第8話 未知なき道

「お帰りなさいませ、お嬢様。御無事で何よりです。紗百合様もお疲れ様です」

 黒い高級車の前で、初老の運転手が出迎えてくれた。

「ご苦労。待たせたわね」

 京花が、後部座席に座り、紗百合も少しためらったが席についた。

 今度は、どこに行くとかは、言っていなかったから、脳裏には不安しかなかった。

 運転手が乗り込み、車は静かに走り出した。

「お嬢様が私めなどに、礼を言うなんて、さぞご機嫌がよろしいのでしょうな。紗百合様には感謝を」

「余計なことは言わなくていい…… それより紗百合、今日は何時に寝るのかしら?」

 京花は意外なことを聞いてきた。寝る時間? 

「……そうだね。11時くらいかな」

「ならいいわ。意外と就寝は早いのね」

「うちは、朝がみんな早いんだ。いろいろあってね…… はは……」

「いろこい? そうよね、羨ましいわ。かわいい妹さんと、朝からムフフなのね。紗百合は大変だわ。今後は私というものが、あるのだから、夜はちゃんと空けておいてね」

「……イロコイじゃない。イロイロあるのよ、うちの場合は。京花ちゃんこそ、習い事とか、いっぱいやっていそうだけれど」

「わたくしは、何もやってなくてよ。昔は、確かに色々やっていたかもしれないけれど、三ヶ月くらいで飽きてしまうのよね。大体8割方できれば、もういいかなってね。後の2割を極めようと思っても、何だか時間の無駄な気がして、やる気が出ないのよね」

「後の2割って、例えるなら銅メダルはとれるけど、金、銀メダルは取れないってこと?」

「紗百合、いい表現ね。そんなところよ。上には上がいる。それを超えるには、死ぬ気の努力と時間が必要なのよ。おあいにく、私にそんな時間はないわ」

「それって、相当なレベルだと思うんだけど。続けていれば、いつかは金メダルだって取れそうな気がするんだけど」

「だから、その前に飽きてしまうのよね」

「へー。そんなものなのかな。私なんか、そんな選択の余地がないから、取りあえず今のやっていることを、続けようかなってしか、思ったことないな」

「じゃあ、今度お手合わせ願いたいわ」

「え? お手合わせっていってもなぁ」

「あら、嫌なのかしら?」

「あ。いやね、人には得て不得てと言うものがあるじゃない。私の得意分野で手合わせと言っても、京花ちゃんの自尊心を傷付けてしまうわ」

「あら、大した自信ね。やる前から勝負は、決まっているかのような、言いぐさじゃない」

「京花ちゃん。じゃあ、弓道はやったことある?」

「ないわ」

 京花の即答にガックリした。そして、やっぱりだと思った。

「でも、アーチェリーならやったことがあるわ。弓道なんて的に当てるだけなのでしょ。だったら問題ないわ」

「京花ちゃんの気持ちは、わかるけれど、和弓はそんなに簡単じゃないから。じゃあ、こうしない? 私は和弓で、京花ちゃんはアーチェリーで射って。ルールはアーチェリー方式でいいわ」

「あら、私の方が断然有利じゃなくって? 弓道なんて所詮、古代の道具で、作法や型が重要視されるのでしょ? 型だけでは、アーチェリーのルールで勝てないわよ。紗百合、私に気を使っていない? それこそフェアじゃないわ」

「それでいいの。私は弓道とは言っていないから、それなら条件は一緒よ」

「あら、意味深ね。わたくしにはやはり、負けない気でいるわけね。楽しみだわ」

 京花の目の色が輝いていた。今日、初めてみせる表情だった。どうやら、こういう勝負ごとには、めっぽう首を突っ込むタイプのようだ。

 というより、単に好戦的なのだろう。

 車が停車し、どうやら目的地に着いたようだ。

 紗百合は次の行き先を聞いていなかったが、京花が、家に送ってあげると、言っていたのを思い出したが、期待はしていなかった。


「お嬢様。着きました」

「あら、そう。もう、着いてしまったのね。紗百合、今日はこれでお別れよ。残念だけれど、寂しいけれど、ここまでよ。でも、せっかくだから、ここまできたのだから、紗百合のお父様に御挨拶していきましょうか」

 紗百合が急に顔色をかえた。

「ぇ? マジっ!? ち、ちょっと待ってっ、冗談でもそれだけはやめてっ」

 京花が残念そうな表情をする。

 そうよ、今日は帰って。お願いだからこのまま帰って。

「爺、菓子折りを持て。参る」

「はい、お嬢様」

 京花は車から降りて、運転手と共に紗百合の家へ向かった。

「ちょっと待って、私を置いていかないでよ」

 京花と運転手は、二人でつかつかと奥へ歩いていく。その後を、紗百合は追った。

「それにしても立派ね。これって大変じゃない?」

 京花が言った意味を少し理解した。

 高々と木々がまっすぐ伸びている。何本も、幾本も。広大な土地にはたくさんの木が伸びていた。

 その間に階段があり奥に鳥居と社屋があった。

 ここは神社だった。

 その離れに、紗百合の住居はあった。歴史を感じさせる重厚な木造建築物で、ちっとしたお屋敷だった。

「紗百合だって、お嬢様じゃない。しかも、血統書付きのね」

「……ははは、私はそんなんじゃないわよ。家柄には縛られてしまうけど、うち、お金はないから……」

「何だか、シャロに似ているわね。環境は違うけれど、あの子も血に縛られているわ。さて、お邪魔するわよ」

 紗百合は覚悟を決めた。って、別に、何も悪いことをしたわけではないから、後ろめたいこともない。

 堂々としていればいいのだ。

 そのはずだ。きっと。

 紗百合は、玄関の木格子状の両開き扉を開いた。

「ただいまー。お父さんいる?」

 玄関はまるで、老舗料亭か、もしくは旅館のような広さがあった。

 奥の廊下から、長身の体付きの良い男性が現れた。

 この神社の主らしく、普段着も和服を着ていた。紺色の浴衣に近い着物で、この場所には違和感なく溶け込んでいる。

「何だい紗百合。今日は遅かったね」

 紗百合の横に、ちがう制服を着た女性に気づいた。

「わたくし、橘 京花と申します。先日、紗百合さんには大変お世話になりまして、今日、こうしてご挨拶に参りましたの。どうぞよろしくお願いします」

 深々と礼をして、爽やかな笑顔を振りまいた。

 ぅわ、すごい営業スマイル。

さっすが、どっかのお嬢様は違うよ。

「これはこれは、紗百合がご迷惑をかけたみたいですな。こちらこそ、この不貞がしでかしたことを深くお詫びします」

 ぅわ、バレているよ。そりゃこんな本物のお嬢様がこんなところにくりゃ、何かあるなと思うのが心情というものだよ。

「お父さん。京花ちゃんね、病院でも毎日お見舞いに来てくれたの。紗良とも面識があるみたいだし」

「そうでしたか、紗百合のために、いろいろとありがとう御座います。立ち話も何ですから中へどうぞ」

 そこへ、何事かと様子を見に来た、妹の紗良が現れた。

「ゎ…… 出た。お嬢様学校のお姉ちゃん…… こんばんわっ」

 紗良は、まさかの来客に驚いた。

 この時間帯だと、回覧板か、町内会の人が来るぐらいだ。

 それに、京花の隣には、凛とした初老の付き人もいるくらいだ。驚かない方がおかしい。

「あら、元気が良くって、かわいいわね。三日ぶりかしらね。ご機嫌いかが」

「ぅん、めっちゃ元気っ。姉貴も帰ってきたし、お嬢様のお姉ちゃんにも会えたし、何だかテンションアゲアゲだよ。でもね、姉貴を見るたびに、血まみれのシーツを思い出して、しばらくトマト系はダメだなんだよなぁー」

 紗良の表情が、パッと咲いたかと思えば、急にしぼんでしまった。

「こら、紗良。お客さんの手前だぞ。控えなさい」

「はぁーい。失礼しましたぁ」

「……シーツが真っ赤に染まる? 紗百合さん、ベッドの上で何かされたのかしら?」

 京花が意地悪そうに紗百合を見た。

「……ははは、は、別に、誰かに何かされたって、わけじゃないから、はは……」

「あら、そう。もしそうだとしたら、きっと心も傷付いているかと思って、もし、そうだったら、わたくしが慰めてあげましてよ」

「……ははは、だ、大丈夫だから、京花ちゃんの気持ちだけでうれしいよ」

「そう、悩んでいるなら何でも言ってね。私は紗百合さんの味方だからね」

 この状況が悩ましいわ…… でも、まぁ、いいっか。

「ぅん。ありがとう。そのときは相談に乗ってね。他の人には聞けないこともあるから」

「私でよければ喜んで聞くわ。それでは、お時間をとらせてしまいまして申し訳ありませんでした。この辺でおいとましますね。突然の訪問失礼しました」

 京花とお供の運転手は一礼した。

「またいらっしゃい。歓迎するよ」

「ありがとう御座います。紗百合さん、ご機嫌よう」

 二人は紗百合の家を後にし、ポツンと残された紗百合は、妹と父から興味深々な視線を浴びせられた。

「……ははは……」

 こんな笑い方をするのは、今日で本当に何度目だろうか。

 父の視線に、別の光が灯った。

 ャバ、マジ怒っている。

 特に悪いことをした訳ではないのに、なぜか罪悪感を感じた。というより、京花と一緒にいたことに罪を感じた。

「…………紗百合。来なさい」

 紗百合の父は静かに言った。

 来なさいとは、この神社の主人である神主が、説教するから部屋へこい、ということだ。

 この男は只者ではないことは知っている。

 自分の娘に、何らかの闇を見つけたのだろう。今日はとことん追求されそうだ。

「……はい。お父さん」

 紗百合は黙って、父の背中の後を歩いた。

 ついていくと、大きな広間に出た。

集会や寄り合いなどに使われる部屋だった。板張りの床で、冷たい感触が足に伝わる。

 二人は部屋の中央で対峙した。

座ることはなく、立ったまま二人は向かいあっていた。

「紗百合。橘さんを、どんな風に感じた?」

「たちばな…… 京花ちゃんは、強い人だよ。自分がしっかりあって、他人を追従しない。それゆえに、共感してくれる人は少なそうで、いつも孤独で寂しそう。一見、性格は悪そうだけど、根は優しくて気遣いが上手。でも、人に何か期待しすぎて、押し付けがましいところが、玉に傷かな。まだ会って二回目なんだけど、何かの縁は感じるよ。悪い人ではないと思う」

 父親は、紗百合の返答に満足したのか、口元を綻ばせる。

「紗百合、身体の調子はどうだ」

「うん。すごくいい。不思議なのよね。京花ちゃんが現れてから、痛みが全然なくなったの。今は体も軽いし、調子はいいわよ」

「そうか…… では参る」

 父は足を少し開き、右足を少し下げ腰を入れ、両手は胸の前の辺りで肘を曲げ、軽く拳を握った。

 どうやら、言葉を交わすのではなく、拳を交わしたいようだ。

 水渓家では、たまにこういう会話は確かにあったが、退院したての、しかも女子に拳で語ってくる親もどうかしている。

「ちょっと待ってっ。調子がいいって、そう言う意味じゃないわよっ! それに、この格好で組み合うの? 着替えさせてっ」

「問答無用っ」

 じりっと間合いを詰めて、右足の蹴りが繰り出された。

紗百合はそれを少し下がって両腕で受けた。……軽い、と思ったら今度は左足の蹴りが迫ってきた。

すかさずしゃがみそれをかわし、右足で相手の足を払った。

 相手の蹴りは頭上を通過し、自分の蹴りは相手の右足首に迫ったが、それは器用に軽く跳んでかわされ、宙で体をひねり、右腕の肘を落としてきた。

 読まれている……

 紗百合は、かわされた蹴りの勢いが止まらず、バランスを崩しながらも、上半身をそらして、落ちてきた肘を辛うじてかわした。

 ダンッ、と肘で床を叩く音が響く。

 すぐさま体を転がし、距離をとって体を起こした。

そのときにはすでに、父のローキックが迫っていた。

 床を蹴って後ろへ跳び、両腕で蹴りを受けた。

それでも凄まじい衝撃が、腕を襲った。

 後ろに飛んでいなければ、腕が折れていたかもしれない。

 蹴られた衝撃で、後ろに飛ばされ、床に背中をしたたか打ち付けたが、すぐに体を回して上体起こし、次の攻撃に備えた。

 きたっ。飛び蹴りっ。

 起きた時には、宙に舞った父が迫っていた。

 紗百合はとっさに、後ろ回し蹴りを繰り出し、相手を床に叩き落とした。

 こちらの足にも結構な衝撃はきたが、すかさず間合を詰めて、右手で上段突きを出し、反動で後ろ回し蹴りをくりだした。上段突きは最初から交わされる計算のうえでだ。

 父の方も当然、予想済みとばかりに、軽く突きをかわし、蹴りも軽く防ぐ。

 蹴りが軽く防がれたのは想定内で、防がれた反動を利用して、左足が着地したと同時に、右足払いを繰り出した。

 これはジャンプされかわされた。が、これも予想通りの反応で、足払い自体もフェイクだった。

 宙に跳んだ父は、紗百合の顔面に蹴りを繰り出した。

 紗百合は紙一重でこれをかわし、足を両手でガッチリと持ち、体をひねり体重をのせて床に叩きつ落とした。そして、その足を抱えたまま自分の足を絡ませ、四の字に固めた。

 床に叩きつけた痛みと、足を固められた痛みで父は苦痛の表情をした。

「ま、まいったっ!」

 紗百合は締めていた足を緩めた。

「よっし! 勝った!」

 立上ってガッツポーズをした。それから、父に手を差しのべた。

 父は素直にその手を取り、立ち上った。

「強くなったな。あちらで何をみた」

「え?」

 意外な父の言葉に紗百合は驚いた。

父も何か知っているのか?

 夢の世界のことを。

「お父さん、何のことを言っているの」

「親はなくとも、子は育つか、母さんによく似てきたな、紗百合。もっと強くなって、先を目指すんだ。橘さんと仲良くするんだぞ」

「ねえ、お父さん、何か知っているの? 目標って何のこと? それとも、京花ちゃんのことも何か知っているの? ねえ、何か知っているのなら教えて」

「今、拳で語っただろ? もう、私の口の挟むことではないよ、紗百合が自分で判断して、進んでいくだけだ。私より強い人は、いくらでもいるのだからな」

 紗百合は知った。お父さんは恐らく、自分に何があったかを知っている。

夢の世界のこと。世界の構造を。

 そうでなければ、神職などやっていないだろう。

この人は本物の神の使いなのだ。

 そして、私が夢の世界で犯した罪をしっかり償えと、いっているのだ。

 親としても、娘の成長を楽しみにし、そして、不安でしょうがないのだろう。

 だから、組手をして、拳で本音を語り、本心を引き出したかったのだろう。

 人は、極限状態では嘘をつけなくなる。嘘や迷いがあっては、勝負には勝てないのだ。

「ちょっと待ってよ。お父さん、ちゃんと本気を出してよ」

「何を言っているのだい。私は本気で紗百合に向っていったのだよ」

「それは、父親としてでしょ? 水渓流派の継承者として、私に向かって」

「お前にはまだ早い」

「いいから、かわいい娘に、鞭打つつもりできてちょうだい」

「……よかろう。わしを父と思うな」

「覚悟の上よ」

 父は特に構えたりせず紗百合に近づいた。腕も普段歩く時のように、ぶらんとしている。

 試しに顔面に正拳付きを出した。

当てるつもりではなく、様子を見る為の突きだ。

かわした瞬間に次が来るだろう。

 紗百合の突きは顔面に当った。

……と思った。

 えっ??!! 

 気づいたときには、紗百合の体は中を舞って、背中から落下した。

「きゃっ!」

 だんっと、背中を叩き付けられて、一瞬息ができなくなった。

何が起きたかわからなかった。

 紗百合は立ち上り、父を見た。

特に先ほどと変わらない構え、いや、何かをした気配がなかった。

「まだまだぁ!」

 紗百合は顔面に向けてハイキックを繰り出した。

右足が顔に迫る。今度も当たったと思ったが、その前に視界が反転した。

 ええぇーっ! 足が払われたのか? そんな感覚も、何もなかったぞ。

 紗百合の体は空中で二回転ほどして、床に落ちて派手な音をたてた。

「ぐえぇー」

 紗百合は、ヨロっと起き上がった。

「いったい何なの? 何をやったの?」

「水渓流、詩魂在」

「しこんざい? なにそれ。どうやったら、そんなことができるの?」

「つまり、こういうことだ」

 父は拳で突きを放った。紗百合まで距離があるから当然届かない。

が、紗百合はまるで大きな壁にぶちあったように飛ばされた。

「ぐぎゃっ!」

 今日初めてのクリーンヒットに、体に激数が走り、紗百合は片膝をついた。

「まるで、アニメの世界ね。指弾とか乱脚とかが、できるってことでしょ」

「ふふ、まあ、そんなところだ。水渓家は、そもそもこの神社を守るために、こういった体術を身に着けたのだが、いくところまでいって、正に神技にまで昇華してしまったんだ。しかし、かめはめ波やドドンパは撃てないぞ。本来は、合気道の流派なのだが、気の流れを突き詰めた結果が、今の水渓流になっている。基本は相手の気を、力を利用して対象を無力化するのだが、究極の形となると、相手に触れなくとも倒すことも出きてしまう。ある意味究極の拳法だな」

「全然究極じゃないけど、相手を傷つけることなく無力化できるのは、神道にかなっていると思うわ。でも、こんなの誰が継ぐわけ」

「お前たちにはまだ早い。時が来たら伝授してしてあげよう。それまで精進することだ」

「そうだね、そんな技があるんなら、空手も武術も、あったもんじゃないからね、私は遠慮しておくわ。普通の女子高生でいたいしね」

「紗百合の好きなようにしなさい。お前は新しい道を見つけたのだからな。この家の道まで歩く必要はないさ」

「あら、何だか寂しいことを言うのね。まるで、お前は破門だ、って言ってるのと同じようなんだけれど」

「二つの道は険しすぎる。かわいい娘には、なだらかな平坦を歩いてほしいと思うのは、親心だとは思わんか」

「人を、こんな凶器みたいに鍛えておいて、よく言うわよ。とても平坦とは思えないし、一つの道を選んだとしても、それは茨の道に等しいわ」

「世界を歩くに、強さは必要なのだよ。自慢の娘には、どこに出しても恥ずかしくないように、しておかなくてわな」

「こんな、強化人間みたいな女を、欲しいと思う人なんていないわよ。どこへ行っても、番長を張れるのは確かだけれどね」

「そうだな、悩ましいことだ。……さあ、夕食にしよう。橘さんとは、どこかへ行ったのかい?」

「うん、パンケーキをご馳走になったんだ。なんだか懐かしい味だったなぁ。でも、今の手合わせで、おなか減っちゃった」

 そうだな、と父が言って板の間を後にした。

 

 夕食を食べて、居間でくつろいでいると、最近起こったことが脳裏をよぎる。

 夢の中で魔法のようにスイーツを出し、黒猫のリブルに会い、警官に追われ、自衛隊に追われ、夢の中の専門家に追われ、そして殺された。

 今現在はちゃんと生きている。

中にはショックで死ぬこともあると言っていたが、大量の出血と、激痛を伴えば、そりゃ死ぬだろう。

 私は運が良かったというわけだ。

母は運が悪かったということか。

 それにしても、父は一体どこまで知っているのだろうか。

母のことはもちろんのことだが、京花のことも何かを知っている雰囲気だ。

 まあ、これで京花との交際は、半ばオッケイということになるのだが……

 さて、今後は夢の中で犯した罪を償うため、奉仕活動をするといわれだが、一体どういうことなのだろう。

 また、あの夢の世界に行くのだろうか。

 一人の頭で見る夢と、作られた空間を、みんなで見る夢があるなんて知らなかった。

 言われてみれば、確かにそんなことがあるような気がする。

 それにしても、まいったな。まさか、こんなことになるなんて。

 夢の世界で罪人なんて、本当にありえない。

 それこそ、私みたいに、好きホーダイする人がたくさんいて、罪人だらけではないのかな。

 そもそも、夢を見ても、まさか夢だなんて思わないのかもしれない。

 いま、この瞬間が、夢である保証もない。

そう考えると、夢であることを気づく人は少ないのかもしれないし、夢だと気づいて、好き放題やらかしてしまう人は、さらにごく僅かなのかもしれない。

 私みたいな人は、ほとんどいないのだ。

 京花は敵を討ったと言っていいた。

 夢の中とはいえ、殺意を持って、人を殺めたのだ。それなりの罪を背負うことになるのだろう。

 もしかしたら、リアルに死んだのかもしれない。

夢のショックで精神疾患になって本当の病気になってしまったのかもしれない。

 これはただの想像だから、何とも言えないのだが……

 どちらにせよ、今日から新しい生活が始まると言うわけだ。

新生活がある意味、こんな夢みたいなことになるとは、完全に予定外だ。

 まあ、なるようになるさ。

 今日は早く寝よう。絶対寝不足になりそうだし、リアルな夢ほど疲れるものだ。

 頭が覚醒しているのだから、その分は寝不足になるわけだ。

 奉仕活動やらも、何をさせられるか、わかったものではない。京花と一緒に、それをやるならなおさらだ。

 一人ではやりたくない何かを、やらせられるのだろう。

 そういえば、そんなことは断ってしまっても良かったのではないかと思ったが、わざわざこの現実世界で、直接会って説明しに来たのだから、断ったら何かがあるということなのだろう。

 だから、わざわざ直接、顔を合せにきたのだ。この話は夢ではないのだぞと。

 紗百合は色々と考えたが、結局のところ、今はどうすることもできない。

 そう言えば、京花の連絡先も、自分の携帯の番号も教えていない。どうやって連絡を取るのだ? 

 まあ、連絡が来なければ、それに越したことはない。また普段の平穏な日々に戻るだけのことだ。

 などと、考え事をしていたら、時間が経つのは早いというもので、気づけばもう8時を回っていた。

 宿題や、何やらと、やることはいっぱいあるのだ。

 考え事は、寝るときで十分だ。今はやるべきことをやっておこう。

 

 宿題、課題、予習、一通り終わると時間は11時、後は寝るだけだ。

 そういえば、京花は就寝時間を聞いてきた。11時ぐらいなら大丈夫だと言っていたが、何のことだろう。

 また、夢の中で会うつもりなのだろうか。

 床について寝るのはいいが、夢を見るにはレム睡眠まで至らないと夢はみられない。

 見れたとしても、夢の世界でそのことを気付けるだろうか。

明晰夢を見るのは、そんなに簡単なことではないのだ。

 と、紗百合の心配は皆無に終わった。

布団に入ったら睡魔が襲ってきて、いつの間にか寝ていたのだ。

 気付けば、自分はそこにいた。


 あれ。もう来ちゃった……

 こんなに簡単に来られるとは、思ってもいなかったが、体が習慣性を持ってしまったのかもしれない。

 もしくは、この世界に導かれれて、来られたのかもしれない。

 そこは近くの公園だった。よく見るいつもの風景だ。

 もしかしたら自分の記憶だけの夢の世界かもしれない。

 外部の夢世界に繋がっていないタイプの夢なのかもしれない。

 せっかく夢の世界に来たのだから、何かをしないと、もったいないというものだ。

 それならばと、まずは腹ごしらえか。だったらスイーツでも召し上がろうではないか。

 夢の世界で覚醒しているとはいえ、前回のように飛んだりしてはいけない。

 また誰かに通報されてしまう。ここは、手堅く歩いていくことにした。

 改めて周りをみる、公園には人がまばらにいる。知らない人たちばかりだ。

 植栽に植えてある木々や花は、名前は知らないが、見たことはある。

 改めてしっかりと見るが、やはり本物と変わりない。

きっと今は、外部の夢世界に繋がっているタイプの夢だと思われる。

 そういえば、京花はどこに住んでいるのだろう。近所だったら、ばったり会うことだってあるだろうが、何も関連する情報を持ち合わせていないから、探しようがない。

 携帯の番号を聞いておくべきだったと思い、そういえば、夢の世界でも、携帯は使えるのかなと思った。

 確か過去に使った記憶がある。

でも、そのときは番号は登録してあったから電話ができたのだ。

だけど今回は違う。

 それはさて置き、まずはスイーツだ。ここでお金の無断遣いなどは関係ない。あるだけ使っていいのだ。

 紗百合は、アッと思いついたように手をたたいた。

そういえば、この近くにはとても良い店があるではないか。

 自然と足取りは軽くなり、いつの間にか先程まであった不安などは吹き飛んでしまっていた。

 腹が減っては、戦も睡眠もできないし、夢も見れない。やはりここは腹ごしらえだ。

 前回あったひどいことなどすっかり忘れて、紗百合は目的のお店に向かった。

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