再開の味は苦しくて……

「…………」

「………………」


――カタカタカタカタ


(き、気まずい……)


 フリー着任初日。

 自身のバディである『C』との初顔合わせなのだが……。


「ねぇ、キャシー……」

「何度も言わせないで、私はそんな名前じゃない」

「けど……」


 昨日のパワフルな元気は完全に萎れてしまい、フリーは項垂れてしまっていた。

 それは目の前にいる同じくらいの背丈の少女、『C』が原因だった。



――十分前



「本当は事務所で顔合わせの予定だったんだけど、早朝に『C』は出勤してたみたいで技術開発室に籠もってるみたい。悪いけど、そこで顔合わせと署名をもらってきてくれる?」


 ベルにそう言われて、フリーは技術開発室の前までやってきていた。

 筋肉馬鹿もとい、体育会系のフリーにとってこういうインテリジェンスの高そうな場所はどうにもむず痒い。

 そして、こういう場所を根城にしているという『C』もまたインテリ系なのだろうと想像がつく。


「デイ先輩みたいなノリの人だと嬉しいんだけどなぁ……いや! 考えていても仕方ない気合だ、気合! すーーはーー、よし!――失礼します!」


 『技術開発室』という字面から迫ってくる心理的に重たい扉を三回ノックし、気持ちを後押しすべく目を閉じながら体重を乗せてゆっくりと中に入る。


「今日より正式配属になりました! 『F』フリー=グラスですよろしくお願いします!」


――カタカタカタカタ


(…………あれ?)


 レスポンスがやけに遅い。

 恐る恐る開いたフリーの目に飛び込んできたのは作業着、そして、その上に羽織られている白衣。

 白衣の袖からほっそりと伸びている細い腕は滞ることなくPCのキーボードを打ち奏でている。

 そんな肌質にフリーは見覚えがあった。

 スレンダーな腕とは対照的にその肌は日焼けしたようにこんがり小麦色、それでいてキメは細やかであることから、紫外線によって焼かれているわけでないことがわかる。

 まさか。と思いながらも、その顔を確認する。


「……っ!? キャシー……?」


 その名を思わずフリーが口にした瞬間、打鍵していた指の動きが止まり、カタカタの演奏は一斉に止んだ。

 少女は顔を起こしPCの画面からフリーに目線を移動させた

 黒く長い髪を一本の三つ編みにし、翠の瞳を覆うように四角いフレームの眼鏡を掛けた褐色の少女は、確かにフリーがよく知る学生時代の親友キャシーだった。――ただ一箇所を除いて。


「……私はそんな名前じゃない」


 引っ込み思案で目立つことが苦手で、それでいて、猫のようにマイペースで穏やかで聡明だったキャシーは落ち着きのないフリーをまるで妹を見つめるような姉のような目をしていた。

 今のようににフリーを睨むような冷たい目などしていなかった。


「嘘、キャシーだよね? 私だよ、一年ぶりだけど三年間ルームメイトだったじゃん」

「私は『C』、技術開発室室長、コール」


 たった一年で人はこうも変わってしまうものなのか。

 姿こそキャシーそのものだけれど、まるで温かさを感じない。


「忘れたの? ここは『ノーバディ』よ。アナタの知るキャシー・ネルソンは死んだの」


 それが彼女、コールが言わんとしていることの全てだった。

 キャシーという存在は、あくまでもコールが業務を達成するための仮の姿でしかなかった。

 三年間、ずっと親友だと思っていたあのキャシーは偽り、幻想でしかなかったのだと、彼女は言っているのだ。


「……私はアナタを、アナタだけを絶対に忘れないようにずっとコレを持ってたんだよ」


 今日もフリーの髪には猫を象ったヘアピンが付いている。

 学生時代に贈りあった宝物。


「感心しないわね。前の顔に関する所持品はどんな些細なものでも廃棄しなさい。ノーバディが持つただ一つの正体にたどりつく足がかりになってしまうわ」


 コールの髪にはフリーから送ったヘアピンは付いていない。


「アナタが来た場所はそういう場所よ。今更、引き返すことなど許されてはいないけれど」


 感情を失った声でそう告げたのちコールはPCに向き合い作業を再開してしまった。

 フリーはあまりの無情さに声を失い立ち尽くしていた。

 自身とキャシーの間に感じていた友情は、コールによって作られた偽りのものであったと、自分かかけがえのないモノだと信じていたものは嘘だったと、残酷にキャシーだった者に告げられ、底なしの明るさやポジティブさを持っているフリーをして、その傷は深かった。


「ねぇ、キャシー……」


 もしかしたら、偽りの中にほんの少しでも真実があったかもしれない。そんな一縷の望みに掛けてかつての二人の話をしようとフリーは切り出した。


「何度も言わせないで、私はそんな名前じゃない」


 しかし、コールはそんなフリーを遮り、聞く耳を持とうとしない。


「けど……」

「そんなところで立ち尽くしている暇があるなら、ソレをさっさとベルのところに持って行って、自分の仕事をしなさい」


 ベルは画面から目を逸らさず片手でソレを指差す。

 それはバディ登録用紙だった。

 そう言えば、フリーはこの紙を持ってきてはいなかった。


「ベルから話は聞いていたから、ここに来るときに事務所で拾って書いておいた。分かったら行きなさい」

「うん……わかった」


 もはや、何も言い返す気力もないフリーは言われた通り登録用紙を手に取り、開発室を後にした。



「……何もわかっちゃいないのよ。アナタは……」

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