怜悧

「ですから、親族の許可は得ていると言っているでしょう!」

 金属製の階段をふらふらと降りるグリフィンの耳に、険も隠さぬ鋭い面詰が飛び込んだ。

 下部にサインの入った紙束を突きつけるいかにも探偵風の衣服を纏った優男が、気弱そうな捜査員相手に捲し立てている。

 どうやら、またもあの“探偵気取り”が捜査の邪魔をしに来たらしい。グリフィンは、朦朧とする意識を呼び戻し、頬を軽く叩きかぶりを振った。

 すぐに物陰に隠れ、様子をうかがう。


「いやあ、そうは言っても、今まさに警察の捜査中でして……」

 震えるようなか細い声は、新米巡査のカール・レイノルズ。料理人の息子で、グリフィンが検視官に就任して以来の仲、やや気弱なきらいがあるが責任感に溢れる実直な男だ。

 カールの言葉を意に介す様子もなく、“探偵気取り”は反駁する。

「その警察が無駄な手ばかりを打っているから、犠牲は増える一方なんです。この一連の事件で警察がつかんだ手掛かりなど高が知れているでしょう? 犯人は一人なのか、それとも複数か? 殺害の方法は? 解決に向けての糸口がつかめているんなら、安心してお任せするんですがね」

 彼の主張はもっともだった。手口の特殊さを鑑みた警視庁は警視を中心とした広い捜査体制を敷いたものの、被害者が二ケタに上った今も実質的な成果は挙げられずにいた。

 停滞する内情と、目の前の得意げな薄ら笑い。その挟撃にしどろもどろになってしまったカール巡査に助け舟を出すべく、グリフィンは間に割って入る。


「その辺にしてはいかがですか、小鳥さん。捜査体制に不満があるなら御父上に相談しては?」

 艶美すら感じさせる瞳が、こちらを見やるや僅かに揺れる。その奥に在るのは、グリフィンに対する軽侮にも、事件解決に向けた情熱にも見えた。

 エリック・ダンバー。セレネクールを実質的に支配する“四家”のひとつダンバー家の次男坊で、放蕩者である兄に代わり次期当主として有力視される存在。

 誰に唆されたのかは知らないが、一連の変死事件に関し独自に調べまわっているようだった。

「おや、これはグリフィン・コールフィールドさんではありませんか。父からよくお話は伺っていますよ」

 事も無げな台詞に「どうも」と軽く返すと、エリックが先ほどまで見せつけていた紙束をひったくる。

「ええと……、これは確かに被害者の親類のもののようですね。それではぜひ、お近くの警察署に立ち寄り、捜査に加わっていただきましょうか」

 言うと、エリックは露骨な不快を顔に出す。

 彼ほどに優秀な人間なら、正規のルートを経て捜査班となることは容易なはずだ。それがこうして、非公式の探偵という民間人とほぼ変わらない立場に身をやつしているのは、彼にとってのこの事件の存在が所詮は道楽や心休めに過ぎないことの証明と言える。それでも、わざわざサインを手に入れる程度には力を注いでいるのだろうが。

 こちらを見据えるエリックが、憎々しげに口を開く。

「……ええ、確かに。確かにぼくにはその権限はありませんから。あなたがたが撤収した後の見落としだらけの現場を、ゆっくりと調べてみることにしますよ」

 流暢な捨て台詞と仰々しい礼とともに立ち去る姿は、舞台劇の役者さながらだった。


「ああグリフィン、助かったよ」

 つい今まで存在感をゼロにしていたカールが、どこからともなく現れ謝辞を述べる。

「気にするな。……ああいった手合いはお前向きじゃない。こういうのは私に任せておけ」

 その言葉に微笑みで返すと、カールは急に真面目な顔をした。

「あいつはいつも、どんな魔法を使って捜査の邪魔をしてるんだ? 現場にやってくるのが早すぎる。まさか、捜査班内部に情報を漏らしてるやつがいるんじゃ……」

 著名ゆえ顔も割れ、ろくな変装もしていない“探偵気取り”の正体を知らない人間が捜査班にいる、というのは驚きだった。

「おいお前それ、本気で言っているのか?」

「え」

 語気にからかいを混ぜた問いに、わかりやすくたじろぐカール。

「エリック・ダンバー。名前を聞いたこともない、なんてことはあり得ないはずなんだがな」

「それって……」

 表情のよく変わる男だ。それを聞くと、一転顔を明るくした。

「そうか、ダンバー家!」

「え?」

「前当主ラングレー翁といえば、シティの政府中枢にいたお方じゃないか。ここの地理や歴史にはとにかく明るいし、その息子で現当主は我らが本部長。被害者になにかしらの法則があるとしたら、それにいち早く気付けるのはあの家の人間なんじゃないか」

「つまり、あのお坊ちゃんは隠居した爺さんに入れ知恵されて、我々の捜査記録を漁ってるってわけだ。ちょっと情報管理がいい加減すぎないか」

「ああ……。ふだん検視局にいるおまえが知らないのも無理はないけど、実はこの事件の捜査本部はダンバー邸の一室に設置してあるんだ。情報が漏れないよう使用人ほか部外者の立ち入りは制限してるけど、もし家の中の誰かが本気で記録を探ろうとしたなら、それは可能なはずだよ」

 気になる点はいくつかあったが、納得のいく話だった。

 エリックは情報を得る際にどのような方法を使っているのか? 得た情報で何をするつもりなのか? 単に道楽ならばそれでいいが、それだけではないような気もする。

 彼の動向を調べることで進展する問題がいくつもあるように思えた。

「……少し探ってみる。警視にはよろしく言っておいてくれ」

 言いながら、襟を正し、タイルを渡した。

「わかってるって。これは?」

「現場で発見した証拠品だ。マクファーレンはバスルームのタイルを切り抜いて金庫に改修していた。個人的に調べたいことがあるから、私の部屋に運んでおいてほしい」

 受け取ったタイルを眺めまわすカールを尻目に、グリフィンは辻馬車を探した。

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