日脚
照る日光に撫でられ、グリフィンは目を覚ます。ソファに寝かせられているようで、ぼやけた視界には白木の梁が架かった天井が映る。
鉄のように重い身を起こすと、そこは領事館の一室のようだった。記憶が正しければ一階の端、使用人のための休憩室だろう。開いたままのワードローブにグリフィンが着ていたコートが掛かっている。テーブルの上には、持ち込んだ武器のいくつかが並べられていたが、室内にルパートの姿はなかった。
立ち上がると、足腰がひどく痛んだ。グリフィンはコートを纏い武器を回収すると、足取りも重く部屋の外へ出る。
メイネスの晴れは珍しい。日も落ちかけた昨日の往路と比べると、心なしかグリフィンを歓待しているようにも思えた。
ルパートを探しに、まずはローブの男がいた部屋の真下、キッチンへ行くことにした。床が抜け崩落したそこはひどい有様のはずだ。男の行方を調べるためにも確認すべき場所だった。
キッチンは上階からの瓦礫で埋め尽くされ、原型を留めていなかった。
赤い液体の染みた板屑と打ち捨てられた縄を見つけたグリフィンは、ローブの男がすでにこの場から消えたことを察する。もし男が昨晩のうちに去ったのなら、ここで検分を始めても追跡するのは難しい。彼の服装や行動で思い当たる組織はグリフィンの記憶になかったが、あれが個人的な侵入とはとても考えられない。姿を確認された以上、より一層気を配る必要がある。
頭上からわずかな物音が聞こえる。木材のきしむ音に目線を上げると、崩れ落ちた“廃棄室”の柱や梁を伝うルパートがいた。
「……朝からずいぶん元気だな」
「え? あ、よかった、目が覚めたんですね!」
呟く程度のグリフィンの発声に耳聡く答えたルパートは、坂状になった瓦礫を滑り、二階から下りてくる。
「おかげでな。……煙じゃあるまいに、上で何を?」
「はじめはあの部屋に何か残ってないかなって調べてたんです。それから、ついでで屋根の上のぼってみたんですけど、すぐ近くに街があるのがわかって。あれがシエルです?」
もはや彼の身体能力に驚くことはやめた。
「ああ。本来なら昨日のうちに着くはずだったんだが」
「無事に済んだだけラッキーですよ。グリフィンさんも、この建物も」
「『無事に』、ね。……行くぞ、少しでも後れを取り戻さないと」
グリフィンは埋もれた武器からまだ機能しているいくつかを拾い、裏口へと向かう。ルパートは早足で追いつき、横に並んだ。
「……ね。あの赤いモヤモヤ、ここじゃああいうのがウロチョロしてるんですか。怖すぎますよ」
鮮明に残った赤い惨禍を眺めながら、怪訝な顔のルパートが聞く。
「ここが“危険な”地域というのはあくまで治安の話だ。訳のわからんカルトのマジックショーなんて、見たことも聞いたこともない」
「のわりには冷静だなぁ。って思いますけど」
「焦ったところで何も好転しないからな」
グリフィンは短く息を吐くと、ひとつ開けっ放しの窓から飛び出した。
裏口から庭に出ると一気に視界が広がる。グリフィンは周到に敷かれた手すりに手を掛け眼下の街を一望する。大火の後に建てられた家々は木造で簡素なものが多い。人の往来はまちまちで、建ち並ぶ屋台店も馴染みあるものだった。
シエルは放置された地下鉄の建設予定地を利用してつくられた地区で、露天掘りされた広い土地がそのまま街となっている。
「梯子を下りるとシエルだ。まずは人の出入りを調べる。アルバート翁やあの坊っちゃんが来ているといいんだが」
背かご付きの長い梯子が、地面まで続く。当時の建設作業に使われていたものそのままだ。
「来てるって公算はあるんですか?」
「メイネスに入るまでに死んだ可能性と五分ってところかな」
「……あー。グリフィンさんちょっとご機嫌ナナメ? きっと大丈夫ですって! ほら、行きましょう」
少し呆れた様子で梯子へ先行するルパート。グリフィンもすぐにその背を追った。
梯子を降りた先では手狭なカウンターが二人を迎えた。グリフィンは、奥に控えた見知った姿に気が付く。書類やコップが雑然と置かれたカウンターの向こうで、年季の入った木の椅子に腰かけている。長髪の男は肘をついたまま、こちらには目もくれずに言った。
「あー、そこに名前書いてくれ。字が書けないんだったら俺に言えよ。そしたらそこで、手広げて待ってろ。危ないもん持ってないか調べなきゃならんから……」
「ブレニフ」
名前を呼ばれ、男はようやくこちらを振り向く。
無愛想な口調と鋭い目つきは相変わらずだが、最後に会った時と比べると皺と白髪が増えているように見えた。
「おいおい、ずいぶん立派になったじゃねぇか。そのキレーな制服も似合ってるぜ」
ところどころ傷ついたコートを観察しながらその中年、ブレニフは言う。彼とはセレネクールで検視官になったと便りを出したっきりだった。
「お前は変わらないな。……ところで。昨日今日ここで、見慣れない人物を見てないか?」
「お前とそこの以外には知らないね。ここはいつもと変わんないぜ」
ブレニフが、中指で名簿を叩く。
「そうか……。ジェイは?」
質問しつつ記帳した。
「元気でやってるよ。今じゃ夜警のまとめ役だ。そっか、“見慣れない人物”も、あいつなら知ってるかもな」
「それはよかった。後で顔を出そう。……ルパート。お前も」
「あ、はい。名前だけでいいんですね……。はい、できました!」
殴り書きの先人たちには倣わずに、ルパートは丁寧にペンを走らせた。
「……ここにはあまり馴染まないタイプに見えるな」
使用人の服装とはいえ、わずかに土汚れがあるだけの上質なシャツはこの街において明らかに異質だろう。全面から放たれる能天気さも相まって、その実奇手で転がり込んだだけのルパートをブレニフが不思議に思うのも無理はない。
「尋ね人の知り合いだ。いろいろあって勝手についてきたんだ。まあなに、迷惑はかけないはずさ」
「じゃあ構わないけどな。……さあ、ほら、手ぇ上げろ」
「あー……。ひと悶着どころか、百や二百の用意もしていてね」
両手を上げる代わりにコートの中を広げて見せた。
出発前と比べると寂しく見えるが、それでも荒事に対応するために十分な武器や道具が顔を出す。
「……オーケイ。すっ転んで大爆発とかはやめろよな」
「そんなヤワな装備なら、今頃私は領事館で灰になってるところだよ」
「はあ? 酔っぱらってたんじゃねえだろうな。まだ足腰がどうにかする歳には早いぜ」
まるで稚拙なジョークを飛ばされたような顔で、ブレニフは答えた。
「……封鎖された“廃棄室”の窓から男が入り込んだんだ。物音に気付いて部屋まで行って、待ち伏せを捌いたとこまではよかったんだが……、その……」
「その人が首からさげてた容器が割れて、中から赤い液体がでてきたんです。そしたら赤黒い影? みたいなのが現れて……」
ルパートが割り込む。その援護射撃が事の重大さを強調した。
「わかるぜ。落ちてる変なもん食ったか、逆でなんも食ってなかったかで頭おかしくなってたんだろ。話つけとくから、入ってなんでも食え」
ブレニフは投げやりな態度でカウンターの奥を指でさす。早く行けよ、とでも言いたげだが、その顔にはわずかだが明らかな煩慮が見える。グリフィンが冗談を言っているわけではないことを内心ではわかっているのだろう。
「それの痕跡はすべて領事館に残ってる。ルートの修正も兼ねて人を送ってほしい。これは真面目な話だよ、ブレニフ」
「……チッ。あーわかったよ。今夜、ジェイを交えて話をしよう。都会からのお客さんのことも知ってるかもしれないしな」
夜警をまとめる立場なら、ブレニフ以上にメイネスの近況について知っているかもしれない。
「……協力してくれるのか?」
「放っとけるかよ、そんないかにも有害っぽい奴」
「そうか。……ありがとう」
「御安い御用さ」
ブレニフは再び、二人を奥へと案内する。
「じゃ今夜、スイートルームでな」
心強いその声を背にして、グリフィンたちはシエルへと進んだ。
「上から見た通り、広いですねぇ。始まっちゃいますか? "アルバートさんをさがせ!"」
中心部は活気にあふれていた。町の空気に触れて安心したのか、ルパートは楽しげだ。
「はは。児童書なんて読んでるのか?」
「子供心を忘れてちゃ、トランクには忍び込めませんって」
その声調は本気とも冗談ともつかなかった。
約束の時間まで無為に過ごすわけにはいかないが、手がかりのない今、できることは少ない。
「なあ。秘密基地に案内しよう。来るだろ?」
メイネスにいたころ使っていた場所がある。そこを宿として使えばこれから数日を安心して過ごせるだろう。
「え、すごい! 行きます!」
予想通りの返答を聞く前に、グリフィンは町の中心部へと歩き出していた。
「意外と防犯意識が高いんですね。この辺の人って」
徒労を経たグリフィンたちは明るい声が漏れ聞こえる“パブ”の前にいた。
「……正直、鍵がついてることも知らなかった。ここも変わったな」
「それはグリフィンさんにも問題あると思いますけどね」
パブとは言うが、実際の形態は食堂に近い。町民たちが時間を問わず好き好きに訪れるので、情報交換の場としても使われていた。
「ついでだから、食事も済ませておくか」
ここの料理は他の発展した都市部のそれにも引けを取らない。と、グリフィンは確信している。
押しドアを開いて喧噪へ足を踏み入れると、エキゾチックな香辛料の香りが漂ってきた。
「ですねですね!」
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