神官竜の更新Ⅱ
会議が解散された後、皇子、カラム、ハインツは各々のすべきことに戻った。
フィル、シェオマは、ヘグと共に城下へと下った。
「ジャリルと待ち合わせしてたんだけどね、もう時間過ぎてるけど」
ヘグはそう言うと表通りをトコトコと進んで行き、建物と建物の間の細い道を折れて横町へと入って行く。
ジャリルは旅商人である。ヘルドニア王国より遠く海を越え南西の大陸にある、ターグ・イェルマ帝国の出身だが、今は祖国を離れ旅をしながら各地の特産物や珍しいものなどを売り買いして生計を立てているらしい。
ヘグとは旅の道中一緒に行動することが多いようである。
「いつもね、向こうの店のおっちゃんに品物卸してるから、よく待ち合わせに使わせてもらってるんだけど」
古びた木製の看板が出ている雑貨屋の前で立ち止まる。看板の文字は擦り切れていて判然としない。
「おっちゃーん、ジャリルもう帰っちゃった?」
挨拶もそこそこに、ヘグが店の奥までずかずかと入って行く。
「よお、帰っちゃってないぜ」
ヘグの後を追い中へ入ると、埃臭い空気とエプロンを着たジャリルが出迎えてくれる。
「あれ、おっちゃんは?」
「出掛けた。俺が店番」
ジャリルはズレたカチューシャを上げると、後から入ってきたフィル達に向き直る。
「おやおや皆さんお揃いで。こんなところまで来るなんて、何か大事な話っすか」
「大事な話がさっき終わったところだ」
フィルの言葉に不思議そうに首を傾げるジャリルに、ヘグが追加で補足する。
「さっき王様に呼ばれてね、ちょっと別件でフィルの仕事に同行することになったから。ちょっと、次一緒に出発するの無理そう」
「なるほど、それは」
ジャリルは一旦言葉を切って、深く息を吸って、吐いた。
「儲け話が転がっていそうだ」
「ねえよ」
やや食い気味にフィルが切り捨てる。
「嫌だなぁ、旦那の仕事なんて金の匂いしかしないぜ? 今度はどこ行くんだ? ジャリルお兄さんに正直に話してみろって」
ジャリルは悪そうな顔でニヤニヤと笑うと、馴れ馴れしくフィルに肩を組んできた。
「森だ。も、り! 木材で一発当てる気ならともかく、お前が考えるような儲け話は無い!」
「さあね。旦那、聞いたことがあるかい」
ジャリルが手に持ったハタキを大きく頭上に掲げる。
「木々が鬱蒼と生い茂る森、森、森! 旅人は方角を見失い木々の間をあてなく彷徨う。どれほど歩いたことか、突然目の前の視界が開ける! なんとこそには巨大な石造建築物が……! 中には金銀財宝、古代の宝飾品が山のように」
「ねえよ」
フィルが話の途中で強引に遮る。
「もし仮にあったとしてもそれは土地を領有している領主のものになるからお前の取り分はねえよ」
「そんなの少しくらい黙って持っていってもわかんないって、なあ」
「そういう問題じゃねえんだよ」
フィルはジャリルを引き剥がすと、自分とジャリルの間にヘグを引っ張り寄せる。
「とりあえずヘグは連れて行くから、お前は勝手に西なり東なり好きな方へ行け」
「というわけで、ゴメンネ」
ヘグがひらひらと手を振ると、飾りのついた袖もひらひらと揺れる。
「嫌だー! 俺ばっかり仲間外れとかズルい! 俺も連れてって!」
ジャリルがヘグに縋りつくが、ヘグはただずっとニコニコと微笑みを湛えている。
「だから、お前はついてきてもしょうがないだろうが! 役に立たないんだよ!」
「役に立つ! 絶対に損したとは言わせないよ! 金勘定と後方支援なら任せろ、頼む!」
ジャリルが顔の前で手を合わせる。
「しつこいなお前! シェオマ、お前も突っ立ってないで何か言ってやれ」
入り口付近で退屈そうに爪をいじっていたシェオマが顔を上げた。
「いいンじゃねえの?」
げんなりした表情のフィルとは対照的に、ジャリルはキラキラした目をしている。
「ですよねえ! 坊ちゃん、分かってらっしゃる」
「俺のこと坊ちゃんて呼ぶ奴はついてこなくていい」
「旦那」
「よろしい」
フィルが困惑したようにヘグを見るが、ヘグは相も変わらず女神のような穏やかな微笑を湛えるばかりである。
「旦那、多数決! シェオマの旦那は良いって」
「ヘグ!」
「僕は同行するだけだから、どっちでもいいよ」
フィルは小難しい顔でこめかみをぐりぐりと揉む。
「あのな、これは国の仕事で、王様から直接依頼されてだな……」
シェオマが両腕を組み、冷めきったような表情でフィルの様子を見上げる。
「別に王様がお前を指名したわけじゃないからな? お前が立候補しただけだぞ」
「とは言っても勝手に人数を増やすのは」
言い争うフィルとシェオマの間に、ヘグが割って入る。
「まあまあまあ、つまり王様がいいって言えばいいんだよね。あとで直接聞けばいいじゃないか」
「あのな、ああ見えて忙しいんだぞあの人は」
フィルが腹立たしそうに髪を掻き上げる。
「僕が聞いておくから大丈夫さ。今晩僕が聞いてみて、明日報告すればいいでしょ。でも、あの人は「フィルの友達? いいよいいよ一緒に連れてっちゃって〜」とか言いそうだけど」
ヘグの、比較的上手い声真似を聞き流しつつ、フィルは溜息を吐いた。
「分かった。じゃあ王様の許可が取れたら連れて行こう」
「やったー! 役に立たないとは言わせないから覚えとけよ」
既に同行できるつもりになっているジャリルが、ばんばんとフィルの肩を叩く。
「言っとくがまだ決まったわけじゃねえからな。それと、占術の結果が少し不穏だったから武装は完璧に準備しておけ。それが出来ないなら王様がなんと言おうが置いていく」
「承知した! あとで矢を買い足しておくから任せとけ」
ジャリルは商人だが、護身や狩りなどに使うために弓矢を持ち歩いている。
「お前の使ってるフニャフニャのやっすい弓を買い替えろっつってんだよ」
ポコ、とフィルがジャリルの頭を軽く叩く。
「フッフフ…案ずるなかれ、いままで使っていた安物はこの間いろいろあってぶっ壊れたので、ちょっとリッチな複合弓に買い替えたんすよ」
「お前なんだかんだで金持ちだよな」
「まーね」
得意げに胸を張るジャリルを軽く小突くと、フィルは懐から古びた懐中時計を取り出し時間を確認した。
「……やべ、もう昼になっちまう」
フィルは時計を懐に仕舞うと、ジャリルとヘグに向かってヒラヒラと手を振った。
「悪い、ちょっと午前中に予定が入ってたんだった。もうほぼ間に合わないけど行かないわけにはいかないので失礼する」
「わかったよ〜。あとは任せて」
立ち去りゆくフィルに、ヘグが手を振り返す。
振っていた手を下ろしたヘグと、横に立っていたジャリルが同時にシェオマを見下ろした。
「あれ? 一緒に行かないの」
不思議そうな表情で首を傾げるふたりを、シェオマが睨めあげる。
「金魚の糞じゃねーんだからどこにでもついていくわけじゃねえよ! 俺は普通に歩いて帰る」
「走ると疲れちゃうもんね」
「体力が無いみたいな言い方はやめろ」
よしよしと頭を撫でるヘグの手を払い除け、シェオマは店の外に出た。
「帰る」
「迷子にならないようにね」
「子供扱いするな」
不満そうなまま立ち去るシェオマに再び手を振るヘグが、困ったように首を傾げる。
「十五歳って子供じゃないの?」
「一応この辺だと十五で成人扱いなんじゃないか?」
ジャリルも首を傾げる。
「ふうん、それは悪いことをしたなぁ」
奇妙な会話の余韻を残し、店内に沈黙が帰ってくる。
「大変申し訳ありませんでした」
フィルが椅子に座って深々と頭を下げる。
「いいんだ、どうせ皆私の診察など受けたくないんだろう……」
(拗ねてる……)
フィルが恐る恐る顔を上げると、白衣を着た医家の先生が笑顔で腕を組んで椅子に座っている。
ラッドレス家専属医のカイル・クラークである。
「いや本当に…偶然予定が被って間に合わなかっただけで……」
「気にするな、どうせ調子が悪いときだけ来てなんとかさせればいいと思っているんだろう…先日ラッドレス卿にも似たようなことを言われた」
皆が日頃の健診をさぼるせいで業を煮やしているのだろう。声やこまごまとした動作に険がある。
「遅刻したのは悪かったけど、無視せずにきちんと駆けつけた誠意に免じて今回は許してくれ」
再び深々と頭を下げる。
「構わん、頻繁に呼び出される方にも言い分や不満はあるだろう。お前の兄と父にはあとで時間を取ってこってりと定期健診の重要性を説いておく」
恐らく仕事が忙しくて後回しにしているのだろう。どちらの言い分も理解できるフィルは、余計な意見を言わずに黙って頷く。
カイルはシルバーブロンドの髪を掻き上げると、椅子に座り直した。
「さあ、まず脈拍だ」
フィルが差し出した手首を軽く握る。
「走ったから少し速いかも」
「速い」
手元の紙に何か書き込んでから、聴診器を取り出す。
「音」
「あいよ」
フィルのシャツを捲り上げ、胸に聴診器を当てる。
「前開きの服を着てこいといつも言っているはずなんだが」
「持ってない」
「買え……、息吸って、吐いて……よし」
カイルは再び手元の紙に書き込み、フィルの方に椅子ごと近づく。
「目」
「はいよ」
フィルが、顔の左半分を隠す前髪を掻き上げ、左目を覆う眼帯を外した。
カイルは、フィルの頬を親指で軽く下に引っ張り、左目を覗き込むようにしてじっと様子を見る。
「うーん、特に変わりはないな。先生には毎回診るように言われたが、いつ見ても普通の目だ」
カイルが先生と呼ぶ人物、それは先代のラッドレス家専属医にしてカイルの師である老翁のことだ。現在は引退し城下で隠居の身である。
「じいさんなんかなんでもかんでもすぐに診ろ診せろって言うだろ。俺はあんたの診察の方がアッサリしてて好きだよ」
「アッサリした診察じゃないと来ないだろう貴様らは。 ……以上だ。他に怪我や不調や気になることがあれば言え」
「ありませーん。あ、また仕事で暫く外すんで帰ってきたら報告しますので」
フィルが眼帯をつけ直しながら思い出したように言った。
「またか……、余計な怪我はするなよ。毎度毎度言うのも飽きてきたがとにかく安全に気を配れ。もし怪我をしたら生兵法で対処するな、極力すぐに医者にみせろ」
「なんで医者って小言が多いんだろうな」
「お前が毎回怪我をせずに帰って来れば小言など言わなくても済む話なんだがな」
紙を手持ちの鞄に仕舞い、カイルが席を立つ。
「先生、いつもありがとう。助かってる」
フィルがぎこちなく微笑んだ。
「そんなことを言う暇があったら私の仕事を増やさないように養生しろ、朝食は摂れ」
朝食を抜いたのがばれている。
「じゃあ今度一緒に何か街に食いに行こうぜ。先生も何か可愛い服着てさ」
「持ってない」
「そんなの俺が買ってやるって! たまには気分転換したり外に出ないと黴生えるぞ」
カイルはムッとした表情で振り返った。
「医師である間、私は男だ。そのような浮ついた格好など……。それに! 貴様に施しを受けるほど金に困ってはいないぞ」
フィルが顔を顰めたまま首を傾ける。
「じゃあ俺が先生に可愛い服買うから先生は俺に前開きの服買ってよ。休みの日くらい医者先生オフでいいだろ?」
「しつこいなもう! わかった、考えておく。絶対に奇妙な柄の服などは買うなよ! 着ないからな!」
カイルが鞄を引っ掴んで、ドスドスと部屋を出て行く。
「まあ任せてよ。女物の服選びには自信あるんだ」
立ち去るカイルの背中に、フィルが言葉を投げかけた。
フィルは軽く身なりを整えると、立ち上がって部屋を出る。
階下へ降り、再び邸のエントランスに立つ。朝にあった慌ただしい空気は既になく、使用人も裏に下がってしまったのか姿はない。
「フィル!」
がらんとしたエントランスホールに甲高い声が響く。
とたたたた、と足音がして、振り返ろうとしたフィルの背中に少女が飛びつく。
「帰ってきてたのね! 会えなくて寂しかった」
背後から腰回りをしっかりとホールドされ、顔を見ることが叶わない。フィルの視界にはドレスの裾と赤い髪の毛先だけが見える。
ラッドレスの末の妹、ナターシャだ。
「ナターシャ、張り付くな」
フィルはナターシャを諌めるが、振り解いたり引き剥がしたりすることはない。
「嫌よ、離したらフィルはまたすぐ何処かへ行ってしまうもの」
「離さなくても時間になったら行く」
「そうしたら私もこのまま一緒に行くからいいの」
ナターシャはみっちりとフィルに張り付いたまま、ズルズルと引き摺られて移動する。
「よくない、このままだと重い」
「レディに対して失礼よ、それ」
腰に回された腕に力が込められる。どうやら重いと評されたことが不満らしい。
「レディは突然背後から飛びかかってきて腰を締め上げたりしない」
フィルは背後に手を回してナターシャの頭をぽんぽんと撫でた。
「フィルのお嫁さんにしてくれるまで離さない」
フィルの背中に顔を押し付けたまま、くぐもった声でナターシャが喋る。
「それは無理だー。兄はなぁ、妹とは結婚できないんだぞーこの前も言ったけど」
フィルがナターシャを引き摺ったまま間延びした声で答えた。
「血が繋がってないから大丈夫なの、この前も言ったけど」
二人はそのまま暫くエントランス付近をうろうろすると、一階の奥へ続く通路の前で立ち止まった。
「疲れた」
フィルがその場にしゃがみ込むと、ナターシャもフィルから手を離して一緒にしゃがむ。
「あのな、結婚相手っていうのは一生ついて回るもんだからよく考えて決めるべきなんだ。お前俺以外の候補検討したことある?」
「ない」
ナターシャがやや食い気味に即答し、首を横に振る。
「だから例えばさ、もっと歳の近い奴とか、貴族の子息とかな」
「ない」
「なくねーよ」
フィルは溜息を吐いてナターシャと向かい合った。
「お前は将来性があるんだから俺みたいな事故物件には構わないほうがいいの」
「私にとっては究極の優良物件だわ」
ナターシャが不思議そうにフィルの表情を覗き込んだ。
「かっこよくて、優しくて、強くて。それ以上に何が必要なの?」
「血統と親の承認だよ」
フィルはよっこらせいと年寄り臭い掛け声とともに立ち上がる。
「お前の父さんがいいよって言うの想像できる?」
「無理」
「母さんですら渋い顔するぞ」
「もうされた」
しゃがんだままのナターシャにフィルが手を差し伸べ、ナターシャは手を取って立ち上がった。
「と、いうわけでだめです。まだ時間あるんだから結婚相手なんて今から探したって余裕で見つかるって」
「フィルは私のこと好きじゃないの?」
ナターシャが不本意そうに首を傾げる。
「好きだよ。血は繋がっていないけど、俺の妹だ」
「そういうことじゃないのに……」
フィルがナターシャの膨れっ面をむにむにとつつく。柔らかい。
「……、……!」
ふと、上の階から女性の声が聞こえた。
「何か言ってる」
二人は頭上を見上げ、耳をそばだてる。
「……なんかお前のこと呼んでねえ?」
「しまった、勉強抜け出したのばれた」
ナターシャが気まずそうな表情を浮かべる。
「おいおい……家庭教師や母さんにあんまり心配かけんなよ。お前ただでさえ落ち着きないんだから」
フィルはぽんぽんとナターシャの背中を軽く叩いて上に戻るように促した。
「うーん……。わかった! その代わり、フィルも私に心配かけるようなことしちゃダメよ! 約束ね」
ナターシャはフィルに手を振りながら階段を小走りで駆け上がっていく。
「前見ろ! あーもう」
危なっかしい、とぼやきつつもナターシャを見送ったフィルは、今一度時間を確認した。
「うーん、飯…どうしようかなあ」
屋敷を出たフィルは、繁華街へと向かう。
「それでー、ぶっちゃけどうなの」
王様は高そうな皿が並べられたテーブルに肘を置き、頬杖をついた状態のまま身を乗り出した。
「ニール、行儀が悪い。……どうとは何がだ」
向かい側に座るガーヴィンは話しかけてくる王様にあまり意識を傾けず、パンを千切ってもそもそと食べている。
「今回の神官竜の件だよ〜今朝なんかゴニョゴニョ言ってたけど実はもっと視えてるんでしょ」
「今朝は神官竜の更新について占ったわけではない。あくまで今回のエッシェ地方探索任務に関しての話だ」
「どっちでもいいよ、王様だけにこっそり教えて」
(鬱陶しい…)
王とは長い付き合いであるが、このやたらと先のことを知りたがる性格にはほとほと困り果てているのだ。仕事柄というか、国というスケールで先に起こることが気になって不安であるというのもあるのだろうが。
「すぐ見つかりそう? 長引きそう?」
「分からんと言っているだろうが。お前は大人しく食事も出来ないのか」
王様が不満そうに口を尖らせる。
「えー嘘だな。少なくともあそこで話したことで全部じゃないでしょ」
「仮に何もかも視えたとしても、何から何まで話して良いということではない。占術師には視えても話してはいけない領域というものがある」
ガーヴィンはフォークを置くと、ナフキンを軽くたたんで皿の横に置いた。
「あれ? もう食べ終わったの、早!」
王様の前に並べられた皿には料理がまだ残っている。
「お前が遅いんだ。喋ってばかりいないでさっさと食え。予定が押しているぞ」
「分かってるよーうるさいなぁ。私の未来でも占いながら待っててくれ」
王様は口の中にもさもさとパンを押し込み始めた。
「カード、ダイス、石」
ガーヴィンが上衣の懐をごそごそと漁る。手持ちの道具を確認しているのだろう。
「カード」
王様はスープとサラダを同時進行で飲み込んだ。
ガーヴィンは軽く頷くと、懐から取り出した正方形のカードの束を慣れた手つきでシャッフルし、テーブルの空いているスペースに広げてゆく。
「まず二枚、その結果が出た後にもう一枚」
ブックケースから出した本を広げながら、王様に説明をしていく。
「カードを捲るか、捲らないか。カードの図柄を自分で見るかどうか選んでよい。一つだけ、もしくは二つとも捲って中身を確かめることもできる」
ガーヴィンが説明を一旦区切った瞬間、魚だか肉だかよくわからない塊を飲み下し、王様がカードを一枚引いて捲った。
「なにこれ、カエル?」
カードには、曇天から激しく降り注ぐ雨と、空中で逆さまになったカエルが描かれている。
「説明を最後まで聴け! もちろん全て捲らずに伏せておくこともできるが……今捲ったな。カエルの描かれているカードは『嵐』だ。もう一枚引いたら解説をしよう」
「ふーんこのカエル風で飛んでるのか。じゃあ次これ」
王様が躊躇うことなくカードをパラリと捲る。
「あれ? 何も描いてないよ。予備?」
捲ったカードの図柄の面が真っ白で何も描かれていない。
「それはブランクカードだ。予備ではない」
ガーヴィンは目を閉じて本のページに軽く手を当てる。
「一枚目『嵐』、二枚目『空白』。良くはない組み合わせだ。悪いかどうかはまだ分からないが…」
王様はグラスを傾け一気に水を飲み干した。
「君の占いで良い結果が出たことがないや」
「嵐は災害や混乱、混沌を示す。破壊、ときに暴力なども。回避は極めて難しい。次の空白、空白は正直良くも悪くも解釈できるが…」
ガーヴィンの指が文字列をなぞるようにページ上をゆっくりと移動する。
「何も見えないな。単純に空白、もしくは虚無、不在を示すと取れる。新たな創造や、これから何かが起きるといった示唆は無いようだ」
「なんかやだなー。今のうちに遺言書くか」
「縁起でもない冗談を言うな。……三枚目を引け」
王様は人差し指でカードを押さえると、捲らずに手前に引いた。
「三枚目は捲るのやめとこうかな」
「珍しいな。いつもはすぐに捲るくせに。まあ良いだろう」
ガーヴィンが、王様の引いたカードを伏せたまま自分側に引き寄せ、王様から見えないように捲って中身を確認する。
「…………」
カードと向かい合ったまま暫く沈黙し、その後再びカードをテーブルに伏せた。
「ちょっと、そういう反応やめてよ……」
不安そうな王様がデザートのフルーツを頬張ってもぎゅもぎゅと飲み込む。
「いや、いや、悪くはない……。よかったな、捲らずにおいて」
ガーヴィンは姿勢を正すと、再び本に手を添える。
「……そうだな、よくないことが起こる兆しはあるが気をつけていれば命は落とさないだろう。まだ向こう側へ行くには早いと出ている。もし城を留守にするような用事があるときは特に気をつけたほうが良さそうだ。大きな危機を一度やり過ごせば暫く落ち着くはずだ」
ガーヴィンが本をパタンと閉じてブックケースに仕舞った。
「以上だ。今後はきちんと親衛隊の護衛もつけろ。お前を担当している奴らが毎朝出勤と同時に控え室に追い返されるのは側から見ていても哀れだ」
「君という心強い味方がいるのにこれ以上何が必要だと」
「数だ数! 一人を過信するな、数に頼れ」
王様が、ナフキンを丸めて机上に放る。
「宮廷魔導師なのに魔法を使わずに成人男性三人をまとめて伸した人に言われても説得力ないんですけど」
ガーヴィンは机上に散らばったカードをまとめて懐に仕舞った。
「相手が素人なら私一人でもどうとでもなる。占術で危険という結果が出た以上、身を守る準備は万全にしておくべきだ」
二人は席を立つと、時間を確認し出口の側へ向かう。
「うーん、君がどうしてもと言うならそうしよう。とはいえ、後ろからずっと見られてると落ち着かないし気が散るんだよなぁ」
「急げ。予算会議の後、賓客と会談だ」
ガーヴィンが扉を開け外に出て、王様がその後をついていく。
「さっき捲らなかったカード」
王様が歩きながら一人でぽそぽそと喋りだした。
「教えないぞ」
「分かるよ。なんとなく」
王様が、少し声のトーンを落とす。
「私は何度か君のカード占いでカードを引いてきたけれど、 嵐と空白のカードは今回が初めてだった」
廊下に、早足で歩く二人分の足音だけが響いている。
「私の予想によると三枚目のカードは『棺』かな。あれ捲ったら誰かしら死ぬんだろう」
「……」
ガーヴィンは何も答えない。
「私の奥さんが亡くなる何日か前にも私は同じものを引いたろう。それで、そのときはカードを捲ったんだ」
王様はフフッと小さく笑った。
「捲ったら死ぬなんて恐ろしいカードだ」
ガーヴィンが、次の会議に使う会議室の扉をノックして開けた。
「その経験則と判断力が、お前を助けるといいな」
「まさか占いでそんなところまで見られるとは思わなんだよ」
二人は速やかに所定の席へと向かう。
「よおエマ。元気だったか」
フィルは、柱の横に座りこんでいる女性に、小さく手を上げながら近づいてゆく。
「あらフィル。お久しぶりね」
エマは座りこんだまま軽く手を振り返した。
フィルが自然な流れでその横に腰掛ける。
エマ・ハーディはこの場所、王宮から程近くにある王都中央神殿で神官を務める女性である。また、フィルの剣の師匠の娘でもあり、彼の幼馴染でもある。
神殿は太い柱が何本もあるが天井が高く、広く開放感のある作りになっている。
「昨日帰ってきた。明後日また出かけるからまたしばらく来れないけど帰ってきたらまた立ち寄るから」
「忙しいのね。次は何処?」
「エッシェに森林浴。……なあ、神官竜って役職は必要なのか?」
フィルがポロリと零した疑問に、エマが首を傾げる。
「神官竜?」
「あ、いや……うん。王様が神官竜を更新しようって言い出して」
エマは頬に手を当て、暫く考えてからポツポツと話し出す。
「本来は、いないよりは、いた方がいいと思うけれど……。象徴としてや、記憶や歴史を集積する存在としてはね、確かにいた方がいいのよ。でも」
エマは一度言葉を区切り、深々とため息を吐いた。
「所詮は国力を誇示するためのものなのよね」
さわさわと通り抜ける昼下がりの微風が場の空気を押し流す。
「知っての通り、竜族は一騎当千の戦力となり得る。けれど、永く生きた竜族はそのような人間同士の争いに加担するような状況を良しとしない。そこで過去の為政者が作り出したのが神官竜という制度なの。神官という役職で大々的に招聘して、いざという時は竜族を戦力として出せるということを周辺国家に示す。実際にそうなるかどうかは別だけれど」
「えーとつまり、他国に対する牽制としての意味合いが強いってことか」
「まあそういうことね」
フィルは粉を挽くようにじりじりと頭を働かせる。
「今回の件が王様の気紛れでないと仮定すると、他国に対して神官竜を呼び戻したとアピールすることによって利益を得るか、損失を防ぐ意味合いが……」
「そうね」
「国の武力を底上げすることによって得られる利益、防げる損失か……」
フィルの脳裏に、幾つかの不穏な単語がちらつく。
「でもまだ、必要に駆られてそういう結論に至ったとは断定できないんでしょう。本当に気紛れかもしれないし、単純に、外交手段として武力を誇示して優位に立つために、という可能性もあるし」
エマの、全くそんなことは思ってもいないであろう発言に、フィルも頷く。
「そうだな」
あの人の性格上、武力をバックに他国に何かを要求するような外交政策など以ての外だし、気紛れにしては話が慌ただしいのだ。公務が立て込んでいる日に朝っぱらから急に呼び出すようなやり方は必要ない。
そう事細かにエマに説明したところで、そのあと有益な話し合いに発展するとは考えづらいし、空気も不穏になる。
フィルは勢いをつけて立ち上がると、エマを振り向いた。
「と、いうわけで。俺もう行くわ。師匠のとこ行かなきゃいけないし」
「そう、忙しいのね。」
「まーね。今回の仕事終えたらまた来るからさ」
エマが吐息と共に長い髪を掻き上げる。
「くれぐれも危険な真似はしないようにね。あなたいつも生傷だらけなんだから」
「俺と見るとみんなそればっかだな」
「あなたの日頃の行いの問題よ」
「わかったって、気をつけるよ」
フィルはエマに小さく手を振ると、神殿を後にした。
フィルの剣の師匠であるハワード・ハーディは前述した通り、エマの父に当たる。現在は王立騎士団の総団長という役職についているが、剣の実力でその地位まで上り詰めた叩き上げの武人だ。
フィルは高くそびえる城壁の外周に沿って歩き、騎士団の詰所を目指す。平時の騎士団の主な仕事は、王城の警護、城下の治安維持、王都の防衛。総団長であるハワードの率いる部隊は王城の警護を担当するため、王城の外壁すぐ側の詰所を拠点としているのだ。
「やあ、フィル」
詰所の敷地と外を区切る木製の柵のところに誰かいる。基本的に詰所には夜間も人が常駐しているため柵に侵入者を阻むような役割はない。ただの背の低い木の柵だ。
「誰だ? 知り合いだったか?」
まずそもそも、明るいブラウンの髪色に覚えがない。こういった色のことをヘーゼルというのだっただろうか。
「いいや、今が初めてさ。でも君、有名人だろう。僕はジャックだ、よろしく」
フレンドリーに手を伸ばすジャックの手を握りながら、フィルは首を傾げた。
「あんた女じゃないのか。ここの入団希望者か?」
ここなら男のふりをしなくとも入れてもらえるぞ。そう続けようとしたところに、ジャックが言葉を被せてくる。
「いやだなあ、僕は男だよ。それに、入団希望でもない。そろそろ剣の稽古の時間だと聞いたので見学に来たんだけど……。まあ今日はいいや、君に会えただけで良しとしよう。またね」
「あっ、おい」
さわやかな笑顔で去ってゆく男装女の姿を引き留めかけたが、最終的に黙って見送った。
「何だったんだ……」
フィルは一抹の疑問を抱えつつも、柵の扉を開けて敷地内の詰所へと向かう。
「お、お帰り、ジャック。ど、どうだった」
黄色に所々赤という、少し変わった髪色をした長身の男が、裏路地の建物と建物の隙間に挟まっている。
「対象と接触はできたけど、うーん、どうして女だってバレちゃったんだろ。てかなんで挟まってんの、早く出てきて」
首を傾げるジャックが、男を隙間から引っ張り出した。
「ひ、ひひ人に見つからないように隠れてたんだよう。あの、えっと、こ、声が誤魔化しきれてないんじゃないかなあ、なんて」
声、声かあ。と呟くジャック。確かに声はどうしようもない。
「こ、この後はどうする……?」
「んー? とりあえず今日は任務完了! 観光でもしようかな。ほら、目立つからフード被って」
フードを被った男は、挙動不審に辺りをきょろきょろと見渡す。
「あ、あ、あんまり人の多いところには行かないようにしようよ。め、目立つから」
「堂々としてれば目立たないって。ほらほら!」
「あ、ああ……。ちょっと、やめ」
男は引き摺るようにしてそのままジャックに連れていかれてしまう。
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