2ー17

 ハラリエルは時計塔から、ルシラの蹂躙じゅうりんを見ていた。

 片手を失った少年を容赦なく、それこそ機械のように冷徹に彼女は追い詰めていった。純粋な魔力では及ばないみたいだが、その技術でもって的確に詰める。

 目まぐるしくステップをふむため、必殺の杭が当たることはなく。石でできた剣は鋼鉄の剣に捌かれてあらぬ方向へと弾かれる。

 時折不意を狙ったようにとんでくる石の塊は、ルシラの灼熱の炎が燃やし尽くした。


「いやあ、それにしても酷いものだねえ。子供だというのに、まるで遠慮がない。怖いったらありゃしないさ」


 などとハラリエルは苦笑いを浮かべたが、ルシラがあそこにいるのは実はハラリエルの助力のおかげである。


 裏路地の入り口に立ったルシラは、入る直前になって時計塔の存在を思い出し、行き先を変更していた。

 おかげで長い階段を二時間もかけて上るはめになってしまったが、天井に着いた彼女は町中を見渡しキズタを探していた。彼女自身、千里眼を使うことはできるのだが、ハラリエルのそれよりは数段劣るため、遠くは全てハラリエルに任せていた。

 そして、大きな杭が生じ、布が外れたことによりキズタの場所が割り出せたわけである。

 それからは速かった。ルシラは魔力で自分自身の身体をコーティングすると、ハラリエルにあそこまで飛ばすように頼んだ。

 請け負ったハラリエルは、ルシラの足元に魔力を流し込んで、それから爆発させた。原理としては、朝、ルシラがキズタの部屋に入り込んだ時に行った魔法と変わらない。ただ、『人間族ヒューマン』と『有翼族エンジェル』では、保有している魔力に差があるため、その威力は段違いである。

 結果、ルシラは普段とは比べものにもならない速度で、キズタのもとに駆けつけることができたのだった。



 『人間族ヒューマン』で唯一火属性魔法を使うルシラは、その燃え盛る剣を煌めかせていた。


「クソ! 何だよ! どうして、そんなことができるんだよ!?」

「そりゃあ、オレが一ノ国オリジックで洗礼を受けたからに決まってるだろ? つまんねえこと、聞くなよ」


 そう言いながら、彼女はカイの剣を払った。岩という素材で創られているため、その剣はひどく重いはずなのに、彼女はいとも容易く払う。その表情はとても涼しそうである。

 対してカイの表情は険しかった。

 炎剣で肘から先を切断されたため、傷口は出血こそしていないが、真っ黒に焦げてしまっている。痛みは想像を絶するだろうし、そもそも利き腕を失った彼に勝機などは存在しない。死という逃げられぬ定めに抗おうと彼は必死だった。


 生きることに必死だった。


 でも、戦況から見てカイの生命がもうすぐで潰えることは明かだった。どうあがこうとも、死が確定しているように思えてならない。


 そして運命の瞬間はやってきた。

 少年の剣は大きく弾かれ、左の握力だけで掴み続けることのできなくなり、そのまま手を離してしまう。急いで次の剣を創造しようとしたが、今からでは間に合わない!

 胸元を穿とうとするその剣先は、人一人を絶命させるに十分な能力を持つ。

 逃れられぬ運命がカイを呑み込まんと迫った瞬間、彼は誰かに背中を押された。


「え?」


 という声が自然と漏れていた。

 一瞬前まで彼がいた場所に、他の少年がいる。

 仲間は優しく微笑みながら、それこそ満足ですとでも言いたげに、胸を突き刺された。ボロボロな茶色の布がにわかに黒く染まっていく。すでに事切れていることは明白だった。


「な、なんで……?」


 戦闘中だというのに、一瞬の油断が命取りとなるというのに彼は震える口でそんな言葉を紡いだ。

 本当に意味が分からなかった。仲間に見捨てられることがあっても、庇われることがあるなんて思ったこともなかった。

 だって、カイは仲間を利用していたのだから。自分の生を実感するために、常に仲間に負担を強いていた。集団の輪は乱していたし、大事なことも全て独断で決めた。だから、人は離れていくことがほとんどだった。

 困惑するカイを、ルシラは哀れみの目で見ていた。


「あいつも、こんな表情をするのかねえ」


 とある少女のことを思い出すと、思わずそんな言葉を零してしまう。失言だったとばかりに彼女はカイの眉間に剣先を合わせたまま問うた。


「まだ続けんのか? オレとしては、少年を回収できた時点でもう用はないんだ。大人しく返してくれるんなら、見逃すこともやぶさかじゃあない。言っている意味分かるよな?」


 けれども、彼はギロリと彼女を睨みつけただけだった。


「ハッ! 誰が、お前なんかの施しを受けるかってんだ。こっちは腕一本もってかれてんだぞ? 少なくとも代償は頂いていくぞ?」

「……その先は、きっと悲劇だぜ? それでもいいのか?」

「悲劇? そんなの、知らないね!」


 先程の光景を忘れたように、否、忘れようとしてそのような見栄を張った。


 事実、それがなければ彼は純粋にそう思っていただろう。

 今までの人生の中で辛い思いや苦しい思いはしたが、それは全て彼が今生きているという実感へと換えられた。ゆえに、痛みや苦しみは薪であったのだ。自分という人間を稼働させるための燃料だ。

 今更、目の前の女のいう悲劇などあるはずがない。あったところで、それは全て生きる糧になる。自分の身は果てようとも、最期は生きているという実感のもと幕を閉じるだろう。


 そうなるはずだった。


 でも、目の前の出来事は惨劇だった。悲劇を超えた惨い何かだった。


 ルシラの振り下ろした剣は、直後割り込んできた子供を切り裂いた。切り裂いて割れた場所からは血が止めどなく溢れ、目は光を失う。でも、その子は倒れない。


「……これじゃあ、オレが悪者みたいじゃねえか。あー。だから嫌だったんだ。人を殺さなくちゃあ、ならなくなってしまう」


 そう言いって表情を歪めながらも、彼女の剣筋は狂いなく子供の胸を貫いた。誰もが致命傷だと認めざるを得ない場所へと正確無比に差し込んだのだ。

 だがそれで終わらなかった。

 『ライトニング』は、大きく分けて二つの行動に出た。一方は、蜘蛛の子を散らしたように逃亡し、もう一方はカイのために立ち上がった。数十人の取り巻きは、十人以下にまで減ったが、それでも十人近くも残っている。


 残った者達は、ばらばらになりながらも、彼の逃げ道を作るために、ルシラへ立ち向かった。

 さながら、最期に散りゆくあだ花のように、彼らは鮮血を舞わせながら一様に絶命していく。そこには無駄なんてなく、彼女はわずか一突きで生命を刈り取っていった。


「逃げてくれ!」と仲間が叫んだ。でも、カイはその惨状から目を離すことができない。散りゆく全ての仲間達を見届けていた。

 義務どころか、そんな資格すらないのは彼自身分かっていた。でも、身体はそこに縛られてしまったように、動こうとしない。

 カイ一人殺すはずだった殺人は、気がつけば殺戮へと変貌していた。


 彼は口が震えていて、何も言葉にすることができない。

 頭の中が真っ白で、心の中はぐちゃぐちゃだった。今までで感じたことのないような、憎しみが心の中で渦巻き、視界が歪みだした。

 自分が泣いているのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。


「な、なんで……? どうして?」


 ようやく紡げたのはそんな要領の得ない台詞だった。

 カイには、仲間達がどうして自分のために命を捨てたのか一向に理解できなかった。恨まれるようなことに心当たりがあっても、救われるようなことをした覚えはない。ゆえに、自分自身に彼らの命の価値があるとは思えない。

 いや、それ以前に自分の命以上に大事なものがあることなど、カイには想像したことがなかったし、想像することすらできない。

 カイの視線は無意識のうちに教えを請うように、ルシラの方を見ていた。


「そんなの、自分で考えろ」


 彼女はそう言ってバッサリ切り捨てる。


「あー。やめだやめ。殺してやるとか思ったけど、これは殺さない方がいいな。というか、殺したくなくなったぜ。……理由? 教えてやるかよ。自分で考えろってんだ。生きて、生き残り続けて考えろ」


 落ちていた腕を拾うと、それをカイの腕の切断面に押しつけた。戦意喪失状態の彼はこの急激な接近に対していかなるリアクションも取れなかった。なすがままに腕を差し出していた。

 しばらくすると、彼の腕の周りに青い光が生じる。揺らめいているそれは光と言うよりは炎と言った方が適切だった。まるで、慈悲の光のように火の粉が舞う。


 灰色の空にとけていく蒼炎に目を奪われていたカイは、右手に違和感を覚えた。いや、本来ならそれは違和感でも何でもなく、むしろ自然なことなのだが、今この状態においては例外である。

 そもそも、違和感を覚えることすら異常なのだ。だって、彼の右手は現在切断されていて、何も感じることはできなくなっているのだから。

 でも、地面を触れた時のような冷たい感触があった。指先を自由自在に使えているという実感があった。

 先程まで繋がっていなかったはずの右腕がしっかりと存在していた。


「『浄火』って言ってな。オレの固有魔法なんだが、まあ、要するに命をもとあるべき状態に戻すって感じさ。もっとも、オレ自身には使えないみたいだけどな」


 それだけ言うと、ルシラはきびすを返して仰向けになってぐったりしていたキズタを肩に担いだ。


「すげえボロボロだけど大丈夫か? おっ! 下着まで女物とは、なかなか分かってるな少年!」

「……セクハラだぞ、それ」

「みみっちいな。男なら気にすんなよそれぐらい」


 カイはそんな二人のやり取りを呆然と見ていた。唐突に腕を戻されて心が乱れている。嬉しくはなかったし、悲しくもなかった。怒りはなかったし、安堵もなかった。

 荒れに荒れていてめちゃくちゃになっているはずなのに、頭はぼんやりしていて、全く動こうとしないのだ。

 声をかけようとして、しかし、すれ違っていく二人にどんな言葉をぶつければいいのか分からなかった。


「お、おい!」


 それから後に続く言葉なんてない。そのことをルシラも悟っているのだろう、歩みを止めるどころか緩めることすらしなかった。


「少年。あんまりアイツのこと見んなよ。同情しちまうから止めとけ」


 虚ろな視線はぼんやりと二人を追い続けており、それに気がついた彼女はキズタの目を手で隠した。絶対に見えないよう、しっかりと覆いかぶしている。

 彼女はそのままぐったりと伸びていたフーリアを回収すると、歩いてその場を後にした。


 残されたのは、動かなくなった仲間達とカイだけであった。

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