嘘みたいな夢
日也
嘘みたいな夢
エミリアは街で一番のお嬢様である。街の中心から少し離れた丘の上に建っているお屋敷に住んでいる。一人娘で、生まれつき目が見えなかった。
その彼女は今、右手をつかんでいる何者かに手を引かれながら、屋敷の裏手に広がる森の中を駆けていた。
「ねぇ、あなた。わたしをどこへ連れて行くの? 随分と手がゴツゴツしているのね。それにずっと冷たい」
「ここから行くのはすごく面白いところさ。きっと今までに見たことがないと思うよ。手が冷たいのは……そうだね、いつも外にいるからさ。体が冷えてしまうんだ」
「誘拐犯みたいなことを言うのね。きっとお父様から後でお金をもらうんだわ」
「そんなことはしないさ、自分は犯罪をしているつもりはない。……怖くはないかい?」
「えぇ、まったく。だってお父様がお金持ちでわたしのことが大好きだからって、何回も誘拐されたことがあるもの。でも、こうやって走らされるのは初めて。いつも車に乗せられてたもの」
「そうかい。それは悪いことをした。でもほら、もう着いた」
導かれるまま動かしていた足を止めた。風の音から考えると、木々からは離れた広い空間らしい。森を抜けたかどうかはわからなかった。
「ここは?」
「ここでなら、君は自由に何もかもを見ることができる」
何者かは質問に対しての答えは言わなかった。代わりに出たのは、エミリアにとってそれはそれは魅力的な言葉だった。
「本当!? わたし、ずっと思ってたの。この目が見えるようにならないかって。あなた、お医者様か何か?」
「いや、違う。違うけども、そうかもしれない。君が自分のことをお医者様だと思えば、自分は君にとってのお医者様だ」
固くゴツゴツとした手が、エミリアの閉じた瞼に触れた。
「――ソウブン・ゼハ・ノエル・ミ・デ・ココ」
難解な呪文のようなものがエミリアの耳に届いた。
「さぁ。目を開けてごらん」
恐る恐る、瞼を開けてみる。
始めに感じたのは、眩しい、ということだった。光量はそれほど多くない。しかし、あまりの色の多さに驚いてまた目を閉じてしまった。
再び開けてみる。今度こそ、ゆっくりと、目を痛めないように。
「――これは」
「これは、魔法の花畑さ。真っ白い花がとてもきれいだろう? それに今日は満月で随分明るい。何でもないときに来るよりも、ずっとずっときれいなはずだ」
「これが……花。白い花。あっちに浮かんでいるのが満月……。こんなものが世界にはあったのね」
「そうさ。それが見えないというのはかわいそうなことじゃないか。だから、君を連れてきた」
エミリアをここへ連れてきたのは、長身の男だった。エミリアと関わったことのある人の中で一番背が高い。もっとも、それはエミリア自身にはわからなかったが。
「自己紹介が遅れたね。自分はグレイ。この場所にずっと住んでいる。君のことはたまに噂で聞くよ、おてんばのエミリアさん。ついひと月前も、お屋敷を抜け出したって」
「そう、あなたグレイっていうのね。宇宙人みたいな名前。……べつに、抜け出したつもりなんてないわ。ただ遊びに行っただけ」
「ふふふ、そうかい。元気なのはいいことだね。――おやブギー、こんばんは」
目の前を横切って行った小さな影に、グレイはそう声をかけた。なんとも形容しがたい見た目をしている。ずんぐりむっくりとした短めの蛇、といったところだろうか。おまけに羽まで生えていた。
「これは?」
「こいつのことは、自分はブギーって呼んでる。小さな生き物で、夜になるとそこいらを飛び回っているのさ。でもこいつ自身の名前じゃなくて、そうだな、『ヒト』みたいな、種族で呼んでいるんだ」
ブギーはケケッ、と鳴いて、空高くへと飛んで行ってしまった。あたりを見渡すと、確かにそこら中にブギーが飛び回っている。
「さて、もう訊きたいことはないかな?」
「あるわ。あるけど……どれから訊けばいいのかわからないの」
「そうか。なら、一旦放っておくといい。いつかわかるさ。――何かしたいことはあるかい?」
「それはもう、たくさん。本を読んでみたいし、絵も描いてみたい。あたりを走り回ってもみたいわ」
「全部、ここでできるとも」
「本当に?」
「本当さ。……でも、全部ここでしかできない。君の目が見えるのは、この花畑の中だけなんだ。ここは魔法の花畑。だからここを出てしまうと、もう君の目は見えない。――ここで存分に遊ぶといい」
*
翌日。エミリアは自室のベッドの中で、ハウスキーパーの声に起こされた。
「お嬢様、いつまで寝ておられるのですか。昨日はまた勝手にお屋敷を抜け出して、挙句には夜遅くに帰ってきたそうではありませんか。また旦那様に叱られてしまいますよ」
「……おはよう、テリーさん。わたし、昨日いつ頃帰ってきたのかしら?」
「昨日、というよりもう今日ですね。およそ深夜二時ごろだったかと。まったく、どうしたらメイドたちの目をすり抜けてどこかへ行けるのか……。さぁ、お嬢様。朝食のご用意ができております。お早めにお召し上がりください」
テリーの手を借りて、エミリアは部屋にある大きなテーブルへと着く。目が見えないため、食事も誰かに手伝ってもらわなければできない。もう十何年もやっていることなので、お付きのメイドも慣れたものだ。三十分ほどで、エミリアは朝食を終えた。
朝食のあとは普段、エミリアは自室に籠っている。誰かに本を読んでもらうような年でもないし、日中は大概の使用人が忙しくしている。気ままにピアノを弾いたり、ベッドに寝転がっているくらいしかすることがない。不健康だからと使用人が外へ連れ出そうとしても、つまらないから、と言ってベッドへもぐりこんでいた。
「じいや、わたし今からお外に出るわ。ついてきてくださいな」
しかしその日は、自ら進んで外へ出た。昨晩、謎の青年に連れてこられたあの花畑へ、どうしても行きたいのだ。あの場所へ行けば、目が見えなくともわかるだろう。辺り一面に咲いた花から香ってきた甘い香りを、どうしても忘れることができなかった。
「いやいや、珍しいこともあったものですな」
「何が?」
「お嬢様が自ら外へ行くとおっしゃられることなど、しばらく無かったでしょう」
「それは、誰かについてこられるのが嫌だったからよ。誰かが一緒にいると、いけるところなんてお家のすぐ近くだけだわ。わたしはもっと遠く離れた所へ自由に行きたいの」
「それでしたら、なぜ今日は私を連れてきたのでございますか」
「じいやなら、わたしのお願いを聞いてくれるでしょう?」
「それは……まぁ、どのようなものでしょうか?」
「お家の裏へ連れて行って」
「それはいけません」
じいやはすぐに答えた。
「なぜ? そんなに危ないものがあるの?」
「いいえ。……お嬢様はご存知ないかもしれませんが、このお屋敷の裏手は深い森となっております。昔はその向こうに小さな村があったそうですが……病が流行り、今はただ荒れ果てているばかりです。何も面白いものなどありませんし、森の中は夜のように暗いのです。気軽に足を踏み入れるような場所ではございません」
「そうなの? ……じいやにだけ言うわね。他の人には――特にお父様には――内緒にしておいてほしいのだけれど……」
「なんでございましょう」
「昨日、わたし、お部屋を抜け出したでしょう? それ、男の人がわたしを部屋から連れ出してくれたのよ。窓から出て行って、まっすぐ行ったと思うの。わたしの部屋の窓から出ると、お家の裏へ出るでしょう? だから、裏へ行けば昨日行った場所へ行けるんじゃないかと思ったの」
「おっ、男の人!? なにかされてなどいないでしょうな!?」
「されてないわ。今とっても元気だもの。それに、その男の人――グレイっていったのだけれど――その人、わたしの目を見えるようにしてくれたのよ! びっくりしちゃったわ。白い満月が大きく輝いてて、白い花がいっぱいあって……初めてこの目で見たものが、あんなにきれいなものでよかった、って思ったの」
「花畑……ですか。そのようなものがあるとは存じませんでした。……そうですね、今度私がその場所を探しておきますので、今日はおとなしく私とお散歩でもしましょう」
「えぇーっ、いやよ。行けないならお部屋へ戻るわ」
「はは、折角です。たまには日に当たらないと、旦那様が心配なさってしまいます」
その日は昼食まで、エミリアとじいやは庭で仲良く過ごした。
*
その日の夜。誰かが窓をノックする音で、エミリアは目を覚ました。まるで、あの花畑へ連れ出された時のように。
急いで窓へ向かう。普通の人なら怖がるような深夜の暗闇も、エミリアには関係なかった。
鍵を開けると、聞いたことのある声がした。
「こんばんは、お嬢さん」
「グレイ! またあそこへ連れて行ってくれるの?」
「もちろん。約束しただろう? また君の目を見えるようにしてあげるって」
グレイはエミリアの手を握った。前と変わらず、冷たくゴツゴツした手だ。
花畑へ着くのに、前よりも時間がかかったような気がする。向こうへ着くのが楽しみで仕方ないからだろうか。
花畑へ着くなり、グレイは呪文を唱えてくれた。たちまちに目が見えるようになる。
「わぁ……やっぱりここはきれいね。また来れてうれしいわ」
「喜んでもらえてよかった。こうして誰かに喜んでもらえると、自分もうれしくなってくるよ」
「嘘みたいなセリフね」
「本当さ。……さて、今日は何をしようか。本をいくつか持ってたんだ。どれを読みたい?」
「そうね……じゃあこれにする」
エミリアは一番厚いものを選んだ。
「よし、頑張って読んでいこうか。文字の復習はいるかい?」
「大丈夫だと思うわ。でも、もしわからないところがあったら、その時は教えてね」
その本は、厚いだけあって中身も文字を見て間もないエミリアにとっては難しいものだった。頭の真上にあった月が木々の陰に隠れるようになったころに、やっと一ページ読み進んだ。
きりのいいところで、グレイが懐から時計を取り出した。
「おや、もうこんな時間だ。そろそろ帰らないと家の人が心配するね。今日は楽しかったかい?」
「えぇ、本は全然読めなかったけれど、少し文字も覚えてきた気がするわ」
「それじゃあ最後に、これを」
「これは?」
グレイが手渡してきたのは、一輪の白い花だった。
「これを持っていれば、自分がついていなくても、ここに来ることができるんだ」
「本当!? じゃあ、わたしが自由にここに来てもいいの?」
「もちろん。……でも、誰かと一緒に来てはいけないよ」
「どうして? 危ないからって、家の人がついてくるかもしれないけど」
「ここは自分が招いた人しか入れないんだ。だから、別の誰かが来ても、きっとたどり着けないよ」
「そうなのね、じゃあ、遊びに行くときに気をつけなきゃ。じゃあ、またね」
「うん、また」
*
次の日の朝食の後。週に一度の勉強のためにエミリアの部屋へやってきたじいやが、窓辺に置かれた見慣れない花瓶に気が付いた。
「お嬢様、これは一体……」
「素敵でしょ、もらったの」
「それはこの間お話ししていた、なんとかという男性からもらったのですか?」
「ええ。これを持っていると、わたし一人でもあの場所へ行けるんですって。でも、ついてきたりしちゃダメよ。行けなくなっちゃうって」
「お嬢様は、これが何だかわかっておられるのですか?」
「いいえ、知らないわ。じいやはなんて種類の花なのか知っているの?」
「……いえ、残念ながら存じ上げません。良ければお調べいたしましょうか」
「じゃあお願いしようかしら。それより、今日は何のお勉強をするの? 最近字を書けるようになったのよ。教えてもらったの。でも、ここで書いたことは無いわね。ねぇ、わたしの名前を書くから、合ってるかどうか教えてくれない?」
「いいでしょう。ですがその前に、私少々ご用事を思い出したので、少し失礼いたします」
じいやはエミリアの手を取って、テーブルに乗った皿のもとへと導いた。
「ここにお菓子がございます。よろしければお食べになってお待ちください」
部屋にはエミリア一人になった。
そっと、花瓶に挿したものに触れてみる。
やや冷たく固い感触がしたが、もともとそういった性質の花なのだろう。
「どうしたら、またあそこへ行けるのかしら……」
そう呟くと、手元をぐい、と引っ張られるような感覚がした。
「こっちに行けばいいの? でも窓だけど……。また窓から出るのね、なんか楽しくなってきちゃった」
窓を開けて飛び降りる。二階だったが、高さが実感できない分エミリアの恐怖心は小さかった。
「それでこっちに曲がるのね。ふふ、不思議。こうして一人で出歩けてるなんて」
屋敷の裏の森の中を歩く。木の根や枝に何度もぶつかりそうになりながらも、慣れない足取りで進んでいった。
どれだけ進んだだろうか。近くで鳴っていた木々の揺れる音が、すっと遠のいた。開けた場所に出たのだ。
それに気が付いたエミリアが声を上げる。
「グレイ、いる? 遊びに来たの。お勉強の時間だったけど抜け出してきちゃった。いたら教えて。あの本の続きを読みに来たの」
「いるよ。ここだ」
瞼に何かがそっと触れたかと思うと、あの不思議な呪文が聞こえた。
目を開けると、優しく微笑んでいるグレイが視界いっぱいに映った。
「わ! びっくりした。もう、そんなに近くにいるなんて気が付かなかった」
「はは、ごめん。こんなに早く来てくれるなんて嬉しいよ。昼間にここへ来るのは初めてだよね。どうだい、夜と違って、またきれいだろう?」
「ええ、本当にきれい。そうだわ、訊きたいことがあったのだけれど」
「なにかな」
「ここに咲いている花って、いったい何というの? 持たせてくれたこれを花瓶に挿しておいたのだけれど、じいやがなんていう花なのか、わたしに訊いてきたの」
「……うーん、それは自分でもわからないな。気にしたことがなかった。もともとここにたくさんあったんだ。自分が植えたわけじゃない」
「そうなのね。じゃあ今度、植物の図鑑を持ってこようかしら。あなたと一緒に、この花が何というのか調べましょう!」
「お嬢様から離れなさい!」
よく聞きなれた声が、エミリアの耳に届いた。
「じいや……? どうしてここに……追いかけてきたの?」
「はい。旦那様の部屋からお嬢様の部屋へと戻る途中、窓から飛び降りるところが見えまして、慌てて追いかけてまいりました」
「邪魔が入ったか……」
おどろおどろしいような、低い声が、グレイがいた方向からした。エミリアが驚いてそちらを見ようとするも、元のように視界がだんだんとぼやけてしまった。
「ねぇ、なんだか目がおかしいの。だんだん見えなくなっていって……。グレイどうにかして、お願い。……グレイ?」
「どこかへ逃げましたか。いや、安心しました。お嬢様にお怪我が無いようで」
「じいや、グレイは、あの人はどこへ行ってしまったの? ここにいるの?」
「お嬢様、あれは人ではありません。正体のわからない化け物です」
「なんでそんなことを言うの! わたしだって、あの人に親切にしてもらったんだから、そんなこと言わないで」
じいやがため息を吐いたのが聞こえた。優しく右手を取られた。
「お嬢様が今お持ちになっていらっしゃるのは、花でもなんでもございません。人の手の骨です」
「えっ……」
「お嬢様はあの化け物に、取って食われそうになっていたのでしょう」
「うそよ、そんなこと絶対にない。だってここは、怪しいものなんて何もなさそうな、きれいな花畑なんですもの」
「ここは花畑ではございません。ここは……」
じいやが言いづらそうに言葉を濁した。
「ここは、荒らされて人骨がたくさん露出している、墓地でございます」
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