席を後にした。

 残され紗百合は、感動と喜びで心を満たし、半ば放心状態だったが、リブルの視線を感じて、席に着いた。 

「ふー。驚いちゃった。これは、リブルの計らいなのかしら。意外と私のハートを別の角度でつかんでくるのね。でも、ありがとう。本当にうれしかったわ。直感でおかあさんだと思ったんだけど、それにしても若い人だったな。私より少し年上ぐらいに見えたけれど」

「そうだね、それくらいなのかもしれないね。こっちの世界は年齢の概念がないからね。一番活発な時期の、年齢になっていたのではないのかな」

「私の知っているおかあさんは、そのときは28か29歳だったけど、今のおかあさんは、20歳ぐらいだったね」

「まるで、君のお姉さんみたいな印象だったね」

「姉? そうだね。私に姉がいたら、全然違う人生になっていたんだと思うよ。ほんと、あんなお姉さん、憧れだな」

「さあ、どうなのかな。君はやっぱり君だよ。たぶん、姉がいても変わらないと思うよ」

「そうかしら。きっと誰かに甘えたい願望があるんだわ。うちには、おばあちゃんがいたから、まだ救われたのかもしれないわね。でも、やっぱり、身近な人に甘えたいな」

「それじゃ、とりあえず、甘いパンケーキで甘い思いをしたらどうだい」

「そうだね。今の私には、おかあさんの手作りのパンケーキがあるもんね」

 紗百合は改めて、パンケーキを口にした。何口食べても変らぬおいしさ。再び感動がよみがえる。

 気づいた時には自然と涙が出ていた。

 込み上がった思い出と、この味がシンクロして。思いのほか感動的な味になっていた。

 紗百合にとって、一生涯、忘れることのない味になった。

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