神官竜の更新Ⅲ


 今日も広場にリュートの音色が響く。今日の演目は異国の恋愛ものだ。昔々のとある国の身分違いの恋が、云々。

ヘグが柔らかな声音で、愛だとか恋だとか、その苦しみだとかを歌い上げる。結局恋は実らずに二人とも死んでしまうのだが、どうやらそういった悲劇でも、観客受けは良いらしい。儲けはそこそこだ。

「僕は死ぬことなんかないよって何度も説得したんだけどね」

 以前ラッドレスの屋敷で同じ演目をやった時の彼の言である。竜族は長寿なのだということを、身をもって思い知った一言だ。

「いやあ、良い話だった。よかったら取っておいてくれ」

 カラムが涙を拭いながらヘグに高額紙幣を押し付け、やんわりと断られている。

 フィルは持たされた荷物を背負い直し、二人の様子を冷ややかに見つめる。

「おい、馬車待たせてるんだからさっさと行くぞ」

 ヘグがどうしてもと言うから予定を遅らせて演奏の時間を取ったのだ。つまり予定が押している。

「ああ、ごめんよ。シェオマが今頃待ちくたびれているだろうね。急ごうか」

 完全に存在を無視されてはいるが、ジャリルも同行を許可されている。

 外壁沿いに停められた馬車は二頭立て四人乗り。馭者台に二人まで。馭者は用意させていないため、席が一つ余る計算だ。

「俺が馭者台に乗る」

 フィルが馭者台に乗り、素早くその横にヘグが乗った。

「ごめんね」

 ヘグにぱたぱたと手を振られ、カラムは渋々後ろのドアを開ける。

「遅いぞ!」

 開けた瞬間に、シェオマの叱責を食らった。



「今後の予定としては、馬車で野営を挟みつつ二日ほど。目的地であるエッシェ中央都市クヴェーレフォルトに到着したら王様の書いてくれた文書を持って領主フォレスター卿に挨拶。その日は適当に宿を取って休息。翌日から森へ入る」

 ガタガタと揺れる馬車の中で、カラムが今後の予定を読み上げる。

「はいはい、質問」

 説明が途切れたところで、ジャリルが挙手をする

「そ、そのフォレスター卿ってカラムの旦那のお父上なんすよね? 宿の便宜とか図ってくれたりしないんすか」

 カラムは気まずそうに書類から顔を上げた。

「歳そんなに変わんないだろ、敬語とか使わなくていいから。……うちの親父にはあんまり期待しないほうがいいぞ。王様ともあんまり仲良くないし」

「と、いいますと?」

「今代の王様は親衛隊や騎士団に女性起用したり側室持たなかったりとか、なんつーか少し革新派的な側面があるんだよな。うちの親父は古い人間だからガチガチの保守派で馬が合わないんだ。あとはまあ俺が半分家出みたいな状態で家を出てきたとかあってだな」

 ごにょごにょと言い淀むカラムに対し、ジャリルの表情が明るくなる。

「お、旦那も? 実は俺も父親と反りあわなくて家出してきたんだよなぁ。俺たち意外と気が合うかも」

「いや、家出っつーほど大層なことじゃないんだが、俺三男坊で五人目なんだよ。俺がガキの頃に、一番懐いてた長女の姉貴が王都の役人に嫁ぐっつって出て行ったもんだから死ぬ気で勉強してさ、王都の中央学園に合格して姉夫婦の家に居候してたってわけ。親父は三男に学があっても仕方ないっつってすげえ反対されて結局学費は義兄さんが出してくれて。それから十年以上正式に帰省していない」

「壮絶過ぎて意味わかんない」

 どこから突っ込んでいいやらといった様子のジャリルの横で、今まで黙って座って本を読んでいたシェオマがぼそっと吐き捨てる

「シスコン拗らせて家出した話だな」

「因みにフィルとはその時期に王都で教わり始めた剣の師匠が同じだった言わば同門ってやつだな」

 シェオマの発言を無視し話を逸らそうとしたカラムの話題に、ジャリルが再度食いつく。

「へえー、じゃあ旦那、フィルの旦那と付き合い長いんですねえ。俺は数年前にアーホルンでヘグと一緒にいたときに知り合ったんだけど……あれ? てことは、この中ではシェオマ坊ちゃんが一番フィルの旦那と付き合い長いっすよね」

「まあな。坊ちゃんって呼ぶのやめろ」

 シェオマは本から顔を上げると、ジャリルのほうをチラと見た。

「昔とあんまり変わってないぞ、あいつは」

「そぉか? 昔より今はだいぶ愛想よくなったと思うけど」

カラムが首を傾げる。シェオマは欠伸をすると、本を閉じ腰から吊るした革製のブックケースに仕舞った。

「やってることは同じだぞ。引っかかった帽子を取ろうとして木から落ちたり、邸を抜け出した俺の後をついてきて犬に噛まれたり、階段から落ちそうになったナターシャを支えようとして巻き込まれて落ちたりとか」

「優しいっすよね、フィルの旦那は」

 ジャリルが温かい表情で微笑むのを、シェオマ、カラム両名は残念そうに見つめる。

「残念ながら論点はそこじゃないんだ……」

「へ?」

 キョトンとするジャリルをよそに、シェオマはマイペースに腕を組み直した。

「とにかく余計な怪我が多い。ギリギリできそうでできないことに手を出す」

「あー確かに」

 ジャリルはうんうんと頷いた。フィルは何かと生傷の絶えない男だ。

「体張るのが好きなんだよな。なんつーか、身を挺して? みたいな」

「カラムには言われたくないと思うが」

「俺のは仕事! 身を挺して王族を守るのが仕事なの」


 わいわいと盛り上がる三人を背に、フィルは小さく溜息を吐いた。

「何がそんなに楽しいんだか……」

「きっとフィルの話だよ」

 ヘグは相変わらず隣で微笑んでいる。

「さすがに笑いものにされる覚えはないんだが」

「楽しい話だよ、多分」

「そうか? あいつらが?」

 ヘグは耳が良いので実際のところ会話は筒抜けであったのだが、余計なことは言わずに、妖精のような尖った長い耳をぴょこぴょこと動かしている。

「ジャリルは話を盛り上げるのが上手いし、シェオマはシャイだけど仲の良い人とならきちんと話せるでしょ? カラムは会ったばかりだけど、面白い話ができそうじゃないか」

「んー、まあそうっちゃそうか」

 フィルは手綱を握ったままボンヤリと空を見上げた。青い空には丸々太った羊のようなもこもこの雲が幾つか浮いている。

「あんたも混ざってくればいいだろ、後ろの会話に。一旦停めるか?」

 返事も聞かずに速度を緩めかけるフィルを、ヘグが慌てて制す。

「いいんだ、僕はここがいいんだよ」

「そうか?」

「そうだよ。僕は君の隣を選んで座ったんだからね」

「それもそうか」

 フィルはその場で座り直すと、再び黙りこんでしまう。

「…………」

「フィルはさ、好きな子とかいないの?」

 ヘグから出た唐突な言葉に、フィルがゴホゴホと噎せる。しばらく噎せ続ける。

「エマとは付き合ってないんでしょ?」

 ひとしきり咳き込んで、噎せ終わったフィルがおもむろに口を開いた。

「なんでそうなった。あいつはただの幼馴染だし、あいつに手なんか出したら師匠に三枚に下ろされちまう」

「ええー、若い子はこういう話題が好きだって聞いたんだけどなあ。違ったかい?」

 にこやかな表情のヘグから、フィルはそろりと目を逸らす。

「いや、それこそカラムとかジャリルとか、あの辺りはこういう話題好きそうだけどよ。俺はそういうのないし」

「えーそうかなぁ。じゃあカイル先生は? 先生のことはどう思ってんの」

 ヘグは話をやめる気はないらしく次々と質問を浴びせかけてくる。

「いつも迷惑かけて申し訳ないと思ってる」

 元々彼女は医者の家系の出であるが、女医という存在は社会的に認められていないためわざわざ男のように振る舞っているのだ。当代の王があまり気にしない人であるとはいえ、この国が男社会であることに変わりはない。

「ナターシャは?」

「あいつは妹だから」

「メイシー」

「友人」

 メイシーはフィルとカラムの同門の兄弟弟子である。現在騎士団に所属している唯一の女性団員だ。

「うーん手強いなあ」

「だから本当にそういう話はないって。あんたもないだろ」

「確かにないね」

 ヘグは肩を竦めた。そもそも竜族は性別という概念が曖昧なので「男に化けるか、女に化けるか」という程度の意識しかない。そういった部分も含め、あらゆる生物の上位種なのだ。

「新しく詩を書こうと思ってたんだけど、恋愛ものは望めそうにないな」

 腕を組んで真剣に考え始めるヘグ。フィルはその様子をチラと横目に見る。

「とりあえず俺を詩のネタに使おうとするのやめたほうがいいと思うが……。面白いことあんまないし」

「そうかなあ、冒険譚とかならウケると思うけど」

 真顔でそう言い放ったヘグに、フィルが勘弁してくれとぼやいた。


 * * *


 エッシェ地方中央都市、クヴェーレフォルト。

 エッシェ地方の約三分の一を占める森林地帯にほど近い都市である。木材以外のこれといった特産品はないが、北部の海岸から内陸へと向かう交通、物流の要衝として栄える。


「はー、やっと着いたかぁ。いやあしんどかった」

 大きく伸びをしながら馬車から降りるカラムが、間の抜けた声を漏らした。

 目の前にそびえる城壁の中には、王都のものよりだいぶこじんまりとした城が収まっている。

「こういうタイプの馬車って座ってないといけないからきついよな」

「……」

 まだ余裕そうなジャリルと、ぐったりした様子のシェオマが続いて下車する。

 離れたところで入城の手続きをしているフィルとヘグには、疲労の色は見えない。

「王都の使いで……はい。こちらの書類に」

 何やら門番や役人と話したあと、城門が仰々しく開放される。

 一同は馬車を城の者に任せると、徒歩で入城する。庭はあるが、広さはさほどでもない。

 先導する若い使用人がチラチラと振り返ってカラムの顔を見ているが、特に素性について言及するようなことはない。王室親衛隊の制服が気になっているだけかもしれない。

「いいかお前ら、俺とカラムがフォレスター卿に会ってくるから、お前らは客間で待たせてもらえよ。絶対余計なことはするな? 分かったな」

「え、俺が行くの?」

 フィルの言葉に、ぼんやりと後をついてきていたカラムが驚いて顔を上げる。

「何のためにお前を連れてきたと思ってるんだよ。しっかり働いてくれ」

「いや、いいけどよ。最初に俺を出したら親父の機嫌悪くなるかもしれないぞ」

「まあ、そんときはそんときだな。親書だけ渡して退散する」

「出たよ、妖怪行き当たりばったり」

 カラムのげんなりとした表情の向こう側で、客間へと繋がる扉が開かれる。

「準備ができるまでこちらでお待ちください。いまお飲み物をご用意致します」

「はーい」

 ヘグの元気な返事と共に、広くはないが上品な内装の客間へと足を踏み入れた。

 目まぐるしく動く若い使用人の男が、慣れた手つきで人数分の紅茶を淹れる。そして着席した一同、各々の正面にティーカップを置いてゆく。

「はー、やっぱり実家の水は美味いわ。セス、お代わりくれ」

 カラムは一気に適温の紅茶を飲み干すと、使用人にお代わりを催促する。若干はしたない行いだ。

「は、はい! カラム様、俺のことを覚えていらっしゃるのですか?」

 セスと呼ばれた使用人は、カラムからカップを受け取ると追加の紅茶を注ぎ足す。

「覚えてる何も、ガキの頃よく一緒に遊んだろ。やたら怒られた記憶しかないけど」

「すっかり忘れられてしまっているものかと……」

「そりゃ、お前の中の俺は薄情なこったな」

「すみません」

 カラムはセスから紅茶の入ったカップを取り上げると再びそれを呷った。

「ところで、旦那様のご機嫌はどんな感じ? 事前連絡来てるだろ?」

「は、え、えーと、そうですね、事前連絡の時点では可もなく不可もなくというか……、特にこれといって反応はありませんでした。今日はまだ、直接お会いしていないので分かりませんが」

「が?」

「ヴィッツ様が超絶不機嫌で、いえ、なるべく鉢合わせないように配慮は致しますが」

「わはは、マジか」

 ヴィッツ・フォレスターはカラムの兄に当たり、フォレスター家の次期当主となる人物だ。勝手に王都へ出て行ったカラムとは折り合いが悪い。

「アレン兄さんは言わずもがなだしなあ。四面楚歌」

「使用人一同、なるべくご兄弟と鉢合わせないようご配慮はさせていただきます」

「すまん、助かる」

 カラムが空になったティーカップを机に置くと、静かな音と共に使用人用の通用口が開いた。姿を現すのは、年嵩の使用人。

「面会のご準備が整いましたので、応接間へお願いいたします」

「おっ、来たか」

 フィルとカラムがソファから立ち上がる。

「ご案内いたします」

 小さく手を振ったヘグに手を振り返し、部屋を出て先導する年嵩の使用人の後へと続く。



「……というわけで此度の捜索任務に当たり、調査期間中森林地帯への立ち入り及び街への滞在の許可を」

フィルが書類を広げて今回の概要を説明する。話を聞くフォレスター卿は、カラムの存在に関しては何も言及してこない。

「分かった、許可しよう。滞在中は城内に部屋を用意させるのでそこを使ってもらって構わない」

「ありがとうございます」

 フィルが深々と頭を下げるのに合わせ、カラムも頭を下げる。特に何もすることなく話が纏まったようだった。そのまま部屋を後にする。

「はあー、終わった終わった。親父も特に何も言ってこなかったし、この調子で探索もパパッと終えて帰ろう」

「だといいけどな」

 嘆息気味に呟くフィルの視線の先、廊下の角の向こう側から、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてくる。

「カラム、カラムはいるか!」

「お、お待ちくださいヴィッツ様」

 荒々しい男の声と、先程客間で聞いたばかりのセスの声が聞こえる。やり取りから鑑みるに、カラムを探している男の声は長兄ヴィッツだろう。

 二つの足音は、段々と近づいてきてやがて廊下の角を折れて姿を現した。苛立った表情のヴィッツは視界にフィルを捕らえると、軽く手を上げてつかつかと歩み寄る。

「フィルか、久しいな」

「お久しぶりです、ヴィッツ様」

 フィルは地方の査察などの仕事の関係で、フォレスター家の面々とは面識がある。

「早速で悪いがカラムを見なかったか? 一緒に来たのだろう」

 セスはヴィッツの後ろであたふたしている。勢いづいてしまったヴィッツを止めるに止められないのだろう。

「カラムならここに……あれ?」

 フィルが振り返ると、後をついてきていたカラムは忽然と姿を消していた。逃げ足が速い。

「すみません。つい今まで一緒にいたのですが」

「……そうか。手間を取らせたな。愚弟がいつも面倒をかけてすまない」

 ヴィッツはそう言うと、フィルの脇を通りすぎて廊下を進んでゆく。セスはフィルに小さく会釈してその後を小走りで追いかけていった。

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