第7話

 朝の会議が始まる直前に田崎が営業担当副社長を手招きした。昨夜の国際電話の結果、販売目標を修正する旨告げた。そして、「あなたは電動工具だけでなく電気製品の市場に詳しい。近くM&Aをいくつか手がけることになります。今回の処理を速やかに終えて業容拡大に参加して欲しいですね」と付け加えた。

 「マサト。ありがとう。騙し取った報奨金を分割で返済することをセールスマネジャーが今朝伝えてきました。私の昨年度の追加ボーナスは本年度の報酬から差引いて欲しい。クリスマス商戦が加わる第四四半期にはわずかでも挽回するよう各地のセールスマネジャーに命じることにします」


 ニューヨーク事務所のヒギンズが、顔見知りで市内のコロンビア大学の医学部に勤める研究者を事務所に連れてきたことがあった。その研究者によると、世界各地でのDNAの収集が進んだ結果、DNAを利用して混血が進む米国人の錯綜した家系を明らかにする研究に当っているという。

 米国には日本のような戸籍制度が存在しない。代わりになるのが生誕証明書と十年ごとに連邦政府が実施する国勢調査の結果だが、生誕証明書には母親の名しか記載されておらず、奴隷の場合はその生誕証明書さえ発行されなかった。国勢調査でも奴隷は主人の家族のような扱いで家系の情報を得るには内容が限られる。

 居合わせたロレインに田崎が、研究のためにDNAを提供してはと薦めた。ロレインと姉を交えて会食した際に、数年前に病死した母親の話では、彼女たちの祖母はカリブ海のハイチからブルックリンに移住してきたことを聞いていた。ロレインによれば、その先は皆目不明だとのことで、DNAを提供すれば新たな情報が手に入るかもしれない。

 その研究者が持ち帰ったロレインのDNAの分析結果が送られてきた。

 それによると、ロレインが生まれた直後に失踪した姉妹の父親の白人男性は、北フランスからベルギー、オランダにかけての地からの移住者の子孫と考えられた。

 祖母はハイチにアフリカから持ち込まれた奴隷一家の出だったが、そのアフリカとは大陸ではなく、アフリカ大陸の東に浮かぶマダガスカル島からの渡来だったことがDNAで明らかにされた。北米に渡来したマダガスカルからの奴隷船は数隻しか存在せず、ロレイン姉妹はその限られた奴隷の末裔ということになる。

 DNAには数パーセントのアジア人種のものが混じっていた。

 研究者が大学の人類学の研究室に調査を依頼したところ、インドネシアのスマトラ島やマレー半島から、インド洋の海流に流されてアフリカ東岸のマダガスカル島に行き着いた住民が太古から存在したことが判明した。そのためマダガスカル島の黒人住民にはアジア人の血が流れている。

 奴隷船でそれらの住民がカリブ海にわたり、更にブルックリンにいたったことになる。そのアジア人の血が流れるロレインが日本企業の米国法人に勤める。不思議な縁と田崎には思われた。


 事務所開設を終え新事務所の運営もスムーズになったので、田崎はいよいよM&Aを本格化させるためにインディアナポリスの本社にもどることにした。ニューヨーク事務所長にはヒギンズを起用し、ロレインには引き続き社内のレポート作りと業務改善策の提案を命じて、田崎はマンハッタンを後にした。ロレインが音頭を取って近くのすし店で送別会を開いてくれた。

 電動工具の米国法人は会計年度には暦年を採用していた。その年の決算が出揃った翌年の二月はじめにロレインから分厚い提案書が田崎に送られてきた。

 それは社内の在庫管理に関する提案書であった。ロレインは前年度の決算書に記載された棚卸し資産を分析し、製品在庫が売上に比して過剰なことを指摘していた。

 トヨタのカンバン方式は徹底的な在庫の圧縮によって資金効率の向上を狙う経営手法だ。そのトヨタのカンバン方式が産業界で注目され始めるのはその数年後のことであったが、ロレインの提案は過剰な在庫を圧縮して在庫の回転率を高めるカンバン方式と同じ狙いを提案していた。

 ビジネス界には20/80の原則が存在する。二割の製品が八割の売上や収益をもたらし、残りの八割を占める製品の寄与率は二割に過ぎないという原則である。

 ロレインはこの原則にしたがって、注力すべき二割の製品をAグループに、残りの八割の製品をBグループに区別してリストアップして、それぞれの在庫が年間にどれだけの売上を生んだかを算出している。

 それによると、年間売上高を平均在庫額で割って算出される在庫の回転率が、年間に一回を下回るものがある反面、回転率が十二回を超えるものも存在する。後者の製品には在庫が品切れになり失注した例があることも明らかになった。

 ロレインはAグループは年間六回の回転、すなわち二か月分の在庫を目標に設定し、Bグループは年間四回、三か月分を目標に設定した。

 Aグループは毎月に相当の出荷が見込まれる製品で、本来は一ヶ月分、年間十二回転を目指したいところだ。しかし、輸入品であることから考慮しなければない事情があった。

 日本で製品を積載したコンテナは西海岸で貨車に載せかえられて中西部までは鉄道輸送される。冬のインディアナポリスでは積雪はあるが豪雪地帯ではない。しかし西海岸からの途中のロッキー山脈地帯は豪雪で鉄道輸送が遅れるリスクがある。港湾ストライキも遅延の要因になりかねない。このようなリスクを加味して二か月分に設定された。

 この目標を達成すれば資金効率が向上して銀行からの借入金を三割削減することが可能と結論付けていた。

 田崎は早速その月の月報にこの提案を含めるようロレインに回答した。


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