141・この世界に、ただ一人

 ――???視点――


 どこかで見たことのある光景――いや、現実に確かにあった光景がそこにあった。

 私がまだ幼いとき……何の力もなく、弱かった時の話。


 国から遠く離れた丘の上、焼けていく街並み。いくつもの家から煙が上がっていて、とてもじゃないけどもうどうすることが出来ないのがわかるほど国が蹂躙されている様を見て、胸を痛める私の王様。


「――さま、お早く……」

「いや、君だけ逃げるんだ」


 ああ、このやり取りは。

 もう聞きたくない。お願いだからこの先を言わないで欲しい。

 でも……それでも、これは過去の出来事を夢として見ているだけでしかないのか。


「……なんでですか! ――さまも一緒に!」


 私の言葉にゆっくりと首を振って、優しい目をして見つめてくるあの人。


 ――ああ、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! もうその先を見せないで!

 私の情けない姿をこれ以上晒さないで! こんな……こんな自分、見ていて悲しくなってくる。

 今の私なら、こんな無様な真似はしない。今の私なら――!!


 そんなの……叶わないことだってわかってるのに……。


「良いんだ。僕はもう良いんだ。君だけは館からほとんど姿を見せていないし、僕とも接点がないようにしてある。今なら魔人族の国でも黒髪の少女なんて珍しくないだろう。君だけは……君だけには、生きていて欲しいんだ」

「ぐすっ、い、嫌! 嫌です! ひぅ…私は……私は――さまと一緒じゃないと……!」


 いやいやと泣きじゃくりながらあの人に追いすがる昔の私。

 あの人と同じ黒い髪。私の誇りだった清らかな髪の色が、今の私を責めるように揺れている。

 魔人族で考えたら少年のような顔立ちのあの人は、そんな私の事を責めもせず、かと言って宥めもせず……ただただ、優しく笑って背中を撫でてくれていた。


 あの人はいつもそうだ。

 泣き虫な私が泣いていると、いつもそうやって甘やかしてくれた。泣き止むまでずっとそうやってくれた。

 それがたまらなく嬉しくて……愛されてるんだぁ……って実感できた。だけど、今はたまらなく悔しく感じる。

 そんな風に感じていた自分が今はどうしようもなく恥ずかしく思う。


 いつもは泣き止むまで待ってくれていたあの人も、このときばかりは困ったような顔で笑っているばかりだった。

 ……本当はそのままでいてくれればどれだけ良かったんだろう。


「泣き止んで、――――。僕の事は大丈夫だから」

「ぐしゅ、そんな! そんなわけ、ひっく、ないでしゅ! だって、もう戦いは――」


 そこまで言った私の口を遮るように指で塞ぐあの人の笑顔が――痛いほどに刺さる。苦しくなるって辛い。

 息が荒くなって、胸の鼓動がどんどん早くなっていく。

 これは夢だから、早く醒めて欲しい。悪い夢を見ているのだと……本当の――現実の光景はもっと酷いとわかっているのに……それでも今は――今だけは、ここから逃げたい。


「ありがとう。君と一緒にいることが出来て僕は本当に幸せだったよ。

 だけど、僕達の心中に君を巻き込むわけにはいかないんだ。

 僕達は聖黒族として……屈辱と恥辱に塗れた生よりも、誇りある死を選んだんだから」


 そっと、あの人が手をかざしたら、少しずつ泣いている私の声が、感覚が、途切れ途切れになっていくのを感じる。

 ――『シュラーフ』。相手を眠らせる魔法。眠れない我が子のために開発された……夢の中でも良い事がありますようにと願いをかける魔法。


 簡単に抵抗出来るはずのこの魔法も、精神が疲れ果て、ただただ泣きじゃくるばかりの私の身体の中にすんなりと入ってきて、無抵抗に心地の良い眠りに身体を委ねることになる。

 ……それをすれば、あの人がどうなるかわかっているはずなのに。

 このままではあの人はいなくなってしまう。それでも私にはどうすることも出来ない。


「――、――さ、まぁぁぁ……」

「ありがとう。ラスキュス」


 あの人の――愛しい魔王様の声が最後に響いて私の視界は一緒にブラックアウトする。

 これ以上は私も覚えておらず、一緒に視界が暗くなっていって……そこまで視せられてようやく、目を覚ますことができたみたいだった。






 ――






 暗い夜。一瞬、夢の続きかとも思ったのだけれど、私の腕には柔らかく暖かい温もり。

 そう、聖黒族の少女であり、上位魔王のティファリスちゃん。

 隣にアシュルちゃんとフレイアールちゃんも一緒に眠っているからなのか、ティファリスちゃんは安らかな表情で私に抱かれて眠っている。


 ……本当に、可愛らしい表情。

 清らかさを表す艶めく美しい黒髪。私がとっくに失った物。


 聖黒族らしい可愛らしい容姿が昔を思い出させてくれる。もっとも、これほどの外見をしてる少女はまずいなかったけど。

 少年少女の多い聖黒族から見ても、恐らく一際目を引くのは間違いないほどの美少女には違いない。

 そっとその黒髪を撫でると、くすぐったそうに身をよじる様がまた可愛らしくてたまらない。


 彼女を見ていると、遠い日の光景を思い出してしまう。

 穏やかな時間の流れ、私の大切で愛しい時間。忘れられない哀しみと……憎しみに包まれた遠い日の出来事。


 私は彼女に三つ、嘘を吐いた。

 一つは、スライムは自分のイメージ通りの外見を作れるということ。

 確かにある程度は変えることが出来るのだけれど、種族の枠を越えることは出来ない。

 アシュルちゃんの方も聖黒族特有の少女の外見から出てないし、本来の私も出ていなかった。


 だけど、あの時……私の魔王様が自分の国ごと魔法で自害した時。ずっと悲しみに暮れていたせいか、聖黒族との契約が切れたことによるためか……。

 外的・内的様々な要因のせいで体内の魔力が不安定になってしまったようだった。私の身体は一気に変調をきたし、あの人の褒めてくださった黒髪は薄汚れた紫色に。少女の身体は成長して、醜く歪んだ身体に。


 恐らくこれは私の罪の証なのでしょう。

 あの人を止めることが出来なかったこの私の弱さを形にしたもの……。


 二つ目は聖黒族が表の歴史から滅ぶまで他種族から搾取され続けたということ。

 本当は聖黒族がこの世界から消えることを選択したのだ。女性は孕ませ、男性は子種を吐き出させる……まるで子どもを作るためだけの道具か、いたぶりなじり、そのさまを鑑賞するという悪趣味なことをさせられる――玩具のような扱いを受けるなんて、彼らにとっては耐えられないこと。

 徐々に数が少なくなっていく自分達の種族を憂いていたあの人は、どれだけ苦労しても止められない聖黒族の誘拐、拉致に嘆いていた。


 どれだけ自分達と同じ種族で連携を図ったとしてもそれ以上の種族が数に物を言わせて押し寄せてくる。それも朝から夜まで波状のように。

 いくら能力の高い種族だと言っても一昼夜問わず複数の種族に襲われ続けてしまったら精神が、心が参ってしまう。

 こうなってはいつ自分達が慰み者になってしまうかわからない。それならば――種族としての尊厳を失うくらいであれば、全てを失ってしまえ。

 そういう結論に達した聖黒族は、自分達の国を侵略してくる多数の国の者たち全てをわざと招き入れ、一斉に魔法で自爆し、多くの種族を巻き添えにして誰一人……私だけを残して滅んでしまったのだ。


 だけどそれをティファリスちゃんに伝えるのは……私自身の思い出を語らなければいけなくなるのが辛くて、つい伏せてしまった。

 あの西の地域での出来事は――今でも私の心を抉ってくるのだから。


 最後の三つめは、聖黒族の生き残りがいる可能性があるかもしれない……ということ。

 あれはかもしれない、じゃなくて本当はもう誰もいない。100年ほど前に幻の聖黒族の生き残りということで南東地域の国の一つに狩られてしまったのだから。

 もう少し早く気づいてあげられれば……いや、もっと早く聖黒族の生き残りがそこにいたことを知っていたら……なんて、そんな過ぎた話をしても仕方ないのだけれどね。


 結局私が気づいたときには全てが遅かった。聖黒族の人たちはみんな死んでしまっていて……私はこれほどこの世界の住人を憎く感じたことはなかった。

 私達が何をしたというのだろうか? ただ当たり前の幸福を求めていただけなのに。誰とも争いをせずにいられればそれでよかった。


 珍しい。希少価値の高い。能力があり、生まれてくる子どもも全て強く育つ。たったそれだけのことで聖黒族は昼も夜も無く駆り立てられ、踏みにじられてしまうなんて……。


 それでも他に何が出来るのだろうか? 聖黒族は私を残して全員死んでしまった。もう私には何も残されていないんだ。

 そう思った私は、ただただ惰性的に日々を過ごしていた。そう……ティファリスちゃんに会うまでは。

 久しぶりに――本当に久しぶりに見た聖黒族の子。本当に嬉しかった。女王だなんて立場じゃなかったら泣いていたくらい。


 だけど彼女のおかげでこの狂った世界に対する憎しみも思い出してしまったのだ。

 彼女は未だ幼い。自分がどういう存在なのか、本当にわかっていない。


 ティファリスちゃんが聖黒族だと知られれば、イルデル王が、フェリベル王が……他の黒い噂がある国が黙っていないだろう。

 どれだけ強くても所詮ティファリスちゃんはたった一人。あの時のように朝も夜もなく襲いかかられてしまったら、たちまちあの人と同じ末路を辿ってしまうだろう。


 そんな事はさせない。たぶん今からでは既に動き出してる者達には間に合わせることが出来ないだろう。

 本当はそれも絶対に防ぎたいのだけれど、女王としての立場がある以上、国民の暮らしも考えないと行けないし、変に戦力を増強しようとすれば、要らぬ勘ぐりを他の魔王達に与えることになる。

 ひとまずティファリスちゃんに護衛をして一人付けてあげるのが今私に出来る最大の協力になるだろう。


 そして……準備が整ったら……私は自分の目的を果たすために行動しなければならない。

 聖黒族が平和に――今度こそ穏やかに暮らせるように、尽力するつもりだ。例え、今度こそ私自身を失ったとしても。

 だから、この国は基本的に私がいなくなったとしても問題ないようにしてある。いつ何が起こるかわからないと思って準備していたのが今になって生きてくるとは思わなかったけど。

 それにアシュルちゃんがいるなら、聖黒族を復興することだって出来る。


 だってスライムは――完全な人の形をしたスライムはその性質上、同性異性関わらず交わることが出来て、子どもを残すことが可能なのだから。

 まだアシュルちゃんは言えてないようだけど、いつか言わなきゃいけないやってくる。

 だから――その時は二人で手を取り合って、行ってほしい。

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