Reload ―再装填
「……」
タクシーでここまで来る間にも、先生は落ち着かなさそうに窓の外を見渡していた。
私は泣き続ける翰川先生を宥めるのに忙しく、また、身を縮めて不安な顔をするリーネア先生に話しかけるのも躊躇われ……
カオスな車内で居心地が悪かったであろうタクシーの運転手さんには、非常に申し訳ないと思っている。
二人の先生が見守る前で鍵を開け、玄関の扉を開く。
「どうぞ」
後ろに立つ二人を促す。
「お邪魔します」
「……お邪魔します」
泣き止んだ翰川先生は凛と背を伸ばして入り、未だに不安そうなリーネア先生は遠慮がちに家に入る。
「……あ」
足元を見ると、靴を脱いでいない。
「えっと……靴……」
「! す、すみません。日本は、靴を脱ぐんでしたね」
恥ずかしそうにスニーカーの紐を緩める。
「文化は知っているんだな」
翰川先生が呟く。
「何かの、本で読んだことがあった……ような」
「本か。やはり知識は失わないんだな」
「え……あの」
彼は翰川先生との距離感も忘れているようで、非常に困惑している様子が見て取れた。
……表情の薄い彼から様子が見て取れるのは奇妙だ。
「と、とりあえず! 中に入りましょう」
私はリビングへと続く中扉を開けて手招きした。
この重苦しい空気を変えたくて。
リーネア先生が私:三崎京を引き取り、札幌で暮らすことになった経緯をかいつまんで説明する。
普段の彼であれば、何らかの説明がなされるというときは必ず質問の二つや三つを挟むはずなのだが、それもない。
説明を終えると、渋面を作った彼が沈んだ声で呟く。
「教導役……」
「そ、そうです。……検査に受かった子どもに、神秘の取り扱いを教える先生です」
「年頃の女の子と同棲って……そんな。……迷惑ですよね。すみません」
先生が引き取った当時の私は精神がほとんど壊れていたから気にせずここまで来たが……同居している今になって『特殊な状況である』と認識した。
「僕は何でそんなことを受け入れて……?」
「リーネアが、とっても常識人……」
翰川先生は未だに恐慌の中にいるらしい。
思えば、私はリーネア先生のことをほとんど何も知らない。
私にとっての彼は、優しくて頼りになる先生。
翰川先生には違った顔も見せているのかもしれない――常識的な振る舞いを見せただけでも、彼女にとって混乱するに足るほどのギャップがあるのかもしれない。
大人しい彼を見ていると……別人のように見えてしまう。記憶を失くしても、彼は彼のままであってほしかった。
これでは、性格が入れ替わったようではないか。
「僕はどんな人間だったんでしょう……?」
非常に答えづらい質問が出てしまった。
『ライフルや手榴弾等の現代兵器を虚空から引っ張り出し、あまつさえ一般人につきつけていました。特技はサバイバルと暗号解読です』
……言えない。言えるはずがない。
「紛れもない天才だ。ちょっと暴走するところもあるが、基本的には優しくて面倒見のいいひとだよ」
翰川先生のおかしな人物評価に救われる時が来るとは。
「ぼ、暴走。どういうふうな……?」
「人を反射で殺しかけるところ」
ああ……彼女は素直な人なんだった……
「『ちょっと』じゃないんですけれども」
リーネア先生がちょっと涙目。
なんだか新鮮な気持ちになってしまった。
「えっと」
「あ……なんでしょう?」
私を見て呼びかけた彼は、目が合うと困ったように指すさびし、やがておずおずと口を開いた。
「京さん、は……僕と暮らしていたんですよね」
「……はい」
「あっ、もちろん、先ほどのお話は聞いて……わかっているんですが。念のための確認というか……」
「?」
「……京さん、僕はあなたに何か……傷つけるようなことだとか、やましいことを」
「先生はしてません。されてもいません」
私が彼を恐れていないことがその証明だ。
「でも、僕は男ですし……二人暮らしなんて嫌な思いを――」
「そんなこと! ないです‼」
恐れたことも、嫌だと思ったことも、一度もない。
彼が居なかったら、私は笑うことさえできなかったのだから――
「ぜったいにないんです……」
記憶のない彼にとって、いきなり泣き出した私はどう映るのだろう。
だが、私にとって大切な人を、たとえ本人からだとしても否定されたくなかった。疑われるのも嫌だ。
「確かに、先生は非常識なところもあるし、あっさりとバイオレンスですけどっ、優しい人なんです。勉強教えてくれるし家事も教えてくれるし……私が悩んでたらすぐ気づいて支えてくれるし……!」
「…………」
「お、お兄ちゃんみたいだなって……思ったりも」
お兄ちゃん。私の――じゃなくて。
泥沼にはまる自分の思考を何とか保って、記憶のない彼に彼の人間性を訴える。
「つまりは。私はそれくらいに先生のことが好きで、尊敬しているんです。……今も不安なのに、私のこと気遣ってくれて」
血縁でもない私が、脅されて同居しているのではないかと心配してくれた。
「今でも、先生は先生です。優しいまま変わってない……」
彼はしばし沈黙し、深々と一礼した。
「ありがとう、京さん」
「どうい……たしまして……んっ」
気づけば、隣に座る翰川先生が涙を拭ってくれていた。
緊張が解けたらしいリーネア先生は微笑ましそうにしている。
「仲良しなんですね」
「えぁう……」
「うむ。僕と京は仲良しな友達だぞ!」
「はわ――――⁉」
混乱する私に気付かず、翰川先生は言葉を続ける。
「記憶を失う前のリーネアとも仲良しだ。……良ければ、今のキミとも仲良くしたい」
「……」
「?」
「い、いえ」
彼は赤い顔で呟く。
「あんまりお綺麗なので見惚れてしまって」
「はわ――――⁉」
「ああっ! し、しっかりしてください翰川先生‼」
未だ赤い顔の翰川先生。
「リーネアは、いつも、口説く……僕だってお姉さんだから、お姉さんなのに……」
お姉さんらしくあろうとしている翰川先生だが、彼女は致命的に誉め言葉に弱い。
森山くんやミズリさんなど、彼女を躊躇なく褒め称える人との会話を見ていれば……なんとなくわかる。
褒めた挙句に放置する癖は記憶がなくても変わらないようで、彼は私に話しかけてきた。
「あの……リーネアって僕のことですよね?」
「う、うん」
「……言い出すタイミングを逃してしまって。すみません」
「あっ、大丈夫ですよ! 説明してなかった私たちも、不親切でしたよね」
いつもの感覚で呼び続けてしまった。
現時点では本名でさえ初見の彼にとっては、不安材料だっただろう。
「いえ。……大丈夫です」
彼は息を一つ吐き、表情から不安を消した。
切り替えの上手さは変わらない。たとえ別人のように見えても、よくよく観察すれば元の彼の面影も残っている。
誰よりも心細いのはリーネア先生本人。
今度は私が支える番だ。
ぐずぐずと『今すぐ思い出してほしい』と思ってしまう自分を叱咤して立ち上がる。
「まずは、先生のお部屋に案内しますね!」
いくら別人に見えようと、元はパーソナルスペースが狭いリーネア先生だ。
先に安全地帯に案内しよう。
「よろしくお願いします」
「はいっ! ……あの。翰川先生、大丈夫ですか?」
「あと5分……」
涙声なので、先に先生を案内することにする。
「……落ち着いたらまた。待ってます」
「りょう、かい。がんばる……」
部屋に向かうついでに、キッチンなどの設備も案内する。
「リビングから見えてたと思いますけど、ここがキッチンです。私に断らなくても、喉が乾いたら飲み物をとっていいですし、もちろん何か食べても大丈夫ですよ」
「さ、さすがにそれは、無遠慮では……」
「大丈夫なんですっ」
「……お言葉に甘えて」
「廊下のドアの手前が洗面所です。奥の扉はお風呂場」
「え……と」
「先生用と私用とでタオル等お風呂用品が分かれてて、オレンジの箱の方がリーネア先生のです」
「髪の色ですね」
「はい」
「すぐ隣のドアはトイレです」
「掃除用品は……」
「こんなときくらい、普段慣れた私がやります!」
「ここが先生の部屋です!」
扉は開けずに手で示す。
「……開けてもいいんですか?」
「先生じゃなきゃ開けちゃダメですよ。先生の部屋なんですから」
私は入ったことさえない。
「う……では、お邪魔します……」
緊張した面持ちの彼がドアノブに手をかけた。
実を言うと中を見たこともないので、私も少しドキドキしている。
ガチャリ。
白のラグマットに簡素なパイプベッド。
見える範囲だけではあるが、リーネア先生らしいシンプルな部屋だと思った。
「どうですか?」
何か思い出せることはあるだろうか。
「……。まずは、入ってみます」
「どうぞ」
ドアの側から退いて、先生に道を譲る。
「うわっ⁉︎」
「――先生っ⁉︎」
驚きと恐怖に染まった彼の悲鳴など聞いたことがない。
追いかけて部屋に入ると、壁側のテーブル上のライフルに驚く彼の姿があった。
ちょうどドアの死角になっていたから、いきなり視界に飛び込んでびっくりしたのだろう。
「どうして家の中に銃が……?」
「記憶を失う前の先生が、置いてたんです……」
彼の愛用する銃のひとつ。中でもお気に入り。
「えっ……も、モデルガンですよね?」
本物です。
答えるかどうかで迷っていると、ぱたぱたと足音。
「悲鳴が聞こえたが、何があった⁉︎」
「復帰したんですね翰川先生!」
「って。ただのライフルじゃないか」
ほっと息をついた。
「お、驚かないんですか⁉︎」
「……リーネアが常識的すぎて怖い……」
「翰川先生……」
本当に打たれ弱くて、こんな状況で不謹慎ながらも可愛い。
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