306・魔王様、抜け殻になる
とりあえずリュリュカに深紅茶を淹れてもらって、自室でゆっくりと落ち着きながら飲む。
……なんでだろう。こんな風に穏やかな気持ちで過ごすのは随分久しぶりだと思う。
「……いい天気ね」
なんて枯れたおばあさんのような状況でそんな事を言ってみたりしたが……本当にこれは笑えない。
なにせあまりに忙しくてずっと書類と向き合う日々を過ごしていたのだ。
他のことを何も考えずにただ黙々と執務をこなすだけだったから、いざこうやって何もない時間が訪れると急に何をすればいいのかわからなくなってしまった。
それもあってか、私はこうしてゆっくりとお茶を飲みながら、ただただ無為に時間を流して過ごしていく。
でもいつまでもこのまま……というわけにもいかない。
何もせずにだらだらと過ごすのは、かなり不味い。
かといって何をするか特に思いつかない私は、今完全に抜け殻のような状態なのかもしれない。
これが一日だけならまだ問題なく受け入れられただろうけど、少なくとも後六日……同じようになんにも考えずに深紅茶を飲んで過ごしていくのは流石に耐えられない。
なんとかこの状況を打破しようと考えていた私の元に、ノックの音が聞こえてきた。
「入っていいわよ」
もしかしたら暇つぶしになるかもしれない……そう思って入室を許可すると……入ってきたのはなんとアシュルだった。
「あ、あの……ティファさま、おはようございます」
「……ええ、おはようアシュル」
もう『おはよう』の時間はとっくに過ぎているのだけれど、まだ『こんにちは』というのには微妙な時間なせいか、結局そういう挨拶をかわしてしまった。
そう言えば、アシュルと挨拶するのも結構久しぶりかもしれない。
互いに仕事が忙しく、すれ違うことはあったかもしれないが、こうしてまともに言葉を交わしたのはなかったような気がする。
そんな彼女だけど、どことなくいづらそうな雰囲気を纏って苦笑している。
「えっと、今日、お暇ですか?」
「そうね。働きすぎってことでフェンルウから書類を取り上げられてしまったわ」
……この発言、よくよく考えると悪いことをして玩具を取り上げられた子どものような言い訳に聞こえてしまいそうだ。
「あ、その、私もなんです。七日程『休んで良い、むしろ休め』と言われて、何もさせてもらえなくなっちゃいました」
なんだ、アシュルもおんなじ状況に陥ってるのか。
そう聞くと、私にも仲間がいるんだ……と妙な安心感に身体が包まれるような気がしたが、よくよく考えるとフェンルウは『もう一人の方にも休みを回してるっす』と言っていた。
もしかして、そのもう一人というのはアシュルのことなのかも知れない。
というか、わざわざフェンルウがそういう風に私に言うのだからそうに違いないだろう。
なんだかみんなが私たちに気を遣ってるような気がして、申し訳ない気持ちになっていく。
だとしても、この状況はまたとない機会だろう。
「ちょうど良いわ。アシュル、一緒にお茶にしましょう。
リュリュカにカップを一つ持って来させるから」
「え? えっと……良いんですか?」
ちょうど私がお茶をしてる最中だったからか、遠慮がちな視線を向けてきている。
今更何を遠慮する必要があるんだろうか……。
「当たり前じゃない。ほら、さっさと座る」
「は、はい!」
アシュルが嬉しそうに座っている間に、机の上に置かれたベルを鳴らして、使用人の一人を呼びつける。
その後はリュリュカに伝えるように言うわけだ。
別に他の誰かにやらせても良いのだけど、あの子はたまに仕事を与えないとどこかやる気に欠けるからね。
それに、なんだかんだ言って彼女が淹れた深紅茶は美味しい。
適度に苦味のある茶葉の味わいが心を癒してくれる。
「でも珍しいですね。私だけならともかく……ティファ様までお休みだなんて」
何も疑ってないアシュルの晴々とした笑顔が眩しい。
これは完全にフェンルウたちが私とアシュルを意図的に休ませてる。
そうでなければ休みが同じ『七日』だなんてあり得ない。
ほんの少し、腹立たしい事もあるけれど、それ以上に彼らが私たちに気を遣ってることが感じ取れたから何も言えない。
……せめて言える事があるとすれば、散々惚気話を聞かせてやることくらいだろう。
――そうだ、せっかく休みがもらえたのだから、たまにはアシュルとずっと一緒に過ごすのも良いかもしれない。
それに……なんだかんだで久しくディトリアの町並みも見ていない。
フラフがいる区画は彼女に用事を頼んだ時に見ることはしたけれど、最近は本当に机の上で書類に向かい合ってただけのような気がする。
結局、仕事にかまけてヒルドルトとの約束を守ることが出来なかった。
確かにあの時、出来るだけ都合をつけて……とは言ったけど、本当は次も行く予定だった。
それもあのいざこざでうやむやになってしまったし、あれ以来彼女とも会っていない。
それにミトリ亭にも大体同時期から行ってなかったっけか。
あのお店はここにいてもケットシーがちょくちょく行っているからか、未だに繁盛していると耳にしている。
その勢いは留まることを知らず、『ティファリス様も訪れた店』ということで有名になっているのだとか。
おまけにケットシーやウルフェン、カヅキにナロームと……この国の主軸とも呼べる人物が訪れているらしい。
こういう時、あんまりにも繁盛していると堕落していったりする者のいる中、店主のミットラは精進を怠らずに頑張っているのだとか。
ワイバーン便によって様々な調味料がこちらに入ってきてからより一層料理に打ち込んでいるらしく、今でも偶に新料理が出てきたりする……とケットシーは言っていた。
ケットシーはかなり食にうるさい方で、休みの日に色んな店に食べに行っては、自分の手帳に評価を書いている……というほどの拘りをもっている。
そんな彼女が率先して話しているところを見ると、ミットラも相当成長しているのだろう。
こちらも本当に久しく訪れてないから、すごく気になる。
「ティファさま? どうかされたんですか?」
深紅茶が熱かったのか、冷ますように息を吹きかけながらちびちびと飲んでいたけど、私が色々と考えていたことに気づいたのか、いつの間にかじーっとこっちを見ていた。
「……アシュル、貴女、明日は用事ある?」
「? 特に何も……」
「良かった。それじゃあ、久しぶりに一緒にディトリアの町を見て回らない?
私、長いこと館で執務をこなすか、戦争で直接戦地に赴くか……二つに一つだったからね。
せっかく休みを貰ったんだし、偶には遊びに回ろう……と思ってね」
「はい! 私で良ければ、喜んでお供します!」
多分、尻尾があったらぶんぶん振り回してるんだろうなぁ……と思えそうな程の喜びようだった。
「ああ、もう、そんなにはしゃいだらこぼすわよ」
「え? あ、ああ……申し訳ありません」
両手に持っていたティーカップから、深紅茶が零れ落ちそうになっていたのを慌てて防いで、アシュルは慎重にカップを置く。
全く……眩しい程の笑顔で喜んでくれるのはいいけれど、もう少し周囲を見てほしいものだ。
「それじゃあ、明日の朝からディトリアの町に出てみましょう。
フレイアールやベリルちゃんも除いた、二人っきりで、ね」
「は、はい! えへ、ティファさまと二人っきり……」
まるで夢でも見ているかのように小声で呟いて頬を赤くしているアシュルを微笑ましく思いながら外を見ながらゆっくりとお茶を味わう。
中々ずっと二人で……ということも出来なかったし、彼女は楽しみでしょうがないのだろう。
かくいう私も同じだ。
色々見て回りたいところもあるが……明日だけはひとまずデートを楽しむとしましょうか。
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