炭酸
中では客たちが、思い思いに歓談している。席についたグリフィンたちを気に留める様子もない。
「こうして座ってみると、疲労が自覚できた感じがしますね」
ルパートの言葉はごもっともだった。ダンバー邸を発ってから今まで休まることのなかった身体は重く、このままでは予定していた行動に支障が出る可能性も否定できない。
「民間人のお前が無理する必要はない。迎えが来るまでここで休んでいればいいさ」
「そうはいきませんよ! あの男に見つかっちゃったのは俺のせいみたいなとこありますし、そこで無事に生き残れたのは俺のおかげでしょ? ここまで来たら一蓮托生ですって」
ね。と念押しするように言い切るルパート。初めは厄介な荷物程度に思っていたが、身体能力には目を見張るものがあるし、暢気に見えて機転もかなり利く男だ。
「一蓮托生ね……」
「ですです!」
「その言葉、軽い気持ちで言ったのなら必ず後悔することになるぞ」
横から現れたウェイトレスが、二人の前にそれぞれ注文した料理を置いた。
悠長に手を合わせながら、ルパートが返す。
「流石に、ここで冗談が吐けるほど青くはないですよ」
スープにまっすぐ向けられた目は至って真剣だ。
「……わかったよ。思う存分ついてくるがいいさ」
「合点です!」
ルパートは応答と同時に食事を始める。未だに育ち盛りなのか、一口が大きい。
グリフィンは薄く焼いたパンで餡を包んだブリトーをつかむ。携帯可能で冷めても味が落ちにくいため、シエルにいた当時よく食べていたものだ。餡の塩梅はほぼ調理人の気分に委ねられていて、日ごとの味の違いが密かな楽しみだった。
調査の具合によっては次の食事は味のしない保存食かもしれない。久々のパブでの食事をじっくりと味わう。
「で、これからどうするんです? 鍵開けなきゃですけど」
「ああ、それね……」
グリフィンはコートからポーチを取り出し、中のロックピックを見せる。
「鍵は保管庫のどこかにあるらしい。探して夜に持っていくから好きに開けろってさ」
料理のオーダーの際に、集会への出席権を持つ昔なじみの調理人に聞いた話だ。考えてみればあの倉庫が今では本来の用途で使われていた可能性もあるわけで、それが保持されていること自体が幸いだが。
「ピッキング! 大悪党って感じですね、グリフィンさん」
シエルに着いてから輝きっぱなしのその瞳を一層に輝かせながら、ルパートは答える。
「わかってるだろうが、その片棒をお前も担ぐことになるんだ」
念押しの確認にルパートの視線が何度か揺れ動く。左から右、二ポイント間の高速移動。
彼の返答には逡巡の間があった。
「……ええもちろん。トカゲの尻尾役とかじゃなければ全然歓迎ですよ」
あくまで事もなげに答えると、ルパートはパンで具を掬ってまとめて口に放り込んだ。その姿にはただの早食いとは違うどことなく競技的な情熱を感じる。
「ダンバー家の使用人は一気食いがマナーなのか?」
グリフィンの問いかけを気にも留めず一切の無駄のない咀嚼を終えると、ルパートは神妙に両手を合わせた。
「ここ、お会計は?」
「必要ない。外からの“客”なんて滅多にいないからな」
「ですよね。じゃあ、ほら……」
目線はパブの外へと迷いなく向けられている。
「……いったいどうしたんだ? 秘密基地が楽しみなのはわかるが」
「さっきの人、お屋敷で見たことある気がして……」
「どうしてそれを早く言わない!」
グリフィンはブリトーを手巾で包むと今朝の衝撃で主を失った円筒のケースに収める。重量のあるコートを着なおす間に先行するようにと合図を送った。
「すみません、確証が持てなくて!」
言い訳もそこそこにルパートは駆け出した。改めて見ると、彼はかなりの軽装だ。危機意識の深刻な不足が逆に功を奏した形で、ルパートは盗品を咥えた野良猫のように通りへ跳ねる。
体幹の強さを感じさせる右カーブを注視しながら、グリフィンもそれに続いた。
追われていることに気付いた男は、そのまま細い路地に入っていく。
追走は長く続いた。相手は地理に通じていたようで、速度で勝るルパートもなかなか尻尾を掴めなかったのだ。
その後ろを必死で追いかけたグリフィンは、すっかり息を切らしてしまった。
「で、なんだこの状況は……」
男の背を追っていたはずのルパートは行き止まりにぶつかるとこちらに振り向いた。怪訝な顔が青ざめたあたりで、背後の気配にグリフィンも気付く。
「え、っと……、わかりません。とりあえずそれ、下ろしてみませんか?」
いつの間にか位置を逆転させた男はこちらに刃物を向けていた。
「……いきなり追いかけてきておいて、その言い分が通ると思うかね」
老人と言っていい、ピリピリとした緊張感を隠しもしない男が静かに言い放つ。震えた声調からは疲労と動揺が窺える。
「すまない、話を聞きたいだけなんだ。人探しをしていて……」
グリフィンの問い掛けにも、気を緩める様子はない。
「人探し、ね……。他所からわざわざやってきたのはご苦労だが、ここの人間の暮らしに首を突っ込むのはやめろ」
「ああ。こっちの勝手はわかってるよ。我々が探してるのは逃げてきた人間じゃない。こっちの連中がセレネクールまで人攫いに励んでる疑いが出ていて、それで先行した人員の行方を追っているところなんだ」
メイネスが未だコミュニティとしての体裁を保っていられるのは、ひとえにその需要があるからだ。諸般の事情で元の暮らしができなくなった人々もここでは単に一住民と数えられる。過去に関する詮索はできる限り避けるのが、ここでのルールだった。
「そうですよ。あなた、最近お屋敷に来てた人でしょ? アルバートさんと話してるとこ見ましたよ。それでお話が聞きたくって」
その名前は想定外だったのか、ぎこちない動きで男は刃物を下ろす。
「アルバート……。ああ、たしかにそうだ。それを知っている人間は多くはないし、あんた達は信用できるってことなんだろう。わかった、話せることはすべて話そう。その前になぜ不必要に威嚇的な形相で走ってきたのか知りたいがね」
安心の決定的材料となったのはルパートの身なりのようだ。男はルパートを頭から爪先までじろじろと眺めると不思議そうに聞いた。
「それは私も気になるな」
グリフィンは肩をすくめ、軽く咎めるような視線をルパートに向ける。
「逃げる人を見ると本能的に追っかけたくなっちゃって……。追走本能ってやつですよ。いわゆる」
「知らない本能の話をするな」
「なあんか拍子抜けですねぇ」
アルバートの知り合いだという男と別れてからしばらくして、二人はグリフィンの隠れ家だった倉庫のすぐ近くまで辿り着いた。
「このまま何もかも投げ出して、またここで暮らすのも悪くない気がしてきたよ」
「たくさん走ったからって自棄になりすぎですよ」
「……それはそうだが」
行方知れずのアルバートやエリックの居場所について手がかりが得られればと思ったが、彼は単に調達者として各地から物資を集めていただけのようで、アルバートとは旧知の仲ではあるものの最近の動向については知らなかった。
「夜警班が何も見ていなければ、メイネス一周ツアーの始まりだな」
最後の希望を旧誼に託さざるを得ないこの現状に居心地の悪さを覚えつつ、グリフィンは瞑想じみた心持ちで隠れ家の鍵と向き合う。
「……観光の時間が残ってればいいんですけど」
呟くとルパートはすぐに息をひそめる。開錠に興味があるのだろう、視線が手元に注がれるのを感じる。
高を括っていたが鍵は思いの外複雑な構造なようで、少し手間取った。それでも十五秒ほどで小気味よく鍵が開いた。「おお!」と小さな感嘆が後ろから聞こえる。
「それで、あいつはアルバート翁とはどういう間柄なんだろうな。お互い大火前からのメイネス住民だったらしいが」
老人はシエルやメイネスの現状、今のメイネスにおいてアルバートが訪れそうな場所などの話題には協力的だったが、自身の過去のことは多くは語りたがらなかったし、グリフィンも深い追及はしなかった。
「アルバートさんは人脈がとにかく広いですし、わかりませんよそんなの。ここの出身ってことも初めて聞きましたし」
「事件に関係することなら、改めて本人に聞くとしよう」
グリフィンは少し軋むドアを開けた。
家屋として十分な見た目通りに、その室内は広い。少し埃臭さを感じるものの最低限の清掃はされているようだった。
右手には個人用のデスク、左手には暖炉がある。左奥の仕切りにはベッドが隠れているはずだ。配置はグリフィンが住んでいたころと変わらない。
中央のテーブルの上には蓋のついたビンのレモネードが一本置いてある。外側に水滴が付着しているのは、比較的最近に置かれたものという証左だろう。
グリフィンはそばに置かれたコップを軽く拭き、薄黄色のそれを注いだ。
「飲むか?」
「ありがとうございます……。え、いいんですか? 色々」
「主が戻った今、何をしようが私の勝手さ」
レモネードは清掃員の持込品のようだ。部屋の様子を見るに、手入れ半分にくつろいでいるのだろう、好き勝手に使った痕跡があった。
「休めるときに休んでおいた方がいい。どうせブレニフたちが来るまでは暇なんだ」
声を掛けるより前にルパートはソファに腰かけていた。
「ふう。美味しいですねこれ。……上から見たときにはこの辺に農地はなさそうでしたけど、どうやって作ってるんですか?」
メイネスのレモネードは人工の甘味料ではなく果汁で味付けされている。違いのわかるその舌に、グリフィンは深く頷いた。
「ああ、それはだな……」
グリフィンによるメイネス歴史講座、青果篇が幕を開けた。
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