113・魔王様、漁に出る

 フレイアールが卵から孵ってからしばらく……セツキは一旦国に戻り、私は他の三国との会談に向けて書類を整理したり、オーク族の復興した村を見て回ったりと有意義な時間を過ごしていたけど――やがてそれは訪れた。


 12の月ルスピラ……そう、私が心待ちにしていたドラフィシル漁が行われる月だ。


 私はこの日の為に睡眠時間を削り、政務に準じてきたのだ。

 この日の私のお供はフレイアールとアシュル。


 最近は外に出る用事がある毎に一緒に来たがる面子とも言える。

 私としてはもう慣れたし、二人(?)とも楽しそうだから特に言うこともない。


 リカルデはここに帰ってきてからは軍務に付きっきりになり、カヅキが加わってからは彼女の師事を受け、己を鍛えながらも指揮官としての実力を身に着けつつある。

 というかカヅキの見た目は明らかにリカルデよりも若いというのに、自ら頭を下げて教えを請うその姿は、見事としか言いようが無いだろう。

 彼は彼なりに、この国のことを思ってくれている。そういう想いが見えてきてすごく嬉しい。

 もちろん、アシュルも私がディトリアを出る時以外はカヅキの教えを受けていて、彼女も日々成長している。

 どうやら一度勝負を挑んだ時に速攻で決着を付けられたことが悔しいらしいが、これもまたいい傾向だ。


 カヅキはセツオウカの先代魔王であったシュウラのスライムであると共に、オウキ・カザキリの師匠でもあったらしく、彼女自身はカザキリ以上の達人なのだとか。

 潜在能力はカザキリの方が上なのだろうが、彼女は技術、経験の全てにおいて上をいっているらしい。


 私は国務に専念しているからこそ見てはいないが、実際アシュルの『人造命剣「クアズリーベ」』による攻撃を瞬時に見切り、対応していると聞いた。

 あの子は動きが単調になりがちというか……行動がわかりやすいから、そうなってはもうどうしようもないだろう。

 この機を境に、それを上手く訓練で治せればより上手く戦えるようになるだろうから、カヅキにはぜひ張り切って教えてほしいものだね。


 それと、今回のドラフィシル漁はアシュルにとってもいい休息になってより一層訓練に打ち込めるようになってくれれば良いと思う。


「漁に行くなんて私、初めてですよ!」

(ぼくもぼくも!)


 なんてことを言いながらウキウキしてるんだけど、フレイアールは最近孵ったばかりなんだからむしろ初めてじゃないことのほうが少ないんじゃないだろうか? とか思ってしまう。

 とは言っても、私の方も初めてだからやっぱり心のどこかで浮かれてるんだろうけど。


 ドラフィシルは海でも岩礁の近くにいることが多いらしい。素人がただ行っただけではすぐに座礁してしまったり、船底を擦って傷つけてしまうため、熟練の漁師の腕が必要なのだとか。


 シードーラ漁で船の操舵技術をあげ、腕を磨いた後にルスピラでドラフィシル漁に挑戦するのが伝統らしく、初めてドラフィシル漁で成功した時には漁師達の間ではちょっとした祝いの席を設け、一人前以上の船乗りになったことを盛大に祝うのだとか。


 今回の漁では魔王である私も同行したいという申し出があったせいで多少混乱したらしく、私達の乗る船はその道のプロが一緒に来てくれるとのことだった。

 なんだか申し訳ないことをしたが、実際自分の目で見たいという欲求に駆られたのだから仕方ない。


 そのかわり私が普段着ているような服ではなく、甲板上を動きやすくなる服に着替えることが最低条件らしい。

 私としては服にこだわりは……あるにはあるが、その道のベテランがする忠告を無視してまで貫き通したいものではない。


 というわけで現在は船乗りの人が渡してくれた服を着用してるんだけど……これで本当に大丈夫なのかと不安になってくる。

 一応上から下まで身につけているけど、薄手の服に膝くらいまであるローブみたいなのを身にまとってるだけというか……少なくとも漁師がするような格好には見えない。


 ちなみにアシュルも似たようなのを着ている。

 なんというか、汚れてもいいもの……みたいな感じだ。


「おまたせしたね」


 後ろから聞こえてきた声に振り返ってみると、髪を後ろに結わえた女の人がいた。

 私やアシュルよりも背が高く、胸の大きい……微妙に日焼けしたその姿は健康的な色香の漂うお姉さんといった感じ。


 なんということだ……これではまるで私が子どものようにしか思えないじゃないか。

 ちなみにそのお姉さんも同じように汚れても問題なさそうな服装になってる。


「いいえ、貴方が今日私達と一緒に来てくれる人でいい?」

「そうさね。ちょっと育ちが悪くてね、言葉遣いは勘弁してくれよ」

「失礼な事さえしなければ気にしないわ。今日は私はただのティファリスとして来たのだから」

「ははっ、そう言ってくれると心が軽くなるよ」


 今日は魔王として赴いてるわけじゃないし、一々気にしていたら仕方がない。

 公的な場でもないわけだし、無理を言って乗せてもらう側なのだ。ご機嫌伺いされるよりずっといい。


「それにしても変わってるね。わざわざドラフィシル漁に参加したいだなんて……」

「でしょうね。私も自分でそう思うんだし」

「あっははは! 自分で普通言うかい? 本当に変わった人だよ。うん、嫌いじゃないよ。あんたみたいな魔王様は!」


 私がそう返すと、大笑いで女の人は機嫌良さそうに船の方に案内してくれる。

 結構大きな船で、気を使わせてるんじゃないかな? とか一瞬思ったほどだ。


 アシュルの方ももうちょっと小型の船に乗ることになると思っていたのか、嬉しそうに声をあげている。


「すごく大きな船ですね」

「だろ? ここいらの船で一番のやつだからね。ドラフィシルも大量に積めるってわけさ」


 なるほど……私に期待して――なんてことはまずありえないだろうし、それだけ彼女の腕が確かだというわけか。


「ほら、早速乗った乗った!」


 見とれている私達に乗り込むよう催促する彼女に向かい、そう言えば名前をまだ聞いてなかったことを思い出した。

 あまり彼女が急かすものだからなんとか聞かねばと、焦りながらもなんとか声をだすことが出来た。


「ね、ねえ、その前に貴女、名前は?」

「あたしかい? そういや自己紹介がまだだったね。あたしはヒルドルトだよ。よろしくね」

「え、ええ! よろしく」


 こうして私達はドラフィシルを捕らえるために出発するのだった……。






 ――






 しばらくのあいだ船に揺られ、私達はドラフィシルがいるという岩礁に向かって進んでいた。

 ヒルドルトは風の魔法を使いながら器用にマストに風を浴びせている。

 こういう風に船を進めさせているところを見ると、船乗りには風属性の魔法の習得が必須になってるように思える。


 風魔法の修練具合がそのまま船乗りとしての操舵技術に直結しているようで、間近に見ているとその技術力の高さがうかがえる。


「魔王様、そろそろつくよ!」


 遠くから岩礁が見え始めてきた時、ヒルドルトが大声で呼んでくれた。

 そうして着いた場所は深く海の底が見えない……というか結構海が澄んでいて綺麗だ。


 そんな事を考えていると、ふと魚群と言えるほどのドラフィシルたちがキラキラと銀色に海を輝かせながら進んでいくのが見えた。

 まるで海の中に存在する銀色の川といった様子だ。

 大きな海原に流れるそれは、なんとも言えない不思議な光景を作り出している。


「うわぁ……」

(すごい! きれい!)


 アシュルとフレイアールも感激した様子でその光景を見つめていた。

 こんな美しい様子を魅せられては、思わず感嘆のため息をつかざるを得ない。


「気に入ったかい?」

「ええ……こんなに素晴らしいものだとは思わなかったわ」

「ははっ、だろう? あたしたちもこの時期はこれを楽しみにしてるんだよ。この光景を見ながら酒を……かぁーっ、たまんないねぇ!」


 ぐいっと口を拭うような仕草をしてるヒルドルトだけど、確かにそれは良い考えだ。

 桜酒は……ここでは合わないだろうからこっちでも普通に飲まれている酒が良いだろう。

 というかこの大きな船には酒が積んであるという事実に驚きを隠せない。

 この人達はこの銀色の川で一杯やるためだけにドラフィシル漁に出てるんじゃないかと思えるほどだ。


 というか、いそいそと酒樽を準備してるし。

 もはや最初から宴会状態だ。


「あ、あの……今飲んで大丈夫なんですか?」

「あっははは! 今飲まずにいつ飲むっていうんだい? この酒樽だけ、これだけだよ」


 まるでほんのちょっとだけだからいいだろ? みたいなノリで言ってるなぁ。

 そんな事を思ってるとぐいっと木のコップみたいな器をこっちに差し出してきた。そこにはなみなみと泡立つ液体。


 ここにあるってことはあんまり冷えてないだろうが……ってこれ、樽に触ってみると想像以上の冷たさを感じて驚いた。


 相当冷えてる……ちらっとヒルドルトの方を覗き見るとにやっとこっちを笑ってみていた。

 なるほど、これは水魔法で樽の中を冷やしてるのか。

 この人、風だけじゃなくて水の魔法を使うことも出来るのか……というかヒルドルトのこの目は、酒樽の中身を冷やすためだけに水魔法を覚えたふうにしか見えない。


「魔王様も、イケるだろう?」

「……ふっ、ありがたくいただくわ」


 差し出された酒を飲まないのは流儀に反する……いや、別にそんな流儀ないけど。

 私はなみなみと入った器を受け取り、一気に飲み干すことにした。


 リーティアスで作られている酒はエルラーガと呼ばれているすっきりとした喉越しの良い酒だ。

 保存する温度、味、作り方すら違い、販売してる所によって味が左右される一品だ。

 上質なものだと甘味と苦味がちょうどよく、果実のような香りがあるとか。


 ヒルドルトが目を大きく見開いているのを外に注がれた液体を全て飲み干し、一息ついた。

 うん、やっぱりよく口にしてる桜酒のようにゆっくり口に含みながら味わう物もいいけど、偶にはこういう風に一気にあおって喉と舌で味わうタイプの物も悪くない。


「ははっ、良い飲みっぷりだねぇ」

「ほら、ヒルドルトも飲みなさい」


 お返しとばかりに樽から酒を注いでヒルドルトに渡してやる。

 一瞬アシュルとフレイアールが物欲しそうに見ているのが映ったけど、まずは先にこちらに渡してくれた彼女が先だ。


「おおっと、これはこれは……魔王様に注いでもらうなんて恐れ多いことだよ」


 妙に恭しく受け取って私と同じように一気に飲み干したかと思うと嬉しそうにしている。

 ……何も考えずに飲ませたけど、帰りは大丈夫なのだろうか?


 まあ、最悪私も魔導でいいなら風属性は使えるし、なんならフレイアールとアシュルに訓練させてもいい。

 この場には酔うことのない私がここにいるわけだしね。


「アシュル、貴女も飲みなさい」

「は、はい!」


 そうと結論づけた私は、短い間ではあるがこの銀の川と寄り添うように船を動かしながら、この光景と酒を堪能するのであった。

 ……当初のドラフィシルを手に入れるという目的をすっかり忘れて。

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