第3話 世界の敵
大都市の上空300mで飛んでいた黒いヘリの中では、5キロ先上空でミサイルの爆発を確認して歓声が上がった。
機内に無線が入る。応答した隊員たちはその内容に驚愕した。
観測班の報告だった。聞いて隊員達は耳を疑った。
「何かを投げて、ミサイルに当てた? 何かってなんだよ。……は? フライパン? ふざけているのか? 何かの間違いじゃないのか…… そうか、確かなのか。……あれは化け物だ。 次弾、まだかっ?」
機内に緊張が走る。確かにレーダーには反応があるし、五キロ先に確かに白い物体が確認できた。
「ターゲット、ロックしました」
「撃てっ!」
ヘリの攻撃ポッドが火を吹いた。
紗百合はヘリを凝視した。今の紗百合には至近距離で見ているかのように、はっきりと見ることができた。
視力で換算したら、それこそ視力2.0ではなく、20.0はあるだろうか……
さらには、ヘリの内部も見ることができた。
(それは千里眼と言うやつだよ。物理的遮蔽物があっても、その奥が見えてしまう、言わば心の目だよ)
「って、人が見ているものを勝手に覗かないでのよっ! 悪趣味なネコっ!」
(僕は君の監視役だからね。君が見ている物も、しっかり監視するよ)
「あっそうっ」
輸送ヘリのように見えるが、機体横には小さな羽のような出っ張りがあり、兵装ポットの筒がぶら下がっている。
機体横のハッチは大きく開かれ、そこではライフルを構える兵と、大きな双眼鏡でこちらを見ている兵がいた。奥にも一人待機しており、パイロットとコパイを入れて五人いるのが見えた。
紗百合は持っていたフライパンを、ヘリに向かって投げつけた。
フリスビーのように回転しながら飛んでいく、フライパンを見届けてから、先程のフライパンの10倍程のでかい物を物質化し、両手で持った。
さすがに重かったか、高度が少しづつ下がっていく。
早速、でかいフライパンの上に、パンケーキを五枚出して、熱々に焼いていった。
一回ひっくり返して、少し焦げ目ができたのを確認すると、投石機のようにパンケーキ五枚を一気に投げつけた。
それを目で追い、五枚の飛翔体をコントロールする。その間に、もう五枚出して焼き始めた。
(紗百合…… 一体、何をしているの? あちらさん撃って来たけれど)
「見ればわかるでしょ? パンケーキを焼いてるの。五枚を飛ばしながら焼いてるんだから、話しかけないでくれる? 気が散るから……」
紗百合は右手でフォークを実体化させ、バックハンドで投げつけた。
2秒後、ミサイルにフォークが突き刺さり、空中で爆音とともに爆発四散した。
「きゃっ!」
爆音に紗百合は小さく悲鳴をあげた。
(そんなところで、女子ぶるな)
「何言っているのかなぁ。私はか弱い女子高生よ。あんな一方的な暴力行為に、私は泣きそうなんだから」
(はいはい。ミサイルを、フライパンや、フォークで撃ち落とす女子高生はいないよ)
紗百合はフライパンのパンケーキを、2度ほどひっくり返して、先程と同様に投げつけた。
「第二弾、落とされました!」
ヘリの中で双眼鏡を覗いていた隊員が叫んだ。
「前方に熱源5。レーダーにも反応ありますっ! こちらに向かってきます!」
コパイロットが言った。
「ミサイルか? そんなふうには見えないぞっ」
「徐々にですがスピードを上げてこちらに向かっています! 70秒後に接触しますっ!」
「……ぅ、撃ち落とせっ。かわそうなんて思うなよっ!」
ヘリの隊員たちに戦慄が走った。
ホバリング中のヘリに、5発も誘導弾を撃たれたら、普通は落とされる。
機体下のチェーンガンと、兵器ポットの機関砲二問がが火を吹いた。
レーダーに微かに映る程度の飛翔体を、半ば感で撃ちまくった。
パイロットは、正面から黒い円盤状の物が、くるくる回転して飛んでくるのを肉眼で確認した。
「…………フ、フライパ……」
時速200km近くのスピードで飛んできたフライパンは、ヘリの正面キャノピーに当たりガラスを粉砕した。
強化ガラス製のキャノピーは、粉々に砕け、前席に乗っていた隊員に降り注いだ。
「ぅわっ! て、敵弾直撃っ! 全面部キャノピーが大破。……航行には問題無しっ!」
「何事だっ!」
「敵弾と思われるフライパンらしき物が直撃しました」
「何? フライパンだと? ふざけやがって……」
「敵弾なおも接近中っ! いや、三つ撃破っ! ……着弾まで後、3。2。1。…………」
「ぐわぁーーっ!」
「ぎぁーーーっ!」
ヘリ前席にいた、パイロットとコパイロットから、断末魔が聞こえた。
後ろのカーゴ内にいた隊員たちは、前の二人が飛んできた何かに串刺しにされて、絶命していると予想した。
「……おいっ、大丈夫かっ? しっかりしろっ!」
隊長の呼びかけに反応するはずもなく、と思っていたが、すぐに返事は来た。
「……だ、大丈夫です。熱くて、ベロを焼きましたが、問題ありません」
パイロットはそう答えて、コパイの方を見たが、こちらは気絶していた。
あまりもの恐怖と緊張感が、理性の限界を超えてしまったようだ。
パイロットは他の隊員を載せている以上、操縦桿を離すわけにはいかなかったのだ。
その責任感が恐怖に勝ったのだ。と、紗百合は遠くから見てそう思った。
「隊長。第二派が来ます。数5っ!」
「引けっ。我々ではかなわん」
「了解っ。直ちに離脱しますっ!」
ヘリは機体を傾けて旋回運動に入り上空を離脱した。
そのヘリを、パンケーキが猛スピードで追った。
途中で大きく弧を描いて、離脱したかと思われたが、再び弧を描いてヘリの側面めがけて突進した。
隊員たちは、カーゴハッチの銃座から迎撃を試みるが、飛んできた対象はクレーン射撃の円盤のように投影面積は小さく、当てるのは困難だった。
それでも優秀な隊員は、そのうちの二つを撃ち落とした。
残る三つのパンケーキは、ヘリ内部、隊員3人の顔面に直撃した。
隊員たちの断末魔がヘリ内部で反響した。
「……って、大げさな…… たかがパンケーキが顔面に当たっただけじゃない。一体、私が何をしたっていうの」
(ヘリにフライパンをぶつけて、機体を破損させ、隊員たちを未曾有の恐怖に落とし入れた。挙げ句の果てには、未知なる物体を隊員の顔にぶつけた)
「無実無害の私にミサイルを撃ってきたから、怒った私はフライパンをぶつけてやっただけじゃない。それに、ご挨拶のお菓子を送ってあげたのよ。何が悪いのよっ!」
(それはいいとして、どうするのだい。もう後戻りはできなくなってきたようだけど。ひたすら逃げるかい。戦うかい? ちなみに、言うのを忘れていたけれど、君がここの人たちを傷つけると罪になる。今程度なら、大した罪にはならないけれどね。それと、君はもし撃たれても死ぬことはない。だって、そのときこそ、君が向こうで目覚める時だ。つまりね、このまま逃げても、ここで銃弾を浴びて体が粉々になっても、投降して捕まったとしても、結果はあまり変わらないってことなのさ。逆に、ここで戦い続けて、ここの人たちを傷つけたり、殺したりしたら、君は罪を背負うことになる。間接的にそうなった場合も同じだよ。つまりね、これ以上騒ぎを大きくしても、君のためにはならないってことなのさ)
「じゃあ、大人しく捕まれってこと? 今さら? それとも、頭に銃弾を浴びて楽になれってこと? どっちも嫌よ。ここまできたなら、時間まで逃げ延びてやるわよ。何だか、どっかのゲームみたいね。逃翔中だったかな?」
(君は呑気でいいね。まあ、期待はしていないけれど、ここの人たちに、あまり迷惑をかけないようにね)
「迷惑をしているのは、こっちなんだけどな。早く帰って宿題をやらないと終わらないよ」
(だっだら早いところ、ゲームオーバーになってしまえばいいのだよ)
「嫌よ。そんなの」
紗百合は回りを見渡した。
地上ではパトカーが赤い点滅灯をたいて、至る所から、こちらを伺っていたし、空は空で、民間のヘリが10機近く飛んでいる。中には軍用のヘリも混ざって飛んでいた。
「みんな私に注目しているのよ。ここであっさり終わらせたら、みんな、がっかりしちゃうじゃない。それに一方的にやられるのは、しゃくに障るわ。一矢報いとかないとね」
紗百合は目をつむり、周りの景色を感じ取るように集中した。
目を閉じていたが、頭の中では様々な景色が見えていた。
地上で警官隊が連絡を取り合っている。
狙撃隊が数十丁とライフルを構えてこちらを狙っている。
他にも迷彩服に身を固めた集団も見えてきた。
近くの駐屯地にいた自衛隊は、ようやくこの地に駆けつけ、地対空ランチャーを背負って迎撃の準備をしている。
兵員輸送車両からは、続々とライフルを構えた隊員が降車し、隊列を組んで銃口をこちらに向けた。
そんな情景がはっきりと見えた。心の目は。肉眼の目よりも、多くの情緒を伝えた。
みんな撃ちたくてしょうがないようで、自分を落とすことに、最高の喜びと快感を味わいたいのだろうか。
「私は、そんなものは注文していない。なまり弾もミサイルもいらない……」
紗百合の心の目は、地上の情景が全て見えた。
楽しそうに武器を準備する警官隊と自衛隊は、紗百合にとって腹ただしい存在になってきた。
そんなに私に弾丸をあげたいのかしら?
だったら……
「御注文はマカロンでいいですね……」
紗百合は両手を上にあげた。
両手の平から、次々とマカロンが現れた。
紗百合の頭上で発生したマカロンが、螺旋を描いて渦を巻はじめた。
「……100 ……500 ……1000 …………1500 …………1547ロックオン」
紗百合は、心の目で1547人の標的に照準を定めた。1547個の目があるかのように。
「では、ごゆっくりどうぞ……」
紗百合の両手がふり降ろされた。
頭上で旋回していた大量のマカロンが一斉に四方に飛び去った。
地上でその状況を見ていた警官たちは、戦慄を覚えた。
上空400m付近で飛んでいた紗百合の頭上には、まるで小さな台風が見えたからだ。
だが、異様な光景だったのはそれだけではなく、通常の白い雲ではなく、色取り取りのカラフルな色の雲の台風に見えたからだったからだ。
見る者によっては、空にカラフルなブラックホールが現れたかのようにも見えたし、空間の歪みから異次元につながる通路にも見えた。
共通として言えることは、誰もその光景を、綺麗とか、すばらしいとか、奇跡だとかと、思った人は誰一人といなかったことだ。
誰もが、これから起こる悪夢を想像した。
カラフルな台風は突如四散した。そして、その構成していた一つ一つのパーツが一斉に降り注いだ。
気付いたときには、その物体は目の前に迫っていた。
悲鳴をあげたときには、物体は口の中に直撃した。
白い悪魔からの未知なる物体は、瞬時に人を死におとす悪魔の物質などではなく、口に入れた瞬間、幸せを感じる、お菓子屋いずみの名物マカロンだ。
200キロ近くのスピードで、マカロンは口の中で粉々になり、まるで火山の噴火のように、口から粉塊をあげた。
口を開けていなかったものは、口をビンタされたような、大きなあざを作り、中には前歯を折り血を滴らせた者もいた。
車両などの中にいた者達にも、しっかりと紗百合のサービスは行き届いた。
突然フロントガラスが粉々に割れて驚き、口を開けた瞬間に、マカロンを叩き込まれた。
運の良かった者もいて、とっさに伏せて、ヘルメットで受けた者や、腕で防いだ者もおり、中には手で受け取った強者もいた。
そんな者達にも、しっかりと追加サービスが行き届いた。
おまけとばかりに、二個、三個と口に放り込まれ、もしくは顔面に叩きつけていった。
警官や自衛官の中には、女性もいたのだが、彼女達は、差別的なサービスを受けた。
猛スピードで迫ったマカロンは、彼女たちの手前で急停止し、ゆっくりと落ちた。
しかも、しっかりとラッピングがしてあり、地面に落下しても、ちゃんと食べることができたのだった。
男性の警官は、自分の口に未知の何かが放り込まれ、死が迫っていると思い込み、悶え苦しんだ。
それを横目に、女性達はマンゴー味のマカロンをおいしく食べていた。
地上では、各所で1500人以上もの絶叫が上がった。
(……楽しそうだな。それにしても、君の千里眼は怖いね。もし、君が暴走したら手におえなくなるな)
「あら、そう? 私が暴走? へえ、どうなってしまうのか、想像したくなるわね。何だか気分がいいの。頭がスーッとして、とてもクリアな感じ。あなたの言う覚醒者ってなんだかわかるような気がしてきた」
(薬の常習犯みたいなことを言うな。勘違いされるぞ)
「勘違い? 誰がするのかしら? 私はそんなものは当然知らないわ。でも、こういう感じになるって、悪い気分ではないわ」
(それにしても、これで引き下がる連中ではないけれど、どうするのだい? 今のはきっと火に油を注いだよ)
「もっと炎上するなら、私はさらなる油を注いであげるわ」
(……紗百合? 好戦的になってきているけれど、本来の君に目覚めてきたのかもしれないね)
「は? 本来の私? 何を言っているのかしら。私は変わらないわよ。それより、あの連中は何か策でもあるのかしら? 地面でで蠢く蟻みたい。踏み潰したら迷信的に雨でも降るのかしら?」
紗百合の唇がつり上がった。
(……警察と自衛隊が連携しているから、きっと何か動きはあるはずだよ。もう、ここを離れた方がいい。これ以上、君が本性を現さないうちに……)
「……くる。いえ、きたわよ」
紗百合は、先程と同じくらいの大きなフライパンを両手に出し、大きな公園の茂みのある方角へ、二つとも投げつけた。
肌に舐めるような感覚が全身を包んだ。さっきも悪寒が走ったあの感覚だ。レーダー波を体が感知したのだ。
公園の茂みから火砲が上がった。
とっさに上昇し、再びフライパン実態化させ両手で構えた。
その直後、足元に火線がかすめた。
火線は二本、紗百合めがけて一直線状に弾丸が撃ちこまれた。
さらに別箇所からも同じような二本の火線が紗百合を襲った。
ジグザグの回避飛行でかろうじてかわすが、弾幕の厚さはそれ以上だった。
「……っ! まじ?!」
フライパンで銃弾を流そうとするが、弾丸はいとも簡単にフライパンを貫通して、脇腹をかすめた。肉が裂け血が溢れ出し、白い衣類を赤く染めた。
激痛で意識が飛びそうになる。
両腕でお腹を押えて、辛うじて回避運動を行い、弾丸をかわしたが、あまりにも多い銃弾の量に、かわし続けるのもはや限界だった。
紗百合の頭に死の文字がよぎった。
その頃、先程紗百合が投げた二つのフライパンが、茂みに隠れていた車両の上部に当たり、火花を散らした。
車両は二台いた。一台は上部の和太鼓のようなレーダー機器にフライパンが突き刺さり、もう一両は上部に二つある機関砲の一つをへし折おられていた。
二台の車両は公園の茂みから出て、上部に10本ほどある筒状の先端をこちらに向けた。
「……何なのあれ。女子に熱い視線を送るのはいいけど、あんな弾丸はいらないわよ。次は変な棒を私の体に叩き込むんでしょ。もういやだわ、ドン引き。軽蔑するわ」
(まだそんな冗談を言う余裕があるのは驚きだな。あれは、対テロ用、強襲戦車の試作品だ。十六式とパーンツィリを割って足したような車両だな。うってつけのテストができるわけで、さぞやあちらさんも嬉しいだろうね)
「は? ひとろく色とパンツ? 何なのそれ?」
戦車というより、キャタピラ駆動ではなく、大きなタイヤを八つ付けた装甲車に近かったが、上部には、大口径機関砲二問と対空ミサイルポットが10問に対地ミサイルポットが4問、そして、一番の特徴は前面に和太鼓のようなレーダーと後部にもレーダーサイトと光学式のセンサーが装備されていた。
元々は装輪戦車で、機動戦車といったカテゴリーなのだが、大口径の主砲を対空車両に兵装改修したものなのだろう。
つまりは、起動力を生かした、強力な火器管制装置を備えた、多彩火器車両ということだ。
対テロ対策としては、十分過ぎる火力だろう。世の中には物好きがいるものだ。
「また勝手に人をモニターにしやがって…… こっちは大出血サービスしてあげてんのに、許せないわ」
砲撃が止まり、紗百合は自分を見た。
腰から下は真っ赤に染まり爪先から血が滴っていた。よく見ると左足のふくらはぎがごっそり無くなっていた。
体のあちこちからも肉が切れて血が流れていた。
弾丸は当たらなくても、近くを通過するだけで空気を裂き、紗百合の柔肌を割いていた。
羽ばたく大きな翼も穴だらけになっている。高度も徐々に下がっていた。
これ以上高度が下がったら、下の警官と自衛官の射程内に入ってしまう。
「正直しんどいな…… 早く…… 帰りたい……」
紗百合は意識は遠のいていた。通常ならとっくに気を失っている。
紗百合をここまで気張たたせていたのは、単なる意地だった。
(紗百合。もういいだろう)
いいわけがない。ここまでやられて、黙っていられるわけがない。
対空戦車の筒状のポットから、長細い物が飛び出した。
それは数メーター上がったところで下部に火がともり、一気に加速してこちらに飛んで来た。
紗百合はとっさに、持っていたフライパンを投げつけた。が、傷の痛みでしっかり投げることができなかった。
それでも、何とかコントロールして飛んできたミサイルに当てることができた。
投げたフライパンの初速が遅かったせいで、当てることができたのは、数十メーター先だった。
目の前で爆発が起きた。マッハ2強で突っ込んできたミサイルは、フライパンと激突して、火球になり四散したが、勢いはそのまま紗百合を巻き込んだ。
「よし!やったっ!」
対空戦車の内部で歓声が起きた。
一人は操縦桿を握り、一人は火器管制パネルを操作し、一人はモニターで上空の映像を見ていた。
もともと装甲車の作りなためか、内部は意外と広い。
それでも、上部に取り付けられた多くの火器の為か、10人ほど搭乗できるこの車両は、弾薬や火器管制装置で埋められ、三人しか搭乗できない。
「いやまだわからない。手前で迎撃されたかもしれない」
「しかし、あの至近距離だ。爆風で吹き飛んでいるはずだ」
「相手はあの化け物だ。そう簡単に、やられてくれればいいのだが……」
上空の煙が晴れて、何やら姿を現した。
モニターには、巨大な筒状の物体が空を飛んでいた。直径5m、全長15m程あろうか。
「あれは、なんなんだ。さっきまでなかったぞ。今は、レーダーには映ってはいるが……」
よく見ると、三分の一程は今の爆発で吹き飛んだ様子で、その後ろに人影が確認できた。
「……ほら見ろ。やはり化け物だ。次撃つぞ。急げ」
車両内に緊張が走った。
「……フォーレのロールケーキは、しっとり滑らかな生地で舌触りは最高、そして、しっかりとした弾力があり、噛むことに生地が程よく口の中で溶けていく。さすがね。やっぱり好き。この絹のようなしっとり感がなければ、私の身体は焼かれていたわ……」
(この半分焼け焦げた、巨大なロールケーキはどうするのだい? 硝煙の香りたっぷりで、軍人さん好みの味になっているかもしれないね)
「あら、リブル。わかっているじゃない。当然、お返しをしなきゃね。どうぞ、め・し・あ・が・れっ!」
巨大なロールケーキは、一直線に対空戦車の一台に向かって飛んでいった。
対空戦車側も、ミサイルと機関砲で応戦した。レーダーをやられた車両は2問の対空機関砲で、一門機関砲を破損した車両は対空ミサイルを撃った。
毎分2000発も叩き込める35㎜の機関砲も、しっとり生地のロールケーキにはただ穴を開けるだけで勢いを止めることはできなかった。
対空ミサイルも、ケーキに直撃し内部で爆発したが、その衝撃はケーキのスポンジで吸収され、一部穴を開ける程度の外傷を与えたが、勢いを削ぐことはできなかった。
巨大ロールケーキは、さらに加速を増して、諦めることなく機関砲を撃ち続きた対空戦車に激突した。
ケーキとはいえ、直径5m全長15m近くあるから、重量は10トンを超えた。
こんなものが、音速で激突したら相当のエネルギーになり、重心の高かった対空戦車は、ビリヤードの玉のように飛ばされ、ゴロゴロ横転し、まるで亀がひっくり返ったように逆さまになった。
もう一両の対空戦車は、仲間のひっくり返った車両を救援すべく駆けつけた。
紗百合は肩で息をしながら、ひっくり返った対空戦車が仲間に起こされるのを見ていた。
辺りは、生クリームとスポンジ生地の破片まみれで、それはまるで、どこかの爆心地のように凄惨としていた。
「あぁ。もったいない。食べ物を粗末にしてはいけないって、教えてもらわなかったのかしら? いけないわね」
(お前が言うな)
「いけない…… 一口食べるの忘れてた…… あそこのロールケーキは本当においしいのに…… あぁ、本当にもったいない……」
(そんなに食べたければ、もう一回出せばいいじゃないか)
「だって、今そんな気分じゃないし、一本なんて食べきれないわ。リブル半分食べる? それなら出して食べるけど」
(僕はこの世界に実体がないから、食べることはできないよ。半分食べて、残ったら下の誰かに、あげればいいじゃないか)
「いやよ。きっと一緒に食べてくれる人なんていないわ」
(だろうね)
紗百合はふと思った。右手で脇腹を抑えていたが、いつの間にか痛みがなくなっている。
右足ふくらはぎも肉が戻っていた。背中の翼も、最初は鳥の巨大な翼だった物が、トンボの羽のような4枚の羽になっていた。先ほどよりコンパクトで、身のこなしも軽くなっていた。
地上で火砲が見えた。高度が下がったため、小銃の射程内に入ったようだった。
それでも、高度300mはあったから、かわすには余裕があった。
背中の羽も調子が良く、俊敏に動くことができて快適だった。
この羽は半透明で、羽ばたくというより、細かに振動している感じだった。青白く光っており、鱗粉のような光の粉を散らしていた。
以前の翼は、羽ばたくモーションが大きかったため、トビのように滑るような水平飛行は良かったのだが、空中静止や左右への回避運動には難がある。それに比べて、この羽は瞬時に横などに飛ぶことができた。
飛んでいるというより、浮いている感じに近い。
火線があちこちから飛び交い、それを蜂のごとく舞、蜂のように刺した。
刺したと言っても、針ではなく、両手から出して投げつけた、拳大のシュークリームだった。
投げつけるといっても、振りかぶって大きいモーションでボールのように投げるのではなく、手の平から実体化したシュークリームを、気の玉のように打ち出すといった感じだ。
紗百合は地上に両手を突き出し、シュークリームを連射した。
大量に放たれたシュークリームは、1つ1つがどこへ飛んでいっていいのか、わかっているようで、紗百合に向けて撃った人、撃とうとしている人の顔面を確実に捉えた。
時速二百Km近くのシュークリームは、口ではなく、顔の中央部に狙いを定めていた。
今回は、女性にも容赦なく攻撃はされ、銃を抜こうとして、隣の同僚が顔面にシュークリームが炸裂し、思わず銃をしまったも者もいる。
マカロンアタックの1500人程の犠牲者はすでに復帰しており、今度はシュークリームアタックを顔面で炸裂させ、再び未知の物質と思い込み、悶絶している者が続出した。
(あーあ。もったいないな。それに、町中掃除が大変だよ。)
「なによ。わたしが撃たれてもいいって言うの? 私の心配はしてくれないのね。リブルは私の監視役なんでしょ? 私の身に何かあったら、困るんじゃないの?」
(僕は全く困らないよ。困っているのは町の人だろう? 生クリームまみれにしちゃって)
「町中、甘い香りに包まれてサイコーじゃん。それに、これは正当防衛よ。私は悪くないわ。私の望みは、早く帰って宿題を終わらせること。それだけよ」
たまに飛んでくる銃弾をかわしながら、紗百合のシュークリームの連射は続いた。
(もう、いいんじゃないかな。撃とうとする人も少なくなっているし、このまま逃げれば君の勝ちだよ)
「逃げれば? 勝ち? それは勝利ではないわ。徹底抗戦よ。私に歯向かうものは、生クリームまみれにしてあげるわ。それに、撃とうとしている人がいないんじゃなくって、私が撃たせないようにしてんのよっ!」
(はいはい。好きにして)
地上にいた警官、自衛官は、すでに2000人を超えていた。
通常の警官が持つ拳銃では減装薬弾なため、紗百合のいる高度を捕らえることはできないが、届かないわけではない。
警官の皆が、腰にある拳銃を抜き、当たりもしないのに撃とうとして、顔面にシュークリームを炸裂させていた。
一方、自衛官のライフルなら、十分に捕捉することができる。
ただ、撃とうとすると、シュークリームの応酬を食らい、それはヘルメットで防げるのだが、視界は塞がれ、結局撃つことはできなかった。
その状況の中、建物の影に潜み、こっそり戦況を見守っていた自衛官達がいた。
全身迷彩服に身を包んだ、陸自の歩兵小隊だ。
他の部隊は、すでに全身を白い未知の物体で汚していた。ドロドロした、いかにもヤバそうな液体だ。早く除去しないと汚染される恐れがある。
これがなんなのかを調べる余裕はなかったらしく、これを浴びた隊員達は、もうすぐ自分は死ぬのだと不安に駆られた。
空を飛んでいる、あの白い悪魔を排除しないと、撤退も撤収命令はでないと思われた。
そのような状況を、陰で観察していた小隊の隊長は、どうしたものかと思案していた。
その横で副隊長は愚痴を漏らした。
「作戦司令部は一体何をしているんだ。あんな化け物相手に、俺たちを生贄にする気なのか?」
隊長は考え込んだ。
以前にも、こんなような状況があったような、無いような……
「なあ、今日俺達はどうしてここにいるんだ? あの悪魔みたいなやつを倒すためか? それとも、ただのコマなのか?」
「隊長…… 自分もそんな気がします。以前この街で市街戦をしたような気がします。相手は一人で、多数の死者が出たような気がしました。でも、当然ですがそんな事実はありません。多分自分が夢を観ていたんだと思います。でも、これは夢なんでしょうか?」
小隊長は頷いた。
「これは夢だ。みんな同じ夢を見ているんだ…… だが、俺の部下には変わらんぞ。隊の責任者はこの俺だ」
「はっ! わかっっておりますっ!」
小隊長はそう言ったものも、この後の行動を決めかねていた。
この世界に、あのような存在はありえない。
これは夢だ。
だったら打って出るか……
勝てないと分かって、負けると分かって、出るべきなのか?
考えに老け込んでいると、三人組の女子がこちらの方にやってきた。
十代の女子だろうか、一人は長身で長い黒髪のポニテで、短パンTシャツ女子。一人はメイドカフェから抜け出したのか、紺のフリフリメイド服にブロンドショートカット女子。もう一人は、小柄でデニムとパーカー、黒髪セミロングの女子。
よく町などで見るかける、普通の女子に見えたが、よく見れば普通で無いことに気付いた。
手に持っているモノだった。
長身短パンTシャツ女子は、腰と脇にそれぞれ拳銃を二丁ぶらさげ、金髪メイド女子は、滑車のついた大きな弓を持ち、小柄なパーカー女子は、身に余るライフルを持っていた。それは隊員達のライフルより大きい。
「き、君達。これより先は立ち入り禁止だ……」
この異様な三人組に掛けた言葉はそれだけだった。それ以外に言葉が出なかったのだ。
長身短パンTシャツ女子が小隊長に声を掛けた。
「ごくろーさん。いーからいーから、気にするな。そいじゃ、よろしくー」
その後に、メイド服ブロンド女子が言った。
「貴様らはどこの部隊だ? こんなところに隠れて、恥を知れっ!」
その後に小柄なパーカー女子が話した。
「お疲れ様です。後はお任せください。近くにいると怪我しますから、下がっていてくださいね。後方支援はいりませんから、他のお仲間さんの救護に行ったらどうですか? では、検討を祈ります」
と言って、腕を額へかざし敬礼した。
そして、三人は行ってしまった。
「小隊長…… 行かせて良かったのですか? 一般人ですよ」
小隊長は怯えていた。あの三人が見えなくなり、ようやく口を開いた。
「……俺はあの三人を知っている。だが、それは夢の中での話だ。俺はあのTシャツを着た女に殺された……」
隊員達は、隊長が以前見たという夢の内容を聞いて、戦慄を覚えた。
各所で、銃声の咆哮が止むことはなかったが、空をさまよう白い悪魔を捉えることはなかった。
圧倒的な戦力差はあっても、それは通常での戦闘の話だ。
相手は悪魔のような力で、人類の戦士達を翻弄し、反撃すらまともにさせなかった。
戦況は、白い悪魔による一方的な攻撃により、警官・自衛官連合に打つ手はなかった。
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