2-12

 退路はない。

 現状、道という道は全て封鎖されていると行っても過言ではない。建物の上、つまり屋上を退路と見做すこともできたが、未だ使い魔としての感覚を掴め切れていないキズタにはその発想はできまい。

 ゆえに、彼らが行ったのは、一点突破で強引に包囲網を抜けることだった。

 逃げ道がなければ作ればいい。要はそういうことだった。



 『ライトニング』を統べる少年、カイは訝しげに二人が入り込んだ建物を見る。他と変わらず、朽ちたそれはやろうと思えば簡単に壊せただろうが、あえてそうはしなかった。というのも、彼はフーリアをできるだけ殺したくなかったからだ。

 『妖精族エルフ』なのだから、過度な心配をする必要もないのだが、万が一と言うこともある。あの時のように殺すことはしたくなかった。

 別に情があってそのようなことを思っているのではない。彼女には商品としての価値がある。名前は隠されているが、ひどく有名な貴族が『妖精族エルフ』を集めているのだ。要するに彼がフーリアを殺したくないのは分け前が減るからに他ならない。

 普通に金で雇わず、わざわざはぐれ者から招集しようとしている時点で購入された『妖精族』がいかなる運命を辿るのかは察せられる。


 しかし、それはカイにとっては至極どうでもいいことだ。いや、考えて同情している余裕すら彼にはない。今日を生きて、明日へと命を繋ぐことで精一杯なのだから。





 灰色の暗闇の中を張った。空腹で飢えて死にそうになったので、ドロを啜った。お腹を壊して、もういっそのこと死にたいと思った。頭を回しながら道を彷徨い、時にゴミを喰らい、食べたものを全て吐き出した。


 飢えて飢えて、死にたくて。

 でも、この身体は死にたくないと必死に生き延びようとした。


 カイはたまたま目の前に現れた同じような境遇の人間を殺した。人とはこうもあっさりと死んでしまうのかと彼はぼんやりとその死体を見た。手に握った石は血で濡れていて気色が悪い。暖かさが彼にこの人間はまだ死んでいないと告げているようだった。

 でも、気にしている余裕なんて彼にはなくて、ついに人肉を貪った。


 痩せて骨と皮だけになった人間の肉など、味はしなかったし、どころか固くて不味かった。

 ガリガリと肉を喰らい、骨を勢いよく噛んで何本か歯が欠けてしまう。でも、カイは食事を止めようとはしなかった。口から血を流しながら血肉を食み、生命を奪取する。

 久しぶりに何かを食べたことで、死んでいた感覚が蘇ってきた。

 砕けた歯からは、血脈が流れるのに合わせて疼くような鋭い痛みが発せられた。


 ああ、生きている! 生きている!


 誰かの生を奪うことで、その成果からだを喰らうことで生きていることを実感するというのは、傍から見れば狂気に他ならないが、彼はそれで狂喜するのだった。

 二日間かけて彼は屍肉を食した。建物の中に隠れていたことが幸いしたのか、食事中は誰とも遭遇しなかった。

 彼は死体が着ていた服を奪った。残っていた水分を奪った。

 その場には骨以外のものは一つとして残さなかった。


 依然としておぼつかない足を使いながら移動する。弱者を見つければ、流石に食べなかったが、それでも殺して食糧を奪った。そんなことを繰り返していくと、いつの日か、生きることに余裕ができてきた。

 その余裕は彼を生の実感から引き離した。


 だから、彼は無理に仲間を作った。仲間を作り、食糧を不足させることで必死に生きようとした。しかし、彼のもとに集まった少年達は賢明とは言えないが、それでも誠実だった。教えたことはすぐに覚え、実行した。


 結局、暇になった彼は新しい仲間を見つけ、規模を拡大していった。


 ゆえに『ライトニング』は常に資材が不足していたが、その反面でカイの得た名声は多かった。さながら英雄のような扱いを受けた彼は、けれども、恥ずかしくてたまらなかった。分不相応な賞賛だと感じとても嫌だった。


 だから、これは一つの罪滅ぼしだ。


 貴族との取引で得た利益でもって『ライトニング』にしっかりとした褒美を与えようという。飢えてひもじい思いなどさせるものか。むしろ、喰らいきれない量の食糧を得る。


彼は生きることに必死だった。仲間とともに生きることに必死だったのだ。


 少し昔のことを想起していた彼は、知らず知らずのうちに力がこもっていた両手を開いた。そして落ち着こうと深呼吸しようとした瞬間、二人が立てこもった建物から爆風が吹き荒れた。

 何をするのかは明白だったし、ここに来る前に対策はすでにできていた。



 退路が潰された時に取れる行動は大きく分けて二つである。一つは、そのまま降伏すること。そして、もう一つは突破を試みること。

 しかし、突破を試みるといっても、今回の場合は実は二通り存在した。

 正々堂々と突っ込んでくるのはもちろん可能性としてはあるのだが、それよりも確実なのは、壁を砕いて新たな道を作り出すことである。


 退路に敵がいるのならば、敵のいない道を作ればいいだけのこと。


 それはおそらくは奇策だったと思う。少なくとも、頭の固い大人であれば裏をかけていたであろう策だ。だが、今回キズタ達が相対しているのは紛れもない子供であり、同じ子供であるのならばある程度作戦を読まれてしまう。


 ゆえに彼は仲間に指示を出し、それから大声で二人に向かって叫んだ。


「見ろ! こいつに見覚えはないか!? この図体だけがでかい『妖精族エルフ』になあ!」


 ドサッ! という音とともに、一人の『妖精族エルフ』が地面に転がされた。まるで糸を切られたマリオネットのように四肢は投げ出されている。それは紛れもなく死んでいた。

 『ウィングス』を統べる者の死体。かつて、クラドと呼ばれていたエルフである。


 それは一つの拙い策だった。それでフーリアの足を止められる可能性はあったが、それでも対策を施したと言えるほど十分なものではない。

 だってこれは、嫌なことをされれば足を止めざるを得ない。激高して立ち向かってくるだろうということを狙っているのだから。不確かな感情に訴え期待する作戦は、あまり合理的だとは言えない。


 言葉を選らなければ、ずさんだったと言うほかない。


 人を殺して、どれだけ歪んでいてもカイ達はまだまだ子供だった。それが詰めの甘さに繋がってくるのだが、しかし、今回だけは。

 子供を相手にする今回に限っては、これ以上なくハマるのだった。


 フーリアは彼の死に顔を見た直後、頭が真っ白になった。身体が震えだし、力んだ歯はギリギリと嫌な音が鳴っていた。

あるのは怒りと憎悪。絶対に殺すという思いだ。


 再び、しかし先程とは比べものにならない程の爆風が吹き荒れる。それは、フーリアの限界を超えた力に違いない。


 暴走。一言で言ってしまえばそれである。


 魔法を暴走させると、魔法の威力が爆発的に上がる。世の常識であり、ことわりでもある。だが、誰もが自分が暴走することを嫌う。魔法が使い手の制御を離れることで、限界を超えた魔法は、いつも以上の魔力を要求し、本来ならな使用されない物まで魔力に変換し使用され、使い手を自滅に追い込むからだ。


しかし、被害はそれだけに収まらない。なにせ、魔法を制御できなくなってしまうのだから。

 それは無差別にただ力を振るう暴力の化身に近い。今回の場合、それが誰に牙を剥くかなんて、そんなのは考えるまでもないだろう。


 キズタは数メートル宙を飛ばされた。そのまま、壁を破壊して隣室の床に転がる。肺にあった全ての空気を吐き出すことを余儀なくされた彼は眠るようにして意識を手放すのだった。

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