第7話 親友はほろ苦ビター

夢の中で、みんなが繋がっている。

みんな同じ世界にいて、その中を行動している。

 目が覚めたら、夢の記憶はほとんど残ってない。

だから、みんなそんなことを気にせず、日々毎日を過ごしている。

 紗百合はそんな仮説を立てた。

だったら、夢の中では迂闊な行動はできない。

 理性は働いているから、ひどい行動に走ることはないと思うけれど、確かに物理法則を破るような行動は、慎んだ方がいいのかもしれない。

 それ自体が悪いことではなくても、法則を破ることには変わりない。

その世界の理が「法」なのだ。

 それにしても、リブルは何者なのだろう。猫の形をした悪魔。本人は私の管理者とか監視役とかいっていたが、何の管理なのだろう。

 夢の世界の管理者。法を犯した者を警告をする存在。

 名前をつけたのは私だけれど、他にも、あれの存在を知っている人たちは、いるのだろうか。

 ネットで検索すれば、何か出てくるだろうか。

 今の私は、ちゃんと夢の記憶がある。しかもかなり鮮明に残っている。それも生々しくだ。

 そんな人たちは、きっと他にもいるはずだ。

きっとネットに投稿している人達がいるにちがいない。

 紗百合は、今日は部活を辞退した。

さすがに病み上がり初日だったこともあるが、他の人に心配をかけるのも、どうかなと判断したのだ。

 家に帰ったら早速、夢について検索してみよう。

 もしかしたら、千明以外にも、同じような夢を見ている人が、SNSでアップしているかもしれない。

 空飛ぶ女神のパンツは空色だったと……

もしくは、女神の胸はDカップぐらいだぞと……




 家に帰宅した紗百合は、夢の中で注意を言われたことがあるかを、検索してみた。

正確には明晰夢の中で、勝手なことをしてはいけないと、注意を受けた人がいるかの検索だ。

 検索し続けると、明晰夢の見る方法などは結構引っかかって出てくるのだが、肝心の、夢の最中に注意を受けた事がある、というのはなかった。

 これはどういうことなのか。

目がさめて記憶がおぼろげになったのか、夢を管理するその世界の誰かに記憶を消されたのか、もしくは、私のように夢の中で殺されてしまったのか。

しかし私はちゃんと覚えているぞ。

 悪い夢は、話してはいけないと昔からよく言われていたから、迷信的な影響なのか。

 自分も、そんな悪夢の夢など、アップしたりはしない。

 通常は夢の中で死んでも、この現実世界では当然死ぬことはない。

しかし、今回の夢はリアルすぎたし、実際に胸に違和感がある。実際に傷跡のようなモノもできたし、大量に吐血して入院までしたではないか……

今はちゃんと肉体は活動しているし、傷らしき箇所も癒えて跡も残っていない。

でも、これは夢で受けた傷と痛みだ。

それこそ夢が覚めるように、傷も痛みも無くなってしまったのだが……

このような体験をした人はいないのだろうか。

眠って再度明晰夢状態になれば、確かめられるのかも知れない。

また同じ状況になるとも思えないが、もしかしたらと思い、少し怖くなった。

また警官や自衛隊に追われるのもごめんだし、指名手配されているかもしれない。

 試しに少し仮眠をしてみた。

夢を見るには、レム睡眠までい至らないと見ることができないらしい。

六十分から九十分は眠らないと、見られないということだ。

 一応、アラームも九十分後にセットして、目を閉じ寝てみた。

が、すぐに寝てしまったようで、気付いたときにはアラームが鳴っていた。

 熟睡しすぎたか……

 夢は見れなかった。

 とりあえず今は現実を見よう。

所詮は、夢の世界の話だ。

紗百合はこれ以上、深く考えないことにした。

 それよりも、宿題に今度のテスト対策もしなければならない。夢物語は、そのあとでも別にいいのだ。

 長い夢を見ている間、正確に言えばずっと眠っていた時間だが、その間は、学校をずっと休んでいたわけだ。

 この遅れを取り戻すのが、今の紗百合の課題だった。




 翌日、紗百合は普段通りに学校へ行った。

いつものように、いつもの時間に。

この当たり前な生活が、今はとても楽しく感じる。

かけがえのないこの学校生活は、やはり楽しいのだ。

さすがに、この日も部活動は控えた。別に部室に顔を出してもよかったのだが、出したら、きっと手も出てしまうだろう。

 紗百合は弓道部に所属していた。しばらく休んでいたせいか、身体と心は、弓と矢を求めていた。

 あの一連の動作の末に至る、結果としての的当ては、やはり独特の達成感があったのだ。

 あの感覚を思い出すと身体がうずく。

 しかし、ここは我慢して、まずは体調の回復を優先した。

精神的には全く問題なかったが、出血による貧血は、すぐには治らない。

 出た物が戻るには、時間が必要なのだ。




 学校の帰宅途中、住宅地の道の脇に黒い猫がいた。

これは夢の中で現れた、あの黒い小さな悪魔のリブルに見えたが、よく見ると黒くて小さいが、猫ではなかった。

 これは何かと目を凝らすと、それは、体毛がびっしり針状のネズミだった。

 こんなところに針ネズミとは珍しい。

ぺっとで飼われていたのが、逃げ出したのだろうか。

 その近くに人影が見える。自分より背が高く、長い黒髪が印象的だった。

 色白の肌に均整の取れた顔立ち。紗百合が見ても、なかなかの美女だった。

 夕方だったせいか、薄暗いとはいえ、最初その女性には気付かなかった。

 黒髮、白い制服、長いスカート、黒い靴。黒い鞄。肌の色は特に白い。

そこに浮かぶ瞳は少し不気味だった。

 年は多分同じぐらいだろうか。

 制服からして、隣町の私立のお嬢様学校の制服だ。

 その女性がこちらを見ている。

私を凝視している。

目は鋭かったが、口元は柔らかい印象だった。

「あら。氷渓紗百合さんじゃあないかしら。御機嫌いかが。退院おめでとう、かしらね。元気になったみたいでよかったわ。せっかくだから、あなたと少しお話しがしたいわ。お時間あって?」

 うわっ、出たっ。

 紗百合はびっくりした。まさか、このようなところで、偶然会うなんて、思ってもいなかったから。

いや、偶然な訳がない。

こんな、何もないところに、わざわざ歩いてやってくる訳がない。

「ぉ、お久しぶりです…… あの、どうして私を待っていたんです?」

「あら、何を言っているの? おとついぶりじゃない。私は、ここを歩いていたら、あなたにばったり偶然、びっくり運命の再会を果たして感激していたのよ。待っていた訳ないでしょ」

「はぁ。まあ、京花……ちゃんがそう言うのなら、きっとそうなんですね……」

 やれやれ、やはり、めんどくさそう。

「それで? お時間、よろしくて?」

「ええ。まあ。長時間じゃなきゃ、大丈夫ですよ」

「では、いきましょう」

「えっと、どこへいくのかな?」

 紗百合は困惑した。正体不明のお嬢様が、いきなり出会って、どこかへ行こうと言うのだから、無理もない。

それに、夢で会ったことを、この人は知っている。

「こんなところで立ち話も何だから、お茶にしませんこと? ついていらして」

「は、はぁ」

 紗百合は京花に従うことにした。聞きたいことは確かにある。

けれど、こないだのことを思うと、気が引けるところもあったのだ。

「こないだのシュークリームのお礼を、ちゃんとしないとね」

 京花はにっこり微笑んだ。が、紗百合には、その笑顔に背筋が凍る思いがした。

 夢の中では、いったい何個のシュークリームをぶつけたのだろう。

最低でも3つは顔面に当てた記憶がある……

 京花の後を、黒い小さなハリネズミがちょこまかと、ついていく。

時折こちらをちらっと見て、またちょこまか歩いていった。

 紗百合は、その後をついていく。少し歩いて、交差点を左に曲がったところに、黒づくめの車が停車しており、その前でスーツを着た初老の男性が待っていた。

明らかにかなりの高級車だった。

 京花が近づくと、スーツの男は後部座席の扉を開けて、京花を車内に乗せた。その後に黒いハリネズミがぴょんと跳んで車内に入った。

「お友達の方。どうぞ。お嬢様がお待ちです」

 スーツの男は優しく促した。

 紗百合は少し躊躇したが、この初老のスーツの男を信じて、黒づくめの高級車に乗った。

「ごめんなさいね。今日はこんな車しか用意できなくて。すぐに着くから我慢してちょうだい」

 京花はそういったが、紗百合はこんなでかい車に乗ったことがなかった。足元は広々だし、隣の京花も手を伸ばしても届かないほど広かった。

それに室内はとても静かで、エンジンの音など聞こえるはずもなく、とても車の中とは思えないほどの静寂さだった。

それゆえ、小声で話しても、しっかり聞き取れそうだ。

逆に何か話さないと気まずい雰囲気になってしまった。

 とりあえず、紗百合は当たり障りのない質問をしてみた。

「あ。あの、どこにいくのかな?」

「あなたと一緒に、甘い関係に、なりにいくのよ」

「はは…… 甘い、関係に、ですか……」

 紗百合の口元がひきつった。

どう見ても、この状況は普通ではない。

 甘い関係っていったい何なんだ?

 シュークリームのを大量にぶつけられるのか?

 それとも、シュークリームの材料に、されてしまうのか?

 それらを、甘い関係と呼ぶのか?

「ねえ。私のことは、覚えているのかしら。スイートマジックさん? それとも、スイーツエンジェルさんかな」

 紗百合はキョトンとしてしまった。

「紗百合はね、そう呼ばれていたのよ。聞こえていたでしょ? 中にはキャンディーデビルって、呼んだ人もいたかしら? テレビでも大々的に放送されていたし、一躍有名人ね。羨ましいわぁ」

 いや、全然嬉しくないけれど……

「京花ちゃんは私のこと、どう思いました?」

「フフッ。狂っていると思ったわ。正気の沙汰ではなかったわ。だって思わない? 警察や自衛隊が女子一人によ、一斉射撃をしているのに、落とせないのよ。それどころか、お菓子を顔に貰って、のびちゃっているのよ。おかしくない? 楽しくない? 笑えるない? お菓子故に、おかしいでしょ? 私はゾクゾクしたわ。そんなあなたを見て、興奮したわ。私が撃ち落としてやる。絶対に私の手に掛けてやるって思ったわ。紗百合の身体に、いっぱい銃弾の穴を開けてやると、思っていたのに、本当に残念よ…… 私では力不足だったみたい…… 私では紗百合には敵わない。敵ながら、あっぱれだったわ。だから、あの刺激的なシュークリームの、お礼をしたいのよ。だって、私たちの仲じゃない。殺し合いをした仲じゃない。どちらかが、死んでしまうまでは、よろしくね」

「はは…… どんな言葉を返したらいいか、わからない…… でも、でもね、京花さんの銃弾も怖かったよ。青白い銃弾が、こっちに飛んできたときは、少しビックリしたよ」

「あら、そう。でも、一発も当たらなかったわ。私も、ライフルを持ってくればよかったわ。知紗だって、当てることができたのだから、こんなに悔しい思いをすることなかったのに。ねえ、そう思わない? 私の銃弾を浴びたかったでしょ?」

 あ、いえ、結構です。

「はは、京花ちゃん、冗談きついなー。私、痛いのは、やっぱりいやだなぁー。その、チサさんかな、の銃弾はすっごく痛かったんですよ。京花さんのは、もっと痛そうだから、遠慮しておきますね……」

「あら、嫌だわ。紗百合は私が酷いことをすると思っていたの? 私はちゃんと、紗百合のことを思って撃ったわよ。例えば……」

 京花は、横に広いこの車で、すぐ横まで寄って、紗百合の腕をとった。ブラウスの腕のボタンを外して、袖をまくった。腕には知紗から受けた銃弾の跡がまだ残っていた。

「可哀想な紗百合。こんなところに、弾痕が残ってしまって、見苦しいわ。それに痛かったでしょ? 私だったら、こんなところには、当てないわよ」

 京花の白い細い手が、触れていた右腕から、上部へ伸び、肩から胸へ降りてきて、射抜かれた胸の箇所をさすった。

 痛くはなかったのだが、身体が自然にビクついた。

「シャロも酷いわね。こんなところを射抜いたら、痛いに決まっているじゃない。胸の骨を砕いて、気管に穴をあけたら、さぞ苦しかったでしょうね。私だったら、ここを狙うのに……」

 そう言って、京花は紗百合の、左の胸を揉み始めた。

「んんんっ!」

 紗百合は、少し警戒をしてはいたが、やはりそうきたかという思いだったが、こうなってしまっては、どうすることもできなかった。

「どう? 痛い? 痛くないでしょ? 痛いわけないでしょ? どんな感じかしら?」

 どうって。言わせたいのか? この人はっ。

 なおも、京花の手ほどきは続いた。

「紗百合どう? 痛いかしら? 痛いのかしら? 痛くてしょうがないのかしら?」

 京花の手付きが、揉みから局部へのタッチに変わってきた。指の腹の部分が、突起した箇所を撫でるように、押すように刺激してきた。その細かやな情景のイメージが、脳裏で鮮明に描かれ、タッチとイメージがシンクロして、よけいに感覚が冴えてしまっていた。

「……ダメッ、京花…… ちゃん……」

 京花の指が、自分の突起物を弄ぶ情景が見えなくとも観ることができた。

「紗百合? 何がダメなのかしら? 痛いからやめてほしいの? それとも、これ以上すると、何かいけないのかしら?」

 京花は、もう片方の手で、紗百合のスカートの中を、まさぐり始めた。

 紗百合は、足に力を込め、手の進行を防ごうとしたが、京花の指は、股間の下着に到達することに成功した。

「どうしたの紗百合。息が荒いわよ。痛むのかしら? きっと痛むのね。やっぱり私が痛いところを、さすってあげる」

 京花の指はさらに前進し、小さな谷に指を進行させた。

「んんっ! 京花、ちゃん、そこはっ、んんんっ!」

 イメージに、下部の谷間に、京花の白くてしなやかな指が、秘所を弄ぶ情景が、追加された。

 指が動くたびに、谷間の中のさらなる細部の谷に刺激が走り、紗百合の身体を小刻みに震えさせた。

「いいのよ、紗百合。痛いなら私がさすってあげるから。上と下はどっちが痛むのかしら?」

「ぁっ! ゃっ、んんんっ。痛く無いっ。痛くないからもうやめてっ……」

「痛くないの? ならどうして、痛そうな顔をしているのかしら? 正直に言いなさい」

「い、痛くない。感じちゃうから、もうやめて……」

「感じちゃう? それは痛いのとは違うのかしら? 本当は痛いのでしょ?」

「痛く…… ない…… んっ。ぁはっ。……本当は ……きもちいい…… でも、もう、やめて……」

「あら、きもちいいだなんて…… 紗百合は乙女の風上にも置けないわね。何てハレンチな発言。少し股間を撫でたぐらいで、感じて気持ちがいいなんて、あなた不潔ね。意外とこの身体も汚れきって、全身性感帯になっているんじゃないかしら。私も毒されてしまいそうだわ。ああ不潔……」

 人に言わせておいて、よく言うよ……

「でも、安心したわ。もう痛みはないのね。てっきり痛いから息を荒げているかと思ったじゃない。私の勘違いだったわ。何だ、紗百合は、ただのすけべで、私のタッチにずっと感じていたのね。そこまで嘘をついてまで、感じていたかったなんて紗百合、落ちるところまで落ちたわね。でも、私はそんな紗百合に手を差し伸べてあげる。だって、私たち、友達だもの」

 言いたいことは、それか…… それが言いたかっただけなのか……

「紗百合が望むなら、私は付き合ってあげるわよ」

「…………京花ちゃん、友達なのはわかったから、もう揉むのやめない? 友達以上の関係は望んでいないから……」

「紗百合は、悲しいことを言うのね。これ以上の関係を、望んでいないなんて。友達の上は友人でしょ? 私では、友人同士には、なれないの?」

 ぅわっ。本当に、この人めんどくさいなぁ。

「わかった、わかったから。京花ちゃんの、望む関係になるから、とりあえずその手を止めてくれないかな」

「じゃあ、やめない。私の望む関係になっていいのでしょ?」

 ぅわ。やられた。こいつ、どうしようもない曲者だ。

 こんな奴に関わっていたら、私の人生はどんどん曲がっていってしまう。どうにかこの場を切り抜けないと……

 走っていた車が停車した。静かすぎてわからなかったが、どうやら目的地に着到したようだった。

「お嬢様、着きました」

 先ほどの、初老のスーツを着た男性の運転手は、静かに伝えた。

後部座席で、何が起こっているかなど、気にすることなく。

 そして、京花の手がようやく止まった。

「あ、そう。御苦労様。早かったのね」

「お邪魔して、申し訳ございません。お友達の方、ご気分はいかがですか」

「あ、はい。気持ちよ…… いえ、快適な時間を過ごせました。ありがとう」

「どういたしまして。では、私めがご案内いたします」

「いえ。私と紗百合の2人で行ってくる」

「わかりました。無理をなさらないように」

「案ずるな。わかっている。では、行ってくる」

 後部座席のドアが開かれ、二人は車から歩き出した。

 辺りはすでに暗く、街灯があちこちで着きだしている。行き交う車両もライトをつけ始めていた。




 ようやく解放されて、ホッとした紗百合だったが、ここがどこなのか、わからなかった。

 繁華街の外れといったところか。大通りのから少し中に入った、雑居ビルの並ぶ、少しごちゃごちゃした場所だった。

 これからが本命の、甘い関係を築く場所に行くのだ。気は抜けない。といっても、どうしようもないのだが……

 いやいや、気を抜いたら、それこそ身も心も、いいように取り込まれてしまう。

 現状、すでにいいように、もてあそばれてはいるのは事実だが。

「えっと、京花ちゃん? 今からどこへ行くのかなぁ。あまり時間がかかると、うちの人も心配するからぁ」

 少しわざと聞いてみる。京香の反応を見るために。

「そうね、こんな時間に誘った私も、いけないと思っているわ。でもね、私もちゃんとお返しをしないと、気が済まないの。大丈夫、そんなに時間はかからないから。紗百合と一緒に、蜜を舌で味わいたいだけなのよ。時間は取らせないわ。ただ……熱くなるのに少し時間がかかるかしら。ねえ」

 フフッと口に手を当てて笑った。これまでに見た笑顔よりも、妖艶に見えた。

 まじやばいぞ…… これは…… 心はともかく、身体が虜にされてしまう…… いっそうのこと逃げようか……

 さっと、京花の右手が動き、紗百合の左手を握った。暖かいぬくもりが伝わってくる。そして、京香は紗百合の手を引いた。

「すぐそこよ」

 ふと見ると、古い雑居ビルの前にいた。一階はバーのようだったが、京花は隅っこにあった階段へ向かい上っていった。紗百合も手を握られていたから、引っ張られるように階段を上がった。

 階段を上がるたびに不安が増していき、京花の握る力も同じように増していった。

 ぅゎ、マジやばい。へんなところで何かされる…… 多分、さっきの続き的なことをされるんだ…… 秘密の部屋で、きっとあんなことや、こんなことされるんだわ……

 紗百合は、いけない妄想を膨らませて首を振った。

 二階へ着くと、少し奥に木製の扉があった。そこに看板が貼られていたが、イタリア風の文字体で、何が書かれているかはわからなかった。

「こ、これは何て書いてあるのかな?」

 恐る恐る、紗百合は聞いた。

「これはね、『大人の秘密の部屋へようこそ』って書かれているのよ」

「ね、ねえ、京花さん?」

「なに、紗百合? 私たちの仲なのだから、さんは、いらない。京香でいいわ」

「えっと。じゃあ、京花…………ちゃん……」

「…………まあ、いいわ。何かしら、可愛い紗百合?」

 自分でかわいいと言ったことはあったが、こんな美人さんに言われると。自分で言っていたことが、恥ずかしくなってきた。

「あのね、私たち未成年だから、こんな所へくるのはどうかなって…… それに、女の子同士でくるのは、少し抵抗があるというか……」

「あら、未成年でも、身体はもう大人でしょ? 別に法を犯すことはしないわよ。犯す? 私はともかく、紗百合はもしかして罪悪感とかあるのかしら?」

 ……この人ヤバイよ………… どうしよう……

「あ、うん。少しあるかも……」

 あるあるっ。最大限にあるわよ。もう、かえりたいー。

「あら、可愛いことを言うのね。きっと、この味を知ったら、あなたから求めるようになるのにね。ほら、入るわよ」

 あーイヤダイヤダ嫌だ。入りたくない。

 京花はドアを引いた。

 木製の扉が軽く開く。鍵はかかっておらず、普通に扉は開いた。

 からんからんからんからん。

 乾いた鐘の音がした。

 中に入ると、テーブルと椅子が並んでおり、奥にカウンターの中に男性がいた。

「いらっしゃい。空いている席へどうぞ」

「え? ここは……」

「見ての通り、喫茶店よ。いえ、カフェね。わたくし、ここのコーヒーが好きなの」

 京花は、奥のテーブル席に着いた。他にお客さんはいなかったが、店内に流れるジャズ風の曲が、店内のシックな雰囲気をより引き出しているのか、人気のない店内に寂しい感じはなかった。

 店内は、オーク調のウッドをふんだんに使った内装で、なんだか昔の帆船の内部にいるような感じがした。

 窓はなかったが、代わりに現代アート風の絵が何枚も飾られており、閉鎖感も感じなかった。

 生花の花瓶も何箇所も置いてあり、それこそが、ちょっとした、おしゃれなレストラン風の感演をしていた。

 全体的にアンティーク調なのだが、古臭さを感じさせないモダンなデザインと、調和のとれた色彩の内装とインテリアに好感が持てた。

「……素敵なお店だね。京花さんの……ちゃんの、馴染みの店なんですか」

「紗百合。友達に敬語は使わない」

 京花の視線が冷たく怖い…… と感じた紗百合だったが、完全に京花のことを、変に疑っていた自分を恥じた。

「えっと、まだ会って2回目だから、まだ少し緊張していたんだけどね。ここへきたら、何だか、普通に話せそうな気がしてきた。だって、京花ちゃん、少し怖いんだもん。でもね、何だか、少し安心したな」

 紗百合に、普段の笑顔が戻ってきた。

 京花に会って、半ば拉致されて、大人の秘密の部屋などという、いかにもいかがわしそうな所へ連れてこられたら、そりゃ警戒するというものだ。

 実際に来てみれば、感じのいいカフェで、紗百合のテンションも上がるというものだ。

 カウンターから、このカフェのマスターが注文を取りに来た。

 40歳前後だろうか、長身でスラリとした風貌で、黒のスラックスに白のシャツとベストが様になっていた。

 カフェのマスターというより、バーテンダーが似合いそうだ。

「ご注文は何にいたしましょう」

 中年の精悍なマスターは、低く通る声で注文を聞いてきた。

「熱い抱擁と中出しミルク……」

 京花はメニューを見ることなく伝えた。

「きょ、京花ちゃんっ! ちょっと、ここってカフェなんでしょっ? 熱い抱擁って……」

 そういえば、他にはお客さん,いなかったよね。やっぱ、そういうお店なのか?

 京花は、紗百合の話を無視して注文を続けた。

「……2つと、愛の蜜香る絹の肌を2つ。……紗百合、世の中にはいろいろなお店があるのよ。紗百合ならきっと感じてくれるわ」

 京花は、口に手を当ててクスッと笑った。

 でたでた、お嬢様の高みの笑い。楽しそうでいいなぁ…… 上流階層の連中はこういうところで遊んでいるのか? 私には理解できないぞ……

 それにしも、愛の蜜香る絹肌って何だ?

 マスターが昔ながらに、伝票に書き込んでいく。

「……御注文は以上ですね。少々お待ちください」

 改めて近くで見ると、なかなかの男前で、精悍さと端麗さで、テレビに出てくる俳優さんのような容姿だった。

 いい男なのだが、今の状況と、この後のことを考えると、どうしてもいい男イコール、危険な男の、紗百合方程式が答えをはじき出してしまう。

 やはり男なんて、どうしようもない生物だ。

 でも、このマスターはもしかしたら違うかもしれない。人を見た目で判断してはいけない。見た目は俳優さんだけれど……。

 この後、奥の部屋に呼ばれて、いかがわしいことをされるんだわ…… でも、あのマスターとなら別に…………

「どうしたの紗百合、顔色が冴えないわよ」

 紗百合の先ほどまでの笑顔と余裕は、完全になくなっていた。

「……京花ちゃんは、ここによく来るの?」

「そうね、比較的利用しているわ。日頃の疲れや、ストレスを解消するには、こういう空間は必要だと思うわ。でも、ほんの僅かだけれど、罪悪感を抱いているのも事実かしら。紗百合はいかないのかしら? こういうところ」

「く、来るわけないでしょっ!」

「へー、紗百合って、こういうところが好きそうだなって思っていたけれど、意外ね。でもきっと癖になるわよ。体は正直だもの。紗百合は感度良さそうだから、きっと病みつきになるわよ」

 京花の視線は相変わらず冷たい。たまに浮かべる微笑みも、冷笑の部類に入っていた。

「……はは、はははは……」

 笑えなかったが、もう笑って心をごまかして開き直るしかなかった。

 マスターがトレイにティーカップを載せてやってきた。

「お待たせしました。熱い抱擁と中出しミルクです」

 かちゃりとテーブルに置かれたのは、ティーカップに白い細かい泡に包まれた飲み物だった。その上には、絵が描かれていた。

 京花の物には桜が、紗百合の物には百合が描かれていた。

「…………ラテアート…… こ、これが、えっと、熱い抱擁と中出しミルク?」

「あら、その表情は、期待はずれって感じかしら?」

「……あ、いや、違うの。てっきり私は……」

「てっきりなに? 熱い抱擁で揉みくちゃにされて、その後に、いれられたかったのかしら? お相手がマスターだったら、よかったのかしら?」

「あ。いや、その、えっと、違うの……」

 紗百合は、大きく首と両手を振った。

「何が違うのかしらね。紗百合はすぐに顔に出るから可愛いわ。後で本当に揉みくちゃにしたいくらいだわ。そんなことより、せっかくの熱い抱擁が冷めてしまうわ。といっても、紗百合は本当の抱擁が、お望みだったわね」

 京花はカップを取り泡に描かれた桜を見た。

 この花は

 可憐と無縁

 汚らわし

 地に堕ちてなお

 茶の席の友

「え? なになに。どういう意味なの?」

 京花が、唐突に短歌など歌うから、少し戸惑ってしまった。

「花なんて散っても枯れても腐っても、こういう席にはやはり似合うなんて、何て大層な存在なのだろうなって、思わない? 所詮、花なのに」

「……大層だなんて、思ったことは無いけれど、でもやっぱり、花があるとその場所が何だか明るくなるし、雰囲気も全然変わってくるよね」

「それって。わたくしのことを言っているのかしら」

 京花はティーカップに口をつけた。それは、ラテアートの桜に、口付けをしているかのようにも見えた。

 確かに、花は場の景色を華やかにしてくれる。京花は、自分で言うだけのことはあって、この場を飾っている。

 紗百合も、カップに口を付けた。ラテアートの百合が唇に触れる。スチームドミルクの温かみと、柔らかい感触と、甘い香りに続いて、熱いカフェオレが口の中に広がっていく。少し苦味は強かったが、先に入った泡状のミルクが、それを程よく融合してくれる。

「ふわぁ、ホッコリするね。こんなに味わって飲むカフェオレは初めてだなぁ」

「いいでしょ? マスターの絞り出したミルクと調和したカフェオレは、熱々でほろ苦ビターで、ほんのり甘くて、癖になりそうでしょ?」

「……京花ちゃんが言うと、何だか違う意味に聞こえるんだけど……」

「それは単に、あなたがどすけべで、変態だからそう思えるのよ」

「それを京花ちゃんが言うかなぁ」

「クックックッ…… 私は何のことやら、サッパリ分からないわ。紗百合は一体ナニを妄想しているのでしょうね」

「わかっているくせに……」

 フフフフッと、京花の笑う声が聞こえてくる。今までとは少し違う雰囲気に、紗百合は驚いた。

 普通に微笑んでいた。いつものように飾った感じも、嫌味もなく、ごく自然に笑っていた。

 冷笑でもなく、誇張した風でもなく、ただ楽しいから笑っている様子だった。

 そんな京花を見て、紗百合も嬉しくなった。

 店の奥からマスターが、皿を持ってやってきた。

「お待たせしました。愛の蜜香る絹の肌です。ごゆっくりどうぞ」

 マスターの置いた皿の上には、焼きたてのパンケーキが3枚重ねてあった。 

 小皿の方には、バターと生クリームとアイスクリーム、それと小瓶にはどうやらメイプルシロップが入っているようだった。

 ごくシンプルな盛り付けだったが、特質するのは、やはり絶妙な焼き加減だろうか。綺麗に蜂蜜色に焼けた生地はキメが細かく、それは確かに絹の肌のようだった。

「これが、愛の蜜香る絹の肌なのね。名前の通り綺麗でいい香りかするわ」

 フフフフッ、京花の笑いは止まらなかった。

「紗百合は、この名前で一体ナニを妄想したのかしら? 私には想像できないわ。ところで紗百合は、自分の名前に百合が入っているけれど、紗百合はユリが好きなのかしら?」

 紗百合は、京花の話を聞きながら、とりあえずフォークとナイフを持ち、パンケーキを切って、一切れ頬張った。

 表面は薄く軽く焦げがあり、まず、サクッと歯に軽い感触が伝わり、その後にふわっとふっくらの生地の食感がやってくる。

 きめ細かい生地の膨らみは、噛む弾力も心地よく、噛むたびに生地から蜜の香りが口に広がった。

「おいしいっ! 何も付けなくても十分に美味しい。トッピングが別になっているのがわかるわ。……あ、ごめん、予想以上のおいしさで、我を忘れたわ。私、百合の花って好きなんだけど、でも、何だか私っぽくないなって思っているの。白くて優雅でたくましくって、それでいて、涼しげで優美。何だか私と全然違うから、自分の花って感じがしないのよね。もちろん、百合が好きなことには、変わりないんだけどね」

「そう、紗百合はやっぱり、百合が好きなんだ。百合、百合、百合、百合。相手を選ぶなら、何を基準にするのかしら?」

「は?」目が点になった。

「百合が好きな紗百合。百合を求めているのでしょ? どんな子が、お好みなのかしら?」

「あ、いや、百合を好きとは言ったけれど、女の子の百合じゃなくて、花の百合のことなんだけど……」

 と紗百合は言ったが、京花の次の言葉には大体想像がついた。

「あら、紗百合、照れているの? 私たちの仲なのだから、遠慮はいらないわよ。私が欲しいなら、そう言えばいいのに」

 そう言って、京花もパンケーキをナイフで切って頬張った。

「愛の蜜を知った仲じゃない」

 もちろんこれは、京花のジョークだとわかっていた。来るときに言っていた、2人の甘い関係を築くは、まさにこれのことだった。

 紗百合はおかしくなってきた。笑いが自然に出て来る。先ほどの京花みたいに。

「フフフっ。そうね、愛の蜜を舐めあった仲ね。しかも、絹のようにきめ細かい肌は、スベスベでもちもち。かぶりつきたいわねっ」

「クックックッ…… 紗百合が言うと、何だかすごくエロいわ。さすが私以上の妄想と変態ぶりね。どこを舐め回しているのだか」

「私以上って、自分でエロいこと認めているじゃない。私も確かにエロいかもしれないけれど、京花ちゃんには到底及ばないわよ」

「あら、私は少なくとも、紗百合みたいな変態ではなくてよ。私が軽く触れただけで悶絶する紗百合は、日頃から鍛えている証拠よ。体は正直なのよ」

「……いや、あれは、夢の世界での一件の後から、何と言うか、感性が鋭くなったような感じで、特に五感が鋭くなったの」

「それじゃあ、今日のこのカフェタイムも、しっかり体で感じ取れたと言うわけね」

 京花が意味ありげに微笑んだ。

「……そう言う意味だったのね、甘い関係。身体で感じ取る。そして、女子でもペロリと食べてしまえるパンケーキは、少し罪悪感を抱く。何だかおかしいね。京花ちゃんが言うと、全てエッチに聞こえちゃうんだから」

「人は、目で見て耳で聞くのじゃなくって、頭の中で見て聞いているのよ。紗百合の頭の中は、そういうコトで一杯だから、そう聞こえるのよ。ドン引きしてしまうわ。本当に汚らわしい」

 フフフフッと笑う京花は、本当に絵になる女性だった。

 紗百合はこんな素敵な人と、友達になれたと思うと、心踊る思いだった。多少癖は強いが、悪い人ではないと思った。

「だって、京花ちゃんが、そうやって振ってくるから、自然と答えもそうなっちゃうんだよ」

「自然にエロ丸出しな紗百合は、もう病気だわ。救いようがないわね。でも安心して。あなたがいくらド変態でドすけべでも、私は見捨てたりはしないから。そんな紗百合でも受け入れてあげるから」

 抑揚のない静かな口調で淡々と話す京花は、喋らなければ本当に品の良いお嬢様なのに、どうしてこんなふうに、なってしまったのだろうなと思ったが、この手の人種には、色々な闇と過去が、潜んでいるのだとも思えた。

「……あら、どうしたの紗百合。私の言葉に感動して、涙腺が緩んでしまうのを、こらえていたら、別のところが濡れ濡れになって、どうしたら良いか、うろたえているのかしら?」

「……そこは、濡れていないわよ。京花ちゃんは、私なんかが友達でいいのかなって、思ちゃって。だって、全然釣り合いが取れていないし、家柄も全然違うし、京花ちゃんに気を使わせているような気がして……」

 京花から冷たい視線を感じた。凍てつく痛い眼差しで紗百合を見据えていた。

「何を言っているのかしら。家柄が違う? 釣り合わない? 何を基準に言っているのかしら。そんなの関係ないわ」

 京花が怒っていた。自分とは違う人間だと言われて、自分とは合わないだろうと言われて、京花は怒りの感情をあらわにしていた。

「ごめん、そう言うつもりじゃないの。私もね、昔から結構疎外感みたいのがあってね、なかなか人と交わることができなかったんだ。でもね、京花ちゃんは私との間を、縮めてくれようとしていたのが、よくわかったの。だから、……私で良ければこれからも友達でいてね」

 京花がテーブルのから身を乗り出して、紗百合の右手を両手で握った。

「紗百合。これで二人は完璧な友達ね。二人の同意の下、契りは交わされたわ。楽しいことも苦しいことも悲しいことも感じることも、二人で分かち合うのよ。こうして私たちは身も心も一つになれるのね。嬉しいわ、さ・ゆ・り」

 いつもの抑揚のない、静かな口調だったが、少しながら邪気を感じた。

 紗百合は、ゾクゾクッと思わず身震いをしてしまった。

 しまったと、自分が軽率な判断をしてしまったことを後悔したが、京花の、触れる手から伝わる温もりは、不思議と心が落ち着き、安心するのだった。

 きっと、この人は信用できる。性格には多少問題はあるが…… 裏はなさそうだから、きっと大丈夫……

 京花は、握っていた手を緩ませて、指と指の間に自分の指を入れてきた。俗に言う恋人繋ぎというやつだ。

 持っていたフォークが、落ちそうになるのを、こらえていると、指にひんやりとした感触が伝わった。

 どこから出したのかは知らないが、いつの間にか薬指に、リングがはめられていた。

「……はっ、はめられた…………」

 紗百合は、ボー然と右手の薬指を見た。これは何を意味するのか、何となくわかってしまった。

「はめられた、ではなくって、はめたでしょ? これで契りは成立。二人は晴れて特別な関係になったのよ。嬉しいでしょ。紗百合?」

 と言って、京花は自分の右手を見せた。そこにも同じようなリングが、薬指にはめられていた。

 嬉しそうに、楽しそうに、喜んでいる京花に、文句を言う気も失せてしまった。

 まあ、京花としては、何か形として約束の証みたいな物が、欲しかったのかもしれない。このリングを見れば一人ではないって勇気がもらえるような。

 まあ、いいっか。友達には変わりないのだから。それにしも、薬指はまずいなぁ。こんなの見られたら、どう言い訳をすればいいのやら。

「京花ちゃんには、まいりました。まさか指輪を交わすなんて、思ってもみなかったわ。でも、これって別の指でも、よかったんじゃないかなぁって、思うんだけど」

「あら、紗百合は別のところに、はめたかったのかしら? ねえ、そうなの? 別のところにはめたい? はめたい? そうなのでしょ、はめたいのでしょ。はめられたいのでしょ? 全く紗百合は契りを交わしたすぐに、これなのだから、私だって、心の準備だってあるのだから……」

 おいおい、そんなに可愛らしく赤面するなよ。しおれるな。こっちが照れてしまう。

「……京花ちゃん、あの、この指でいいから、別のところに、はめなくてもいいから、ここでいいから……」

「あら、そうなの? 紗百合は、きっと初めてだから、臆病になってしまったのね。お互い純真な乙女だから、しょうがないわよね」

 ……純真なのは確かに認める……、が、この強引さはどうだ。人を引っ張っていくタイプなのはいいけれど、人一倍さみしがり屋なのは少し問題だなぁ……

「……そうだよ、お互い乙女なんだから、先走った行為をするにはまだ早いよ」

「あら、その行為って、何なのかしら? 私には全然わからない。ちゃんとしっかり教えてちょうだい。私たちは友達なのでしょ? 何でも分かち合う仲なのでしょ? 私だけ知らないなんて、あり得ないし、不公平だわ。紗百合は、私に教える義務があるのだから、口で説明するのが難しいのなら、手取り足取り、体を使って説明してもいいのよ。いえ、体を使って教えてほしいわ。だって私たち友達なのだから、別に問題ないでしょ。契りを交わした友達なのだから」

 京花がニンマリと笑った。

 ぅゎ、どう返したらいいんだ。迂闊なことをいったら、墓穴を掘ってしまうぞ。

「……えっとね、行為って言うのわね。そうね、それわね、……こう言うことよ」

 紗百合は、おもむろに席を立ち、京花の席の後ろに回り込むと、手を脇の下に潜り込ませ、脇の下をくすぐり始めた。

「きゃっ、あぁっ。紗百合っぃ。ちょっと、まっ、て。あははははッ。ぃひひひっっ」

 店内に京花の乾いた声が響いた。他のお客さんがいなくて本当に良かっと、紗百合は思ったが、こんなことをしていたら、マスターに怒られてしまう。

「どう? 乙女の私たちには先走った行為でしょう? 清楚な淑女は、人前では声を張り上げたりはしないでしょ?」

 紗百合はくすぐるのをやめて、京花の様子を見た。

「…………いいわ。あなたの教え方。良かったわよ。よくわかったわ。よく理解したわ。あなたのやり方がわかったわ。つまり、紗百合は私と肌と肌を触れ合わせて、感覚を共有したいわけね。嬉しいわ。紗百合もようやく、肌の触れ合う喜びに目覚めたのね」

「ぁ、ぃや、そう言うわけじゃ、ないんだけどなぁ。そんな真顔で言われても、返す言葉がないよ」

「いいのよ。照れなくたって。女の子なのだから。恥じらう乙女は、魅力を引き立たせるわね。可愛い紗百合がもっと、かわいく見えるわ」

「…………ははは……」

 どうしてこの人は、こんなにも私を、そのように見ることが、できるのだろうか。

 重すぎる友情を超えた、愛情を感じる。しかもかなり重い……

「……フフフッ。紗百合といると、時間がたつのが早いわね。せっかくの熱い抱擁が冷めてしまうわ。ねえ」

 そんな様子を知ってか知らぬか、奥からマスターがポッドを持ってこちらにやってきた。ポットには熱いコーヒーが入っているのだろう。

「京花ちゃん。今日はやけに御機嫌だね。店の奥まで声が響くよ」

「そうなの、マスター。聞いてくれる? 紗百合がね私のスイートスポットをせめてくるから我慢できずに声が出てしまったの…… ぃやだわ、恥ずかしい……」

 おいおい違うだろ。両手で顔を隠す京花を見て、こちらが恥ずかしくなってきた。

「へえ。京花ちゃんと紗百合ちゃんは、仲がいいのだね」

「そうなの、マスター。聞いて聞いて。見て見てほらっ」

 京花は右手を見せた。そこには紗百合と同じ形のリングがはまっていた。

「紗百合がね、わたくしに夢中で、猛烈にアタックされて、わたくしついに折れてしまったの。紗百合の熱い想いと、優しいタッチに、心も体もトロトロになってしまいましたの。そ・し・て。私たち今日、晴れて結ばれましたのっ!」

 マスターは紗百合をまじまじと見つめた。以外性と驚きの混ざった表情をしていたが、すぐにいつものクールな表情に戻った。

 それでも先ほどとは違い、熱い視線を送っているように紗百合は思えた。

 …………そんな目で見ないでよぉ。違うんだから……

「そうか、君は………… そういう人だったんだね。なるほど、人は見かけによらない訳だ」

 ……だから、ちがうんだって。

「あ、あの、マスター? 京花ちゃんと会うのは、今日が二回目で、まだそんな関係までは、いってないんですよ」

「京花ちゃんが、こんなに楽しそうにしているのは、珍しいと思ったんだ。いつもと違うなってね。そうか、君がね……」

 あぁ、完全に誤解されている。

「あら、マスターは紗百合の事を、どう思っていたのかしら?」

 マスターが肘に手をかけ顎を撫でた。いかにも考えているポーズは、白いシャツに、黒のスラックスの上にエプロンをしている姿に、なんだかマッチングしていた。

「京花が、別の学校の生徒と、一緒にいるなんて、珍しいなと思ったよ。また悪さでもしているのかなってね」

「あら、人聞きの悪いことをおっしゃる。私は人のために、あれこれ奉仕するのが好きなのよ。特に、可愛い子にはね」

「紗百合ちゃん、だったかな。君も先が思いやられるね。京花は、そんなに悪い子じゃないけど…… 見た目によらず、かなりの悪だ。気を付けるといいよ」

 。・°°° °″。はぃ??″

「ま、ま、ますたー? 今なんと?」

「だから、京花は、見た目、少し悪そうなイメージがあるけど、性格も少し悪そうだし、目付きも少し悪そうだけど、だからと言って、人を見かけで判断してはいけない。少し悪そうな感じだけど。実は、根はきっと素直で優しいと、思うかもしれないが、実際、京花は少し悪い、ではなくて、かなり悪いが正解だ。少しどころではないから、気を付けるんだよ」

 ボー然と、マスターの顔を見て、その後京花を見た。変化の無い表情で、カフェをすすっている。マスターの話を、無言で肯定したかのようだった。

 今のマスターの意見を否定しないのか? いつものように「あら、ご冗談を……」みたいなことは言わないのか? 

「……ハハハハハ……は、は」

「紗百合どうしたの? 善と悪は紙一重って言うじゃない。どこぞの国旗なんて、白黒が象徴になっている国だってあるのよ。つまりは、善と悪は背中合わせ。私は大いなる善であり、もしくは悪でもあるのよ」

「そんなこと、堂々と言えるのね…… 京花ちゃんは……」

「あなたも同じよ、紗百合。健全とすけべは表裏一体。紗百合はとても健全だけれど、同時にとってもドスケベなのよ」

「あのー、すけべの方を強くしないでくれないかなぁ」

「あら、恥じることではなくてよ。生きし生きるすべての理りに「すけべ」は必要なのよ。だから、紗百合、あなたは堂々と胸を張って、どすけべを貫きなさい」

「……京花ちゃんが真顔で言うと、何だか本当にそれが人の道徳に聞こえるから怖いよ……」

「あら、私はあなたの代わりに、代弁してあげただけよ。すけべは正義なのよ。すけべは人道なのよ。すけべは人生そのものなのよ。紗百合にとってはね」

「ぁぁ。京花ちゃんといると、本当に別の何かに目覚めそうだわぁ」

「紗百合っ! 開眼の日は近い。あなたはあなたのすけべ道を歩みなさい。私はちゃんとサポートしてあげるから」

「ぁ。ぃゃ、サーポートはいいです……」

 そんな二人を見ていたマスターは、つい吹き出してしまった。

「君たちは本当に仲が良さそうだね。京花もあまり紗百合ちゃんをいじめちゃいけないよ。えっと、「ほろ苦ぶっかけミルク」2つね」

「ええ。マスターの特性ミルクでね」

「少々お待ちくださいませ」

 マスターは一礼してカウンターへ戻っていった。

 それにしたも、メニューの名前を考えたのは一体誰だ。何も知らない女子がこの店に来たら、きっとドン引きするだろうな……

 と思ったが、意外とウケるのかもしれない。最近の女子はエロには抵抗力があるのだ。いや、エロを受け入れる傾向があるのだ。……と、思いたい。きっと。

「マスターって、良い人でしょ? でも、とってはダメだからね」

「え?」

 京花がぼそりと言った。

 意外な発言に紗百合は耳を疑った。いや、疑わなくても良かったのだ。それが自然なのだから。

 店主とお客にしては、少し慣れ親しんだ雰囲気があったが、考えてみれば、京花の想い人なのかもしれない。

 紗百合は少し安心した。自分は、そちらの対象ではないのが、わかったことと、京花もやはり、普通の女の子だということが。

 でも、マスターのことをいいなって思っていたから、少しだけ寂しさを感じた。京花がマスターと、楽しそうに話しているのを、今後は見るのが少し辛くなりそうだ。

「わ、わかっているよ。だいたい、私なんか相手にされていないし、京花ちゃんとマスターって仲よさそうだし」

「あら、妬いているのかしら? 私がマスターに、取られてしまいそうだからかしらね」

「あ、いや、ちょっと違うけどね」

 京花の冷たい視線が飛んでくる。

「紗百合。あなたには優しさとか、気遣いとかの、微塵のかけらもないのかしら? ここは、「マスターなんかよりも、私のすけべ心の方が断然上よっ」とか言えないのかしら。全くもってがっかりしちゃうわ」

「……ははは、それもちょっと違う…………」

 先程少し寂しいと思った感情は、どこかに消え去ってしまった。

 と言っているうちに、マスターがトレーの上にコーヒーカップを載せてやってきた。

「お待たせしました。ほろ苦ビターのミルクぶっかけです」

「……本当に、そんな名前で出しているんですか……?」

 出てきたのは、コーヒーカップの上に、生クリームのホイップがたっぷり乗ったウインナーコーヒーだった。

「うわ、私これ初めて飲むわ。ちょっと嬉しい」

「ごゆっくりどうぞ」

 マスターは空いた皿と、ティーカップをトレイに載せて、カウンターへ戻っていった。

 紗百合は、ウインナーコーヒーを口にした。

 山盛りの生クリームは、カップに口を付けて飲もうとすると鼻にクリームが付いてしまう。

 指で鼻に着いたクリームをぬぐいそのまま口でしゃぶった。

 これ、飲むの難しいな……

「フフ、紗百合。はしたないわね」

 京花もカップを手に取り口をつけた。さすがにクリームを鼻に付けるようなことは無かった。

「久しぶりに飲んだかしら。やはり、おいしいわね」

 京花にしては珍しく普通の感想だった。

 紗百合も、今度は鼻につかないように上手く飲んだ。

 コーヒーの苦味とコクが、生クリームのホイップと甘みが折り重なって、深いほろ苦さ感を出していた。

「パンケーキの後だけど、これはいけるわね。苦さだけのブラックとは違って、デザート感覚のコーヒーって感じかな」

「あら、紗百合はブラックが飲めないのかしら? このウインナーコーヒーは、クリームを載せるから、あらかじめ苦味とコクを強めにしたブレンドになっているの。だから、本来のブラックはもっとスッキリとした、コーヒーを味合うことができるのよ」

「京花ちゃんは、ブラック派なの?」

「残念ながら、ミルクと砂糖、入れる派よ。やはり甘くないと、つまらないもの」

「そういうものなのかな? コーヒーって」

「でもね、甘いだけでは、やはりダメなの。人はなぜか苦味を求める。甘いだけでも十分に満足できるのに、わざわざ苦味を求める。私もそうだけれど、甘いだけの生活に飽き飽きしているの。だから、苦味を求めて、わざわざこんなところにまで、たどり着いてしまったのかしらね。甘いだけの生活で満足していれば、足元をすくわれることも、なかったんだけれどね。もう、元の生活には戻れない。でも、そんな苦味も、やはり私を生き生きとさせてくれる。私は今の自分が好きよ。このほろ苦い日々が好き。もう、元の甘ったるいだけの暮らしには、きっと戻れないのよ。苦味を知った者は、さらなる苦味を求める。どうしてなのかしらね」

 紗百合は、京花の言っていることが、わからなかった。何を意味しているのか、理解できなかった。

「京花ちゃん? 何の話? コーヒーの話じゃないよね」

「紗百合は、どれが好き? 蜂蜜ミルク、ほろ苦ビターのコーヒーに砂糖ミルク入りと、、それからブラックコーヒー。三択で」

 紗百合は突然の問いに、少し悩んだ。こんなことは考えたこともない。

「この問題は、条件によって異なるわ。単体だったら、蜂蜜ミルク。洋菓子が口寄せなら、コーヒー砂糖ミルク。和菓子だったらブラック。ってところかしら」

「そう、そうかもしれないわね。つまり、あなた一人だったらこの世界は向かない。私と一緒なら、少しはこの世界を楽しめる。最後の回答は、私にもわからないわね。和菓子に例える紗百合は、やはりスイートマジックさんだわ。和菓子は一体何を意味するのかしらね」

「ぅーん、何を言っているのかわからない」

「今の紗百合には、わからない。何もかもね。つまりね、生きていくには、苦味も必要ってことよ。あなたも私もそれを求めている。二人の甘い関係は築けた。次は2人で苦味を味わうのよ」

「ぅーん、やっぱり、わからないよ。でもやっぱり、私は甘い方がいいなあ。苦いのはちょっと苦手だよ」

「甘さでくどくなった口の中には、苦味が必要なのよ。口直しをしないと、次の物も味わえないでしょ?」

「京花ちゃん、何だか深いことを言うね。お寿司でいう、ガリみたいなものなのかな。でも、京花ちゃんの言う苦味って、そういう類じゃないんでしょ?」

「そうね。今言ったらつまらないから、後にとっておきましょう。せっかくのコーヒーもまずくなってしまうし、紗百合のいじめがいが、なくなってしまうしね」

「……ははは ……私は、いったいどうなってしまうんだろう」

「心配しないで、大丈夫よ。ちゃんと私が手取足取り面倒をみてあげるから。ちゃんと紗百合のいいところを、引き出してあげるから」

 おや、京花がまともなことを、言っているような気がするぞ。

「スイートマジックの紗百合には、ちゃんとスイートスポットを、私が開発してあげるから。そうしたら、すぐにでもイケるようになるわよ」

 ……やっぱりそっちか。でも、そう言われた方が、なんだか安心するんだよね。

「ははは…… それは遠慮しとくよ。といっても、京花ちゃんは、したいんでしょう。でも、いまはダメだからね」

「あら、もの分かりがこの短期間でよくなったわね。どういう風のふきまわしかしら。いつでも私が、あなたを鍛えてもいいって、理解していいわけね」

「まあ、そのときは、京花ちゃんの好きなようにしていいわよ」

「あら、紗百合らしくないわね。それでは、いじりがいがないわ。もっとあがいて抵抗して、もがいてイヤイヤしてくれないと、私も萌えないわ」

「え? 燃えない? 萌える? 私相手に萌えてくれるなんて、悪い気はしないけど……。あれ、えっと、何の話だったっけ?」

「あなたの改造計画。ほろ苦仕様で、感度抜群にセッティングする話を、していたのでしょ?」

「……いや、それは違うぞ。そうだ。苦い経験は必要って話よ。その後の話を、聞いていないよ。私が夢の中で犯した罪を償うって話のことなんでしょ?」

「…………犯した? あら、紗百合は……」

「その犯したじゃなくって、夢の中で私のスイートマジックを目撃されて、その後の、私の処遇のことよ」

「あぁ…… 何だ、紗百合の痴女ぶりのことじゃないんだ。何だ。また話が盛り上がると思ったのに。何だ……」

 京花は本気で残念がっていた。

「私はいつから痴女になったんだ? そう言うことじゃなくって、私はこれからどうなるの?」

「先程も言ったでしょ? 私と結ばれたのだから、一緒に行動を共にするのよ。つい先ほど、指輪を交わした仲じゃない。もう忘れたの?」

「……あ、ぃゃ、そう言うことじゃなくて……」

 京花は目を細めて微笑した。

 それを見て、紗百合は背中に冷たいものが走った。

「あなたの悪いようにはしないわ。私を信じて」

 いつもにもなく凍てつく眼光を浴びて、紗百合はたじろいだ。

「…………ぅ、うん。わかった…… 京花ちゃんを信じる……」

「嬉しいわ、紗百合。これで私は、あなたに何をしてもいいってことよね」

 京花の口元がつり上がった。

 紗百合は、軽はずみな返事をしたことに後悔した。

「さて、今日は紗百合と、甘い関係が築けたから満足だわ。もうお開きにしないとね。楽しかったわ」

 紗百合の顔からは、苦笑いしか出なかった。

 京花は席を立ち、紗百合もその後に続いた。

 カウンターにいたマスターに、軽く手を上げて、スタスタと出口へ向かった。

 紗百合は軽くお辞儀をして、京花の後を追った。

 お店の外に出て、紗百合が京花に声をかけた。

「お会計しなくて、よかったの?」

「は? お会計? わたくしが来ているのだから、その必要はないでしょ? 私があの店に行った。それだけで十分でしょ?」

「……ははは…………」

 今日、何度目の苦笑いをしたか、紗百合は覚えていなかった。

  

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