栄華

 ダンバー邸までさほど時間はかからない。

 馬車の座席に前のめりに腰掛け、手帖を広げる。時折、あちらこちらに頁をめくった。意味のある行為ではない。たまに見かけるおせっかいな御者ぎょしゃに思考の邪魔をされないための牽制だ。幸いなことにこの老人は、余計な口を挟むタイプには見えなかった。

 にぎやかな市場通りを過ぎると、品格のある住宅街が見えてくる。少し進むと、ひときわ目立つ瀟洒な屋敷が現れた。

 ダンバー邸は、セレネクールに存在する建物の中でも有数の敷地面積を誇り、その大部分が美しい庭園に使われている。反面、建築面積はそこまで広くなく、建物は実用性を重視した三階建ての本館とその離れにある使用人や庭師の住む寮、家財や道具類をしまい込んだ物置小屋に敷地の出入り口に建てられた守衛所くらいのものだ。

 カールによると、捜査本部が敷かれているのは本館の地下。警察関係者の出入りは多いだろうし、本部に誰もいないということはないはずだ。守衛に話を通し、その案内のもとで赴くのが手っ取り早く思えた。

 馬車は通りを外れた雑貨店の前に停まる。

「ここで?」

 老御者のしわがれた声が言う。

「ありがとう」

 車馬代に色は付けなかった。民間の辻馬車に代金を余分に払う行為は、その場に馬車を待たせておくサインになる。

 乾いた木製の扉を開け、雑貨店に踏み入る。ダンバー邸ではなくあえてこちらに停めるよう言ったのはごく微細な情報漏洩のリスクを考慮してのことだ。ややあって、馬車が通りへ戻っていくのが店内の窓から見えると、グリフィンは物色していた棚から適当な筆記具をつかみ会計した。


 雑貨店から出るとグリフィンは足早にダンバー邸へと向かった。

 敷地の入り口、守衛所で警備がこちらを見る。

「失礼ですが、どちら様ですか」

 仕立ての良い衣服で身を包んだ男の眼に訝るようなものは感じられない。ダンバー家の行き届いた教育が見てとれた。

「セレネクール検視局の……」

 身分を明かそうとするグリフィンを、守衛所の奥から女の声が遮る。

「こちらはグリフィン・コールフィールドさん。検視官サマだ。通してやれ」

 警備員用だろう質素な椅子に女王さながらに腰掛けるその女の、襟に付いた徽章きしょうがきらりと光る。さぎかたどった金色の徽章は、セレネクール警視庁、検視局と並ぶ警察機関である特別捜査局の証だ。

「お久しぶりです、バロウズさん」

 特別捜査官エルヴィナ・バロウズには、グリフィンが現在より少々だったころ世話になった。検視官となってからは捜査局が動員されるような難事件の際、何度か協力関係を結んだことがある。効率主義で周りを寄せ付けない雰囲気だが、機微に聡く信頼のおける人物だ。

「どうせ何か嗅ぎつけてノコノコやってきたんだろうけど、くれぐれもロイ本部長へ挨拶を忘れるなよ。ただでさえ捜査にてこずってるのにあの坊っちゃんが事件現場をうろちょろしてるもんだから、ああ見えてイラついてるんだ」

 外部組織で情報の共有も少ないだろうエルヴィナでさえ当たり前のように把握している“坊っちゃん”の正体を知らずに、大真面目に内通者の可能性を案じていた同僚の顔が浮かび頬が緩むが、取り繕う。

「ええ。本部長の心中を思うとね……。彼は地下に?」

「たぶんな。捜査本部にいなかったら二階の私室にいるはず。執事のアルバートに話を通すといい」

 エルヴィナが本館を手で指し示した。改めて目前にしたそれは、長きにわたるダンバー家の栄華を誇るかのようにそびえている。

 グリフィンはエルヴィナに会釈すると、ダンバー邸へ向けて歩き出した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る