第6話 夢の名残
震えていた。
ひどい汗をかいていた。
胸が痛い。
息ができない。
苦しい…………
紗百合は目が覚めた。
……夢?
ひどい夢だった……
女神のような金髪の女性の放った光の矢で、串刺しになる夢を見た。
女神と言うよりは、可愛いメイドだったような気もしたが……
こんな夢は、それほど見られるものではない。
ちょうど胸の痛みのある場所に、深々と矢は刺さっていた。
明晰夢だったのかは、わからない。
あまりにもリアルで鮮明な夢だったが、自分が夢のことに気が付いていたかはわからなかった。
夢予知みたいな、何かの警告なのかもしれないと、思ったりもしたが、これはたまたま最近見たアニメの影響で見た夢なのだろかと思ったりもした。
胸の痛みが、悪夢を見るきっかけになったんだ……
紗百合はそう思った。胸の傷がうずき、指でさすってみたが、ほとんど痛みはなかった。
最初の頃の、あの激痛は一体何だったんだと思うくらい、痛みは引いていた。
改めて夢を振り返った。リアルで鮮明な夢だったのもあって、記憶にもしっかり残っていた。
明晰夢の特徴でもあるが、生々しいくらいに、目、頭に焼き付いていた。
それは例えるなら、動画を再生するような感覚で、思い出すことができたのだ。
自分は空を飛んでいた。
背中には羽があった。
地上には自分を狙って銃を撃つ警官や自衛官がいた。
戦闘ヘリや、対空洗車などを撃退し、自分は銃弾を交わし、手からシュ―クリームを出し、地上の人たちにぶつけていた。
……ん? シュークリーム?
地上にいた人の中に、メイド風の金髪の女性と、Tシャツ短パン黒髪の女性と、パーカーデニムの中学生がいた。
この三人はそれぞれの手に武器を持っていた。弓に拳銃にライフルだ。
Tシャツ女性の銃弾は、青い燐光を放って飛んできた。
その人には、シュークリームを何個もぶつけた。
そのすきに、中学生女子がライフルで撃ってきた。やはり青い燐光を残して飛んでくる銃弾だった。
自分はかわせず右腕で受けた。弾は貫通して左肩に当たった。
その後、金髪の少女が弓を構え矢を放った。その矢は銃弾並みに早く、とっさに巨大ういろうを出現させ壁にしたが、矢はそのういろうを粉砕して飛んできた。
そして、かわす暇もなく矢は胸に深々と刺さった。
激痛で意識が飛んでしまいそうだったが、やがて痛みは次第に薄くなり、自分の体がなくなっていくような感覚に襲われた。
そして、目が覚めた。
刺激的なシュークリーム。
他のみんなには、マカロンやパンケーキを振る舞う。
……まさか、京花は、今見たこの夢のことを言っているのか?
とすると、この夢の中のどこかに京花がいたというのか?
記憶を手繰る。
目をつむると、鮮明に夢で見た情景が浮かび上がった。
黒髪長身美少女なんて簡単に見つかるはず。
頭の中で動画を見ている感覚で、京花を探した。
シュークリームをぶつけた女性は限られている。
……いた……
あの三人組のTシャツ女性だ。
髪型が違っていたから全然分からなかったが、確かに、京花にシュークリームを何個もあげている……
しかもかなり刺激的にだ。時速200㎞で何個も顔面にぶつけられたら、そりゃあ怒るだろう。
身なりも雰囲気も印象も、かなり違っていたが、顔立ちは確かに京花だった。
そのことには驚いたが、こうも自分の記憶が鮮明なのはさらに驚きだ。これはどういうことだ?
……ちょっと待てよ。
紗百合は肝腎なことを思い出した。
小さな黒い猫の悪魔……
「…………リブル。いるの?」
恐る恐る何もない場所に声をかけてみた。
何も出てこないことを祈った。が、紗百合の期待は裏切られた。
(やあ、紗百合。気分はどうだい?)
紗百合の膝下に、小さな黒い猫が現れた。
「…………ぅゎ」
本当に現れた。現れやがった……
ってことは、一体どういうことなのだ?
(え? 気分は最悪? どうしてだい)
こいつは私の思っていることが、わかるのか?
(うん。もちろんだよ。君は認めたくないようだけれど。その通りだよ)
紗百合は手を額に当てた。
「…………最悪だ……」
(その言葉がどうして出てくるのか、僕にはわからないよ)
「人の心は読めるのに、人の気持ちはわからないのね。そんなんでは女子に嫌われるわよ」
(どうして君が僕のことを嫌うのか理解できない)
「理解しなくていい。気持ちがわからないのなら、理解することなんてできないわよ」
(別に、君のことを理解するつもりもないけれどね)
「あっそう。何であんたがここにいるの」
(どうして君が、怒っているか知らないけれど、紗百合、君が呼んだのだよ。だから、僕はここにいる)
「そう言うことじゃなくって、どうして夢の中にいたあなたが、どうしてこっちの世界に出てこられるわけ?」
(君の言う夢の世界って、第三階層のことかい? 僕は理由さえあれば第三階層でも第四階層でも行くことができるのだけれど。ちなみにここは、第四階層。君が呼んだから来たのだよ)
「来たのだよ、って、確かに呼んだかもしれないけど、こいとは言っていない」
(それは言葉としては言っていないけれど、君の心は、リブル出てこいと呼んでいたよ)
「…………そう。じゃ、いいわ。せっかく、はるばるやって来てもらったのだから、あなたには、いろいろ聞きたいことがあるわ」
(京花のことかい? それから、えっと、シャロと知紗のことだよね。君が言う夢の世界にも、守るべき規則があるのさ。君はその規則を破った。だから、君は警官や自衛官に狙われることになった。あちらの世界は君のような存在を許していない。だから、全力で排除しようとした。でも、彼らでも君に太刀打ちできないとわかり、退治屋達が呼ばれた)
「それがあの三人ってことね。そして、こっちの世界の私を、見張りにきたってところかしら?」
(それは少し違う。彼女たちは、君を心配して見舞いに来ただけだ。死なないだろうと思っても、たまに死ぬ事例もあるから様子を見に来ていたのだよ)
紗百合の脳裏に悪いイメージがよぎった。
「…………ねぇ。リブルは私のことは、何でも知っているんだよね。私のお母さんのことは知っている?」
(君の母親は、君が五歳のときに亡くなっている)
「どうして死んでしまったかは、知っているの?」
(僕は君の母親のことは知らない。君のことなら何でも知っているけれどね)
「そう、知らないか…… ねえ、私みたいに夢の中で殺されてしまって、こっちでも死んでしまったってことって、あるのかな?」
(先程も言ったように、死んだ事例もある。それが君の母親なのかは知らない。でも、君達の言う夢の世界で、規則を破った者達は排除される。これはしょうがないことだ。こちらで死んでしまったのは、運が悪いとしか言いようがない。だから、君を撃った人達や、過去に排除を請け負った人たちを、責めることはできない)
「……うん。わかってる。わかっているけれど、納得はできない……」
(では、シャロたちを責めるかい? 君だって、警官や自衛官を、殺してはいないけれど、それは、たまたま死ななかっただけで、もし、死んでいたら、それこそ君は殺人者なのだよ)
「……わかってる、わかっているけど……」
紗百合は拳を握りしめた。いつの間にか大粒の涙が頬を伝って、拳を濡らしていた。
(もう一つ。君は、第三階層で罪を犯したから、罪を償う義務がある。だから、京花はここへやって来た)
「……罪を償う? 私は夢の中でお菓子を食べただけなのに、何も悪いことなんてしていないのに。撃ってきたのは向こうが先よ。だから。私は怪我のないように、お菓子を振る舞っただけなのに。どうして、私が罪を償う必要があるの?」
(少し論点が違うのだよ。君の罪とは、警官や自衛官にお菓子を無理やり振る舞ったことではない。君はいろいろな人に、目撃されてしまっている。それこそが罪なのさ)
「え? どう言うこと? 見られただけで罪になるわけ? 人を殺しても、見られていなければ罪にならないわけ?」
(よく分かっているじゃないか。そういうことだ。時間が来れば第三層は、第四層に同期する。ただし、そこで起こった事柄は全て同期される。つまりね、君がやったことを見た人は、しっかりその人の記憶に残るということなのさ。ありえないことは起きてはいけないのさ。それを見られてしまった。しかも、かなり大勢の人たちに見られている。これはいけないことなのさ。起きてはいけないことは排除される。だから君は警官隊や、自衛隊の標的になった。早いところ大人しく撃たれて死んでいれば、そこで夢から覚めて問題も大きくならずに済んだんだ。でも、事は大きくなりすぎた。それが、君の罪だ)
「禁断の技を、使ったからとかじゃないのか。何だか、いい加減な世界なのね。見られただけで捕まるだなんて」
(何を言っているかな。ここの世界だって同じじゃないか。見つからなければ、捕まらない。だから、隠れて悪いことをするのだろ?)
「別に、隠れても悪いことなんてしないわよ」
(いい悪いの問題でも、ないのだけれどね。やっていけないことは、良いことでも、ダメなものはダメなのさ)
「それが…… 夢の中のルールなのね。じゃあ。私以外にも、結構な人が裁かれているってことよね」
(そうだよ。そのたびに警察は動いてくれる。場合によっては自衛隊だって動く。そして、時間がくればリセットされる。でも、君の場合は違うだろ)
「何がちがうの? 私が可愛いところ?」
(……それは関係ない。君の力は人知を超えていた。世界を滅ぼす力を持っていたのさ。君のような危険な芽は、早めに詰む必要があったからね)
「……それって、もしかして、私を巡って男たちが争いを起こすってやつでしょ? 美女は世界を滅ぼすって。罪よねー」
(…………あのさ、うぬぼれって言葉、知っている? 世界は君をそんなふうには見てはいないよ。まあ、君がもし美女だったとしても、世界で争いが起こることは絶対にないだろうけどね)
「それって、どういう意味かな」
(意味なんてないよ。君を見ていると、そのうち世界中がお菓子になってしまいそうで怖いよ……)
「あら、素敵じゃない。お菓子の国。お菓子の世界。誰だって、夢憧れる世界だと思わない?」
(思わないけれど。そんな腐敗してしまう世界、誰も望まないよ)
「そうよね、そこが問題なのよ。防腐剤は使いたくないしね」
(いや、そういう問題ではないと思うよ。やはり、君は野放しにしてはおけないな。力を封じて正解だよ)
「え? なになに、何の話?」
(うん。あれこれ、そんな話。そのうちにわかるよ)
「一体何のことなの?」
(僕は君の監視役だからね。しっかり指導していくよ。君は罪人だからね)
罪人と言う言葉で、紗百合は身体が震えた。
「…… まあ、一応…… あなたの言うことには、耳を傾けることにするわ……」
(賢明な判断だ。それでは僕は姿を消すね)
待って、と言う前にリブルは姿を消した。まるで空気に溶けるように、視界から消えていった。
犯罪者かぁ。何も悪いことしていないのに、気が重いな……
紗百合は、胸の傷をのぞいた。先程まで青白く変色していた箇所は、普通の肌色になっていた。丸い跡は残っていたが、それも少し赤みがさしている程度だった。
いつの間にか、胸も腕も肩も、痛みは無なくなっていた。少し寝ていた間に、傷は治っていたようだ。
どうやら、早ところ退院して、普段の生活に戻れということか。
いや、普通の生活ではなく、新しい生活へ早く突入しろということか。
リブルに始まり、京花に、その仲間達と一緒に行動する日が近いようだ。
なぜか、異次元的な話なのに、不安よりも期待の方が少しだけ大きかった。
紗百合は再び眠りについた。
今度は良い夢を見れますように、と願いを込めて。
できたら明晰夢化して、今度こそこっそりいろいろな物が食べられますように、と付け加えた。
紗百合の体調は担当医を驚かせる勢いで良くなった。
再検査しても、悪い結果は何も出てこなかったから、あっけなく退院をすることができた。
結局、原因不明の突発性感染症といったところだが、あんな症状が出たにもかかわらず、早々退院させてしまう病院もどうかなと、複雑な思いだ。
久しぶりに学校に登校して、友達の千明にあった。
クラスの人にも、千明にも、入院したことは言っていなかったから、風邪が悪化して、しばらく休みを取ったと言っただけだった。
感染症で入院したなんて言ったら、ドン引きされてしまう。
少し顔色悪いよ、と言われたが、病み上がりで、まだ少し体調が悪いからと、ごまかした。
実際、体調は悪くはなかった。傷は完全に癒えていたが、相当の出血があったためか、貧血の症状はすぐに元通りにはならなさそうであった。
教室でホームルームが始まるまでの時間は、貴重なおしゃべりタイムだ。
そこで、千明が以外なことを言ってきた。
「今朝ね、変な夢を見てしまったの。紗百合を街で見かけて声をかけようとしたら、何と空を飛んで、どこかにいってしまったの」
紗百合は、びっくりして、むせてせき込んでしまった。
「紗百合、大丈夫?」
「あ。うん。ちょっとむせただけ。それから、その後は、どうなっちゃったのかなぁ。気になるなぁ」
「それでね、しばらく走って探していたら、紗百合が空からお菓子を投げまくって、警官や自衛官にぶつけて、怒らせちゃって、銃撃戦になったの。ヘリや戦車とかもやってきて、ミサイルなんかも撃ってきたわ。そうしているうちに、光の矢が飛んできて、紗百合に当たっちゃって、空中で光の粉になって散ちゃたのよ……」
「はあ、散っちゃたんだ……」
「でも、夢でよかったね、紗百合。何かの前兆なのかもしれないから、今日は気を付けた方がいいよ。夢占い的には、生まれ変わるとか、やり直すとかの、メッセージがあるのかもしれないけれど、粉々に散っちゃうなんて、明らかに不吉よね。だから、今日は本当に気を付けた方がいいわよ」
「そ、そうだね…… うん。気を付ける……」
紗百合はぞっとした。
目撃者の記憶が、ちゃんと残っている。
夢の世界で、みんなが同じ物を見ていた証拠だ。他にも見た人が続出しそうで身震いした。
リブルが言っていた、目撃されることの罪を、何となく理解した。
たかが夢の中。されど夢の中。
行動一つにとっても、誰かに見られていたわけだ。
それにしても怖い話だ。
そのうち自分のことが、噂で広まりそうな気がしてきた。
「ねえ。千明って、よく夢見るの?」
「よくは見ないけれど、今朝のは衝撃的だったから、目が覚めても鮮明に覚えていたの。そういえば、胸の辺りが真っ赤で、口からも血が滴っていたわよ。思い出すだけでゾッとするわ」
紗百合も、身が凍る思いでゾッとした。
「あ、そうそう。紗百合スカートだったから、パンツ丸見えだったわよ。色はたぶん、薄いブルーだったかな。でもね、その後、突然服がなくなって、素っ裸だったわよ」
「…………」
そうですかぁ。紗百合は頭を抱えた。
「何を悩んでいるのよ。私が見たのは夢の話よ。夢の中でも恥ずかしいわけ?」
うん。恥ずかしい。すっごく恥ずかしいっ。だって、みんなに見られているのだから…… みんな、ちゃんと覚えているし……
「ははははは…… 千明は、夢なのにちゃんと覚えているんだね。だったら、やっぱりちょっと恥ずかしいかなぁ」
「いいじゃない。私に見られたって、どおってことないでしょ? それにね、飛んでいるときの紗百合は、何ていうか、とても神々しいかったよ」
「コーゴーしい? 私が?」
「そうよ。大きな白い羽を羽ばたかせて、天を舞う姿は、神ってるというよりは、天使か妖精だっけれどね。それなのに、みんなで寄ってたかって撃ちまくって、紗百合を落とそうとしていた。何だか、腹立っちゃったんだけど、撃っていた連中がね、シュークリームパンチで、ノックアウトしているのを見て、少しスカッとしたかな。パンツ丸見えだったけれどね」
「……それ、よぶん……」
紗百合はあのとき、自分に敵意がある者は見えていたが、それ以外は全く目に入らなかったようだ。
千明のような存在は、当然、他にもいたに違いないが、大半の人は夢を見ても、ほとんど忘れているのだろうか。
千明の場合は、自分のことを知っていたから、より強い印象で、残っていたのだろう。だから、こんなにもはっきりと覚えていたのだ。
いや、まてよ。
女子高生がスカートの中のパンツを見せまくって飛んでいたら、それだけで強い印象になるな…… しかも、大きな白い羽で飛んで、シュークリームを投げまくって、最後には全裸になっていたのなら、なおさらだ……
「……ねえ、千明。それって本当に、私だったの? 似たような人だったり、映画の登場人物だったりとかしない?」
「ううん。絶対、紗百合だった。私が見間違えるわけがないでしょ。それに、紗百合って身体が引き締まっているから、後ろからでもわかるのよね。ボディーラインとかでもね」
ある意味、友達愛に感動した。ちゃんと見てくれているのだなと。
「……千明はよく見ているんだね。驚いちゃった」
「そりゃ、全裸の紗百合も見ているからね。服の上からでもわかるよ。どこが、どのように出ているかなんてね。せっかくだから、こういう時にチェックしておこうか」
千明は紗百合の後ろに回り込んで、脇の間から両手を入れて、紗百合の胸のふくらみを触った。揉んだ。
んっ……!
紗百合は少しびっくりしたが、千明との仲なので、これはご愛嬌の範囲内だった。
「ほら、形といい、大きさといい、感度といい、みんなの憧れるバストよね。男子が放っておかないのは、しょうがないことよ」
「胸に寄ってくる男子なんて、虫けら同然よ。蹴散らしてやるわ」
「紗百合の、そういう気の強いところがうけるのよ。世の男子は、強くて、かわいくて、胸のある女子が好きなのよ」
「私、そんなに胸ないわよ。せいぜいCぐらいだよ」
「いやいや、Dはあるわよ。羨ましいことで」
「そういう千明だって、Eぐらいあるでしょ?」
「そこなのですよ、紗百合さん。男子は胸のある女子が好きなのだけれど、大きい胸を求めていないのよね。つまりはバランスよ。例えばそうね、短パンティーシャツの健康活発的な女子を想像して。どれくらいが、ちょうどいいと思うかな? 私はCじゃ少し物足らないから、Dくらいかなと思っている。それ以上は、何ていうのかな、不健全というか、方向性が違って見えてくる。かわいい、と、思えるのは、やっぱりDが一番だと思うなあ」
「そんなものかなぁ。男子なんて、大きければ、それだけでいいんじゃないかな。所詮男子だし。千明が走っているときって、結構みんなの注目を集めるよ」
「あら、紗百合さん。ちゃんと見ているのね。私的には少しコンプレックスなのだけれどな。紗百合のサイズが私の理想ね」
「千明は身長も私よりあるから、大きくても違和感ないけどな。それこそ、もう少し痩せたらモデル体型になれるのに」
「痩せたらね。テレビでやっているような、筋トレでもしないと無理だよ。モデルさんは、体育会系の職業なんだよ。私向きじゃないな。もっと楽して痩せられるんなら、苦労はしないのに。紗百合は、全然太らないからいいなぁ」
「そうね。うちは家が厳しいから、太ることは許されないわね。だから、千明ぐらいが、ちょうどいいんだよ。何も苦労しなくても、そこそこの体型を保てるのだから」
「そこそこね。紗百合から、それなりのお褒めの言葉を頂きうれしいわ」
「あ。いまの、嫌みじゃないからね。生活が自由でいいなってことだよ。怒った?」
千明は顔を寄せて、怪しげにほほ笑んだ。
「怒ったから、紗百合の身体で癒やされるっ」
再び、紗百合の後ろから脇の間に手を入れて、両手で胸の膨らみを揉みしごいた。
「きゃあっ!」
さすがの紗百合も悲鳴をあげた。周りの人たちの視線がこちらに向けられる。
「こら紗百合、声をあげたら目立つでしょっ」
「それを千明が言うか?」
千明の手の動きは止まらない。
「どこを、どうすると、いいのかなぁ」
「ちょっと千明やめてっ。私はそっちの気は無いんだから」
「じゃ、どっちの気ならあるのかしら? 感じ方はあまり変わらないでしょ。ちなみに、紗百合が相手なら、私は、別に、いいよ」
「私はよくないっ!」
「冗談よ。本気にした?」
「千明が言うと冗談に聞こえないわよ。それに、その手つき、本当にいやらしい。自分がされたいんでしょ?」
「だから、言っているでしょ。紗百合ならいいって」
「……冗談じゃなかったっけ」
「まあ、半分ってところね。紗百合もそんなことろかしら」
「一緒にしないで。私は全然よ」
「そんなこと言って、あまり嫌がってなさそうな気がしたけれど。感じていたんでしょ」
「千明の手つきが、よかっただけよ」
「あ、そう。やっぱりよかったんだ。体は嘘をつかないのね」
「もうっ!」
紗百合は、千明の手の甲の皮をつねった。さすがの千明も、胸を揉むのをやめて手をひっこめた。
「私も、紗百合もこれで癒やされたから、お互い満足ね」
「満足したのは千明だけでしょ。私は揉まれ損ってとこね」
「え、何? もっと先が欲しかったのね。ごめんね、私ここでは、さすがにできないよ。でも、紗百合が望むなら、別に、い・い・よ」
「こら、乙女が言う言葉ではないぞ。それに、言う相手が違うでしょ? そう言うことは、彼氏さんができてから言うの。私を練習台にしないで」
「へいへい、わかりました。でも、紗百合の感度の良さもわかったから。いいね!」
千明は拳を出して親指を立てた。
紗百合はグーの拳で千明の頭を軽く小突いた。
「いいね! じゃない。人の体をおもちゃにしないの」
「え? 違うの? 私のラブドールでしょ?」
紗百合はグーの拳で、千明の頭を少し強めに小突いた。
「千明のせいで、私がそっちに目覚めたらどうするの」
「さー、百合って言うくらいだから、覚醒したら、私が一生お相手になってあげましてよ?」
紗百合はグーの拳を千明の頭に落とした。
「あいたたた。冗談だって、冗談。これだから紗百合は、いじり甲斐があるよね。でも、否定はしないのかな?」
「否定も肯定もしない。私の百合は花のゆりなんだから、そっちじゃないんだから」
「わかってるわかってる、怒らない。代わりに私のを揉ましてあげるから、許してっ」
「結構よっ」
とは、言ったものも、千明の胸の膨らみはクラス一だ。どんな弾力なのかを、確かめてみたい気持ちもあった。
おっと、いけない。私は何を考えているのだ。そう、大きいからって弾力があって柔らかいとは限らない。
いや、そういうことではなくって、人の胸に興味を持ってどうする。私は女の子だぞ。
いや、同性だからといって、別に変な気持ちがあるわけではなくって、単に、どんなものなのかなという、興味があるだけだ。
同性愛とかそんなんじゃない。
おっと、私は何を考えているのだ。
別に人の胸なんて、どうでもいいではないか。
「紗百合? どうしたの? 急に考え込んでしまって。もしかして、迷っていたりして? それとも覚醒に、一歩近づいてきたのかしら?」
「いえいえ、そんなんじゃないわ。違うわよ」
そういえば、リブルが言っていたな。(君は覚醒者だ)と。
退院してから、頭の中や身体が、クリアになった感覚がある。
とにかく調子がいいのだ。全てが軽くなった感じで、五感は繊細になり、感度も増している。
京花や千明にお触りされたときも、やたら感じたのも、そのせいかもしれなかった。
ある意味、目覚めたのかもしれないな。
「ねえ、千明は夢を見ていて、いま自分が夢を見ていることに、気付いたことはある?」
「何をまた、突然そんなことを? でも、今朝の夢も明らかに現実ではないのに、夢だと思わないなのは、何でだろうね。どうして夢の世界を、私たちは何も疑うことなく、受け入れてしまうのかな。私たちはそう望んでいるのか、それとも、夢の世界が自我に気付くのを嫌がっているのかな? 好き勝手にされては、困るのかもしれないね。だから、私たちは夢を見ていることに、気付けないようにされている。そう思わない?」
「………… 千明、今日イチの発言」
紗百合は気が付かなかった。
夢の中とはいえ、私たちはしっかりと夢の世界にコントロールされているのだと。
そのタガを外した、私みたいな人は存在してはいけないのだ。
特に私の力は超常的だった。
夢の世界をかき乱す行為をした時点で、存在を認められない。消されるのが定めだ。
リブルは第二階層からやってきたと言っていたな。
それで、ここは第四階層。
夢の世界は第三階層。
第一階層にはきっと、全てをコントロールしている存在がいるのだろう。
想像もつかないな。
多分、神ってやつがそこの階層の世界にいるのだろう。
「紗百合はあるの? 夢に気付いたこと」
え? わたし?
「あ、いやぁ。ないけどな。千明の夢は、なんだか私と因果関係がありそうな気がしてね」
「だから、何かの前兆だと思うよ。私の予感は当たるからね。と言っても、夢で見た天使のようになれるとは思えないから…… そうねえ、何かと対立するのか、何かと戦うってことじゃないかな?」
千明の直感は凄いな。下手すると夢の世界のこともバレてしまうかもしれない。
「まあ、参考までに気に留めておくわ。千明の意見は身に染みたから」
「おや、珍しく素直ね。迷信とか人一倍信じないくせして、私のオカルト的な予言は信じるんだ。そんなことでは、巫女の名が折れるわよ」
「私は巫女じゃないわよ。家がたまたまお社に関係しているだけよ。たまには素直に千明の言うことを聞かないとね。ねえ、千明が夢の中で自我に気が付いたら、何をしたい? 夢の世界なら何でもできるんだよ」
「そうね、でも、なんでもはできないと思うよ。私だったら、未来に行って、私の旦那様を見たいな。それとも、過去に行って、紫式部に会うのもいいかな」
こいつ、やはり私とは出来が違う……
「さっすが、千明は発想が違うな。確かに夢の世界でも、それはできないかもしれないね。でも、もしできるんだったら、それこそ未来を変えてしまう能力になるわね。ある意味怖いわ」
「だから、きっと夢の世界には、ちゃんと管理者がいて、私たちを見張っているのよ。だから、夢の世界でも、それはできないことなんだと思うよ。世界の理を変えるようなことを、してはいけないんだわ」
千明、冴えているな。怖いくらいに……
「それでも、千明は、してみたいと思うの?」
「正直、未来は怖くて見れないわね。必ずしも、明るい未来があるとは限らないから」
「千明は、石橋を叩いて歩くタイプだから、大丈夫のような気がするけど。でも、未来が最悪だったら、今後、生きていくのも苦しいよね……」
「たとえ、未来が幸福で満ちあふれていても、そんなの見たら、いまの生活に張り合いがなくなっちゃう」
「え? どうして? 約束された未来なら、安心して生活ができると思うんだけど」
「張り合いがなくなるのよ。目標を掴み取るために頑張っているのに、そんなの見たらね、一生懸命になれなくなるわ。未来を見た瞬間に世界は変わってしまうのよ。知ってしまったら、未来も変わる。それこそが世界の理りじゃないかしら」
「……千明らしいね。私には至らぬ思いだよ。確かに明るい未来なんか見ちゃったら、気が抜けて何もやらなくなっちゃうね」
「紗百合だったら、間違いなくそうね。明るい未来は毒だわ。紗百合の場合は少し厳しい未来を、いえ、現実を見せつけるのがいいかもね」
「あら、手厳しい御意見だこと。でも、千明の言葉だと重みがあるわ……」
何か引っかかるものを感じた。何だろう、この違和感は。頭の中でモヤモヤっと何かが形状を成してきたのだが、それが何かは、今はわからなかった。
でも、今後夢を見ることに少し抵抗を感じてしまう。
見たくて見るわけではないが、寝るときに不安を感じてしまう。
自分はまた、枠の外に出てしまうのではないかと。そして、夢の中で知り合いに会って、何らかの影響を与えてしまうのではないかと。
千明が思い出したように言った。
「そういえば、やりたいこと、あったあった。現実離れしていたから、思いつかなかったけれど、とっておきのがあったわ」
「え? なになに。男どもをたくさん従えた、キャリアーウーマンとか?」
「紗百合のロマンはその程度か…… 夢がないわねぇ。私がやりたいのはね。月の散歩よ」
千明は教室の天井を指差した。
紗百合は上を見たが、当然教室の白い天井しか見えない。
「宇宙よ、紗百合」
「わ、わかっているわよ、そんなこと」
「ねえ、思ったことない? 地球上の場所なら、その気になれば行くことはできる。でも、月ってどう頑張ったって、行くことなんかできないでしょ?」
「あれ? でも、宇宙旅行のチケットってあるんだよね。すっごく高いけど」
「でも、月にはいかない。月に行くのって、ものすごく大変なのよ。人類はかれこれ40年ほど、月に行っていないそうよ。だから、夢の中なら、もしかしたら行けるかもしれないわね」
もし、明晰夢状態で理りを無視して月まで行こうとしたら、きっと世界は容認しないだろう。
立ちはだかる何かに阻止され、消されてしまうに違いない。
言われてみれば、明晰夢の体験者の中に、月に行ったというのは、聞いたことがない。
男子の卑猥な体験は、たくさん聞いたが、このロマンに溢れる月物語を、聞いてみたいものだ。
みんなが単に興味がないのか、それとも、それに関して、大きな意思が働いて、思考させないようにされているのか。
今の紗百合には、どうすることもできないが、今度リブルにあったら聞き出してやろう。
あの化け猫はきっと何でも知っていることだろう。
「千明が、そんなことに興味があったなんて意外だわ」
「紗百合が、人の話をちゃんと聞くなんて意外だね」
教室に、きーんこーんかーんこーんと、鐘の音がスピーカーから鳴り響く。
二人は顔を見合わせて、時計を見て、軽く手を上げて、お互いの席に着いた。
今日も一日が始まる。
いつものように、いつもの時間に、いつもと同じように、それは始まっていく。
紗百合は、この当たり前な毎日が好きだった。
変わらない日々、変わらない生活、当たり前の日々が好きだった。
あの悪夢の後だったせいもあったが、一週間ぶりに学校生活に戻れたことに、幸せを感じていた。
どうか今日も、良い一日になりますように。
紗百合は目をつむり、そう願った。
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