間話・異端者の愛の始まり

 ――ベリル視点――


 ティファちゃんと話が終わった後、一緒に食事をしてお風呂に入って……とても幸せなひとときを楽しむ事が出来た。

 あれだけわたしの事を『こんな再会は望んでなかった』と言ったのに、受け入れてくれた。


 その事がなによりもわたしの心を暖めてくれて、ぽかぽかとした陽気に包まれた気分にさせてくれる。

 ティファちゃんは記憶を失っても、思い出しても変わらない素敵な女の子で、わたしはより一層彼女に夢中になる。


 ベッドに寝っ転がりながら思い出した。あの時の寂しい思い出。そこから繋がる大切な記憶。

 毎日欠かさずそうやってティファちゃんとの約束を噛み締めるように思い出して、彼女との心のつながりを確かめる。

 わたしをわたしたらしめている大切な思い出。

 壊れないように狂わないように……支え続けてくれた優しい欠片達。


 ティファちゃんに会えた今でも長年身についた習慣は消えない。

 目をつむって、悲しみから始まる思い出のピースを一つずつ拾っていくことにした――。






 ――






 わたしは物心ついたときから、他人とまともに会話したことが一度もなかった。

 泣いても、それこそ魂が磨り減るほど喚いて、怒って物を投げつけたとしても誰も何も言ってくれない。

 返事どころか声をかけてもらったことすらなかった。


 あるのは子どもが読みやすい勉強本からちょっと難しい大人の本がぎっしり詰め込まれていた本棚と机。

 羊皮紙とペン。教えてくれる人は誰もいなかった。全部……一人で覚えた。

 机に『ベリル』と名前が書かれていた紙が一枚置かれてあったおかげで、自分の名前を覚えられたんだけど、それ以外、自分を知れる術は何もなかった。


 ご飯をくれる人も、わたしのお世話をしてくれる人も、誰一人、わたしに話しかけてくれなかった。

 外に出ようとしても、見張りがついていて、部屋の中からは一歩も出ることができなかった。


 ――どうして? なんで誰もお返事してくれないの?

 ――わたしのこと、なんでみんな無視するの?


 その答えは最後まで導き出されることはなく、わたしは不安や恐怖……悲しみといった負の感情をその幼い体いっぱいに詰め込んで――生きる気力を徐々に無くしていった。


 最初はお父様やお母様が助けに来てくれると信じていた。

 わるい人のところに連れてこられて、ここに閉じ込められてるんだと思っていた。


 初めて声を聞いたのはどこかしわがれた男の声のした老人の『出ろ』という一言。

 たったそれだけ。声をかけても無視。無言。

 そのままわたしは男の人に連れられてリーティアスに訪れることになった。


 その時、わたしはなんでこんなところに来たのか全くわからなかった。

 わかりたくもなかったし、どうせ閉じ込められるんだと感じていた。

 初めて見た海も、初めて歩いた土も道も砂も、なんにも感じなくて……世界の全てが色褪せて――ううん、全部が乾いて見えていた。


 白黒の大地と建物。灰色に濁った水。なんの匂いも感じない、淀んだ空気。

 それがリーティアスに初めて訪れた時の感想だった。

 あの時のわたしには全てが色が失っているようにしか見えてなかったのだ。


「街から出るな。それ以外は自由に過ごせ。夕方には帰れ」


 命令口調で三つ。それだけ言ったら男はどこかに行ってしまって……わたしは独りぼっち。

 最初は何も考えずただじっと部屋にいたんだけど……あの時の私は何を思ったのだろうか……。

 気づいたら外に出ていて、適当に歩いていた時……わたしは運命の出会いを遂げた。


「ねぇねぇ、貴女見ない顔だけど、どこの子? お名前は?」


 わたしに初めて声をかけてくれたその子はすごく綺麗な長い黒髪をしていた。

 白銀の瞳に吸い寄せられるように惹き寄せられて、わたしは視線が外せなかった。

 白黒の世界で、一人だけ異彩を放つ少女。その世界の頂点に君臨しているようにも見えて……わたしはうまく言葉を出せずにいた。


「え、えっと、あの……」

「……?」


 ちょこんと首を傾げてわたしの返事を待ちわびている目の前の女の子は、じーっとこっちを見てるだけで……微妙に恥ずかしくなって、言葉を捻り出すように声を出して、ようやく彼女に伝えられた。


「ベリ、ル……他は、わか、ら、ない」

「ベリル? ベリルちゃん?」


 初めて誰かに名前を呼ばれたのが嬉しくて、わたしは何度も首を縦に振る。

 その瞬間から、色のなかった世界に命が吹き込まれるかのように、鮮やかな色彩が溢れてくる。

 今までの世界がまるで悪夢だったかのように、ありえない空想だったかのように色が広がる。


 その中心には……白と黒の支配者たりうる幼い女の子の姿があった。


「わたし、ティファリス! 今ね、このディトリアに遊びに来てるの!」

「ティ、ティファ、リス……?」

「うん! 特別にね、ティファって呼んでいいよ!」

「ティファ、ちゃん……ティファちゃん!」


 何もかもが初めて。その中でティファちゃんはわたしが名前を呼ぶとすごく嬉しそうに笑ってくれた。

 華やいだ笑顔は、美しい花畑を見ているかのようにわたしの心が癒されていく。

 そして……ティファちゃんの言ってくれた『特別』という言葉。


 壊れかけた精神に染み込んでくるその言葉は、わたしが泣き出すには十分だった。


「う、ふぇ……うぅぅぁぁぁ……」

「え!? だ、大丈夫? どこか怪我してたの?」

「ち、違う、ひっく、ぢがうの……」


 ――初めて見つけてくれた。

 ――暖かい言葉を掛けてくれた。

 ――わたしの言葉に応えてくれた。


 そして――生まれて初めて、わたしを優しく抱きしめてくれた。


「なんで泣いてるかわからないけど……ほら、こうやったら暖かいでしょ?

 ほら、ね? もし辛いんだったら……泣きたいだけ泣いていいから」


 ぎゅーっと抱きしめてくれたティファちゃんの暖かさを感じて……わたしはティファちゃんの胸でずっと泣いていた。

 優しい、暖かい気持ちを流し込んでくれた彼女の心で……わたしの世界は満ちていった。


 それから毎日一緒に遊んでいた。

 ティファちゃんは笑顔でわたしと向き合ってくれて、いつも楽しそうにしてくれた。


 この時間が永遠に続けばいい。終わらなければいいと思っていた。

 でも……そんな日も長くは続かなかった。


 わたしは、突然自分の国に帰ることになった。

 なんとかここにいたかった私は一生懸命訴えかけたんだけど……帰ってきたのは無感情。

 蔑むとか、見下すとかじゃない。何の感情も浮かんでいない無の表情。


 虫が見ているような目で見られて……わたしは逃げ出した。

 いつもの場所でティファちゃんと会って、帰りたくないと訴えかけた。

 そこでわたしは一つだけ約束した。それが『ずっと一緒にいよう』という約束だった。


 ティファちゃんのその優しい声音に包まれながら、わたしは誓った。

 ずっと共にいたいと。そのためなら――今の苦しさを受け入れるって。

 もう白黒の世界じゃない。


 青があって、赤があって、緑があって……いろんな色で世界は満ちている。

 この気持ちを忘れないように毎日毎日思い出そう。


 そして……今度ティファちゃんに会ったら、ずっと一緒に暮らすんだ。

 誰にも邪魔はさせない。誰にも壊させはしない。


 心からわたしを初めて愛してくれた人だから。

 例えどんな事が起こってもくじけたりしない。

 例え――なににこの手が染まっても、たどり着きたい未来のために。


 明日を掴み取る為に……ただ産み落としただけの父も母も、もう要らない。

 ティファちゃんだけがいればそれでいい。ティファちゃん以外何も要らない。


 ――貴女がわたしの世界を満たしてくれたから、その世界を壊されないように戦っていこう。

 傷つき傷つけ、血に塗れて……そこから動くことさえ出来なくなったとしても、未来永劫、貴女の傍に。

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