309・久し振りの居城
ミトリ亭での食事を楽しみ、一日中アシュルと過ごすことができて、久し振りに充実した日を送ることが出来た。
それはもうおはようからおやすみまでずっと一緒だった。
まあ、流石に夜も共に過ごすのは少々恥ずかしい思いもあったが、それでも久しぶりに誰かと共に寝たそこは、とても暖かくて……優しい温もりがあった。
なんだかすごくそれが安心できて……私の心に安らぎを与えてくれる。
それは多分、お父様やお母様に一緒に添い寝してもらっていた幼少の頃の自分を思い出すからだ。
あの頃、私は夜眠れなかったことが多かった。
昔は夜の暗闇がやけに不安だったり、怖かったりして、一人では寝ることが出来なかったことが多かった。
いつの間にかそんな事はなくなって、普通に眠れるようになったのだけれど……アシュルと一緒に寝て、私はふとそれを思い出してしまった。
だからだろう。
私はある意味、ずっと逃げていたのかもしれないと事に……過去の自分に向き合う事を決意したのは。
――
休みに入って四日目くらいになった頃、私は一人でフィシュロンドを訪れていた。
ここに来るのはオーク族の魔王であるオーガルと戦った後すぐ以来だ。
復興の為の人材は少しずつ送っていっていたけど、ここには一切訪れたことがなかった。
ディトリアが第二の故郷だとすれば、ここは第一の故郷……私が産まれた場所だったんだけど、どうにもここに足を踏み入れる気が起きなかったのだ。
それはまず間違いなく、お母様を失い、その後すぐにディトリアの館でお父様を失って……はっきりと言うと、トラウマになっていた。
そう、自覚するとスッキリするほどに、私は無意識にここを避けていた。
「おーい! こっちにそれ、持ってきてくれ―!」
ディトリアと違って復興への着手が遅く、また、妙な建物ばかりが残ってしまったためか、未だにここは再建途中だ。
これもまた、上位魔王となった後に着手し始めた私に原因があるだろう。
大工が壊れた家を修復しているのを横目に、大通りを観察しながらゆっくりと歩いていく。
昔の記憶を振り返りながら、城へと向かうのだけれど……ここの町並みは随分と変わってしまった。
かつて花が咲き乱れ、穏やかな色合いの家に中心にそびえ立つ城。
それが今や見る影もない。
これが昔の私であったなら視線を逸らしたくなるような光景だったろう。
いや、今でも寂しい思いはある。
ここには楽しい思い出が多すぎる。
子どもの頃は城下町を駆け回って、花を愛で、流れる川の冷たさを楽しんでいた。
昔を思い出しながら、私は城へと辿り着いた。
城の方はオーガルから奪い返した時のまま、ボロボロだ。
本当はここを真っ先に修復しなければならなかっただろう。
だけど、私の命令で後回しにさせている。
もう二度とここに戻るつもりはなかったからだ。
まさか再びこの城に足を踏み入れる決意をするとは思っても見なかったけどね。
城の中は流石にあの時と同じ状態ではなく、定期的に掃除されているようで、昔のような酷い臭いはしなくなっていた。
ほとんど瓦礫の城――そう言うのに相応しいのかもしれない。
掃除と、多少の修繕がされてはいるけど、それ以外はそのままになっている。
両親の部屋も、今私が立っている元自分の部屋も……面影を残したままになっている。
……本当に、ここには戻れない過去が多すぎる。
いや、もしかしたら最初から戻れる過去なんてなかったのかもしれない。
産まれたときからこの手は血に濡れ、私は業を背負っていた。
……転生しなければ、こんなに苦しい事はなかっただろう。
だけど、転生しなかったら私は仇を取ることすら出来ずに、無残に散っていっただろう。
……わかってる。こんな風に思い悩むのは、私だけなんだと。
生きていたらお母様もお父様もそんな事を気にはしないと言ってくれるだろう。
それでも、なんともやるせない思い出ばかりが胸中に渦巻いている。
きっと、この気持ちは永遠に抱え続けて生きていかなければならないのだろう。
それは、私がローエンであり、ティファリスであり……この世界に生きている何よりの証拠となるだろう。
「お父様……お母様……」
最後に、二人の部屋を訪れた私は……ベッドの方に歩み寄る。
色んな思い出がひしめく中、一つだけ思い出したことがあった。
それはお母様は本当に大事な物をしまう時、箱の中にそれを入れて、ベッドの下……ちょうど枕の下辺りに位置する床の一つを取り外してしまえるようにしていたことだった。
少々重いベッドを横にずらすように退かせ、そっと床を取り外す。
すると……思った通りそこには空間があって、一つだけぽつんと小さな箱が収納されていた。
確か中身は……うん、覚えてる通りだ。
それはお母様が以前、お父様にプロポーズとともに貰ったというロザリオだった。
エルガルムのオーガル率いる南西のオーク族と全面戦争になりそうな雰囲気が出てきた頃から、いつも大切に身に着けていたロザリオを着けていなかった。
今思えば、あの人はこういう事になるかもしれないと思っていたのかもしれない。
そうじゃなかったら、わざわざこんな場所にお父様との思い出であるロザリオをしまったりはしないだろう。
思わず、胸の方に抱き寄せるように両手で握りしめていた。
お母様のぬくもりがまだこっちに残ってるような気がするのは、きっと私の思い違いだろう。
だけど、それでもよかった。
ただ美しいだけの記憶の欠片だけが散りばめられたこの城の中で、これこそがお母様の形見のように思えたから。
しばらくそのまま動かなかった私は、ようやく少し落ち着いて……ディトリアに帰ることにした。
……これからも、フィシュロンドに訪れる度に思い出すだろう。
幼少の……何も知らないティファリスとして過ごした時間、色褪せてしまったあの日々を。
未だ変わらない、両親の優しい顔を。あの日の後悔を。
どれもが私を形成する、大切な思い出たち。
もうあの頃には戻れないなら……。
「ごめんなさい。ここに戻るのは辛くて……それに、ディトリアは私が本当に産まれた場所だから。
だから……大切なものだけ、貰って行きます。
お父様、お母様。お二人から受けた愛情は決して忘れません。
もし……もし、死を迎え、もう一度貴方たちに出会えることが許されたのならば、一つだけ言わせてください」
いずれ私も死ぬ。数百年後か、それより先か……ただ、いずれくるそれは逃れられぬ定めとも言えるだろう。
だから、もし、その時に両親に出会えたのなら、どうしても一つだけ伝えたいことがあった。
――『産んでくれて、ありがとう』と。
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