第8話

 ある日、ロレインから田崎に電話があった。

 「マサト、日本本社の銀行借り入れの金利率を教えて欲しいの。それに日本本社が外部に公開する決算書は本社だけの単独決算だ、と以前のマサトの話にあったけど間違いない?」

 「また、面白いことに興味を持ったね。日本では連結決算は参考までで、公表するのは単独決算だよ。なにを企んでいるんだ?」

 「過去三年間の借り入れ金利率を教えてもらえばレポートを送るわ」

 ロレインは、在庫量の推移を分析する際に日本からの輸入量の推移も取り上げてみた。そのデータから、日本からの輸入量に注目すべき傾向が存在することを見付けたのだ。

 米国法人は暦年が会計年度であるのに対して、日本の親会社は上場企業に多い三月末決算で四月に新年度が始まる会計年度を採用している。

 過去の日本からの輸入データは毎年例外なく、三月末から四月はじめにかけて大量の入荷があったことを示していた。内容を分析すると目先に米国内での販売が見込まれるものだけでなく雑多な機種からなる。この中から一年を超える長期在庫品が生まれていることをデータは語っていた。

 親会社が米国法人を在庫調整に利用しているからだ、とロレインは疑った。

 グループ全体を連結する米国の決算方式ではこのような親子の間での取引は意味をなさないが、田崎に再確認したように、当時の日本では上場企業が外部に公表する決算書は単独決算であった。

 在庫を子会社に放出すれば、親会社の決算書では見かけはきれいな決算となる。田崎が勤める電動工具メーカーだけでなく海外に事業を持つ多くの日本企業が密かに利用する盲点で、ロレインのレポートはそれを表面化することとなった。

 米国の金利率は概して日本よりは高い。在庫金利を米国で負担すればグループ全体では損になるが、これも単独決算書では明らかにされない。

 ロレインが作成したレポートには日米間の金利差によって米国法人が被った過去の推定損失額が記載されていた。

 田崎は日本向けの報告書にロレイン作成のデータを添付して本社の経理部に郵送した。日本からは表立った反応はなかったが、その翌年の春には異常な輸入量の増加は見られなかった。詳細データを突きつけられた本社が抵抗する余地はなかったからだ。 


 四月にはロレインからあらたな提案が送られてきた。今回は米国法人の総資産を圧縮する提案であった。製品在庫はその総資産に含まれる額が比較的大きなアイテムである。その改善策はすでにロレインの提案に沿って着々と実行されていた。

 今回のロレインの改善案は、総資産に占めるもうひとつの大きなアイテムである売上債権の圧縮を目的にしていた。客からの代金回収を早めて必要資金を圧縮するのだ。

 営業では出荷後三〇日払いの支払い条件をすべての客に提示していたが、その期日に入金することは稀であった。

 日本では手形が決済に使用され、破産やそれに近い財務状態でもないかぎり手形は銀行で割り引かれて入金が遅延することはない。ところが米国では期日に小切手を送るのが通常の決済方式であるために、郵送のために遅れるだけでなく、期日に小切手を切ることが疎かにされる例が多い。これはニューヨーク市場に上場されている大企業でも例外ではなく、むしろ大手の客の方が支払を遅らせる傾向が強い。

 ロレインの調査でも、中西部に多いチェーン店を展開する大手工具店では出荷後六十日に入金する客が大半で九十日の客も少なくない。このように入金が遅延すると、その間に客からの返品があった分の代金が相殺され、正しい入金額が判然としない事態が起きていた。それが客の支払を更に遅らせる要因を生んでいたのだ。

 経理部からの督促を受けた営業部は客とのイザコザを恐れて積極的に回収に努めることを避け勝ちだ。そのうえ、営業部が相手にする客とは購買部のバイヤーであり、そのバイヤーが自社内の経理部に支払の有無や督促を確認することも稀であることから、回収遅延がそのまま放置されてきた。

 ロレインは経理部内に売掛債権の管理に専念するチームの設置を提案していた。このチームに客の経理部に直接コンタクトする権限を与えることも提案に含まれていた。

 営業会議でロレインがこの提案を説明したところ、東部のセールスマネジャーから、「客との接触ルートが複数になることは適切ではない。これまで通り営業が窓口になるべきだ」という苦情が出された。これはどの企業でもあることで、営業部は他の部署が客との間に介在することを嫌う。

 田崎はロレインのレポートによって、頻繁な返品と相殺が複雑に繰り返される大手客の売掛金を把握することは、もはや営業マンの能力を超えてしまったことを理解していた。専任チームの設置の必要性をどのようにして営業部門に納得させるか。


 田崎は同期でシカゴ駐在員だった中畑和彦を思い出した。ロス駐在員時代に珍しくニューヨーク本社に出張した際にその帰途にシカゴの中畑を訪ねたことがあった。独身寮の風呂場で世界に飛躍する商社マンの夢を語った仲だ。五年ほど会っていなかった。

 シカゴ空港に近い事務所に中畑を訪れた田崎は、その夕食を中畑宅でご馳走になった。近くの日系の工作機械の会社に勤めるサラと名乗る女性の手料理だった。

 そのサラから工作機械の会社での在庫管理や売掛債権の回収で苦労した話を耳にした。その女性が語る体験を基にした社内のシステム構築の話は感銘を受けるものであった。今はその工作機械会社を退職してノースダコタに移動したとクリスマス・カードをもらった。ロレインにカードに記されてあったサラの電話番号にコンタクトするように薦めた。

 ロレインがサラから聞いた工作機械会社のケースも、ロレインが目にする現状と瓜ふたつの状況にあった。対応策はロレイン案と同じように専任チームを組んで過去からの滞った売掛金を一年近くの時間を費やして解決したそうだ。

 この報告を聞いた田崎が次回の営業会議でそれを伝え、ようやく売掛金回収の専任チームが設置されることになった。

 それから間もなく、関西の経済界を代表する大手の家電メーカーの米国法人が、米国内での売掛金回収の恒常的な遅延で経営危機に陥ったニュースが大きく報道された。無謀な拡販を続けた結果が膨大な不良債権を生んだためであった。


 その年の十二月中旬に米国本社で恒例のクリスマス・パーティーが開かれた。ニューヨーク事務所からはロレインが招待されていた。

 パーティーが半ばに差しかかった頃に、社長が演壇に歩み寄った。

 「ミスター・タザキから提案があり、今年からこの場で会社の業績に貢献した社員を私が表彰することにします。その第一回目の今年は、いろいろな業務改善提案があったニューヨーク事務所のロレイン・ジョンソンに与えます」と告げてロレインを手招きする。

 「提案された改善策によって、社内の事務が円滑化されただけでなく、在庫の削減と売掛金のスムーズな回収が軌道に乗り、金利負担や無駄を排除して管理部門の経費が前年比で二十パーセントも削減できました。ここにカイゼン賞を授けます」

 社長から盾を受取るロレインの頬を大粒の涙がこぼれ落ちた。

 ナンシーから事前に密かに電話をもらっていた。この賞は黒人だから与えるのではなく、ひとりのビジネスマンとして表彰するのだからと田崎が社長に因果を含めたことをナンシーは社長から耳にしていたのだ。生を受けて以来はじめて、肌の色を超えて、ひとりの人間として人格を認めてもらえた。

 そして今、テーブルの田崎の瞳が、ロレインを部下ではなく、ひとりの女として愛を込めて見つめているのをひしひしと感じ取ったのであった。ロレインの胸に暖かなものがこみ上げてきた。バーガンディー色の鞄は、黒人への同情からではなかったのだ。

 演壇を見上げる田崎の笑顔が、ロレインには涙で二重に霞んでいた。


 ロレインのその後は?

    (”続 ブルックリンの女”へ)



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ブルックリンの女 ジム・ツカゴシ @JimTsukagoshi

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