間話・鬼、思い出を振り返る

 ――リカルデ視点――


 久しぶりに頂いたおやすみですが、何をしましょうか……。

 いつもお嬢様のこと、リーティアスのことを考えていましたのでこうしたなにもしないという日は本当に久しぶりです。

 せっかくですので自分で淹れた深紅茶を飲みながら一息つくことに。


 温かい、苦味のあるお茶が喉を潤し、心地よい後味を残してくれる……。

 こんな緩やかな時間を過ごしたのは一体いつ以来でしょうか。


 ティファリスお嬢様が覚醒して以来、私は休む暇もなく働いていたような気がします。

 でも、それも悪くなかった……お嬢様の活気のある姿を拝見できて、本当に私も救われた気がしたのです。


 今も目を閉じれば思い出します。ティファリスお嬢様がお父様である先代魔王様と死別されたときのこと、覚醒前の御方のことを。

 あの、今のお嬢様には語っていない……本当の出来事を――







 ――






「雨、降ってますね」


 ぼんやりと呟いたお嬢様はどこか上の空で、ぼんやりと雨が降り響くのを眺めておりました。

 その日はちょうどあのときの……フィシュロンドの城でお嬢様が不安そうにされていたときと全く同じ天気で、あの時はお嬢様のお母様――魔王様の王妃様が優しくその不安を拭ってあげておりました。

 しかし、その御方もすでにお亡くなりに。フィシュロンドの城から逃げる際、お嬢様を逃がすために自らを盾として……。


 そのことを未だに引きずっておられるのか、お嬢様はあの日からほとんど笑わなくなりました。

 お嬢様は王妃様との仲が非常に良く、常に一緒に入られるほどでしたので、非常に堪えているのでしょう。

 あれだけ笑顔の素敵な御方でしたのに、今ではこのようなお姿に……。


「お嬢様、今日は――」

「ね、リカルデ。私、夢を見たんです」

「夢、ですか」

「はい、お母様が居なくなって……お父様もいなくなって、独りぼっちの夢」

「お嬢様、夢は夢ですよ」


 私にはそう言うしか出来なかったのです。お嬢様の心は重く沈んでおられ、それを救えるのは王妃様しかいらっしゃられないのですから。

 夢の話をしだしたお嬢様は一層深い悲しみに満ちた表情を湛え、晴れることはありませんでした。


「あの時……お母様がいなくなったあの時も同じ夢を見ました。あの時も雨が酷くて、まるで空が泣いているような様子で……」

「お嬢様、あの時はたまたまでございますよ。安心してください」

「でも、お父様は……」

「大丈夫でございますよ。魔王様は今エルガルムとの誓約に向かっているだけなのですから。領土の大半と兵士の大半でわずかの期間ですが、平和になります。魔王様とも一緒にいられるようになりますよ」


 私の慰めのなんと軽いことか。私は本当は知っているのです。

 魔王様が最初から死ぬ気で誓約の場に行ったことを。お嬢様の夢は…………現実になるのだと。

 ですが私はその事実をお嬢様に口にするわけにはいきませんでした。お嬢様はまだ王妃様を失った時に負った心の傷が癒えぬまま、魔王様まで失うことになるということを。


 誰よりも優しい、誰かが泣いているとしたら寄り添って慰めてくれるような方です。

 そのような方に私は、見え透いた嘘で有りもしない希望を告げることしか出来ない……なんという情けない姿なんでしょうか。


 それが先延ばしにしか過ぎない行為だとわかっていても、下手な慰めをするしか出来ない自分の身が……こんなに恨めしいと思ったことはありませんでした。


「お嬢様、少し心を落ち着けましょう。私がお茶の用意をいたしますので、少々お待ちください」

「リ、リカルデ」


 下手に言葉を尽くすよりもなにか安らげる飲み物でもお持ちして、少しでもリラックスできるようにとハーブティーを淹れに行こうと部屋を出ようとした時……お嬢様は私を引き止めるようにか細く名前を呼ばれました。

 その目は、酷く怯えていて、誰かにそばに居て欲しいというようなそんな目をしていました。


「お茶とかいいですから、もう少し……もう少しだけここにいてほしいです」

「……わかりました」


 私の服を掴んだその指は、若干震えておりました。今思えばお嬢様は夢のこと、魔王様が誓約を結びにエルガルムとの交渉に行ったこと……それらのせいで薄々感づいていたのかもしれません。

 自分の無力さを、自分の無知を、思い知ることになる時が迫っていることを。


 その日も、その次の日も魔王様は帰ってこられませんでした。

 お嬢様はずっと不安がって、食事もまともに口にすることが出来ず、誰かが側に居なければ安心出来ないと言わんばかりに寂しいそうな目をこちらに向けられておりました。


 三日目の夜も深まった頃、その訪問者は無作法にも現れ……最後の時を告げました。


「マオウのヤカタってのは、ここでいいのカ?」


 微妙に言葉に慣れてない……ですが意味は通じるといった様子のオーク族が大きな袋を引きずって現れたのです。

 身体の端々に赤い血、みたいなものが付着していて、少々汚らしい格好。袋もボロボロで、血まみれと表現するのが相応しい、みすぼらしいもの、しかし異様に不安を掻き立てる物。


「その通りですが……貴方のような方がここにどんな御用でしょうか?」

「コレ、ヒキワタシにキタ」


 無造作に投げられたそれは、ぐちゃっという音を立てて私の足元に転がってきました。

 心臓が早鐘を打つように鳴り響くのを感じ、そのみすぼらしい袋の中身に、私は検討がついてしまいました。

 帰ってこない魔王様、誓約では領土と兵士の大半、そして魔王様の命と引き換えにして結ぶと言われた三年間の戦争行為停止の要求。


「リカルデ……?」

「!? お、お嬢様! 一体なぜ……」


 ようやく眠りについたはずのお嬢様がいつの間にか館の入り口の方まで来ていたことに気づかなかった私は己の失態を呪っていると、お嬢様の視線がその袋に見つけてしまいました。

 その視線は怯え惑い、なにかを否定したいような目をしておられ、それが尚更胸が締め付けられるようです。


「あの、それは……なんですか?」

「ゲッ、ゲゲゲッ、みたけりゃたしかめてミロ。オモシロイものがはいってるゾ」

「ッ! いけません! お嬢様!」


 気持ちの悪い声を上げて笑うオークに恐怖の目を向けながら恐る恐る私の方に近寄ろうとしていたお嬢様に思わず怒鳴ってしまい、余計に怯えさせてしまいました。


「で、でも……」

「ギャッギャッギャ! カンドウのオヤコのたいめん。ジャマはよくないヨナ」

「親子……? リ、リカルデ、その袋の中身を……」

「お嬢様!」


 私の制止を振り切るように慌てて駆け寄ったお嬢様を、私は抱きとめるようにその行く道を阻むことに。

 あの袋の中身は、絶対にお嬢様には見せてはいけない。あのオークの言葉と態度に確信してしまった私は、力づくでも止めようと必死でした。


「お嬢、様……お願い、ですから……」

「放してっ!」


 お嬢様になんとか思いとどまっていただこうとしていた私でしたが、あまりの悲痛で強いその声に……思わず手を放してしまいました。そして、そのまま信じたくないといった様子で駆け寄り、袋の中身を……見てしまったのです。

 中には血まみれになった死体。腕も足も……頭も無く、胴体だけの魔人族の……魔王様が誓約の場に行く時に来ていかれた礼装を着ている死体。その頭が合った場所には魔王様が使っていた剣が、まるで身体を鞘代わりにでもしたかのように突き刺さっており、魔王様が大事にされていた写真入りのロケットペンダントが無造作に剣柄に掛けられていました。


「……こ、これ、した、い?」

「ゲッゲッゲ、そうだヨ。オマエ、マオウのムスメだロ? よかったナ! ちちおやがカエッテきてヨ!」

「ち、父親……? お父、様……?」

「お嬢様、お気を、お気を確かに!」


 震える身体、掠れた声、青ざめていく顔……絶望に彩られたその表情は、もう救えない……そう悟ってしまうほどの痛々しい表情。


「あ、あたま、は……」

「アタマ? ああ、イマゴロハハオヤのシタイといっしょだヨ! あのオンナもシアワセだろうヨ。つかいすてられてヒトリでしんでたところニ、マオウのアタマがよりそってるんだからナ! ギ、ギヒッ、アギャギャギャギャ! ギャーッギャッ、ギャハハハハ!!」

「あ、ああぁ……あああああああああああああ!!!」


 耐えきれなくなって泣き崩れてしまったお嬢様に、これ以上魔王様のことを侮辱させない為に行動に出る。

 いざというときのために持ってきていた剣を抜き放ち、無礼者のオークに突きつけると、オークはより一層醜悪な笑みを浮かべていて、私の心の中に怒りが満ちていくのを感じました。


「ギャギャギャ、いいのカ? いまオレにテをだすってことはヨ、センソウコウイテイシイハンになるんじゃないのカ? セイヤクイハンになっちまうゼ?」

「ぐっ……くっ……。ならばそちらも即刻帰っていただきましょうか。戦争停止とはいえ、いつまでも貴方のような方が居ていい場所ではありません。そちらがその気でしたら、こちらも偵察行為をしたとして報告いたしますよ?」

「ギャギャ、わかっタわかっタ。オレはここでタイサンするヨ。ギャヒヒヒ」


 そのままオークは気持ち悪い声をあげながら帰っていった。

 残されたのは、魔王様の変わり果てたお姿と、それに寄り添い、血まみれになりながらも泣き縋るお嬢様の姿。立ち尽くすしかなかった情けない私だけでした。


「わ、私が……わた、わだじが、もっ、もっど、つ、づよかっだら……ひぅっ。

 あ、ああぅぅ、づよかっだら、あぁぁぁぁぁぁぁ………」

「…………」


 もはや言葉をかけることも出来ないほどのお姿。痛ましく、悲しい姿……このような事態を招いてしまった要因を作った私にも責任がありました。

 魔王様が誓約の場に行くことを止めきれなかった。三年間でお嬢様の身支度を整え、他国に逃げ延びるように指示された私……その結果がこの魔王様のまともに直視できないお姿でした。


 泣きながら自分を責めるようお嬢様のことを必死に部屋にお連れし、魔王様の死体を改めて見つめていると、目頭が熱くなるのを感じました。魔王様をこのようなお姿に変えてしまったことに対し、耐えられなくなったのでした……。

 涙が知らずに溢れてしまい、いつぶりか、本気で泣いてしまい……私は泣きながらその痛ましい亡骸を葬ったのでした。


 そして次の日、お嬢様の部屋から溢れんばかりの光が満ち溢れているのを見た私は慌ててお嬢様の部屋に突入してみますと、そこには憑き物が落ちたかのような表情のお嬢様がいらっしゃいました。


「お、お嬢様……?」


 小声で呟く私に対しお嬢様はまるで聞こえなかったかのようにどこか虚ろな目をしていました。


「お嬢様。おはようございます」

「あ、ああ、おはよう……?」


 いまいち焦点が定まっていないお嬢様は一応意識があるようでホッとしたのですが……次の言葉に戦慄を覚えました。


「ええっと、お嬢様って誰のことだ…?」


 そこで私ははっきりと悟ったのです。あの光は『覚醒』の光なんだったと。そしてお嬢様は自らが望んだ力の代償として、記憶の全てを失ってしまったのだと。






 ――






 過去のことを思い出していた私は軽くため息を一つついて、天井を仰ぎ見ました。

 そこには特に変わらない知らない天井が広がっているのでしたが、なぜかあの日の雨模様が広がっているように感じたのです。


「……お嬢様、なにがあっても、貴女様だけは今度こそお守りいたします。それがあの無残なお姿の魔王様と……今は亡き王妃様に誓った……私の最後の願いなのですから」


 そう、あの日、魔王様の亡骸を葬りながらも誓ったことを私は口にだし、確固たる信念として心に刻むのでした。

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