第18話 極楽浄土

紗百合は目を覚ました。

 どうやら少しの間、寝ていたようである。 たまに吹く風が冷たく、肌をくすぐり心地いい。

 目の前には、大きな木の枝が横に広がり、木漏れ日から、たまに当たる太陽光にまぶしさを覚える。

 体を起こすと、大きな木の下の芝生の上で、寝ていたことに気が付いた。

 いい天気だ……

空は高く、深いブルーに染まった天と、青々と広がる緑の芝生は、深いコントラストを出し、形容できない美しさで、紗百合の目を潤した。

遠くには、岩肌を晒し出した山々がそびえ立ち、天辺は粉砂糖をまぶしたように真っ白だった。

なんて清々しいのだろう。こんな気分になるのは久しぶりだ。 

 ここは山奥の、丘の上なのだろうか。

向こう側の丘陵地には、一面野生の花が咲き誇っている。

 赤白黄青紫等、彩りの花々が咲き広がる風景に、紗百合は心を奪われた。

きれい…… こんなお花畑を見るのは、いつ以来だろう……

「やあ」と、後ろから声がした。

座ったまま振り向くと、少し後ろで見たことのある男性がいた。

いつの間にいたのだろう。

もしかしたら、自分が気が付かなかっただけで、元々そこにいたのかもしれなかった。

20歳前後の、長身で細身の男性は、よく見れば結構な美男子だった。

 髪は黒かったが、顔立ちは西洋人に近い。

 紗百合はこの男性を知っていた。

 知っているはずだった。

 男性はアキレスだ。

しかし、その名前を思い出すことはできなかった。

「ぁ、あなたは……」

 紗百合は頭の中にもやを感じた。

 確か、この人と最近どこかであった気がする。

それも、ごく最近だ。

「君は、紗百合君だろう? 僕のこと、覚えていないのかな?」

 アキレスは優しそうに微笑んだ。

 その表情で、まじまじと見つめられて、紗百合の鼓動は高鳴り、つい視線をそらせてしまう。

「ごめんなさい…… すぐそこまで、でてきているんだけど…… ごめんなさい、思い出せなくて……」

 自分の頭を、軽く小突いて見せた。

「無理して思出すことはないよ。それとも、デジャブってやつかな。君はきっと、夢の中で僕と会っているんだよ」

「夢の中?」

 紗百合は何だか、その言葉に不思議な感覚を覚えた。

 記憶の中にとても大切な何かがあったような気がした。

大切な思い出だったかもしれない。

 何だったかな?

 きっと、先程寝ている間に、夢を見ていたのだろう。

そのときに、この男性が夢に現れたのかもしれない。

 目が覚めて、目の前の男性に声をかけられて、きっと夢を見ていたとしても、忘れてしまったのだろう。

「そうね、あなたとは夢の中で、会ってたのかもしれないわね。えーっと、あなたは……」

「冗談だよ紗百合君。アキレスでいいよ。こうやって会うのは2回目だけど、やっぱり覚えていないのかな?」

「やっぱり、どこかであっているんだ…… えっと、……アキレスさん。お久しぶりなのかな?」

「そうだね、紗百合君。こうやって2人で話せるなんて嬉しいよ。以前の君はね、全然相手にしてくれなかったから、僕のこともすぐに忘れてしまったんだろうね」

「……そう、なんだ。ごめんなさいね。きっとそのときは、急いでいたんだと思う。でも、今日は大丈夫よ」

 紗百合はそう言ったが、何が大丈夫なのだろうかと考えたが、それ以上の思考は回らなかった。

 綺麗なお花畑があって、天気が良くて、涼しくて、風が心地よくて、そして目の前には、素敵な男性がいる。

 この人とお話をしてみたい。

 紗百合の思考は、それ以上のことは回らなかったのである。

「君はやっぱりいい子だね。僕の思っていたとおりだよ。さあ、少し歩こうか。立てるかい?」

 アキレスは手を差し出した。

 紗百合はアキレスの表情を伺う。優しそうに紗百合を見ていた。

 紗百合は少しだけ躊躇したが、そんな優しそうなアキレスを見て、その手を握った。

 暖かかった。

心地よかった。

胸の鼓動が高鳴った。

 アキレスが手を引っ張り、紗百合を立たせた。

「ぁ、ありがとう……」

「紗百合君。手が冷たいよ。寝ている間に体を冷やしたんだね」

 ちょっと待ってと言って、アキレスは自分の着ていたジャケットを脱ぐと、紗百合の肩にかけてやった。

 体温のぬくもりが衣類を通して伝わった。

 暖かい…… ぬくもりの暖かさとは別の感覚の暖かさが紗百合を包んだ。

 アキレスは、下着に黒いタンクトップを着ていた。

鍛えられた肉体は、その上からでも十分に分かるものだった。

「ぁ、ありがとう……」

 紗百合は顔を染めて、目をそらして言った。

「紗百合君、花は好きかい?」

「え? はな? えぇ。まぁ。好きですよ。でも、全然名前とか知らないんです。よく道端で咲いている花とかを見て、あ、可愛いなと思うんだけど、それが何て花とかは知らないんですよね。これって、好きになるのかな」

「花を見て感情を抱く。これは興味があるから、関心があるからだよ。それが、綺麗、かわいいと思うのなら、つまり、君は花が好きってことだよ。ここはいいだろう?」

「ええ。素敵なところです。私もこんな一面のお花畑なんて、初めて見たわ。ちょっと感動してます」

「そう、花は見て楽しむものだ。名前や品目を知らなくても、綺麗なものは綺麗なんだよ。そりゃ、花言葉や品種を知っていれば、もっと愛着も湧くけれどね。僕としては、そんな前書きなんかなくても、綺麗とか好きって言ってくれた方が、嬉しいけれどね」

「アキレスさんは、本当に花が好きなんですね」

「そう、綺麗だから、可愛いから、可憐だから、いろいろ理由はあけれど、なぜかな、ただ漠然と見ていて飽きない。見ていると気分が落ち着くんだ。何だか君を見ているのと、似ているね」

「は? ぃ? ぃえ、そんな……」

紗百合は言葉を詰まらせた。

「アキレスさんは、単純に花のことが好きなんですよ。それだけです」

「そうかな。ねえ、どうして花は綺麗なんだろうね。こんなに色とりどりの色彩や、花の形は、単に受粉をするために、虫たちを誘うためなのだろうか。虫たちは、花を綺麗だと感じているのだろうか。風の力で、花粉を飛ばす花だってある。花はどうして綺麗になってしまったのだろうって思わないかい。きっと理由があるはずだ。別に綺麗じゃなくても、受粉はできるのに、甘い香りだけでも虫たちを、誘うことができるのに、どうして花は、可憐で美しいんだろう」

 紗百合は少し考えて、答えた。

「それは、やっぱり虫達も、お花が好きだからだと思いますよ。特に理由はないけれど…… 虫たちに花粉を運んでもらっているのだから、せめてのものの、お礼なのだと思いますよ」

「君にそう言ってもらえると嬉しいな。ちゃんと虫達にも、存在する意味はあって、それを受け入れてくれる場所があるってね。

僕には他人事ではないような気がするよ」

「虫達の協力があって、花は咲くのね。だから花は虫達を呼ぶために、綺麗な花を咲かせるのか。アキレスさん、なんだか自分は虫みたいって言ってるから、何だかおかしいわ」

「そうかな。でも花に惹かれてしまうのは、やっぱり綺麗なのが、一番の理由なんだろうね。君を見ているとそんな気がするよ。人だって、綺麗な人に気が向いてしまう。僕だって君に惹かれてしまう。だって、紗百合は綺麗だからね」

「あ、えっと、ちょっと、私はそんなんじゃないよ……」

 紗百合はアキレスの突然の言動に、気が動転して言葉を詰まらせた。

「ほら、もっと見させて。僕は花が好きなんだ。ずっと見ていても飽きない」

 アキレスは紗百合の手を取り、もう片方の手を肩の上に置いた。

「君は僕を受け入れてくれるのかい?」

「……ぇ?」

 まっすぐな目で見られて、紗百合は視線をそらすことができなかった。

 アキレスの顔がゆっくりと近づいてきた。

 優しい眼差しは、紗百合の心を次第に溶かしていった。

 そして、唇が重なりあった。

 暖かい感触と、柔らかい感覚が融合し、不思議とこの心地よい感触に、紗百合の心は魅了されていった。

 ほんの数秒間、紗百合はこれまでにない至福感を知った。

 体が何かに包まれるような、暖かく、心躍り、安らぐ感覚。

 幸せって、何かと聞かれて、人のぬくもりと答える人のことが理解できた。

 そう、今、私は幸せを知った……


 紗百合の背中に衝撃が走った。

 それも数回。

まるで、飛んできた棒が背中に直撃したような衝撃だった。

 紗百合は息が詰まった。そして、今までに感じたことのない激痛が走った。

 口から血が溢れる。

 その血がアキレスの唇も汚した。

 アキレスも驚き、紗百合を見て騒然とする。

 紗百合の胸のあたりから数カ所穴が開き、血が溢れでていた。

 そして、自分の胸にも同じように、数カ所から血が溢れでていた。

 紗百合が力無く崩れる、それをアキレスは支えた。

 アキレスも激痛で顔をしかめたが、紗百合の苦しんでいる姿を見て、必死に我慢した。

 紗百合の背後、遥か向こうで、こちらに銃口を向けている女性がいた。京花だった。

 30mほど離れた場所から、紗百合を撃ったのだった。

 京花が声を張り上げている。

「さゆりっ! 大丈夫かっ!」

「……君はひどいね。2人の恋路に嫉妬したのかい? 2人まとめて削除するつもりだったのかい?」

 紗百合は激痛と出血で意識がもうろうとしていた。

 足に力を入れて、倒れないように踏ん張ったが、うまくいかない。

 目の前には、さっきまで優しく語ってくれたアキレスが、血まみれになって、苦痛で顔を歪めていた。

 優しくキスをしてくれたアキレスと、カテゴリー5のアキレスが、同じ存在なのだと知った。

「……ごめんなさい。私、あなたのこと、嫌いじゃないよ…… でも、受け入れることはできない…… ごめんなさい…… ごめんなさい……」

 紗百合の瞳からは、大粒の涙があふれていた。

そして、アキレスの手を振りほどいた。

 もう、お花畑はなかった。

 心地良い風も吹いていなかった。

 木漏れ日からの眩しさもなかった。

 でも、そこには優しい表情のアキレスがいた。

 紗百合を貫通した銃弾は、アキレスの体に着弾して浄化作用が始まっていた。

 弾痕箇所が青く膨れ上がり、四散するのをアキレスは抵抗していた。

「ごめんなさい……」

 紗百合は涙を拭って、腰にあった脇差しを抜いて横に払った。

 その瞬間、紗百合の頭にアキレスの声が聞こえた。

(短い時間だったけど、楽しかったよ。また、会える日まで……)

 紗百合の脇差は、アキレスの首を捉え両断した。

 勢いで首は宙を高く舞った。

 首からは鮮血がほとばしり、周囲を血で染めた。

 遠くから銃声がして、高く上がったその首は、空中で粉々に吹き飛び、紗百合を返り血で赤く染めた。

「……皮肉なものね。いくら花が好きでも、最後にこんな花を見せつけられたら、トラウマになってしまう……」

 京花は喜ぶだろうな………… 

 山茶花の中にバラを咲かせたって…………

 紗百合は力尽き、そこに崩れた。

「大丈夫かっ、紗百合っ!」

 京花が駆けつけた。倒れた紗百合の頭を膝の上に載せて、頭を優しくなでた。

「すまないな…… 痛かっただろう……」

 ポケットから手ぬぐいを出して、顔と口に付いた血を拭った。

 激痛のはずだった紗百合だか、不思議と穏やかで、柔らかい表情をして気を失っていた。

 こんなになっても、夢を見ているのかね。この、能天気お嬢様は。

 2人の周りでは青白い光があちこちで四散していた。

 まだ残っていた虫達が、二人に襲いかかろうとしていたが、知紗の正確な射撃によって粉砕されていた。

「お疲れ様、紗百合。今日はもうゆっくり休め」

 京花は優しく、紗百合の髪をなで続けた。

 胸と腹に5箇所の銃創があった。血は止まっていだが、服は血で塗れて、下半身も真っ赤に染まっていた。

「すまんな。いい手がなくってな。お前を薔薇色に染めてしまったな」

 血の気が無く、たただでさえ白い肌が蒼白になっている。

……すまない。無茶させてしまった……

「おい、リブル。こいつ本当に大丈夫なんだろうな」

黒の子猫のリブルが、紗百合の胸の上に現れた。

(また容赦無く撃ったね。穴だらけじゃないか)

「ご、五箇所だけだ。だって死ぬことはないって言ったから……」

(あのさぁ。普通だったら間違いなく死んでいるよ。一発でも死んでいるのに)

「ゎ、悪かった。だから、助けてくれっ!」

(冗談だよ京花。君の判断は的確だったよ。カテゴリー5に身体を侵食されていたんだ。紗百合の身体を浄化するには、これしかなった。それに、五発撃たなければ、あいつは紗百合を離さなかっただろう)

「そう言ってくれると、助かるぜ……」

(それにしても、痛かっただろうな。こんなに穴だらけにされて)

「それをいうな。好きで撃ったんじゃない。そういえば、今回のカテゴリー5の討伐者は誰になるんだ?」

(それは京花だろう。致命打を与えたのは紗百合かもしれないけれど、トドメを刺したのは京花だ。君は誇っていいよ)

「紗百合と山分っていうのは、だめなのかい」

(紗百合はアシストが付くからいいじゃないか。それに、京花にカウントがついた方が、紗百合は喜ぶよ。後は先輩として振る舞えばいいんだよ。いっぱいご馳走したりしてね)

「そうか、そうだな。紗百合、またパンケーキ食べにいこうな」

京花は、膝の上で眠る紗百合に優しく言った。

夢の世界でも、夢は見るのだろうか。

 きっと楽しい夢を見ているだろうと、京花は思った。

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