Amnesia ―?
翰川先生が戻ってくるまでの間、私はアリスさんとお話ししていた。
「アリスさんは外科医さんですか?」
「私は万能でね。どこの科だろうと名医だ」
自慢するようでもなく自然な調子で言ったので、それは事実なのだろう。
「そうとなれば人手不足な分野に回らざるを得ないのは世の常だ。今は主に異種族の患者に対応している」
「確かに、難しいですもんね」
外見は同じでも体の仕組みが人間と違う種族もいるし、特殊な体質の種族など3桁でも足りないだろう。
医療現場は、過去の症例の積み重ねから治療法を見出す面が大きい。症例が少ない異種族が病院に駆け込んできたら、臨床で治療法を見つけていくしかないのだ。
「こちらに来たのは、異種族対応を迫られる部門での交流会に参加するため。厄介な入院患者が居るというのでアドバイスをしてきた」
「凄い……」
「本拠地は東京だ」
アリスさんは白衣の上からでもわかる立派なサイズの胸を張って告げる。
「私は気遣いも出来る出来た女だ。あの弟ならば、貴様の知りたいことを全てわかり切った上で勝手に情報を投下していくことだろう。私は適宜調整することが可能だ」
「あんまり変わらないと思います……」
「なぜだ」
彼ら彼女らが話の展開を読むのは無意識のことらしい。
アリスさんが目を細めて私に言う。
「さっきは、患者がリーネアだったから軽く説明したがね。頭への衝撃、ましてや意識を失うほどのものなんて、常人なら一発119番だ。甘く見るなよ素人娘」
「はっ、ひゃい!」
返事の発音が崩れたのは頬を両手で挟まれたからだ。
「それが。なに? 『救急車と病院が怖くて119番出来ないんです! 助けて翰川先生!』だと? ふざけてるのか貴様?」
「う、あ」
怒られて叱られて当然の振る舞いだった。
指摘されて言葉に詰まる。
「……私……リーネア先生に、謝らなくちゃ……」
「リーネアは貴様が心配して起こした行動に感謝こそすれ、自分のミスを棚に上げて怒るような奴じゃないよ」
「……」
「もっと信頼してやっておくれ」
彼女の目と声音はとても優しい。
「京のトラウマも大体わかってる」
「んぁふ」
頬を引っ張られた。
心の底から案じてくれているとわかる表情が、秀麗な顔立ちが……視界いっぱいに映る。
あまりに綺麗で息をのむ。
「今回に限っては仕方なかった。たぶん、お前は、親しい人間に救急車を呼ぶ事態になったら……混乱して動けない」
「…………」
この人は私のことを知っているのかもしれない。
「でも次はないよ」
「んっ」
指が離れる。
「私のような頼れる医者もいる。不安があればお前がついてきて直に私たちを見ればいい。そうだろう?」
「……はい!」
「よし。いい返事」
「入っても大丈夫かなー?」
翰川先生の声が聞こえた。
「構わないよ。おいで、ひーちゃん」
「了解した」
入ってきた翰川先生はペンギンバッグからペットボトルを出してくれた。
「ただいま!」
「お帰りなさい。ごちそうになります」
「お帰り。買ってきてくれてありがとう」
「うむ。……リーネアの診察はいつ終わるのかな?」
「個室に移す予定になってる。あれは目を惹くからね」
「……だな」
「移動が終わったら私に連絡が来るから、一緒に病室まで――」
アリスさんの白衣のポケットから、ぴぴーっと小さな音が鳴る。
苦笑して私たちを見る。
「……鳴ったね。行こうか」
「了解」
「はい。……あっ」
休憩室から出てすぐ、ふと思い至った。
「?」
「えっと……」
アリスさんはお見通しなようで、柔らかい笑顔で私の肩を軽く叩いた。
「行っておいで。そこまで急がないから」
「はい」
近くのWCマークを目指して少し駆け足する。
――*――
「キミとしては、京はどうだった?」
「強烈だ。それこそリナリアに迫るダブルスタンダードだぞ、あれ」
「む……やはりそうなのか」
アリスが登場して空気が変わるまでの間、京は取りすがるような目で僕を見ていた。
彼女は、リーネアに、誰かを――限りなく親しい誰かを重ねているらしい。
「……どうすべきなんだろうな」
「ひーちゃんが本腰を入れれば、原因は解明しきるだろうけれどね。あまり踏み込むものではないよ。私たちは人外だ」
「……」
「人の込み入った事情を土足で踏み荒らすのは良くないこと。……出来るとしたらまたもリーネアくらいのものだね」
「?」
彼に精神面での特殊能力はないはずだが。
「そうじゃない。教導役には、教え子の人生を滅茶苦茶にしかねないほどの権限があるからだよ。神秘の教え方によってはほぼ洗脳のように……そういう事件を聞いたことは?」
「たくさん……」
異種族の中では比較的表舞台にあがっている僕の元には、教育機関や医療機関などから『教導役を変更したい』という相談がメールで寄せられることがある。
僕は別に教導役の割り振り担当ではない、しかし、僕に頼んだ方が速いのだ。
魔術方面への顔の広さではシェルが断トツなのだが……彼は気難しいしメール見ないし電話は着信拒否するし。
パターンはレアなアーカイブなので専門施設に紹介しようにも紹介状が居るし。
他のアーカイブに至っては全世界で10人にも満たないものもあるし……
僕はそういった機関にとりまとめて連絡できるので、仲介役になっている。
……アーカイブの暴走で事故を起こし、問題児として施設送りにさせられた児童などの情報も目に入る。
教導役が正しい扱いを教えなかったせいだったのに、その児童が悪いかのように書かれていて……
「ああ、ごめんごめん。完全記憶とは不便なものだ。怒りも薄まらない」
「だって悲しい」
「そうだね」
彼女はため息をついて遠い目をする。
「そういった制度を考えるなら兄様たちが向いてるんだが、あれらが腰を上げるとは思えなくて」
兄様とは、悪竜兄弟の4番と5番を指している。その二人は“社会”を設計するのが上手いらしい。
僕は規模が違い過ぎる彼らには出会ったことがない。
「キミは天才なのに?」
「……真っ直ぐな目って意外と心に突き刺さるね。私が作ったものは駄目だ。あそびがないから息が詰まってしまうよ」
「難しいな」
「そうだね。難しいや」
――*――
「すみません、お待たせしました!」
お二人に頭を下げる。
「気にせず」
「キミは本当に律儀で可愛いな」
「っ……」
褒められると照れて固まってしまう。
「リーネアの病室は2階の端だそうだ」
階段を登って2階へ。
小声で話しながら、病棟の東端に向かって歩く。
「もう少し様子を見て、何もなければ帰れるよ」
「はい。あの、先生は起きて……?」
「実を言うと、キミが休憩室に居た間もぼんやり起きては眠っていたそうだ。今頃はきちんと目覚めていると思うよ」
「……ありがとうございます」
「寝不足もたたったんじゃないかな。仕事も大詰めだったし、講義の準備もあるし」
「なるほど。睡眠をとれと言ったのに……説教だな」
前を歩いていたアリスさんが足をぴたりと止める。
いつの間にか東端に到達していた。
アリスさんは、ドアをノックして声をかける。
「リーネア。起きてるだろう?」
答えは沈黙。
「3秒以内に返事がないので開けるよ」
彼女も強引なタイプらしく、返事を待たず3秒で扉を開けた。
リーネア先生はパーソナルスペースの侵入に敏感だ。どれだけ激怒することか考えるだけで恐ろしい。
「あわわわ……」
「アリスは天才ゆえの暴君だから……リーネアも知っているよ。怒らないさ」
翰川先生に促されて、病室に入る。
リーネア先生は入り込んできた私たちをじっと見ている。
「気分はどうかな?」
アリスさんの問いに、困惑したような表情で答える。
「……大丈夫です」
『です』?
「……あの。あなた方は、どなたでしょうか……?」
『でしょう』⁉
「リーネアが狂った! どうしよう……⁉」
「あっさりとひどいです‼」
私も泣きそうなのに!
彼は『敬語とかよくわかんねえ』と豪語し、どんなときであろうとデフォルトは仄かに面倒くさそうな無表情。
人を気遣っておずおずと敬語を使うリーネア先生なんて、リーネア先生じゃない‼
二人して泣いていると、アリスさんが呻く。
「……えっとね……お嬢さん方、ちょっと向こう行って。椅子座って落ち着きなさい。深呼吸して」
壁際に並んだ椅子を指さした。元は見舞客用のパイプ椅子だ。
「ううう、アリスぅ……怖いよぉ……」
「ひーちゃん、相変わらず変なところで打たれ弱いね」
自分より混乱している人を見ると、少し冷静になれた。アリス先生に取りすがろうとする翰川先生を連れて椅子に座る。
「あ、あの?」
困惑した様子のリーネア先生に、アリス先生が咳払いしてから話しかける。
「んっんん。……気にしないでいいよ。あの二人は、まあ、友達みたいなものだから」
「……」
「私はアリス。お前のことを任された医者だ」
「あ……初めまして」
彼は演技ができない。嘘もつけない。
ということは――本当に記憶喪失なのだ。
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