講演「『おたく』の研究について ジェンダー、現実と虚構、そして政治」の聴講メモ
【括弧内は個人的な補足です。】
2019年7月7日、専修大学で行われた日本マンガ学会海外交流部会第12回公開研究会での、パトリック・ガルブレイス氏による講演「『おたく』の研究について ジェンダー、現実と虚構、そして政治」を聴講したメモです。
他に、この日の会で行われたのは:
小田切博氏の研究報告「石井柏亭にとっての『美術』と『漫画』」
椎名ゆかり氏の研究報告「ストーリーマンガという言葉の意味するもの」
森田直子氏の講演「新刊著書『「ストーリー漫画の父」テプフェール 笑いと物語を運ぶメディアの原点』(萌書房、2019)をめぐって」
進行・ディスカッサントは、原正人氏と鈴木・CJ・繁氏。
ガルブレイス氏は文化人類学者。米国アラスカ州で生まれ、12歳のときにモンタナ州に移りました。モンタナ州というのは米国北西部にあって、トランプ支持者の多い保守的な土地柄だとか(ちょっと調べてみたところ、全米平均と比べて白人の割合が高くアフリカ系とアジア系が非常に少ない)。80年代に日本アニメに出会って、日本という「別世界」に関心を持ったそうです。(80年代のモンタナ州でどんなアニメを、どんな媒体で観たのか、他に見ていた人は多かったのか少なかったのか、聞いてみたかった…)
その後、モンタナ大学のマンスフィールドセンターで学び、2002年に来日して秋葉原に衝撃を受ける。2004年から秋葉原で、文化人類学の手法である参与観察を行なって研究を行いました。
今年(2019年)、著書『Otaku and the Struggle for Imagination in Japan』(Duke University Press)が刊行される予定。
ガルブレイス氏は、秋葉原という場所を、第一に想像と創造の行われる場であり、第二に「へんなおたく」たちの消費の場であり、第三に(政府主導の)クールジャパンと商業の場だと捉えていて、第二と第三の間で摩擦が生じていると見ているようです。
なお、ガルブレイス氏の言う「おたく」とは、岡田斗司夫が打ち出したような、趣味に入れ込んで深い知識・見識を持つ人=「オタク」ではなく、中森明夫の言う「おたく」をベースにしています。
その意味での「おたく」の起源は70年代。1979年に吾妻ひでおが同人誌『シベール』で美少女を性的対象として描いています。同じく79年、宮崎駿の『ルパン三世 カリオストロの城』の中で、ルパンがカリオストロ伯爵のことを「ロリコン伯爵」と呼ぶ台詞があります。当時、ヒロインのクラリスを題材にした同人誌も作られています。
商業誌でもロリコンブームが起こるのですが、ロリータという言葉は年齢というよりは、マンガやアニメの「2次元」という意味で使われていたようです。
83年には、2次元ロリコンポルノ雑誌の「レモン・ピープル」が創刊。大塚英志が編集長を務めていた雑誌「漫画ブリッコ」でも、劇画調の作品からロリコン系の作品に切り替えたところ売り上げが急増しています。
ガルブレイス氏は、「漫画ブリッコ」の83月8月号の、グラビア写真はやめて2次元だけにしてほしいという読者の投稿を取り上げて、リアルよりも2次元表現を求める価値転換が起こっていたと指摘します。
それに対して、同じく「漫画ブリッコ」の83年6月号から中森明夫の「"おたく"の研究」の連載が始まります。そこでは「おたく」をへんな存在として描いているわけですが、女性のおたく(コミケの参加者は昔から女性が多い)についてはあまり触れず、男性のおたくに焦点を当てていることにガルブレイス氏は着目します。
おたくは恋愛ができないとされます。そして現実の女性に興味を持つのが正常で、2次元の少女に興味を持つのは「ビョーキ」であり、ゆえにおたくは男性失格であるとされたのです。「おたく」ということが男性問題・ジェンダー問題になっているとガルブレイス氏は述べます。
中森明夫は、わざわざ彼女を連れておたくの集まる場所に行くということをしています。「彼女のいる自分」と「彼女のいないおたくたち」という対比を作ってみせるわけです。そして、彼女がおたくに"引いている様子"を使って、おたく叩きをしていました。
1989年、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤が逮捕されました。このとき、マスメディアは宮崎勤=おたくと捉え、おたくを犯罪者予備軍のように扱います。その前提にあるのは、おたくは2次元と3次元の区別がつかないという認識です。2次元の少女に関心を寄せるおたくは、現実と虚構の区別がつかなくなって犯罪に走るかもしれないという論理です。
これは中森明夫の考えとは違うとガルブレイス氏は指摘します。おたくは2次元と3次元を区別した上で、現実の女性ではなく2次元の方を求めることこそが問題だと中森は言っているからです。
同じく89年に出版された別冊宝島の『おたくの本』には、自分と同じ幻想を共有する『場』があれば、それが現実なのだと思い込めば成熟する必要がない、とありますが、その『場』というのが、コミケとか、ネット上のコミュニティとか、秋葉原のような「おたく的インフラ」なのでしょう。
電気街である秋葉原では、パソコンの普及とともに美少女ゲームが売られるようになり、路上にまでその宣伝が露出してきます。個人的な趣味のものである2次元美少女が、公共の空間に進出してきて、秋葉原が「萌え」の街になっていきました。(この辺は、森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』を踏まえてる?)
やがて、海外で日本のマンガ・アニメが人気だから、それをソフトパワーとして利用しようという動きが出てきます。そのため、行政はおたくを管理しようとします。「へんなおたく」対「管理されたクールジャパン」という構図ですね。(ガルブレイス氏は「へんな」という言葉を頻繁に使うのだけど、これはひょっとしてクィア queer の含みなのかな?)
秋葉原の路上パフォーマンス(ガルブレイス氏はおたくパフォーマンスと呼ぶ)に地域から苦情が出ると、警察の取り締まりが始まります。それに対して、2007年、どんな欲望を持つ人でも生きられる場としての秋葉原を求める「秋葉原解放デモ」が行われます。ガルブレイス氏は、これを
(しかし『趣都の誕生 増補版』では、秋葉原で路上パフォーマンスを行なっているのは必ずしもオタクではなく、むしろ非オタクのパフォーマーに対するオタクの反発があったと述べている。)
さて、海外でOTAKUという言葉は自称として肯定的に使われることもありますが、「へんな他者」、そして「へんな日本人のおたく」という否定的なイメージもあります。
「OTAKU USA」という雑誌の2009年4月号には、「萌え」というのが「一番やばい輸入品」とあり、オタク系の雑誌でさえもそれを「日本」という外側からやってくる異常なものと捉えているのです。
2009年7月21日のニューヨーク・タイムズに、日本のおたくや萌えについての記事が載ったのですが、そこで取り上げられたのが抱き枕。しかも日本における"社会現象"として紹介していて、「へんな日本人」という枠組みで捉えています。(おたくという「へんな存在」、日本という「へんな国」を表象する定番として、抱き枕はその後も海外で頻繁に取り上げられます。)
BBCの記事では、OTAKUは新しい種類の日本人男性で、マンガ・アニメ・コンピュータが好きで性行為にはあまり興味がないとされていて、これは80年代に中森明夫が言ったことと変わりません。しかも、少子化の原因になっているとまで述べています。少子化はほとんどの先進国で起こっているのに、日本の少子化についてはおたくが原因、と簡単に結びつけてしまうのは、やはり「へんな日本人」という見方が根底にあるためでしょう。
またCNNは、マンガ、アニメは犯罪者の欲望に火をつけているおそれもある、としており、これは宮崎事件のときのバッシングの論法と同じです。
このように海外(あがっていた例は英語圏)でも、おたくについて、中森明夫のものや宮崎事件後の報道に見られたものと同じ類の言説があること。また、そのような「へんなおたく」のイメージがしばしば日本人のイメージと重ねられていることが指摘されました。つまり、中森明夫の言う現実の女性と交際しない/できない「おたく」が、海外の報道では現実の女性と交際しない/できない「日本人男性」のイメージにもなっているわけです。
結論として、ガルブレイス氏としては「おたく」をマイノリティとして捉え、いろいろなマイノリティと協力して、多様性を認めることを求めることで、社会の主流に対抗するのがよいと考えているようです。
【感想】
日本のオタクについても書いておこうかな、と思って多少調べたりもしていたところだったので興味深く聞きました。
講演の内容は、これから出す本からの抜粋みたいなものなのでしょうか。
日本ではいろいろなオタク論が書かれていて、たしか東浩紀の『動物化するポストモダン』は英訳があったと思います。岡田斗司夫のオタク論も海外のOTAKUには知られているはず。しかし、中森明夫の言説は英語圏ではあまり知られていないのかも? そう言うことも聞いてみればよかったとも思います。
氏が秋葉原で参与観察していた時期だからだと思いますが、取り上げていた事例は00年代が中心でした。2010年頃になると、いわゆる「聖地巡礼」という現象が目立つようになっています。鷺宮の商工会が『らき☆すた』とコラボするのが2008年。アニメ『花咲くいろは』に登場する架空の「ぼんぼり祭り」を湯涌温泉で実際に開いて成功したのが2011年。大洗の「あんこう祭」に『ガールズ&パンツァー』のイベントが組み込まれるのが2012年。このような「聖地」も、おたくの「幻想を共有する『場』」だと思いますが、現在のガルブレイス氏の目にはどう映っているのか、これも聞いてみればよかったですね。
ガルブレイス氏の他に三つの講演がありましたが、個人的な関心と重なる部分の多い、椎名ゆかり氏の研究報告「ストーリーマンガという言葉の意味するもの」については聴講メモを書いておこうと思っています。
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