第12話 ハートピア・タイム

ぁあ。眠れない。

 コーヒーの飲み過ぎだ。

 後悔してもしょうがない。

 どうにもこうにも、こういうときは、何もしないのが得策である。

 焦れば焦るほど、気が立って眠れなくなってしまうからだ。

 羊でも数えようか……

 そう言えば、AIも夢を見るとか、何かで言っていたな。

 AIも眠るのか? 確かにスリープはあるけれど、その状態で夢を見ているなんては思えない。

 スリープ、イコール睡眠ではないはずだ。

 ふと思った。

 眠っていなくても、意識だけあっちに行けばいいんだ。

 ……って、どうするの。

 ぅーん、落ち着け落ち着け。

 とにかく呼吸を整えて、深く息をして、リラックスリラックス。

 息を吐いてぇ、止めて、リラックス、すってぇー……

 しばらく自己流の呼吸をしていると、身体があったかくなるのを感じてきた。

 布団の中の暖かさとは違う、柔らかい包み込むような暖かみ。

 目を閉じ、それを実感していると、目を閉じているから視界は真っ暗なのだが、それが真っ暗ではなく、深い漆黒になっていくのを感じだ。

 闇の中にいるような、光のない世界にいるような。

 気がつくと、身体の重さを感じていなかった。

 闇の中を飛んでいる。闇の底に落ちている。

 紗百合は、あっちの世界に向かっているような感覚を実感した。

 恐る恐る目を開ける。

 自分の部屋の天井が見えた。

 夢の世界も現実の世界も、実質区別がつかない。

 手の甲を見た。特務の称号が現れると言うが、出てこない。

 あれ? ここはどちらなの?

 紗百合は、身体が軽いのに気がついた。

 部屋の中で浮いているようだ。

 ふと下をみると、誰かがベットで寝ている。よくみると自分だった。

 あれ? 私がいる。ってことは…… 私、死んだの? ぅゎ! どーしようっ!

 下で寝ている自分がゴロリと寝返りをうった。

 どうやら、寝ているだけのようだ。

 ……これは、幽体離脱、ってやつか。ひょっとして……

(やあ、紗百合。こんな所で何をやっているの)

 黒い子猫が近くで浮いている。

「あ。リブル。あなた飛べたのね」

(この状況では、君も同じなのだけれどね。飛んでいるというよりは、浮いているのだけれど)

「ところで、ここはどっちの世界なのかしら」

(君たちの言う、現実世界さ。京花も言っていただろう。世界は二層になっているって。今、紗百合がいるのは精神側の世界さ)

「それは、わかったけど、どうして私はここにいるわけ?」

(君はまだ、眠って間もないのだよ。だから夢をまだ見ていない。夢を見たとしても明晰夢になっていない。夢の中で覚醒しないと、向こうの世界に繋がらない。でも、こちらでは覚醒しているから、精神世界にこられたわけだ)

「わかったような、わからないような、それで私はどうしたらいいのかな」

(そのために僕達がいるのだよ。夢の途中で覚醒しないと、向こうの世界に繋がらないなんて、不便だろう? だから、普段の状態でも、向こうに行けるように、君の身体は更新されたのさ)

「こーしん? アップデートみたいな感じなのかな」

(君たちの場合は、進化といった方がしっくりくるかな。必要に応じて、環境に対応できるように、進化していくのさ)

「でも、突然そんなことがあるなんて、私の体は特殊なのかな」

(じゃあ、君の待っているスマホに言い換えよう。君の身体は、環境の変化に対応するためにアップデートを行う。そのための情報等をインストールした。そして、環境に対応できるようになった。再起動していないから、しっかり更新プログラムは発動していない)

 紗百合は頭の上に、はてなマークが点灯していると思えた。

(どう? 理解した?)

「えーっと。ぅーん、と。でも、インストールなんて、私何もしていないよ」

(君は、今日、カフェに行っただろう。あの時に君に入れたのさ)

「それって、もしかして、京香ちゃんの……」

(そうそう、気付いたかい)

「京香ちゃんの毒舌が、私の精神を蝕んでいったってことでしょ? そして、私はそれに対抗するために、心が一つレベルアップしたわけね。京香ちゃん、やっぱりすごいんだ」

(違う違う。京香は凄くないし、毒舌で君が進化するわけないだろう)

「えー、違うの? じゃあ、何なの?」

(君の身体には、何が入った?)

「ぇ? 身体に入れた物? えっと、そうね、心構えと、覚悟!」

(違う違う。そんな精神論的な、まやかしではなくて、物理的な物だよ)

「精神論は、まやかしなんかじゃないわよ。私達には大切なんだから。えっと、物よね。あそこで私の体に入ってきた物? 何だろう。シャロちゃんが肉を与えて骨を抜くって、言っていたアレかな。あれってアレのことだよね。でもそんな私、経験ないし、あの場所には女子しかいなかったし、入れられたなんて思いたくない。それに全然感じ……」

(違う違う違う。物って液体だよ)

「えきたい? そうか、あそこにはマスターもいたんだ。そんな、私、知らない間に、そんなことをされていたんだ。初めての人がマスターだなんて、私、全然覚えていない。あぁ。何てことなの」

(ねえ、紗百合。落ち込んでいるの? 喜んでいるの? そんなことはいいから。もう行こう)

「よくないよくない。女の子にとって、それは一生に一度しかないの。それを、そんなことで済まされて、いい訳がないじゃない」

(あのさあ、紗百合の身体に入った液体は、マスターの……)

「言わないで言わないで、もうそのことは、忘れることにしたから、もういいの」

(マスターの、特性ブレンドコーヒーだよ)

「ぇ? コーヒー?」

(そう、だから、マスター特製のコーヒー。メニューにはなかっただろう? だから、特製なの。あの中には、特殊な成分が含まれているのさ)

「……ああ。そう、そうよね。コーヒーね。そうかそうか、そうだよね」

(何だい、悲しいのかい。嬉しいのかい? そんなことはもういいだろう。さあ、行こう)

「いく?」

(そうさ。君はいける身体になったのだよ。ねえ、また、変なこと、想像していないかい?)

「いやいや、経験ないのに、いけるわけないよね。当然」

(やっぱり考えていた…… ほら、いくよ、付いてきて)

 小さな黒猫が、窓を開けることなく、ガラスをすり抜けて、外へ出て行った。

「ちょっと待って。空を飛ぶのは久しぶりだから」

 そう、以前紗百合は、夢の中で自由に空を飛んでいた。

 今回は現実世界の精神側だ。うまく飛べるかはわからない。

 以前と同じように、飛ぶことをイメージした。

 飛ぶというより、移動する感覚だ。

 紗百合も窓を開けず、ガラスをすり抜けていった。

 夢の世界では、窓ガラスは割れる。

 割らないように、すり抜けることもできるが、基本はうまくいかない。

「リブル、待って」

 黒くて小さな猫は、家の上空で待っていた。

(それじゃぁ。いくよ、ついてきて)

 リブルは一気に上昇した。

 紗百合も負けじと、それについていった。

 風を感じないから、飛ぶという行為ではなく、高速で移動をしている感覚だった。

 雲を突き抜け、天から地上を見下ろし、地球は青かった的に、感動できるかと思った。

 だと思ったが、気がついたら、ベットの中にいた。

「あれ? 夢だったのかな?」

 紗百合は、布団をめくり体を起こした。

 左手の甲をみると、特務の紋章が浮かび上がった。

 どうやら、あっちの世界にこられたようだった。


 待ち合わせの場所は、昼間なら人通りの多い場所で、いろいろな人が、ここで待ち合わせをしているのだが、さすがに、この時間では誰もいなかった。

 電車を乗り過ごしたサラリーマンが、タクシーを探してふらついている以外、人の行き交いは少なかった。

「お待たせしました」

 時計台の下には、すでに京香が待っていた。予定時間の、30分前ほどだろうか。

「よう、早かったな。紗百合のことだから、ギリで来ると思ったぜ」

 上下ライダースーツに、脇にホルスターが2つ。腰にも2つ。腰の背中側には短刀のサヤが刺さっていた。

 髪を後ろで束ね、スッキリ感が凛々しさを増していた。

「あのう、橘さんですよね?」

「何を今さら…… それに、その名で呼ぶな。私は京花だ」

「はいっ。私は、こっちの京香さんが、好きだけど、あっちの京香さんも、いいなぁーって、思ったりもしているんだよ」

「……そうか? それはさておき、お前はあまり変わらないな。少しテンションが上がるくらいか?」 

「京花さん…… 京花ちゃんが、変わり過ぎなんだよ。どうすると、そこまで変われるんだろう。不思議でたまらないよ」

「それはだな、つまりだな、現実世界の反動ってやつだよ。私の場合は、家庭の環境に縛られているから、あーしたいこーしたいの願望が、こっちで解放されるんだよ。お前は、あっちでも普通に過ごせているから、こっちでの反動が少ないんだよ。きっと」

「反動かぁ。ないわけでは、ないんだけどなぁ」

「紗百合は紗百合だよ。こちらでは自由に振る舞えばいいのさ」

「それにしても、今日はなんだか重装備だね。今回はやばいのかな」

「何を言っている? 虫を退治した後、お前とやりあうのだろ。言ったじゃないか。楽しみにしているぞ」

「ぇ。マジ。本気なの」

「当然、まじまじ。今度はちゃんと私が仕留めてあげるよ。前回はシャロにとられたからね。お前の白い首から、山茶花を咲かせてあげるよ。って、首のないお前には、見ることができないけれどな」

 「ははは……、やっぱり京香ちゃんだわ。マジやばぁ。どうしよう」

「冗談だよ。本気にするなよ」

「京花ちゃんが言うと、何だか冗談に聞こえないよ」

「おい、私を何だと思っているんだ」

「暴言凶器。凶器人間。人間兵器」

「人を、そんな目で見ていたのか。ひどいやつだ。そう言うお前は、スイーツデビル。それとも、お菓子姫か」

「悪魔よりは、プリンセスの方がいいわね」

「じゃあ、お前は狂気のプリンセスで決まりだな。世界をお菓子で絶望に追い込んだプリンセス。それに立ち向かった勇敢な女戦士。苦闘の末、倒すことに成功。だが被害は甚大で、復興のさらなる絶望感に、人々は打ちひしがれた。本当にひどい話だ」

「それを言わないで。私だって気にしているんだから」

「痛いところを、ついたかな。わるい許せ。お前は、カテゴリー5クラスだったから、つい意地悪したくなる」

「それは、どういう意味なの?」

「そのうちわかるよ。よし、そろそろ行くぞ。その前に、コンビニ寄ろうか。弾の補充だ」

 京花と紗百合は、コンビニで弾丸と矢を買った。

 店内に置かれているわけではなく、スマホで商品を表示させて、清算すると、奥の部屋から箱に入った商品が、受け取れるのだ。

 不思議なものだと、紗百合は毎回思った。

 紗百合は矢の補充と、脇差しほどの刀を購入した。

 接近戦用の武器だ。弓だけでは心もとない。

 京花に拳銃を勧められたが、扱い慣れていないし、何より自分のスタイルに、あっていないと思い断っていた。

 いつもの使い慣れた弓を使いたかったが、室内の中では、取り回しが悪いから、やめておいた。

 今回もコンパクトな洋弓を使う。

 和弓と洋弓は、似て似つかぬ存在だったが、射るだけなら、和弓より断然打ちやすかった。

 それでも、戦闘に慣れてきたら、和弓を投入してみたいと思っていた。

 今は経験を積んで、仲間から信頼されるように、ならなければならない。


 二人は、目的地のビルに着いた。

 こんな時間だから、当然普通には入れない。

 ビルの裏側には勝手口があり、出入りはできるが、守衛が在中しているから、許可がなければ当然入ることはできない。

 京花の足元に、ネズミが現れた。よく見るとハリネズミだ。

「あ。久しぶりの登場ね。えっと、何ていう名前なの?」

「はりたんだ。かわいいだろ」

「ぇ? はりたん? 京花ちゃんが付けた名前なの? それに、京花ちゃんのイメージなんだよね、このハリネズミ」

「そうさ、私はこいつを初めて見て、トゲトゲのこいつに見えたんだ。悪くないだろ?」

「京花ちゃん、やっぱり心に闇がありそうだね。心理テストやったら、きっと面白い結果がでそう」

「何だよ。やっぱりって」

「だって、京花ちゃん。痛々しいって言うか、近寄り難いから。心を針で武装しているのが、そのまま具象化したんじゃないのかな?」

「それを言われると、返す言葉がないな…… そういうお前は、自由気ままな、わがまま猫ってところか」

「いえいえ、それほどでもないよ。照れるな」

「褒めていないぞ……」

「はりたん。お久しぶり。元気していた?」

(久しぶりではないわ、紗百合。私はいつも京香と共にある。紗百合が私を見ようとしなかっただけよ。紗百合の鈍感さは、いつもどうりでなりよりだわ)

「はりたん、思った以上にトゲのある性格ね。使い魔だから、主人に似るのは当然かな」

(誰が使い魔よ。あなたは自分の立場というものを、考え直した方がいいわ。こうやって自分の意思で動けるのは、誰のおかげだと思っているのかしら。だいたい……)

「あの、はりたん? 名前も可愛いけど、姿カタチもかわいいから、何を言われてもピンとこないなぁ。お目目が小さくって、くりっとしていて、怒っていても、かわいいよっ」

(紗百合、そのへんにしておけ。人の監視官を捕まえて、使い魔とか言われたら、それは気分のいいことではないよ)

 足元にいたリブルが、口をひらいた。正確には、頭に直接話かけてくるのだから、表現は違うが。

「あら、リブルそうなの? あなたを見ていると、使い魔にしか見えないんだけど。残念ながら、はりたんは、ただのかわいいペットにしか見えないよ」

「紗百合にとっては、相手が天使だろうが悪魔だろうが、関係ないってことだな」

 京香が両手を横に出し、やれやれといったしぐさを見せた。

「京香ちゃんがイメージしたから、はりたんは、こんなふうに、なっちゃたんだよ」

「そんなふうに見ているのは、紗百合だけだ」

「そういえば、シャロちゃんの使い魔さんって、どんなふうなの。見たことないな」

「見ようとしないと、見ることができないんだよ。見たいという気持ちがないとね。シャロのお目付役は、あまり見たくはないがな」

「え。そうなの? シャロちゃんだから、きっとかわいい使い魔さんを、つれていると思ったんだけどな」

「ああ、それな。紗百合は勘違いをしているぞ。シャロがかわいいと感じるのは、表面だけだ」

「表面? 顔だけってこと?」

「まあ、そのうちわかるって。シャロの本性がな」

「京花ちゃんの本性も、よくわからないんだけどね」

「私は、ほら、見たままさ」

「いや、だから、わからないんだけど」

(ほら、二人とも、もういくよ)

 リブルが、しびれを切らした。

 二人に付き合っていたら、時間なんてすぐに、去ってしまいそうだった。

予定時間まであとわずかだ。

「どうやって入る? いつものように空間をつなぐのか。34階まで登るのは、さすがにしんどいけれどね」

(このビルは、僕たちの権限で制御できるから、それでいくよ。守衛室の人たちには少しの間、眠ってもらおうかな)

「え。どうやって眠らせるの?」

「ここでは、撃っても死なない。向こうの世界ではかなりの頭痛を伴うけどな」

「え??! 本当に撃つの?」

「そんなわけないだろ。一般の人を傷つけたら、罪が重くなる。つまりノルマが増えるってことだけど。それは、できるだけ避けたいから、そういう時用のアイテムがあるのさ」

 京香は左手の甲を見せた。そこにスマホのような画面が立ち上がった。

 そこに、目の前のビルの平面図が立ち上がる。指で図面を拡大して守衛室の間取りを指でなぞった。

 そこのエリアの色が変わり、いくつかの選択コマンドが出た。指でそれを上下し、スライドさせて「無感知」をタップした。

「よし行こう」

「え? もういいの? まだ起きているように見えるけど」

「あちらさんは、こちらの景色が見えていない。外の状況は感知されないのさ」

「へぇー。結界みたいなものなのかな」

「似ているけれど、少し違うかな。指定した空間を支配するのさ。今回は、外界からの情報を遮断する。30分だけだけどな」

「30分? 短くない? それを超えてえしまったら、どうするの?」

「管理者権限で、何とかしてもらうさ。なあ、はりたん」

(なあと、言われても困るわ。君たちの責任を取るのは、確かに我らの責務だけれど、はいどうぞと振られても困るわよ)と、はりたん。

(京香なら大丈夫だよ。紗百合を安心させるために言っただけさ)と、リブル。

「そうだな、私もそこまで苦戦したことはないからな、カテゴリー2の虫相手だったら、問題ないだろう」と、京香。

「そうなんだ。じゃあ、心配はいらなさそうだね。失敗は成功の元っても言うし、安心して失敗できるね」と、紗百合。

(誰も、失敗して良いとは言っていないわ。失敗は失敗よ)とこれは、はりたんだ。

(それじゃ、行くよ。扉を34階に同期させるよ。制限時間は30分だからね)

リブルが言うと、扉は青白く光った。

これで、この扉を開けると、34階の部屋につながる。

これって、私達でもできるの?

紗百合は、このどこでもドア的なこの能力ができたら便利だろうなと思っていた。

(僕達の許可があれば、君達にでもできるよ。紗百合みたいな人に、乱用される恐れがあるから、君たちは基本、使えないのさ)

「へえ。リブル達っていいなあ。この世界だったら、何でもできるんでしょ?」

(何でもはできないよ。そもそも僕たちの本体は、ここの二層目にあるのだから。君たちには見えているけれど、他の人には見えていないからね。ほら、もう行かないと。虫はカテゴリー2クラスが6体だね)

「紗百合、行くぞ。構えて」

京香がセーフティを外す。

ドアノブを左手で握りゆっくり回し、扉を勢いよく開け、中に躍り込んだ。

京花が入って、すぐに連続した発砲音が響いた。

何体やったかな?

紗百合は勇気を振り絞って部屋に入った。

 前回は、巨大なダンゴムシだったが、今回はいったいどんなのが虫なのやら……

京花が撃った虫が、のたうちまわっていた。

 青白い体液をぶちまけながら、やがて青い燐光になって粉々に散った。

紗百合は、矢をつがえていた右手を思わず口に当て、悲鳴をあげるのをこらえた。

虫は細長く天井まであろうか、うねうねと体をくねらせて、こちらに鎌首を向けていた。

ヘビっ?! っちがう……

巨大なミミズだった。紗百合の全身に鳥肌がたった。

京花が、そんな怖じ気ついた紗百合に、声をかけた。

「紗百合は右から頼む。お前の矢は質量があるから、こいつらには有効だ。期待しているぞ」

はっと我に返る。

 目の前の対象が、あまりにも生理的に受け付けないだけで、ミミズが怖い訳ではない。

 蛇なら確かに怖いが、こいつはただの虫だ。

大きく息を吸い、気を落ち着けて、状況を改めて観察した。

こちらに気がついたミミズ型の虫が、のそのそとこちらに近づいてきている。

左側で京花が発砲していた。弾は全弾着弾、命中していた。

 派手に体液を散らばせていだが、本体は、なおもそちらに向かっていた。

効いていない…… 着弾した部分を、体液で洗い流している…… そんな感じがした。

京花が、質量のある矢の方が、有効だといった意味がわかった気がした。

矢をつがえ、のそのそとやってくる巨大ミミズに狙いを定め、弓を引いた。

 狙いは頭の部分。ここを粉砕すれば動きは止まるはず。

弓を引いている右手が、暖かくなってくる感覚を覚えた。

 頭の中も何だか熱くなったきたような気がし、見えていたミミズの虫が、やたらとハッキリ大きく見えた。

気がついたら、矢は放たれていた。

青い燐光の軌跡を描きながら、矢は巨大ミミズに当たった。

 いや、吸い込まれるように消えていった。

あれ? 効かない? 外した??

次の瞬間、巨大ミミズの頭は、青白い閃光と共に吹き飛んだ。

 残った体も床でのたうちまわったが、やがて青白い光を放って四散した。

目の前の光景に、自分でもビックリし、改めてこの弓と矢の威力を知った。

こんな非効率な武器だと思っていたが、本来の威力を知って感激する。

シャロが弓を使っている意味もよくわかった。

京花の方を見る。2体目が四散していた。

さっすが京花ちゃん。効き目が薄いとわかっていても、正確に急所を一点狙いで撃ち抜いていた。

 一体倒すのに、一点に7、8発撃ち込み、巨大ミミズの制御を奪っていた。

「次っ!」

紗百合は次の獲物を捕らえた。

少し距離はあったが、当てるだけなら問題ない。

 慣れない弓だが、扱いやすいく、洋弓らしく最新の技術が詰め込まれている。

足を踏み開き、両足を安定させ、弓を構え、矢をつがえ、弓と弦を引いた。

再度、目標の巨大ミミズの頭を見据える。

タンッと、弦が弾く乾いた音が響く。

矢は青い燐光の軌跡を描き、巨大ミミズに吸い込まれた。

刹那、閃光と共に四散した。

 やがて残った胴体も青白い光を放って粉々になっていく。

 それを紗百合は、無心で見届けた。

一連の光景を横目で見ていた京花は、紗百合の落ち着き様に感心した。

構えてから、矢を射るまでの動作が、とても静かで優雅で力強く、そして美しかった。

これが本来の紗百合の姿か…… と、見とれている場合ではないな……

京花は、4体目に狙いを定め前進した。

紗百合は場所を動かず、同じように矢をつがえた。

静から動へ、動から静へ。

弓を引分し、静が止になる。

弦が乾いた音を立て、矢は遠くでうごめいている巨大ミミズの首あたりに吸い込まれる。

それを見届けることなく、紗百合は次の矢を放った。

 矢はさらに奥にいた、巨大ミミズの急所を捉え、先ほど射抜いたミミズの後に青白く四散した。

紗百合はその様子を遠い目で見ていた。

まるで、自分がやったのではないかなように、客観的な眼差しだった。

その頃、京花も4体目を倒していた。

かなり前にいる。

 まだ銃を構えているところからして、まだ何体かいる気配なのだろう。

京花から紗百合を見ると、かなり後方にいるのがわかる。

京花は、左手の甲に浮かび上がる画面をみた。この広いオフィスの平面図と虫の位置を映していた。

 あと、二体。

 どこだ…… 目視できない。

後方には、紗百合がいるのが確認できる。

あそこから射てて当てたのか。やっぱりただ者ではないってわけか。

紗百合は動こうとはせず、そこでこちらを伺っていた。

 すると、矢をつがえて引き分けを始めた。

 狙いはこちらに向けられている。

京花は周囲に気を向けた。ミミズ型の虫は近くには確認できない。

 紗百合の狙いは…… こちらを狙っている。

 私をか?!!

たんっ。

弦を弾く乾いた音が響いた。

!!っ。

青い燐光を宙に描き、矢は凄まじい勢いで飛んできた。

京花は、冷や汗がどっと出るのを感じた。

真上で青白い閃光が弾けた。

突然現れたミミズ型の虫が、京花の頭を齧ろうと迫ったところに、紗百合の矢が虫の頭を粉砕したのだった。

滝のように、虫の青い体液を全身で浴びることになったが、すぐに光となって四散した。

が、体液を全身に浴びた不快な感触は消えなかったし、髪をベタベタにされたことには変わらなかった。

「最悪……」

遠くで、紗百合が笑ったような気がした。

 いつもの屈託のない笑いではなく、しっとりした、少し毒を含んだ笑いに思えた。

「くそっ、あと一体倒さないと帰れない。どこにいる。そもそも虫達は、どこから現れるんだ。空間に歪みがあるわけでもあるまいし、いきなり湧く訳でもあるまいし。さっきも、後ろにはいなかったのに突然現れた気がする」

周りを見渡す。

 あるのは机とその上にある書類とパソコンぐらいか。

そうか…… パソコンか。

 どうやって物質化しているかは知らないが、ここは現実世界ではないからな。そういうことも有りなのかもしれない。

京花は近くにあるパソコンのディスプレイを撃った。

 電源が入っているため、銃弾を受けると、火花をあげて煙を噴いた。

何台かディスプレイが火花あげて、そのうちの一台がやたら多くの煙を吹き上げた。

「やっと出てきやがったな。これで帰れるぜ」

赤い巨体が現れた。

 蛇のように鎌首を擡げて、こちらに向けた先端の口は、深海魚のようなグロテスクな歯を備えていた。

あんなのに噛まれたら、どんな歯型が着くんだと、冗談めいた想像をした。

目の前に、巨体が迫る。

 京花の拳銃が火を噴く。

先ほど、ディスプレイを何台か撃ち抜いた分だけ、弾は消費していた。

 3発撃って、左手でホルスターからもう一丁の銃を抜いた。

 すかさず連写して、迫るミミズ型の虫に銃弾を浴びせた。

近接で蠢く巨体に、銃弾は間違いなく当たるが、一点に絞ることは至難だった。

 着弾するたびに体液をまき散らし、京花の顔を濡らした。

京花。邪魔。伏せて。

頭の中に声が響いた。

京花は理解して、とっさに体を伏せた。

伏せようとした。

 伏せようと思った時には、すでに青い燐光が左耳をかすめた。

かすってはないが、空気を裂く音と、衝撃派が耳を刺激し、痛みが走った。

目の前で、巨大ミミズが閃光と共に炸裂した。

「ひゃっ!」

京花の目の前が真っ白になる。

さらなる体液を巻き散らし、京花の全身を濡らした。

 すぐに青白い燐光になって消えていったのだが、 ベタベタになった髪の毛が、バサバサになるのがわかる。

「ッ…… 最悪……」

(はいはい。ごくろうさま)

京花の足元にはりたんが現れた。

「今日の武器のセレクトは失敗だった。こうも弾が、無効化されるとなると、考えものだな。私も弓を使いたくなったぞ」

向こうから紗百合が近づいてきた。

「……あら、無様ね。まるでドブネズミってやつかしら」

「半分お前のせいだ。って、お前、本当に紗百合か? 全然キャラが変わっているぞ」

「あら、そう? それは、どういたしまして」

「いや、褒めていないぞ」

「京香だって、全然違うじゃない。人のこと言えないわよ。本能のままに、本性をさらけ出し生きるって、気持ちいいものなのね」

「お前の場合は、ちょっと違うぞ。肩苦しくなってるけど、やりにくくないのか。見ていて痛いぞ。と、いうか、お前のキャラにあっていないぞ。それに、橘京香と、キャラがダブって読んでいる読者が混乱するだろう?」

「え? 何のことかしら、読者って」

「いや。何でもない。今のは忘れろ。おい、こらリブル。これはどういうことだ? 紗百合がおかしくなっちゃったじゃないか。お前、紗百合に何か言ったんだろう」

(僕は何も言っていないし。してもいないよ。紗百合は勝手に、ああなってしまったのだよ。それに関しては君も同じだろう」

「ぅむ。それはそうなのだが。自分に関しては、人には迷惑がかからないから、いいかなと思っていたが、他の人がこうなってしまうのを見ると、放っては置けないだろう」

(君がいうように、周りに迷惑をかけていなければ、別にいいではないか)

「今後、やりにくいだろう?」

「あら、京香。いえ、京香さん。何がやりにくいのかしら? わたくしは平気ですけれど。それとも、やりやすいように、合わせますよ」

「何を合わせるんだ。合わせようがないと思うんだか……」

「じゃあ、銃にします? ナイフにします?」

「合わせるって、そう言う意味じゃなくってな……」

「だって、やりあうのでしょ? だから、武器は合わせますよ」

「ぁ、いゃ。そう言う意味じゃないんだけど。やりやすいと言ったのはだな……」

京花は、何やらとんでもないことを言っている紗百合を、何とかする方法を考えた。

「そうだ、はりたん。まだ時間はあるか?」

(あと、12分あるわ)

「紗百合、組手はどうだ。一発入れて、目を覚ましてやるよ」

「あら、京香さん、やり合うって、そう言う意味だったのかしら、ベットもないのに入れるなんて…… 私そんな趣味はなくてよ。こんなところで、したいなんて、京香さん、好きなのね」

「おい、紗百合。何か勘違いしているぞ…… お前、やっぱり紗百合だな…… 後ろをとった方が勝ちだ。いいな」

「わかりましてよ。きょーか、さんっ!」

言うや否や、紗百合は踏み込み、左手を突き出した。

京花はヒラリと右に交わし、左手の拳をみぞおちに入れる。

それを紗百合は、体をひねり、京花の左腕を脇に挟み、半歩踏み込み、右足を京花の両足に絡め、投げた。

京花は、肩と背中を、したたか打ち付けた。

紗百合は、すかさず左手首を取り、ひねり上げ、京花の体をあお向けにさせた。

「後ろ取ったわ。私の勝ちかしら?」

「……参った。お前の勝ちだ」

京花は、悔しそうに言った。

紗百合は手を離して解放させて、立ち上がれるように、手を貸した。

京花は、その手を取り立ち上がろうとしたが、ふと紗百合が力を抜き、京花はバランスを崩し、尻もちをついた。その上に紗百合がかぶさってきた。

「……おい大丈夫か?」

紗百合は京花の胸の上に倒れこみ、そのまま動かなくなった。

 疲れのせいだろうか。極度の緊張から解き放れ、一気に疲れが出たのかもしれなかった。

京花は、そんな自分の胸の中で寝ている、紗百合の頭を優しく撫でた。

その寝顔は、無邪気そのままだ。

 先程までの、鬼神のような姿は想像できない。

今回で2戦目のくせして、頑張りすぎだ。

矢に気を入れ過ぎなんだよ。

 気を使いすぎて、倒れてしまったんだね。

 それにしても、お前は凄いよ。

 あっという間に私を超えてしまいそうだね。そうなると、どういう関係になるのだろうな。

京花の胸の上で、紗百合が身を揺らした。

 そして上体を起こし、寝ぼけたように呟いた。

とった……

気付いたか? 何をとったって?

紗百合は京花の腰のあたりに、またいでいる状態だった。

 虚ろな表情で京花を見て……

「……とった。……マウントポジション」

「な……にぃ?!」

「……京香さん。私と……一発、したいんですよね……」

「ぃゃ、そう言う意味じゃないぞ。拳を一発、入れたいって意味だぞっ!」

「恥ずかしがらなくってもいいのに…… わたくしは、いいわよ……」

 紗百合の両手が、京花の豊かな胸を撫で回した。

んッ!!

「京香さん。わたくしと超えたいんでしょ? 一線を……」

「おまえ、どういう耳をしているんだよ。超えるって、そう言う意味で言ったんじゃないよ」

京花の言葉は、紗百合の耳には入っていなかったようだ。

 目の前に横たわる女体に、興味深々のようだった。

「京香…… かわいい……」

紗百合手の動きが大きくなる。

 撫でるから、揉みしごく動きに変わった。

たまらず京花が、揉んでいる手を捕み、抵抗を試みる。

「ちょっと待て、紗百合。私はそういうことは、しないんだっ」

「そういう? どういうかしら? じゃあコレならいいのかしら」

悪戯っぽく微笑むと、紗百合は顔を近づけ京花の唇に重ねた。

……!!!″

京花は、たまらず手を振りほどき、紗百合の左頬に、平手を食らわした。

パシィっ! 乾いた音が響く。

紗百合は、京花の上にまたがったまま、固まってしまった。

 頬を抑えてうつむき、動く気配すらなかった。

「ぁ。すまん。つい殴ってしまった。本当に悪い。でも、私にそんな趣味は無いんだ。悪く思うな」

しばらく、何も言わない紗百合に、気まずくなってきたのか、京花は何か別の話題を探すのに、アレコレと考え混んでいると、紗百合が口を開いた。

「……ぁれ。京花ちゃん。何やっているの? 私の下で」

 京花は一瞬驚いたが、すぐに普段の、紗百合に戻ったことに気付いた。

「おまえが、それを言うなっ!」

紗百合は、今までのことを、ぼんやりとは覚えていたが、夢見気分であやふやで、曖昧な感じだった。

そこで、京花が今までの経緯をざっと説明した。

 もちろん、組手をして、京花が負けたことは言わなかった。

「へー。私、4体も退治したんだ。何だか信じられないけど、何となく感触は残っているの。矢をつがえて弓を引くと、頭がぼーっと熱くなるのを感じて、打った後のことは、よく覚えていないんだ」

「無我の境地ってやつだな。ゾーンに入ったって言うかな、最近では。まあ。とにかく、今日のおまえは、お手柄だよ」

「へー。そうだったんだ。でも、何で私、京花ちゃんに、またがっていたのかな? どういう状況だったの?」

「……そのことは気にするな。ほら、もう時間が無いんだ。出るぞ」

(あと二分)はりたんが言った。

「まぁ、今日は散々な一日だったってことかな」

「ふーん。そうなんだ。それにしても、京花ちゃん。ボロボロのドロドロだね。どうしたらそうなるの?」

「おまえに言われたくない」

(ほらほら、あと一分)リブルが言った。

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