微光
「なるほど! メイネスの文化の背景には、そんな事情があったんですね!」
お手本のような驚嘆が隠れ家に響く。グリフィンの歴史講座がその力を大いに発揮していた。
気を張ることなく過ごせる時間の効果は大きく、話が佳境を過ぎた頃、二人には穏やかな眠気が訪れていた。
「あの……、あの人たちが来るまで横になっててもいいです……?」
先ほどまでの意欲に溢れた生徒面を一転、目をしばたたかせるルパートが聞く。
グリフィンは部屋の奥を指さした。
「構わない。そこのベッドを使う権利もやろう」
「やさしい……」
消え入るような声とともにベッドに滑り込むと、ルパートはそのまま物言わぬ人形となった。
「さてと……」
グリフィンは部屋の隅に移動すると、古寂びたデスクに向き合う。
陽がすっかりと落ちた今、頼りとなるのは壁に吊るされたランタンとやや遠くのテーブルの蝋燭だけだ。セレネクールでは数年前から電灯が段階的に普及し夜間でも充分な明かりが確保できるようになった。便利な暮らしにすっかり慣れてしまったものだと、感慨に引っ張られた思考を揺り戻しつつ、グリフィンは手元の僅かな手がかりたちを繋ぎ合わせようとする。
エリック・ダンバーやアルバートがメイネスに辿りつけたと信じるとして、彼らが神出鬼没のカプリーシズに接触することは不可能に近い。どこかで夜を過ごしたはずだが、知人を通じある程度の内情を把握していたアルバートはともかく、エリックの行方については想像もつかなかった。
ブレニフたちが新たな手がかりを持ち合わせていない限りは、調達者の老人が言ったコイレという地域をあたるのが最善だろう。そこで首尾よくアルバートを発見できれば、主目的である事件とカプリーシズの関与の究明に割く時間の余裕もできるはずだ。
任務の本質からは逸れるが、領事館で遭遇した謎の男の正体も気になる。もしも彼らがシエルに害を為すつもりなら、先日の遭遇は逆に僥倖と言えるだろう。
彼らについての調査と、エリックの捜索、それにカプリーシズとの接触。夜警班と連携をとってこれらを確実に進められれば……。
「……ぇ。おこし……って……のかな?」
聞き覚えのある少女の声がかすかに聞こえた。知らず知らずに眠っていたのだろうか、グリフィンは少しずつ意識を取り戻す。
「べつにいいんじゃねぇか? 寝起きの悪いタイプでもなかっただろ」
ブレニフが返す。もともとの声の大きさからすれば配慮はしてくれているのだろうが、生来の大声が寝起きの耳に響く。
「んー。そだね。……起ーきーてー!」
もう一つの声の主に背中をばしばしと叩かれる。椅子ごと崩れ落ちるのをなんとかこらえて、グリフィンは立ち上がった。
「すまない、疲れが溜まっててね」
グリフィンは二人に順に目配せをする。
「……久々だな。会えて嬉しいよ、ジェイ」
その少女――ジェイは目をきらきらと輝かせて答える。
「うん! ボクも!」
「髪、伸ばしてるんだな」
少年と見違えるほどに短かった髪がかなり長くなっているのに、時の流れを感じた。
「うん。そのほうがカワイイって、マーサのおばさんが言うからなんとなく」
「そっか。……あ」
ジェイの後ろで、ブレニフがまるで大人気もなく退屈そうな顔をしているのが見えた。
「本題に入ろうか。適当に座ってくれ、奥のあいつを起こしてくるから」
「それで、久々のお帰りで何をお求めで? 刑事さん」
三人で囲んでいっぱいいっぱいになったテーブルからは少し離れて、壁にもたれたブレニフが聞く。
「目的はふたつ。セレネクールから迷い込んだ人間二人の安全確保と、カプリーシズの連続変死及び失踪事件の関与に関する調査だ」
「うんうん」
ジェイが気の抜けた相槌を打つ。話はしっかりと聞いているはずだ。
「まず人探しについてだが、探してるのは四家の筆頭ダンバー家の坊やエリックと、そこに三代仕える従者のアルバートおじいさんだ」
「……てっきり先遣隊みたいなのがいなくなった程度に思ってたが、そんなお偉いさんかよ。それにしちゃやる気が足りなすぎるんじゃねぇか? お前と勝手についてきたそいつだけじゃ安心できないだろ」
「彼らは自主的にここに来たんだ。連日事件の対処に追われている状況で人を割く余裕もない。それなら土地勘もあってもともとメイネスに用事があった私についでで任せてしまおう……、というのが大体のところだろうな。……もちろん、もし見つからなかった場合には我々の持ち帰った情報で編成する本隊に捜索を担当させる予定も整えているだろうがね」
ロイはアルバートの出身も知っていたはずだし、そこで信頼していた部分もあったのだろう。おかげで遠征の日程はタイトになってしまったのだが。
恨めしい気持ちを抑えつつグリフィンは話を続ける。
「こちらが持っている手がかりは皆無に等しい。だが、アルバート翁を探すうえでひとつ、行ってみたい場所がある。コイレという地名らしいが……、わかるか?」
グリフィンにとってそこは聞き覚えのない場所だった。おおよその場所は老人から聞いていたが、アルバートが潜伏先に選ぶ場所かどうか、より明瞭にしておきたかった。グリフィンは二人へ視線を送る。
「コイレ? ……どこだっけ。ボクわかんない」
シエルの住民のほとんどに娘として可愛がられているジェイが知らないのなら、メイネスが“灰都”となってからは使われていないか、呼び名が変わった地域ということだろう。
「あー……、あそこなら、身を潜めるのにちょうどいいかもな」
思い出したような調子でブレニフが言う。
「どんな場所なんだ?」
「大火での損傷がひどくてな、ロクに住める環境じゃねえんだ。誰も寄り付かないから、一夜を越すには最適だろ」
“調達者”との世間話にコイレが登場した可能性は低くない。その地域の背景を把握していたとするなら、アルバートがそこへ向かうのは道理にかなっている。
「それなら、すぐにでも向かいましょうよ!」
食い気味にルパートが提案した。それに対してブレニフが顔をしかめて答える。
「必要以上に事を急くんじゃねえ。コイレまでの最短経路には、面倒な奴らがたまってる。リスクを負ってまで夜中に出歩くことはないだろ」
メイネスの無法者のなかには流れ者や敵対組織の追剥ぎを生きる糧としている者もいる。人の接近に気付きにくい夜中ではその危険性も増すだろう。
至極まっとうに聞こえる意見にもルパートは態度を崩さなかった。
「別に、ただ焦って言ってるんじゃないですよ。アルバートさんは慎重ですから、それだけ危険な夜中に出歩くことはしないはずです。エリックさんを探してる途中のところにばったり会うのと今行くの、どっちが会える確率高いと思いますか?」
ブレニフは口元に手をやると、少しの間考え込む。
「グリフィン。お前はどう思う」
「そいつの意見に賛成だ。時間がないんでね」
ルパートの意見は正しい。ここは危険を承知で動くべき局面だろう。夜の闇は見通しがきかないが、それでもグリフィンの“目”は気休め以上にはなるはずだ。
「そうか……。一応聞いておく。ジェイは?」
多数決なら同票かこちらに傾くかの場面。ジェイは真面目な顔で答える。
「うん。ボクも賛成。悪い人たちに見つかる前にはやく助けてあげないとね。……ボクがついてくから。そしたら夜道もちょっとは安全でしょ?」
「……チッ、わーったよ。あとで場所説明してやる。で、この後の方針は決まったとして、話はそれで終わりじゃないんだろ?」
呆れ笑いのブレニフがようやく折れる。促されるままにグリフィンは口を開いた。
「ああ。まず、先に聞いとく。カプリーシズになにか不審な動きはないか?」
ダメもとだ。彼女たちの動向を観測することは非常に難しい。
「ないね。あったってわからんだろうが。なぁ?」
ブレニフは即答する。視線を向けられたジェイも無言で首を振った。
「だろうな。では次、領事館で遭遇した謎の男について」
ある程度情報は共有できているのだろう。身近に迫った脅威に一同は息を呑んだ。
「心当たりはないか? 黒づくめで、ローブをしていて、首から血の入った容器をぶら下げている……」
「ねぇよ、そんなもん」
相槌程度にブレニフが否定する。
「封鎖された“処理室”にいたそいつを捕らえたが、反撃を受けたんだ。首の容器が割れて、血は質量を持った赤い霧に姿を変えた。それに殴られて私は、意識を失った」
「冗談にしか聞こえないな」
からかうような声音だが、その顔は笑っていない。
「でも、ホントにいたんですって!」
事の重大さをルパートが念押しする。惨状を目の当たりにした身として、油断はしてほしくないのだろう。
「わかってるさ。昼間こいつに言われて領事館に行ってみた。あそこはボロだが、あの壊れ方は異様だ。疑ってるわけじゃねぇ」
「現状は手がかりが少ない。この情報を周知して警戒するだけでいい。とにかく、気は抜かないでくれ」
「あいよ」
応答を最後に、隠れ家には少しの沈黙が訪れる。もう話すことはないか、とお互いに目配せする。終了のムードが漂ってきたところで、ブレニフが口を開いた。
「……あ、そうだ」
そう言うとブレニフは、もたれていた背を元に戻してこちらへ歩いてくる。
「これ、渡しとくぜ」
差し出されたのはこの倉庫の鍵だった。パブでの伝言で渡すように頼まれたのだろう。
「どうも」
受け取ったグリフィンも席を立ち、ルパートもそれに続く。お話に飽きたのか、ジェイはしばらく前から室内をうろつき回っていた。
「それじゃ解散だな。お前ら三人はこれから闇夜の珍道中、俺は激務の疲れを癒すべく家に帰る。で、コイレへの行き方だがな……」
ブレニフが道を説明する。たしかに厄介なエリアがあるが、迷うことはなさそうだ。
「ありがとう。……悪いが、アルバート翁発見の是非に関わらずこれからのエリックたちの捜索は夜警班に協力してもらうつもりだ。だから今日はゆっくり休んでくれ」
メイネスのギャングの手に落ちる前に迷い人を保護することはシエルの理念のひとつだ。断る謂れもないだろうが、事情が事情ゆえに申し訳ない気持ちもあった。
「面倒くせぇなぁ……。でも“時間がない”んだろ?」
「ああ。明後日までに成果を出さなければならない。使いが来るんだ」
「大変だねぇ……」
呟いたその顔は、どこか嬉しそうにも見えた。
「おかげさまでな」
ブレニフはただ、喉を鳴らして答えた。じゃあな、と片手をあげて背を向ける。
その姿が扉の向こうへと消える前に、グリフィンはふと彼を呼び止める。
「あとブレニフ」
「なんだよ、まだあるのか?」
ブレニフはその場で振り向いた。
「私は検視官だ。刑事ではない」
「……ツッコミが遅ぇよ」
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