馥郁

 敷地は花々の豊かな香りに包まれていた。グリフィンは、背の高い生垣や石畳で造られた歩道を進み、ダンバー邸本館へと向かった。色鮮やかな花々、きらびやかな装飾からなる庭園は本館に近づいてゆくごとに色を変え、受ける印象が巧妙に変わる。

 本館に辿りつく直前、庭園からは離れた塀の隅の、少しひらけたところにぽつりとトックトンの林檎の木が植わっているのが見えた。その陰に少女が一人腰掛けている。脇に侍女ふうの女も控えていた。

 木漏れ日とは別の光源のようにやわらかに人目を引く少女の顔は“探偵気取り”によく似ていた。彼には妹がいたはずだから、恐らくは彼女がそうなのだろう。グリフィンはその存在を心の端に留めると、ダンバー邸の入口、両開きの扉に手をかけた。

 惜しげなく設置された採光窓からの日光が、吹き抜けを使い空間を広くとった館内を明るく照らしている。落ち着いた内装が生み出す調和は、グリフィンの背筋を一層しゃんとさせた。

 広間では使用人たちが慌ただしくそれぞれの業務をこなしている。せわしなく働いてはいるがその顔はいずれも活気に満ちており、憂くような顔は見受けられなかった。ダンバー家は何かと悪環境に置かれがちな彼らのために離れに快適な寮を造設しており、地下室や屋根裏などで寝食せずに済む。引く手あまたの優秀な使用人が最後に行き着く場所と幼いころ使用人たちが話しているのを聞いたことがあった。

 その場で館内のあちらこちらを注視すると、多くの場所からちょうど死角になる窓の桟に一人、まるで汚いものでも触るかのように人差し指と親指で小箒をつまんだ若い男が腰掛けていた。

 館の隅で一人虚空を見つめる業務はひどく退屈だろう。気の毒に思ったグリフィンは彼に声をかけることにした。

「恐縮だが、エルヴィナ・バロウズさんからの案内でアルバートさんに声をかけるように言われている。彼はどこに?」

「え?」

 驚いたように立ち上がりグリフィンの顔を一瞥する。安堵にも当惑にも見える表情で男は続ける。

「ああ、ええと、あの人はいつもバタバタしてるからなあ。執務室にいることが多いですけど、いなかったらわかりません。もしどこかで新人たちに、“まったく音を立てずに食器を運ぶ方法”とか“真に気品ある使用人の立ち振る舞い五百選”とかを叩きこんでるところだったら最悪ですね」

 どこか気抜けする声で男は答えた。投げやりな口調にやる気を感じさせない仕事ぶりの反面、立ち姿と身振りはやけに様になっている。貴族家からの奉公人のように見えた。

「はあ……。執務室というのは?」

「そっちの階段を上がって、すぐ右です。まあ、見たらわかりますよ。だいたい扉は開いてるんで」

 男は手をひらひらとさせると、階段の方を指さす。軽く会釈をし、言われた通りに階段を上がり右を向くと、開けっ放しの扉が見えた。ドア枠の外に“執務室”と書かれた木製のプレートが貼りつけられている。

 周りに呼び鈴の類いがないことを確認すると、部屋の内側に開いた扉の手前側をノックする。ほどなくして、声量に対して通りの良い落ち着いた声が答えた。

「何用ですかな」

「失礼します」言いながら足を踏み入れた。書類棚の近くでファイルを抱えた老執事と目が合う。長身だ。顔にはずいぶんと皺があったが背筋はまるで天井から糸でつるされているかのようにぴんと整っている。

「セレネクール検視局のグリフィン・コールフィールドです。バロウズさんから、捜査本部への案内を貴方に頼むようにと」

 老執事アルバートはほんのわずかな逡巡ののち、ファイルを事務机の収納にしまった。

「承知しました。では、こちらへ」

 そう言うとしっかりした足取りで、グリフィンの横をするりと抜けた。てっきり館内のどこかにある地下室へ案内されると思っていたが、階段を降りるとそのまま、外へ続く大扉を開いた。グリフィンを館外に案内するその一瞬に先ほどと変わらず油を売っている若い使用人を見咎めるのをグリフィンは見逃さなかった。

 館の外へ出たアルバートはすぐに歩道を逸れ、トックトンの林檎の木があった芝へ足を踏み入れた。先ほどの少女はまだそこに残っていたようで、木の根元を探るアルバートといくつか言葉を交わしたのち、侍女を供にこちらの方へ歩いてきた。すれ違う間にまじまじと視線を感じた。不思議に思い視線を返したが、すぐにそらされてしまった。館へ戻る彼女が、侍女に小さく耳打ちするのが見えた。

 宙に浮くような妙な感情を抱えながらアルバートの方へ向き直ると、彼は使用人特有の“待ち”の姿勢を解き、その場に膝をつきしゃがんだ。

「さすがの貴方様も、これには驚かれるでしょうが……」

 穏やかで隙のない笑みを浮かべながら、地中の“何か”に触れたアルバート。弩の発射音にも似た乾いた音が鳴ると、一帯の土が勢いよく左右に割れ、金属製の床下扉が現れた。アルバートがその扉を横に滑らせると、中には地下へ続く階段が続いていた。

「これは……。セレネクール“伝統”の地下通路ですか。でも、ダンバー邸の敷地にこんなものが……?」

「ふふ……。長い歴史に、秘密はつきものですからな。この階段をまっすぐお進みください。中でロイ様も捜査に尽力しておいでしょう」

 彫像のように直立するアルバートが言う。

「あなたは?」

「私は執務がありますので。……それに、一人のほうが都合が良いのですよ。初めての場合は、特に……」

 不敵な笑みを浮かべ、“待ち”の姿勢に戻る。

 促すような無言の圧に負け、グリフィンは石煉瓦の階段を下った。

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