ある勇者の冒険譚⑦

「一気に話を進めてみたけど、どうかな?」


 元勇者はちょっと照れくさそうに話す。


「悪くないな。道中こまごまと思い出話をされたらさすがにストップしようと思ったが、ダイジェストなら問題ないんじゃないか」


「それは良かった」


 安心したのか、いつの間にか誰かが追加してくれたビールのジョッキを手に取ると、喉を潤すために半分くらい一気に流し込む。


 今日はちょっと調子がいい感じがする――元勇者はまんざらでもなかった。


「勇者様……ちょっとよろしいですか?」


 不意に、今まで少し離れたテーブルでこちらの話を興味深そうに聞いていた学者然とした神経質そうな男が元勇者に声をかけてきた。


「ん? なんだい?」


「勇者様の話に出てきたリリアという魔法使いなのですが、あのリリア様のことでしょうか?」


「あのリリア様が僕の話しているリリアのことであれば、あのリリア様だと思う」


「あぁ、すみません。リリア様は我が国の宮廷魔導師として国防を担っていただいているのですが、勇者様のお話の中のリリアという魔法使いが、どうも同一人物のような気がして」


「ゴメン。僕、冒険が終わったあとは仲間たちと連絡を取っていないから、彼らが今何をしているかはまったくわからないんだ。参考にならなくてゴメンね」


「いえいえ! こちらこそ突然割り込んでしまって申し訳ありません。……少し、気になったもので」


「気にしなくていいよ。もしかしたら、同一人物かもしれないし」


 元勇者はペコペコ謝る学者然とした神経質そうな男に、もう謝らないでいいよ、というジェスチャーを送る。


 たしかに元勇者は冒険中の仲間たちと連絡を取ってはいない。なので、仲間たちが元勇者と別れたあとにどんな人生を送って、どんな活躍をしたのか、また隠居して静かに暮らしているのかはよくわかっていない。


 一緒に過ごした時間は長いが、大きな問題が解決してしまえば、意外とこんなものなんだろう。元勇者はそう思っていたので特に気にはしていなかった。


「そう言われると、私も昔の仲間とはあまり連絡取っていないわね。みんな、どうしてるかしら」


 元遊び人と思しき女性も顎に手を添えて小首を傾げて、うんうんと唸っている。


「なんだかんだ仕事仲間って感じだから、冒険が終わっちまえば皆故郷に帰ったり、別の仕事をし始めたり、そんなもんだよな」


「そうね。ひとりだけちょっと前に話を聞いたときは、元商人のクセに商売じゃなくて政治家になったとか言ってたわね。あの頃からお金にガメつかったけど、政治家になってがっぽり儲けようとでもしたのかしら」


「政治家が金に汚いみたいなイメージが甚だしいな」


「えっ……そうじゃないの?」


「いや、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。結局は人によるだろ」


「そういうものかしらね」


 元勇者は仲のいいふたりのやり取りを観察して、過去の仲間たちが今頃何をやっているのかがちょっとだけ気になった。


 あえて干渉しようとも思わないけど、ひさびさに会ったら何を話すのがいいんだろう、とちょっと考えた。そして、あんまり話したくないなぁとも思った。


「みんなそれぞれの人生をちゃんと生きてくれればいいよね」


「そうだな」「そうね」


 元勇者のつぶやきに、元戦士風の男と元遊び人と思しき女性の声が重なった。


 ははっ、元勇者がその様子を見て声を出して笑った。ガハハ、フフッ――ふたりも感情を揃えた。


「僕の昔話はクセもあってかなり長くなっちゃうけど、みんな飽きない?」


「今のところは特に飽きていないわ。むしろ、もっと聴きたい」


 元遊び人と思しき女性はいつも元勇者に肯定的だ。最初から好意を持ってこのテーブルに寄って来たから当然といえば当然の反応かもしれない。


「マスター! ここに今日のオススメ持って来てくれないか!」


「おう! ちょっと待ってな!」


 元戦士風の男が、厨房の奥にいる居酒屋『冒険者ギルド』のマスターに追加オーダーを出した。


 マスターは店長でありギルドマスターだ。


 店員はあくまで丁寧に接している幹部という設定なので、はたから見れば店員とお客の関係に近い。けど、マスターだけはタメ口かつ偉そうにしゃべることを是としている。


「オススメは刺し身になるけど、勇者は生魚大丈夫か?」


 マスターが厨房の奥から声だけで念のために確認してくる。


「問題ないです!」


「わかった。ウマいもん食わしてやるから、ちょっと待ってろよ」


「はい」


 店内に入ってから一度も姿を見ていないので、元勇者はマスターの姿を勝手に想像していた。


 長身でガッシリとした体つきなのに、ちょっと猫背で愛嬌のある顔をしている。普段はニコニコしているけど、いざというときはギルドメンバーを守るために鬼の形相で敵対するものと戦う。


 頼れる背中は猫背であることを忘れるくらい大きい。かけられる言葉はいつも暖かく、この冒険者ギルドは冒険者たちの自宅のように感じられ、辛く大変なことがあってもギルドに帰ってくればホッとしていつのまにか不安も疲れもどこかへ飛んでいってしまう。


 そんな居場所を作ってくれる大きな存在。そんなギルドマスターなんじゃないかな、と。


「あったかいなぁ」


「ん? 店の中暑いか?」


「いや、なんでもない」


 元勇者は自分の妄想が照れくさくなった。別に今の環境で居場所がなくて困っているとかそんなことはまったくないのに、この居酒屋『冒険者ギルド』を一瞬ホームのように感じてしまった。


 今日初めて来たばかりだし、妄想マスターは結局妄想のままだし、なぜ急にそう思ってしまったのかはよくわからない。


「お待たせしました!」


 思考の深みに入りかけた元勇者は、明るい声でとんでもなく大きな皿を運んできた女性店員を思わず見上げてしまった。


「デカい……」


 十人前くらいありそうな大皿にキレイに盛り付けられた八種類の刺し身の盛り合わせに、思わず息を呑む。


 とても丁寧な仕事だ。あの短時間でよくこれだけの量を用意できたものだ。


「ウマすぎて腰抜かすんじゃねーぞ!」


 厨房の奥からマスターの声が聞こえてきた。なんだかとてもうれしそうな響きだ。


「いつもはこんなに気前が良くないのに、元勇者となったらコレだ。マスターも現金なもんだな」


「オイっ、聞こえてっからな!!」


「いや、悪気はねーよ」


「ダメだ、マスターを悪く言うなんて、お前はあとで説教だからな!」


「……マジか」


 このやり取りでわかったのは、マスターは本当にギルドマスターをやっているということだ。


 この店に入れば、みんながマスターの元に集まったギルドメンバーなのだから、ギルドマスターに逆らったらそれはあまりいい目には遭わない。


 なんとなくのやり取りも、マスターの目に留まれば褒められるか怒られるかのどちらかになるっぽい。


 元勇者はなんとなく最初から気に入られ、他の元冒険者は馴染みであればあるほどマスターから怒られる確率が高くなるという状況に思える。


「おもしろい場所だね、ここ」


 元勇者は店に入ってきたときよりもうんと気分が良くなっていた。お酒のせいもあるだろう。おいしい食事が次々と出てくる感動もあるだろう。


 何より、みんなたのしそうにしているし、みんなが元勇者の話にとても興味を持って聴いてくれている。


「これは、オチなしの話をしたらみんなにキレられる気がしてきたよ」


「うん。キレるんじゃない?」


 元遊び人と思しき女性のあっさりとした首肯に、元勇者は軽く戦慄した。

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