長嘶

「あ、グリフ。お話終わった?」

 ブレニフを見送り倉庫のテーブルまで戻ると、ルパートとなにやら話していたジェイが声を掛けてきた。二人は初対面なりにうまく打ち解けつつあったようで、ブレニフと話している間も時折笑い合う声が聞こえてきていた。

「ああ終わったよ。もう出発するけど準備はいいか?」

「ちょっとだけ待ってね……、まだ持ってきたいものがあるから」

 ジェイはそう言うといそいそと支度を始める。ルパートはといえば扉の近くで腕を組み、「さあ、早く行きましょう!」とでも言いたげな表情だった。

「ルパート」

 どうせ暇なら、とグリフィンは声を掛ける。腰用の工具差しごと、持ち込んだ“仕掛け”のひとつを渡す。

「ご存知ルパートですっ! ……え、なんですかこれ」

 ルパートは受け取ったそれを眺めた。

「お前のほうが上手く扱えると思って」

 工匠はこれを“アルエット”と呼んでいた。大枠では鉤縄かぎなわと言えるだろうか、少し違うのは大きめの柄が付いていてそこにロープを格納できることと、目的に応じ鉤部分を交換できることだ。拡張性の高さに加え道具としての信頼性もじゅうぶんに確保している、質のいい品だ。

 受け取ったそれを、ルパートは興味深げに眺める。

「……ホントですか? 助手としての働きに磨きがかかりますよ、ありがとうございます! ……で、どうやって使うんです?」

 ルパートは感謝の意を表しつつ、とりあえずで縄を伸ばした。

「ちょっと特殊だが、要するに鉤縄だ。持ち手のボタンを押しこんでいるあいだ、縄がもとに戻る。それと、先端の鉤は……」

 “アルエット”について、基本的な使い方を教えた。ルパートの飲みこみは早く、ジェイの支度が終わるころには縄捌きに応用の余裕も出始めた。

「終わったよ! コイレに行こう!」

 どたどたと駆けてきたジェイが知らせる。リュックを背負い、小ぶりのナイフ、辺りを照らすランタンを腰からぶら下げた、シエルの夜警班王道のスタイルだ。どういうわけか、ここに訪れた際の装備より充実していた。

「なかなか様になってるじゃないか」

「そうかな? えへへ」

 大方、管理のついでにこの倉庫を寝床から巡回ルートの中継地点にしていたのだろう。とやかく言えたことではないし、黙っていた。

「じゃあ、行こうか?」

 すでにその気の二人を促し、一行はコイレへと向かった。


「そろそろですかね、ブレニフさんが言ってたところ……」

 東の出口からしばらく、ルパートが言った。

 廃墟が並ぶ寂しげな通りからは様子がはっきりと違ってきた。壁に描かれた理解不能のペンキの紋様たちがテリトリーを主張する。

「何事もなく抜けられるといいがね」

 先行するジェイのランタンを頼りに、一行は慎重に足を進める。彼女の指示があるまでは、そのまま歩き続ける手筈だった。

 少し経って、ジェイが右手で“待て”のハンドサインを送る。

 灯りが消えた。夜警のランタンの内部には遮光カバーが付いていて、火を消さずに光を抑えることができる。短時間なら、そちらのほうが都合がいい。

「ジェイ」

 星の光も届かないメイネスの夜の闇に、グリフィンは小声で呼びかける。

「うん。話し声が聞こえたから……」

「距離は?」

「……けっこう遠いよ。左の曲がり角の奥にたまり場があるみたい。ネイヴだし、サッと抜ければ大丈夫だと思うけど」

 メイネスで暮らす集団の中で、比較的小規模でリスクの低いものは、細分されずにまとめてネイヴと呼ばれている。この辺りに住んでいるのもそれだ。

 ギャングなど生活の維持が難しい集団は抗争によってより大きな集団に吸収されやすく、それでも生き残っている彼らは地道な農耕やメイネスに逃れる前のコネクションからの支援など、安定した生存戦略を持っている場合がほとんどだ。

 不用意な争いを避けるネイヴたちに共通するのが、テリトリーを侵食されない限り争いを起こす理由はないということ。

 たとえここが彼らの領域だったとしても、見つからずにすり抜けられるならば……。

「道順、ここからまっすぐだったよな?」

「うん。いけるよね?」

 灯りが消えるまでの光景はしっかりと目に焼き付いている。グリフィンは首を縦に振る。

「……任せてくれ」

 暗闇の中ではその所作に意味がないことに気付いて、慌てて答えた。

「手を握ってくれ。こけるなよ」

 グリフィンは暗闇からジェイの手を探し出し、手繰り寄せた。灯りが消えてから背中にひっついていたルパートを剥がし、その後ろにつくように指示する。

 列になって一歩ずつ、確実に前に進んだ。途中、細い路地になった曲がり角の奥に、広場で焚いた火を囲んで喋りあう五人か六人の一団が見えた。ジェイの言った通り距離は遠く、彼らがこちらに気付く様子のないまま無事に安全圏まで脱することができた。

「そろそろいいんじゃないか? 奴らの縄張りからも抜けたとこだろう」

 そう言うとグリフィンは、ジェイを自由にしようと繋いだ手をほどく。決して目が慣れることのない暗闇の中、グリフィンの心の隅で光への渇求が芽生えたのを感じた。ここで暮らしていたころならば闇を恐れる気持ちなどなかった。グリフィンは少しずつ、昔の感覚を呼び起こす。

「ね。灯りを点けましょうよ、早く早く!」

 急かすルパート。その声は心細げに震えていた。

「わかったからくっつかないでー!」

 うわああ、と情けない嘆声をバックにランタンの灯りが再び点る。


 橙が照らす廃墟の群は、シエル周辺と比べて明らかに荒廃が激しい。修復を試みた形跡もない生々しい燃え跡、乾いた血と散り散りになった白骨が、記憶のどこにもない絶望を五感で呼び起こす。地域面積に対し圧倒的に人口の少ないメイネスでは放置された区域は珍しくもないが、この荒れようは稀だ。

 夜はまだ続いている。アルバートはどこかで体を休めているはずだ。

「うわあ、ヒドイね。アルバートさんは本当にここにいるのかな?」

 ジェイが誰に言うともなく呟く。

「……探すぞ」

 それでも探さなければ、見つけなければ、進展はない。

「しらみつぶしですか?」

「仕方ないだろ」

 ブレニフが言うには、コイレはさして広い地域ではない。その中で人目につきにくく、かつ馬を係留できる場所はかなり絞られる。駆け足で辿れば夜明けまでに回りきることも可能だろう。

 コイレは中心部に建つ博物館を囲んで円形の構造になっている。それを視界に収めながら円上を移動し、ポイントごとに調べていくことにした。

「なんだろう、この音……」

 歩き出して間もなく、声を発したのは目を閉じて集中した様子のジェイ。その声が静かな夜を通り抜けていくが、グリフィンにはそれ以外の音は聞こえなかった。

「聞こえたのか?」

「うーん、うっすらとだけど……。たまにお馬さんが寝言いってるときあるでしょ。そんな感じ」

 聞き逃しではないにせよ、風の音や野生動物の声の可能性もある。それでも、何の当てもないよりはマシだ。

「行ってみよう」

「うん。ついてきて……」

 ジェイは断続する音へ向かい進む。出処は固定の一か所のようで、何度か方向修正をしながらも安定したスピードでそこへ近づいていった。足を止めるたびに頭だけだった博物館の姿が大きくなっていく。

「しらみつぶしにならなくてよかったな」

 グリフィンはルパートに語り掛ける。

「まだアルバートさんの居場所だって決まったわけじゃないですけどね」

 急にリアリストの一面を見せるルパートに肩透かしを食らう。掴みどころのなさは天然なのだろうか、グリフィンは目線を外しながら考えた。


「人がいる」

 開けた道を進んでいた途中、何度目かの静止にジェイが言う。

「アルバート翁じゃないのか」

「移動してるみたいだし違うと思う。あっちの方向から……。三、四人かな、お話はしてないよ。足取りも迷いがない感じ」

 ここは夜警のルートからは外れているし、複数人で行動する“味方”に心当たりはない。考えられるシチュエーションは少なくないが、いずれも良いものではなかった。

「ギリギリまで近づいてみよう。余計な企みをしているようなら潰す」

 まだ距離はだいぶ遠いようで、物音に気を配りながら走った。反響を気にする必要がないほどに足音ははっきりしているらしく、路地を使ってショートカットで距離を詰めていく。

 路地を抜けた先、賑やかな往時の名残をところどころに留める大通り。博物館へと続く広々とした道の真ん中で、揺れる松明の炎に四人の影が浮かんでいた。

「ねえあれって……」

 ルパートが一団を睨む。

「間違いなくそうだろうな」

 どこでこしらえたか揃いの黒フードは領事館で見た男のそれと酷似している。ただ一点前だけを見つめるその姿には、言い知れない不気味さがあった。

 彼らの足取りは淀みなく、博物館へ突き進む。先頭を行く一人が手に携えた、大振りのナイフがギラリと光った。

 目的がわからない状況だが、動かないわけにはいかなかった。

「三人を殺して最後の一人から吐かせるってのはどうだ」

 黒フードまで早歩き、グリフィンが二人に問う。

「ダメだよそんなの! なにか事情があるかもしれないでしょ!」

「そうだろうな。……ルパートお前、無力化にちょうど良さそうなもの持ってるじゃないか」

 話を振るより先にルパートはアルエットを握っていた。

「どうせやらなきゃダメなんでしょ? やりますよ!」

 そう言うとルパートは一団に向かって右回りに走り出す。

「ナイフ持ってるのを先になんとかしますから、あとは合わせて!」

 ルパートは闇の中に消えた。こちらが交戦距離に入ってから仕掛けるつもりだろう。

「ジェイ、どいつをやるか選んでいいぞ」

「え、えっと……。あの背の高い人かな。真ん中の」

「よし、方針は決まったな」

 グリフィンは二人の動きを見た後でカバーするつもりでいた。集中を切らさないように息を整えながら、ゆっくりと右手で合図を送る。

 合図をしてすぐに、地面スレスレにアルエットの鉤が駆けた。ほとんど音もなくそれは一団の足下を抜け、街灯の足に絡みつく。視界の利かない中でかなりの距離の投擲を成功させるルパートの業前には驚くほかなかった。

 黒づくめの集団は気付く様子もなく歩き続ける。ナイフを持つ男の勇み足がピンと張ったロープに近づくにつれてグリフィンたちの緊張も高まった。

 男が躓いたのとほぼ同時、駆けだしたルパートの強すぎる靴音が響いた。瞬きでもすれば見失ってしまいそうなほどのスピードで彼は闇から現れる。ルパートは照射範囲の外側から、倒れる男の頭に。走行からノーモーションで放たれる膝蹴りは、大の男を一撃で昏倒させるのに十分すぎる威力だった。

 男たちはルパートの登場に唖然としていたが、すぐに臨戦態勢に入る。囲んでルパートを捕らえようとしていた。

 その背後を衝くため、二人は駆けだす。

 物々しい音たちに目を覚ました馬の、開戦を告げるがごとき長嘶ちょうせいが響いた。



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